恋人以上、恋愛未満

右左山桃

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1章 そんな風に始まった

25 心の行方・2

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いつものように仕事を終えて店を出れば、案の定、雅が待っていた。
ただ状況はいつもと違い、雅は曲がり角で待ってはおらず、店の前で待っていた。
私を見落とすと思ったのか。はたまた、逃げられるとでも思ったのか。
店に入るべきか迷っていたのだろう。ドアに片手をかけようとしていた雅と、出入り口で鉢会う形になった。


「美亜」


雅に名前を呼ばれて思わず体は強張る。
もう二度と傷つかないように、きつくきつく心にロックをかけた。
石のように。
何も感じない。考えない。
大丈夫。
私はもう雅に何を言われても平気だし、母のことをどう思われていようが関係ない。
毅然と胸を張って雅を見据える。
この人と私は他人で、関係なんて脆くて、永遠に繋がっていくものなんて何もない。


「美亜、ごめん」


なのに。


「ごめんね」


雅は何の躊躇いもなく私に頭を下げるもんだから。


「俺、美亜にすごく無神経なこと言った。ごめんね」


正直拍子抜けしてしまった。

やめて欲しい。
そんなことを今さら言われたって、私はどうすればいいかわからない。


「……ついてこないで」


なるべく冷たく言い放つ。
どんなに優しい言葉をかけられても、きっとこの人は内心では私と母の関係を否定している。
そう思ったら、やっぱり無理だった。

だって、きっとそれは全部本当のことで。
取り繕っても、雅には全てを見透かされてしまう気がした。

怖かった。

ひとつひとつ、指摘されて認めさせられたら。
私は多分、壊れてしまう。


「雅とはもう一緒にいたくない。一緒に帰りたくない」


だから私は、わざと雅の心を傷つける言葉を選んで口にした。
雅は、ぐ、と表情を強張らせる。
それでも引き下がることはなかった。


「怒ってても、家に送るのだけは譲らない」

「怒ってるんじゃない! 嫌いなの!」


さすがにこのひと言は相当堪えたらしい。
横目に挟んだ、雅の傷ついた顔に胸の奥が痛んだ。

足早に立ち去る。
戸惑うようについてきていた足音が少しずつ遠ざかっていく。
早歩きで歩いて、歩いて。
自分ひとりの足音しか聞こえなくなってから振り返ると、遠くで、でも私をギリギリ見落とさない距離で雅はついてきていた。

……馬鹿みたい。

それでも無視を決め込んで、歩く速度は落とさずにアパートに入る。
いつものように靴を脱いで、マフラーを外して。持っていた荷物は適当に床に放つ。


 「…………」


部屋の明りは消したまま。
私が窓際に立っていることがばれないように、そっとカーテンの隙間から外を覗く。

点いては消える薄暗い街灯の下で、立ちつくす人影があった。
誰かなんて、考えるまでも無かった。
私の部屋の明りが点いたら帰るつもりなのだろうか。
心なしか、ツンツン頭が力なく項垂れているような気がする。
あんな所に突っ立っていたら、風邪をひくのに。
早く、帰れば良いのに。
雅の家がどこにあるのか知らないけど、多分近くは、無いだろうに。

小さな明りが暗闇の中で光って、雅が何度か電話をかけようとしているのがわかった。
その先は、多分――。

カバンから飛び出し、床に転がっているスマホに目を向ける。
鳴らない。鳴る訳が無い。
だって、雅からの着信は私が拒否しているんだから。

……何を……しているんだろ。

ずるずると、私は力なくその場に座り込んだ。
カーテンを閉めて、そのまま顔を埋める。


――俺は、美亜のこと――。


雅は、正気なんだろうか。

望んでも望んでも思いは返してもらえない。
その辛さは、私が一番良くわかっている。
雅だってミナで懲りている筈なのに、たくさん傷ついている筈なのに。
私に散々なことを言われながら、どうしてまた傷つこうとするんだろう。
同じ道を辿ろうとするんだろう。


その日以降、私と雅は顔を合わせても言葉すら交わさず、ふたり、同じ方向に黙って歩いた。

雅は、私が部屋に入るのを見届けて暫くぼんやりと立ちつくしてから、来た道と反対の方向へと歩いて行く。
明らかに元気がなくなっていく背中に、そうさせているのが自分だという事実に、どうしようもなく胸が痛んだ。

私は、どうしたいんだろう。

ずっとずっと信じたかった、守り続けたかった思いがある。
だけどそれにすがり続けることに意味はあるだろうか。

頭では理解し始めている。
幻想にすがり、一番大切なものを見落とそうとしているのなら、それはとても愚かなことだと。

心を凍りつかせる。
何も感じない。
何も考えない。

傷つかないように。
面倒くさいことは全て避けて、人と深くは関わらない。

ただ淡々と生きていく。
それが私の処世術だった。

だけど。

この寒空の下で私のことを考えている人がいる。
そう考えると、何だか居てもたってもいられなかった。

そんなの生まれてはじめてのことだったから。
どうすればいいのかわからなかった。

雅をこれ以上突き放すことも。
今すぐにでも部屋を飛び出して行って、傍にいてと甘えることも。

どちらも私にはできなかった。
どうやって雅と向き合えばいいのかわからなかった。

ただ、ただ。
胸が苦しくて。

そこから一歩も動けない自分が情けなくて。
誰にも届かない小さな声は、ごめんなさい……と呟いていた。
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