恋人以上、恋愛未満

右左山桃

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1章 そんな風に始まった

23 テリトリー・4

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体が勝手に動いて、雅の口を両手で封じていた。

違う。
そんなの。

雅なら、どんな女の子でも、きっと同じ境遇でいたら手を差し伸べた。
私の名前がたまたま”ミア”で。
ミナと名前の響きが似てて。

あの夜、あの場所で、たまたま出会ったから。
全て、ただ、小さな偶然が重なった、それだけで。
私じゃなくたって――。

震える指先に溜息が触れて、雅が肩から力を抜いたのがわかった。
雅はそれ以上の続きは言わず、諦めたように私の手をとって下に降ろした。
急な展開についていけないバクバクしている心臓を落ち着けて、消えそうな声で私は懇願した。


「…………もういい、から。放っておいて……」

「だって、じゃあ、他の誰が……」


美亜の心配するんだよ……、そう、言いたかったのかもしれない。
雅は多分、怒っている。


「……おかしいよ、美亜のお母さんだって。なんで? なんでお金を振り込むだけで美亜がどうやって暮らしているかも知らないの? 住所も。お金だけ与えて、後はどう生きてようが興味がない、関係ないなんて。そんなのおかしいと思わない? そんなの親じゃない」

「な…………」


きっとずっと雅の中で引っかかっていたんだと思う。
口にはしなかっただけで。


「……な……んで……」


なんで、そういうこと……言うの。

体の力が抜けて、へたりこみそうだった。
信じられないような気持ちで、雅を見た。
まさか、それを、雅に言われるとは思わなかった。

だから、嫌だった。
だから辞めておけば良かったのに。
他人に近づくのは。

やっとちゃんと、ねえ、今まで。
何とか、こうしてここに立ってやってきたというのに。
足元から音を立てて、全てが崩れて行くような錯覚。

雅は純粋な分、棘が鋭いんだね。
雅なら、もっと優しいことを言ってくれるんだと思ってた。
人を真っ向から批判するなんてしないんだろうと。
恋愛なんてできるかわからない混沌とした気持ちの中で、それでもいつかはと淡い期待もあった。
勝手だよね。

私は、雅なら。

雅なら。
雅なら……って……。


「違うよ。私はちゃんと……おかあさんに愛されているよ」


震える唇でやっとそれだけ反論する。
一番触れられたくない傷口を一番触れて欲しくない人に抉られたような感覚だった。


「愛されてるよ……ずっと。大丈夫だもの、私は、愛されてる。おかしいとか、おかしくないとか、そんなの雅には……関係ないじゃない……。おかあさんは、いつも必ず私のこと考えてくれている。愛してないなら、お金なんて出したりしない。おかあさんが一生懸命働いたお金を、私なんかに出したりしない筈でしょ!?」


だから。
お願い。

やめて。
やめて。

なんで?
どうして?

そんなこと言わないで。
否定しないで。

だって私にはそれしかない。
通帳に途切れずに続く数字の羅列。
それだけが私と母を繋ぐ唯一の絆なのに。

それさえ否定されたら。
私には本当に何も。


何も無くなってしまう。


「なによ……。雅なんか赤の他人じゃない。私の何も知らない癖に。束縛も行動を狭めることもしないって言った癖に。だったら、干渉してこないでよ!」


気持ちがぐちゃぐちゃだ。
雅と会ってからおかしい。

少しずつ当たり前の日常が崩れてきている。
静かな水面に零れ落ちた滴が波紋を起こして壁にぶつかって波を起こして……。
いつの間にか感情が抑えきれなくなっている。


いやだ。
怖い。


私の中に、これ以上入って来ないで。
その一線を踏み越えてくると言うのなら――。


「私は恋人なんていらない、彼氏なんていらない、雅なんかいらない」


頬に夜風が当たって切れるように痛くて冷たくて。
私は初めて自分が泣いてることに気付いた。


「美……」


歪んだ視界を拭いさると、雅が驚き戸惑っているのが見えた。


「雅なんか……嫌い……」


数歩、後ずさる。
もう駄目だ、と思った。もう無理なんだ。
全部絶ち切りたくて、私はそこから走って逃げた。


「美亜! 待っ……」


何にも聞きたくなくて、私は全速力でアパートへ向かって駆ける。
雅が追ってきてるとか、そんなのわからない。
一度も振り返らずに走って、走って、部屋に飛び込む。

扉を閉めると、堤防が決壊したようにボロボロと涙が零れて止まらなかった。


「…………っく……」


ベッドに倒れこんで、布団をかき集めながら体をまるめて声をあげて泣いた。
今までずっと、感情を殺してきたのに。
子供みたいに馬鹿みたいに。

声を上げて喚いて泣き続けた。


おかあさん。
おかあさん。
おかあさん。


心の奥で何度叫んでも求めても、母から電話がかかってくることはない。
昔も今も、きっとこの先も。ずっとずっとない。

わかっていた。
本当はずっと、認めるのが怖かっただけで。
母が私を見てくれることは一度もない。

そんなことは、わかっていた。


カバンの底でスマホが震えていることに気づく。


もう疲れた。
何もかも、どうでもいい。

何度かの雅からの着信。
その番号を拒否して、いつものように考えることをやめた。

おしまい。
全部、おしまい。


目を閉じたら、このまま朝が来なければいいのに。
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