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1章 そんな風に始まった
22 テリトリー・3
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歩みを止める。
雅が私の少し先を歩いて、振り返った。
「美亜? どうしたの。早く帰ろう?」
きっと雅はもう何となくわかっているとは思うけど。
敢えて口にすべきかは、正直迷った。
「私、恋愛感情がわからない。これから先も理解できるのかわからない」
それでも一緒にいてくれる? は酷な願いなんじゃないだろうか。
俯くと、雅の足がこちらに向かって近づいてくるのが見えた。
私の右手に、冷たい指先が触れる。
「美亜、帰ろう」
ぽん、と頭の上に乗せられたのは、雅のもうひとつの手のひら。
顔を上げて目が合えば、ふわ、と穏やかに微笑む雅に、なんだか泣きたくなる。
この人は、ミナに対してもそうだったように、私のことも全て受け入れるつもりなのだろうか。
優しくされて、その気持ちに甘えてしまったら、きっとその分だけ辛くなる。
この関係が終わった時、きっとひとりに戻るのがすごく辛くなる。
それに――。
「……こんなことに時間を費やしてたら……雅が……可哀想……」
思わずポツリと呟いた私の声を、雅は拾って顔をしかめた。
「こんなことって何? 美亜は、どうしていつも自分なんてどうでも良いって思ってるの?」
雅に問われて、自分の卑屈な気持ちが漏れていたことに気づく。
この前もそれで雅の気持ちを害したというのに。私は進歩が、ない。
ぐ、と唇を結んで私はまた歩き出した。
「そんなこと……ない。自分がどうでも良いなんて……思ってない。ちゃんとしてる。自分のことは自分でして、こうして生きてる。心配しなくても、おかあさんにも雅にも迷惑なんてかけないのに……」
声に出してから、あ、と思った。
なんで今、全然関係ないのに、母のことまで持ち出してしまったんだろう。
「そういうことじゃないでしょ、美亜の迷惑かけないは、関係ないってことなんでしょ」
雅にそう問われ、私は言葉を失う。
「美亜は本当に偉いと思うよ。働いて生活も学業も両立させて。誰にも頼らないでひとりで生きていけるようにって、ちゃんと考えてるヤツなんてそんないない。でも、美亜は同時にこうも思ってるでしょ? ひとりだから、自分がどうなっても誰にも迷惑かからない、関係ないって」
高い塀に囲まれた暗い細道に入る。
塀の隙間からは、積まれた資材とショベルカーが月明かりに照らされてぼんやりと光って見えた。
この辺りはどのくらい景色が変わるんだろう。
この道をずっと行った先には、暗くてよく見えないけど住み慣れたアパートがある。
家に着けば私はいつもと変わらない日常に戻る。
ひとりでもそれなりにマイペースに楽しく生きてきた場所へ、戻る。
「俺とエッチした時だって、今だって、どこか他人事で。俺は美亜にそういうこと言われると、自分なんてどうでも良いって、いつこの世から消えていなくなったって良いんだって言ってるみたいに聞こえて怖くなる。最初に会った時から美亜に感じてた違和感はそれだよ……。美亜はなんか……ふわふわしてる」
雅が言うほど、私は色々考えてはいない。
ただ、難しいことは考えずに思考を止めて毎日淡々と生きていければそれで良かった。
他人事、と言われればそうかもしれない。
私は自分のことでも、一歩引いて、どこか遠い所からその出来事を見ている。
「もっと、さ。上手く言えないけど。幸せになりたいとか……思わないの?」
「……さあ?」
雅は変なことを訊く。
みんながみんな、そんなことを考えて生きている訳ないじゃないか。
でもこの人は、そうなんだろう。
今日より明日、明日より明後日が幸せになるように……そう思って生きているんだろう。
私が望んでいるものなんて、そんな大したものじゃない気がするのに。
だけど今の会話で、するすると絡まった紐が解かれていくように、ひとつ、謎が解けた。
「つまり、雅が私と付き合った理由は……」
自分のことを大事にできない、危うい私のことを放っておけなくて。
そういう境遇に陥った私に――。
「……同情していたから……だったんだ……」
それは罪悪感や寂しさよりずっと悲しくて辛い理由で。
知りたくなど、無かった。
私が自嘲気味に笑うと、雅は少し困ったような顔をした。
「同情というか……ずっと……心配はしてる」
「同じじゃないの。お人よしなのは私じゃなくて、雅だったんじゃないの」
「でも、何も思っていない子にこんなこと言わない。心配したりしない」
雅が一歩こちらに踏み出してきたので、私は一歩後ずさった。
胸が、痛い。
ぎゅうぎゅうと胸が締め付けられているようで呼吸がしづらい。
「俺は……っ、美亜のこと……」
雅が私の少し先を歩いて、振り返った。
「美亜? どうしたの。早く帰ろう?」
きっと雅はもう何となくわかっているとは思うけど。
敢えて口にすべきかは、正直迷った。
「私、恋愛感情がわからない。これから先も理解できるのかわからない」
それでも一緒にいてくれる? は酷な願いなんじゃないだろうか。
俯くと、雅の足がこちらに向かって近づいてくるのが見えた。
私の右手に、冷たい指先が触れる。
「美亜、帰ろう」
ぽん、と頭の上に乗せられたのは、雅のもうひとつの手のひら。
顔を上げて目が合えば、ふわ、と穏やかに微笑む雅に、なんだか泣きたくなる。
この人は、ミナに対してもそうだったように、私のことも全て受け入れるつもりなのだろうか。
優しくされて、その気持ちに甘えてしまったら、きっとその分だけ辛くなる。
この関係が終わった時、きっとひとりに戻るのがすごく辛くなる。
それに――。
「……こんなことに時間を費やしてたら……雅が……可哀想……」
思わずポツリと呟いた私の声を、雅は拾って顔をしかめた。
「こんなことって何? 美亜は、どうしていつも自分なんてどうでも良いって思ってるの?」
雅に問われて、自分の卑屈な気持ちが漏れていたことに気づく。
この前もそれで雅の気持ちを害したというのに。私は進歩が、ない。
ぐ、と唇を結んで私はまた歩き出した。
「そんなこと……ない。自分がどうでも良いなんて……思ってない。ちゃんとしてる。自分のことは自分でして、こうして生きてる。心配しなくても、おかあさんにも雅にも迷惑なんてかけないのに……」
声に出してから、あ、と思った。
なんで今、全然関係ないのに、母のことまで持ち出してしまったんだろう。
「そういうことじゃないでしょ、美亜の迷惑かけないは、関係ないってことなんでしょ」
雅にそう問われ、私は言葉を失う。
「美亜は本当に偉いと思うよ。働いて生活も学業も両立させて。誰にも頼らないでひとりで生きていけるようにって、ちゃんと考えてるヤツなんてそんないない。でも、美亜は同時にこうも思ってるでしょ? ひとりだから、自分がどうなっても誰にも迷惑かからない、関係ないって」
高い塀に囲まれた暗い細道に入る。
塀の隙間からは、積まれた資材とショベルカーが月明かりに照らされてぼんやりと光って見えた。
この辺りはどのくらい景色が変わるんだろう。
この道をずっと行った先には、暗くてよく見えないけど住み慣れたアパートがある。
家に着けば私はいつもと変わらない日常に戻る。
ひとりでもそれなりにマイペースに楽しく生きてきた場所へ、戻る。
「俺とエッチした時だって、今だって、どこか他人事で。俺は美亜にそういうこと言われると、自分なんてどうでも良いって、いつこの世から消えていなくなったって良いんだって言ってるみたいに聞こえて怖くなる。最初に会った時から美亜に感じてた違和感はそれだよ……。美亜はなんか……ふわふわしてる」
雅が言うほど、私は色々考えてはいない。
ただ、難しいことは考えずに思考を止めて毎日淡々と生きていければそれで良かった。
他人事、と言われればそうかもしれない。
私は自分のことでも、一歩引いて、どこか遠い所からその出来事を見ている。
「もっと、さ。上手く言えないけど。幸せになりたいとか……思わないの?」
「……さあ?」
雅は変なことを訊く。
みんながみんな、そんなことを考えて生きている訳ないじゃないか。
でもこの人は、そうなんだろう。
今日より明日、明日より明後日が幸せになるように……そう思って生きているんだろう。
私が望んでいるものなんて、そんな大したものじゃない気がするのに。
だけど今の会話で、するすると絡まった紐が解かれていくように、ひとつ、謎が解けた。
「つまり、雅が私と付き合った理由は……」
自分のことを大事にできない、危うい私のことを放っておけなくて。
そういう境遇に陥った私に――。
「……同情していたから……だったんだ……」
それは罪悪感や寂しさよりずっと悲しくて辛い理由で。
知りたくなど、無かった。
私が自嘲気味に笑うと、雅は少し困ったような顔をした。
「同情というか……ずっと……心配はしてる」
「同じじゃないの。お人よしなのは私じゃなくて、雅だったんじゃないの」
「でも、何も思っていない子にこんなこと言わない。心配したりしない」
雅が一歩こちらに踏み出してきたので、私は一歩後ずさった。
胸が、痛い。
ぎゅうぎゅうと胸が締め付けられているようで呼吸がしづらい。
「俺は……っ、美亜のこと……」
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