恋人以上、恋愛未満

右左山桃

文字の大きさ
上 下
21 / 135
1章 そんな風に始まった

21 テリトリー・2

しおりを挟む
「…………」


駄目だ。質問した時のシラフの雅の反応が想像もつかないし、誘った後もどうすればいいのかわからない。
まあ……どうにでもなるのかもしれないけど。


「雅もひとり暮らししてるの?」

「……んー……ううん。実家だよ」


なんとなく、この答えには納得した。
雅は見るからに温かい家庭で育っていそうだ。
こんな遅い時間に息子が外出していて、親は訝しがらないんだろうか。
大学生にもなれば、息子がどこで何してても干渉しないんだろうか。
家族のイメージが私には無いから、よくわからないけど。


「ご両親と、兄弟はいるの?」

「うん。兄がひとりいるよ」


へえ、これも初耳。
お兄さんも雅に似て可愛いのだろうか。
相変わらず、私は雅の知らないことが結構ある。
ミナのこともそうだったけど、雅は訊けば何でも教えてくれそうだけど。
恋人とは、どこまでお互いのことを知り合うものなんだろう。


「美亜は?」


ひと通り訊いてから後悔した。
今の会話でこの質問が出るのは妥当な展開だ。
それが嫌でこの手の話題を出すことを敬遠してきたのに。
すっかり気を緩めていた。
びゅっ、とひと際強い風が吹いて、私は体を強張らせて手を擦った。


「……兄弟はいない。父は再婚してからずっと会っていない。家族は母だけ」


私が素っ気なくそう答えると、雅はポツリと呟いた。


「じゃあ、お母さん……美亜と離れてきっと寂しいね」


夢か、私が最後に見た母の姿だったのかはわからないけど。
母が部屋の片隅でひとりぼっちで屈みこんでいる姿が浮かぶ。


「……そう……かもしれないわね……」


そうだとしても、傍に居てあげたくても私では無理だ。
寂しかったとしても、傷を癒すことができるのは私ではない。


「……俺、美亜のお母さんに挨拶した方がいいかなぁ……」

「は?」


唐突な雅の提案に、思わず変な声が出た。


「だってさ、ひとり娘が離れて暮らしてて……お母さん、心配してるんじゃない? 変な男に騙されてないかとかさ」

「…………」

「お母さんがいつか美亜のアパートに来て鉢会ったりしちゃう前に……」

「それはないよ。母は、私が住んでる場所を知らないから」


知らないわけじゃ、ないんだろうけど。
同じことだろう。


「アパートにくることは絶対ないから。大丈夫」

「えぇ!? 住んでる場所も教えてないんじゃ……駄目だよ。ああいうとこ住んでるって知られたら危ないって……怒られちゃうよ?」

「2年近くあそこに住んでたのよ? 今さら怒られないわよ。もうそういうことは自立してたって……良いんじゃない? 成人してるんだし」


雅の顔が険しくなる。


「そういう……問題なのかなぁ……」


本当はあんまり……考えたくない。その辺は。
雅は、知らないから。
私と母の関係を知らないから。


「母は私のすることに干渉しないから。でもちゃんと仕送りはしてくれるよ」

「……お金、大変?」

「まぁ、それなりにはね」

「どうしてもずっとあそこに住んでいなくちゃいけないの?」


おずおずと、言いづらそうに尋ねてくる。


「あそこ、もしかしてお風呂とトイレ共用? 男の人ってどのくらい住んでるの?」

「お風呂とトイレくらいちゃんとあるわよ。不自然な感じで……後付けだけどシャワーもあるし、必要最低限のリノベーションはされてるの。隣は空き部屋で、下の階におじいさんが住んでる」


おじいさん……おじいさんか……でも、おじいさんも男だし……。

ブツクサ横でなんか言ってる。
よっぽど心配してくれてるんだな。
こういう女を彼女にすると彼氏は、大変なんだな……なんて、他人事のように思う。


彼氏、か。


ふと、この人はどうして自分なんかと付き合っているのか考える。
こんな夜中に、どうして私のために一緒に歩いてくれるんだろう。

罪悪感?
贖罪だとしたら、それならもう果たせたと思う。
充分すぎるくらい、雅の彼女として幸せな気持ちを貰った気がする。

寂しさ?
だけど雅はいつの間にか、ミナに失恋したショックを乗り越えている。
元々ポジティブな性格だし、きっかけさえあればきっと立ち直れた。
もう大丈夫なんだろう。


そうか。と、漠然と思う。


雅はいつでも、私の傍からいなくなってもおかしくないんだなぁ、と。
夜空にぽっかり浮かぶ月を眺めながら、いつまでこんな日が続くのかしら、と思う。
月明かりに照らされた、むつかしい雅の横顔を見ながら、勿体ないなぁ、と思う。
優しくて可愛い雅は、きっと私じゃなくてもまた幸せな恋愛ができる。
好きな人を大切にして、いつかおんなじように愛情を返してもらえる。
私なんかに世話を焼いている時間が勿体ない。

ありがとう、と思う気持ちと同時に、もういいよ、と思う気持ちが交差する。
私はこの人に、頬を、手を冷たくしながら、待っていてもらう価値のある人間だろうか。
しおりを挟む

処理中です...