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1章 そんな風に始まった
20 テリトリー・1
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今日も今日とてアルバイトで。
金曜日の夜ということもあって、お店は中々良い混みっぷりだった。
――じゃあ、迎えに行く。
閉店間際、雅がお店に来ると思って、そわそわキョロキョロしながら働いていたけど、お客様がいなくなって後片付けをする頃になっても、雅がお店に現れることはなかった。
ああいう約束は絶対守りそうなタイプなのに。
ちょっと拍子抜けして、ガランとした店内を見渡す。
安心したような残念だったような複雑な気持ちで、最後のテーブルに布巾をかけた。
結局私はどうして欲しかったんだろう……。
カラン、カランと、甲高いベルの音。
来店者を告げるその音に、思わず体ごと扉に意識が向く。
5分前にお店を出た弘瀬さんが、小走りでお店に戻ってきていた。
この期に及んでも、雅かと思ってしまう私は往生際が悪いと言うか何と言うか……。
弘瀬さん、忘れものでもしたのかな。
「浅木さん、浅木さんっ、お店のちょっと行った先にカレシさん来てるよ!」
え……。
「えへへ、すっごい寒いからさ~、外! 早く行ってあげなきゃね!」
頬を高揚させながら、弘瀬さんはそれだけ教えてくれるとまた慌ただしく店を出て行った。
いたずらっこな先輩だけど、いつも優しくて世話を焼いてくれる人。
「あ……ありがとうございます……っ!」
なるべく大きな声でそう言ったけれど、カラン、カランと響くベルと私の声は重なって、弘瀬さんまで届いたのか定かではない。
お店の周りも時々気になって窓から見ていたのに……全然気がつかなかった。
私も急いで仕事を終わらせて店を出る。
道に出て辺りを見回せば、少し先の曲がり角からこちらに近づいてくる影があった。
それほど高くない身長に、歩く度に揺れるツンツン頭。
ほ……と肩の力が抜ける。
雅は、店の出入り口より大分離れた所で待っていたようだ。
「……そんなとこに……いたの」
「うーん、色々考えたんだけどね。これから毎日閉店間際にお店に現れたら……迷惑だなあって……。かと言って出入り口にいたら、お客さんの邪魔だよなぁってねー……」
「来ないんだと……思った」
私の呟きは小さすぎて雅には聞こえなかったらしい。
「でも夜に道端で待っているのもちょっとね。きっと女の子は男がひとりで立ってるだけでも何となく怖いよね。俺、どんな感じで待ってるのが一番良いんだろうねー」
いや、どうだろう。
ベビーフェイスの男の子がひとりで寂しそうに立っていたら、逆に危なくなかろうか。
口が裂けても言えないけど。
「飼ってないけど、オプションに犬とかランニングウェアとかあると良いのかもしれないよねー」
ほわほわと白い息を吐きながら笑う雅だけど、どうにも一緒に笑う気にはなれない。
お店のこと、お客様のこと、私のこと、色々考えてくれてるけど。
雅はどうなのよ……。
頬にそっと触れると、雅が驚いて顔を引く。
夜気で冷えきった頬に、罪悪感で胸がチクッと痛む。
どのくらい、ここにいたんだろ。
雅の両手を取って、はぁっと息をかけた。
大きさの足りない私の両手で、雅の手を擦って温める。
ちっちゃい頃は憧れてたな。こんな風に、おかあさんに手を温めてもらうの。
擦りながら、手が水仕事で荒れていることに今さら気が付いた。
女の子の手じゃないなぁ……ちゃんとケアをしておけば良かった。
「ちょ……ちょっとちょっと、美亜……」
「あぁ……ごめんね……。ガサガサしてて気持ち悪いかもしれない」
「そうじゃ……なくて」
街頭に照らされた雅の頬が少し赤いような気がして、もう一度そこにそっと触れる。
擦った手よりも、ずっと。
「……温かく……なったね」
なんだ、恥ずかしかったのか。
可愛いなぁ。
ふ……と小さく笑う私を見て、雅がむむむ……と顔をしかめた。
「美亜って天然?」
「天然?」
「俺以外にそれ、しないでよ?」
「しないわよ」
重ねていた手のひらが離れて、寒さが身に染みた。
繋いでいた方がきっとずっと温かいのに。
「だって雅は……私の彼氏でしょ?」
すごく自然に、そう口にしていた自分に自分で驚いた。
彼氏なんて。恋人なんて。言葉にするほど良く分かっていない癖に何を言ってるんだろう。
雅は一瞬きょとんとした顔になって、暫く私と見つめあってから視線を下に落とした。
「……そう、だね」
はぁ、と息が夜に溶ける。
急に言葉少なになってしまった雅と付かず離れずの距離で歩き出す。
暫くして、今のは少し図々しかったかな……と思う。
彼氏でしょ、だなんて。
恋愛未満なのに彼女面をして、雅を夜中に呼び出している事実に酷く罪悪感を感じる。
「雅は、どこに住んでるの? あんまり遅くなると電車無くなっちゃうんじゃない?」
「大丈夫。そんなに遠くないから。気にしないで」
相変わらず、会った時からこの質問は、はぐらかされている気がする。
どの辺に住んでるんだろ、もう遅いから泊まっていく? とか訊くのが鉄板だろうか。
金曜日の夜ということもあって、お店は中々良い混みっぷりだった。
――じゃあ、迎えに行く。
閉店間際、雅がお店に来ると思って、そわそわキョロキョロしながら働いていたけど、お客様がいなくなって後片付けをする頃になっても、雅がお店に現れることはなかった。
ああいう約束は絶対守りそうなタイプなのに。
ちょっと拍子抜けして、ガランとした店内を見渡す。
安心したような残念だったような複雑な気持ちで、最後のテーブルに布巾をかけた。
結局私はどうして欲しかったんだろう……。
カラン、カランと、甲高いベルの音。
来店者を告げるその音に、思わず体ごと扉に意識が向く。
5分前にお店を出た弘瀬さんが、小走りでお店に戻ってきていた。
この期に及んでも、雅かと思ってしまう私は往生際が悪いと言うか何と言うか……。
弘瀬さん、忘れものでもしたのかな。
「浅木さん、浅木さんっ、お店のちょっと行った先にカレシさん来てるよ!」
え……。
「えへへ、すっごい寒いからさ~、外! 早く行ってあげなきゃね!」
頬を高揚させながら、弘瀬さんはそれだけ教えてくれるとまた慌ただしく店を出て行った。
いたずらっこな先輩だけど、いつも優しくて世話を焼いてくれる人。
「あ……ありがとうございます……っ!」
なるべく大きな声でそう言ったけれど、カラン、カランと響くベルと私の声は重なって、弘瀬さんまで届いたのか定かではない。
お店の周りも時々気になって窓から見ていたのに……全然気がつかなかった。
私も急いで仕事を終わらせて店を出る。
道に出て辺りを見回せば、少し先の曲がり角からこちらに近づいてくる影があった。
それほど高くない身長に、歩く度に揺れるツンツン頭。
ほ……と肩の力が抜ける。
雅は、店の出入り口より大分離れた所で待っていたようだ。
「……そんなとこに……いたの」
「うーん、色々考えたんだけどね。これから毎日閉店間際にお店に現れたら……迷惑だなあって……。かと言って出入り口にいたら、お客さんの邪魔だよなぁってねー……」
「来ないんだと……思った」
私の呟きは小さすぎて雅には聞こえなかったらしい。
「でも夜に道端で待っているのもちょっとね。きっと女の子は男がひとりで立ってるだけでも何となく怖いよね。俺、どんな感じで待ってるのが一番良いんだろうねー」
いや、どうだろう。
ベビーフェイスの男の子がひとりで寂しそうに立っていたら、逆に危なくなかろうか。
口が裂けても言えないけど。
「飼ってないけど、オプションに犬とかランニングウェアとかあると良いのかもしれないよねー」
ほわほわと白い息を吐きながら笑う雅だけど、どうにも一緒に笑う気にはなれない。
お店のこと、お客様のこと、私のこと、色々考えてくれてるけど。
雅はどうなのよ……。
頬にそっと触れると、雅が驚いて顔を引く。
夜気で冷えきった頬に、罪悪感で胸がチクッと痛む。
どのくらい、ここにいたんだろ。
雅の両手を取って、はぁっと息をかけた。
大きさの足りない私の両手で、雅の手を擦って温める。
ちっちゃい頃は憧れてたな。こんな風に、おかあさんに手を温めてもらうの。
擦りながら、手が水仕事で荒れていることに今さら気が付いた。
女の子の手じゃないなぁ……ちゃんとケアをしておけば良かった。
「ちょ……ちょっとちょっと、美亜……」
「あぁ……ごめんね……。ガサガサしてて気持ち悪いかもしれない」
「そうじゃ……なくて」
街頭に照らされた雅の頬が少し赤いような気がして、もう一度そこにそっと触れる。
擦った手よりも、ずっと。
「……温かく……なったね」
なんだ、恥ずかしかったのか。
可愛いなぁ。
ふ……と小さく笑う私を見て、雅がむむむ……と顔をしかめた。
「美亜って天然?」
「天然?」
「俺以外にそれ、しないでよ?」
「しないわよ」
重ねていた手のひらが離れて、寒さが身に染みた。
繋いでいた方がきっとずっと温かいのに。
「だって雅は……私の彼氏でしょ?」
すごく自然に、そう口にしていた自分に自分で驚いた。
彼氏なんて。恋人なんて。言葉にするほど良く分かっていない癖に何を言ってるんだろう。
雅は一瞬きょとんとした顔になって、暫く私と見つめあってから視線を下に落とした。
「……そう、だね」
はぁ、と息が夜に溶ける。
急に言葉少なになってしまった雅と付かず離れずの距離で歩き出す。
暫くして、今のは少し図々しかったかな……と思う。
彼氏でしょ、だなんて。
恋愛未満なのに彼女面をして、雅を夜中に呼び出している事実に酷く罪悪感を感じる。
「雅は、どこに住んでるの? あんまり遅くなると電車無くなっちゃうんじゃない?」
「大丈夫。そんなに遠くないから。気にしないで」
相変わらず、会った時からこの質問は、はぐらかされている気がする。
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