恋人以上、恋愛未満

右左山桃

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1章 そんな風に始まった

17 夜のアルバイト・3

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「ねー、浅木さん。カレシどの子、どの子ー?」


厨房に引っ込んでからは無邪気に弘瀬さんが訊いてくるので、私は仕方なしに「あの窓際奥にいる、頭ツンツンしてる子ですよ」とフロアを指さしながら教える。
弘瀬さんはひょこひょこと背伸びをしながら、小さな体を乗り出して遠方の席の雅を眺めている。
暫くして私の隣に戻ってきたかと思えば、私の顔をじっと見つめた。


「へー? なんか、意外な組み合わせだね~」


悪びれず、笑顔で言ってくれる。
お似合いではないのはわかりきったこと、だったけど。
そう言われてしまうと、やっぱりちょっとくらい可愛い格好しても駄目なんだなと思い知らされてしまう。
雅が付き合うなら弘瀬さんみたいな子の方が――やっぱりミナみたいな子の方が――絶対似合う。絵になる。
私とじゃ、やっぱり違和感あるっていうか、なんか違うんだ……。


「浅木さん?」

「はい」

「珈琲溢れてる、すっごい溢れてるよ!」

「あ……すみません……」


ぼけっとしながら注いでいた珈琲は、カップから溢れ、ソーサーからも溢れ……。
テーブルの上は知らずのうちに黒い海ができていた。


「21卓までこれ運んで!」


厨房からの声。
珈琲の後片付けで手が離せない私の代わりに弘瀬さんが応じる。
オムライスを受け取ってきた弘瀬さんは、フロアへは行かず、それを私の前まで持ってきた。


「?」

「あはっ。浅木さん、カレシのオーダーはオムライスだったみたいだよ? こっそりケチャップで『スキ』って書いちゃいなよ」


  え。


「えぇ? や、む、無理です。別に……そんな……好きとかじゃ……いや、好きだとは思いますけど……」

「何それ、イミフ~」


きゃらきゃらと笑いながら他の席にオムライスを運ぶ弘瀬さんを私は呆然と見送って……。
今のはからかわれただけだったのだと、やっと理解した。
冷静に考えればわかる、そもそも雅達のいる場所は21卓じゃないし。


「もう……」


はぁっ、と溜息をつく。
意味不明とまで言われてしまった。

私だってわかんない。
雅のことが好きか嫌いかと問われれば人として尊敬するし好きだとは思うけど。
それを軽々しく口にするのはやっぱり抵抗がある。
これが恋愛感情なのかと言われれば、やっぱりイマイチ、そういうことはわからなくて。
そんな自分が好きだの愛してるだの言うのは、お門違いな気がしてしまう。

千夏達が帰っても、雅はまだひとり席にいた。
ラストオーダーの声をかけられて、席を立とうとした雅を「大丈夫、大丈夫。ギリギリまでいて浅木さん待っててあげて。外で待つのは寒いよ~」と弘瀬さんが引きとめてくれていた。
スタッフ皆いい人で、知らず知らずのうちに仕事が焦る私をフォローして早く上がらせてくれた。


「ごめん……」


帰り道、整える暇の無かったボサボサの頭を抑えながら雅に謝る。
私が仕事を始めてから終えるまで、結局5時間くらい待たせたことになる。


「……ううん。別に焦ることないのに、俺が言い出したんだし」

「…………」


そう言われても、やっぱり何となく後ろめたい気がする。


――そーゆー格好を見せるのもここのひとつの商売なんでしょ?


雅が私のしていることに良い感情を持っていないのがわかっているから、尚のこと。
やっぱりあんまり働いている所は見せたくなかったな。


「……可愛い子いっぱいいたでしょ。私体大きいし……ああいう格好はイマイチ似合わなくてなんか滑稽よね」


笑い話で適当に済ませて欲しくてそう言ってみる。


「そんなことないよ。可愛いと思ったよ。むちゃくちゃ」


意図せず返された言葉に、誰に何を言われても何も感じなかった心が初めて揺すられた。
顔を真っ赤にして、まるで拗ねてるみたいに……こういう反応をされたのは前代未聞だった。

どうしよう。どうしよう困る。
このままだと私まで釣られて顔が赤くなるかもしれない。


「ま……」


居た堪れなくて、やっとの思いで咄嗟に口から出たのは「ありがとう」でも「嬉しい」でもなかった。


「雅には負けてるけどね……」


ジト目を雅に返される。
そうよね、そう言われるのは不本意よね。男らしくありたい雅にしちゃ、ね。
憎まれ口しか出てこない、可愛くない自分を本気で呪う。

もういやだ……。
千夏や涼子みたいになりたい。

雅はそんな私の心境など露知らず。
深い深い溜息をついて、「だからさ……」と言葉を続けた。


 「美亜ももっと夜遅くまで働くことに危機感持ってよ。お店で目をつけられて、変な奴に帰り待ち伏せとかされたらどうするつもりなの?」

 「……考えたこと……ないけど」

 「その時はその時なの?」

 「…………」


ここで、「うん」なんて答えたら、絶対にもっと怒らせる気がする。
なんて言えば良いんだ……とぐるぐる考えているうちに、段々言われていることが腑に落ちなくなってきた。

そもそも……なんで私は怒られてるの。

あそこはファミレスより2倍くらい時給が良いし、夜は更にそこに上乗せされる。
学生の身分で短時間で高収入が得られる仕事なんて限られている。
お客様に愛想笑いとか上手くできない私でも、浅木さんはクーデレキャラってことになってるからいいよ、とか言われて――クーデレの意味は正直よくわかっていないけど――無愛想&無表情でいても怒られない。
なかなか他にはない好条件がそろっている。

私だって、勉強と生活を維持するの大変なんだとか?
だからちょっとぐらい夜遅くなったって見逃して欲しいんだとか?
雅にそんなこと言いたくはない。


「ごめん……苛々してて……」


私がずっと無言でいたら、雅が先に口を開いた。


「きっと、多分、私情も入ってる。ただの独占欲」

「独占欲?」

「すごいやだ。そういう格好は俺にだけしてよ。他の人の前でしないでよ」


思わず思考が止まる。
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