天真爛漫な女騎士と人嫌い公爵

神辺真理子

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第2章 ニコルの秘密マカオンの葛藤

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翌日、ニコルはハヤテとルイが連れてきた騎士団員と共に王城へ向かった。
フリュイ領から王城まで馬なら丸1日かかる。
王城まであと半日というところで、甲冑を着た集団が行く手を塞いだ。
「何者だ」
ルイが先頭に立って誰何するが、相手は答えずに斬りかかる。
ニコルも剣を抜く。
ニコルの剣は滅亡した珠璃国秘伝の刀鍛冶が作ったもので、非情に薄いが鉄の棒でも切断できる。ただし、扱いにくいのが難点だ。だが、扱えるようになれば女のニコルでも大男相手に互角に闘える。
ニコルは自分目掛けて斬りかかって来た男の剣を躱すと、甲冑の胴体を切り裂いた。
ガシャン。
切断された甲冑の破片が落ちた。
切られた男は声もでない。仲間達も呆然として落ちた鉄の欠片を見ている。
「ひぃ」
ようやく自分の甲冑が切られたことに気が付いた男は、悲鳴を上げると馬を操り損ねて落馬してしまった。
その間にもルイや騎士団の仲間が相手に攻撃を仕掛ける。ニコルも、次々と相手の腕を切りつける。スパッと甲冑に切り込みが入ると、動揺した相手は落馬していく。
馬上の戦いで馬を操れなくなれば負けだ。
無用な血を流さない戦い方はニコルの父アランから受け継いだ、エランヴェール軍や騎士団の流儀である。
体制を崩された相手方は、恐れをなして散り散りになって逃げて行った。
「一体、何者だ」
ルイが忌々しそうに舌打ちをした。

余計な邪魔が入ったせいで王都へ入る寸前で、宿を取ることになった。
そろそろ明日に備えて眠ろうかと考えていたニコルの部屋をルイが訪れた。
「王城に入る前にフランソワーズ様を狙っていると思われる後宮の人物を、おさらいしておこうと思ったのだが、少しいいか」
「はい。どうぞ」
狭い部屋なのでニコルはベッドに腰をかけ、1つだけ置かれていた椅子をルイに勧めた。
「以前話した後宮の話を覚えているか」
ルイに問われてニコルは思い出しながら答えた。
「今、後宮には3人の女性がいること。グラディス皇女のレナータ様、リッシュモン侯爵令嬢のジル様、ロシュジャクラン伯爵令嬢のアデール様?」
ニコルが不安そうに首を傾げると、ルイがよくできたとばかりに笑顔を見せた。
「そうだ。その後宮の女達とは、いずれも白い結婚だ。陛下とは後宮へ入る時に挨拶をしただけで捨て置かれている」
「酷い。女の人はモノじゃないのに」
「陛下は王妃様以外に興味がない。後宮に入った女達は権力争いの駒にされたのだ。まぁ、それでも以前、子供ができた女がいた」
「えっ。だって・・・・・・」
驚くニコルにルイは笑って見せた。
「その女は相手の男と一緒に後宮から追い出した。つまり、裏を返せば一生後宮で暮らさなければならないわけではない。不貞を働けば自由になれるというわけだ。それでも、アデールは様十年以上、後宮に留まっているが」
「どうして」
ニコルなら不貞行為を働いたことにして、さっっさと自由になる道を選ぶ。
「フランソワーズ様が亡くなれば、自分達に千載一遇のチャンスが訪れる」
「どういうこと?」
権力争いに疎いニコルには意味が分からない。
「王妃様が今後子供を産むのは難しい。だが、後宮にはまだ子供を産める女性がいる。そうなれば、女王制になろうがなるまいが、側近達は後宮通いを陛下に勧める。そして、国の今後を考えれば、陛下は後宮に通わなくてはならなくなる。そこで、子供を産めば、その女は国母として力を持ち、国母の実家も権力を持つ。後宮にいる女達はみんなそのチャンスを狙っているのだ」
「やっぱり後宮にいる人達にとって、フランソワーズ様は邪魔なのね」
ニコルはブルッと身体を震わせた。
「大丈夫だ。ニコルに危害が及ばないようにする」
ルイが片目を瞑って笑った。
「あと、もう一つ伝えておく。今回の作戦だ」
ルイが声を潜める。
ニコルは前のめりになって聞き耳を立てる。
「王城内は王族の住む居住フロアと執務や公務で使用するフロア、後宮、離宮に分かれている。だが、王城内の各フロアと後宮、離宮は使用人の行き来が制限されている。特に、後宮や離宮に王城内の情報が漏れないように人の往来が禁止してある。後宮には他国の皇女様がいらっしゃるから当然だが、離宮にはフランソワーズ様が静養されているからだ。つまり、怪しいとされている女達は後宮にいて、王城や離宮の様子が分からない。それは離宮も同じだ。だから今回はその仕組みを利用することにした。王城でニコルにはヴェールを被ってフランソワーズ様の振りをして後宮に入ってもらう。後宮には一人で病気療養していると気鬱になるため、環境を変えるため、という理由を付ける。だが、王城ではこのことは伏せる。知っているのは国王夫妻とフランソワーズ様本人達と俺達一部の側近だけだ。いいな。」
「私はフランソワーズ様の振りをして後宮の様子を探ればいいの?」
「いいや。ニコルは犯人をおびき寄せるための罠だ。動かなくても、向こうから仕掛けてくるはずだ」
「そう」
ニコルはがっかりした。だが、王城でウロウロして会いたくない人と鉢合わせするのも嫌だ。
複雑な表情を見せたニコルの頭をルイはポンと叩く。
「ウジウジするな。ニコルらしくないぞ」
「・・・・・・。そうね。前向きにならないと」
「じゃぁ、明日。寝坊するなよ」
「お休みなさい」
ルイが出て行くと、ニコルはベッドに潜り込む。疲れていたニコルはあっという間に眠ってしまった。

◇◇◇
フリュイを立って2日後。
ニコルはフランソワーズとして後宮の一室に入った。
フランソワーズは髪が長いので、ニコルは大きなリボンを模ったヘッドドレスを付けた。
「こちらが、フランソワーズ様のお世話をする者です」
緊張するニコルの前にお仕着せ姿で現れたのは、アルディ公爵家の侍女だった。
「あー良かった」
良く知った顔を見つけて喜ぶニコルに向かって、ルイは唇に人差し指を立てた。
「今はフランソワーズ様だぞ」
小声でたしなめるルイに、ニコルは口を押さえて首をすくめた。
「やっぱり。お前一人では不安だな」
ニコルは背後から聞き慣れた声がして振り向く。
「マッ、マカオン・・・・・・」
大声を出しそうになって再び口に手を当てた。
「二人まとめて護衛した方が楽だろう。だから、マカオンを騎士見習いとして後宮の護衛を任せることにした」
ルイはマカオンの肩に手を置いて笑う。しかし、マカオンは無表情のままルイの手を払う。
「まぁ、仲が良かったのね」
ニコルはいつもより小声で話す。
フランソワーズがどのような話し方なの知らないが、病弱なので小声だと思ったのである。
「まぁ、ちょっとした顔見知りだ」
ルイは「なっ」とマカオンに笑いかけるが、マカオンは「違う」と素っ気ない。
良くも悪くも表情には出さないマカオンだが、ニコルにはマカオンが照れているように思えた。

ニコルは騎士団の制服を着て、マカオンやルイ、ハヤテと王城や後宮、離宮を歩くことにした。場所を把握しておかなければ、万が一の時に対処できないからである。
事前に聞いていたように王城と後宮、離宮では護衛や侍女や小間使い達の制服が異なり、王城の人間が簡単に後宮や離宮に入り込めないようになっている。
王城内を歩くと男も女も様々な人が出入りしていた。その中にあって珍しい髪のマカオンは、一際人目を惹いていることにニコルは気が付く。
「そのキンキラの髪、染めたら」
「なぜだ。必要ないだろう」
唐突な提案にマカオンは不満気な顔をする。
「目立ち過ぎだと思う。私だって仕事によっては染めたわ。染め粉を貸してあげるから、染めなさいよ」
「いらない。必要ない。そうだろう」
マカオンはルイに助けを求めた。
「うーん。そうだな。ここでは、そのキンキラの髪が役に立ちそうだし」
「え?」
ルイの言葉にニコルは首を傾げる。
「後宮は暇と若さを持て余した女性の巣窟だ。そこに、キンキラの若い男が入って来たら、一斉に食い付く。そこで、上手く情報を引き出す」
ルイはニヤリと笑う。だが、マカオンは額に手を当てて顔を顰める。
「女に媚びへつらうのは苦手だ」
がっくりと肩を落とすマカオンを見て、ニコルは本当に人嫌いなのだと知る。
「だったら、いつも通り冷たくすればいいじゃない」
「はぁ?」
「だって、社交界慣れしている皇女や侯爵令嬢に嘘ついてもバレるよ。だったら、いつも通り意地悪モードでいればいいじゃない。」
「そうだな。適当にあしらわれた方が、より追いかけるものだ」
ルイがニコルに加勢すると、マカオンは二人を睨む。
「お前ら馬鹿にしているだろ」
「まさか、ねぇ」
ニコルがルイに笑いかけると、ルイも「ねぇ」と笑った。
「クソッ」
マカオンは不機嫌に壁に拳を叩きつけた。
離宮の周囲を確認して後宮へ戻る途中、離宮から中年の女性に声をかけられた。
「失礼ですが、そちらの女性はヴェルミリオン辺境伯嬢ではありませんか」
「そうですが」
騎士の格好をしているニコルは正直に答えた。
「恐れ入りますが、王女殿下がお呼びです」
「はぁ。失礼ですが貴方はどなたでしょうか」
上等な生地のドレスを身に纏っているので、王女付きであることは間違いないがルイも知らない相手のようなので警戒をする。
「失礼いたしました。フランソワーズ様の乳母トワレでございます」
トワレと名乗った女は優雅にお辞儀をした。ニコルがルイを見上げると、ルイは「間違いない」とばかりに頷いた。
「そうでしたか。失礼しました。着替えてから伺ってもよろしいでしょうか」
このまま会うのは気が引けた。何より王女と二人で会うのがニコルは怖かった。
「申し訳ございません。王女殿下の体調は変わりやすいものですから、今すぐ一緒に来てくれませんか」
トワレの「ごちゃごちゃ言わずに今すぐ来い」という圧に負けたニコルは観念した。
「わかりました。ですが、一人だけ付き添わせます。いいですね」
「えぇ、どうぞ」
笑顔が引きつるニコルに対して、トワレは満面の笑みを浮かべた。

初めて会ったフランソワーズは、ニコルと同じ顔をしていた。ただ、体調がすぐれないせいか頬がこけ、首や腕、指は骨と皮しかないぐらいに細い。
「会えてうれしいわ。ずっと会いたかったの」
ソファーに座っていたフランソワーズは、ニコルを手招きして隣に座るように促す。
案内された部屋に入ったニコルは薬屋のような匂いが気になり、壁を見ると薬瓶が整然と並んでいる。
フランソワーズは、そんなに体調が悪いのかと心配になった。
ニコルが座ると、ニコルの手を取って笑った。
「本当にそっくりね」
「えぇ、本当に」
フランソワーズがお茶を飲むのを見て、ニコルもお茶を飲む。
ニコルの後ろで一瞬ハヤテが青ざめたが、ニコルは目の前にいるフランソワーズに夢中で気がつかなかった。
思っていたよりも優しいフランソワーズにニコルも緊張が解ける。
「ねぇ、騎士団にいるのでしょう。お仕事はどんなことをしているのかしら」
聞けばフランソワーズは王城の家族が生活するスペースしか歩けず、外の世界を知らないという。
ニコルは外には楽しいことがあるのに、かわいそうに思いながら仕事のことや庶民の暮らし、街の賑やかさを話した。
「まぁ、楽しそう。でも、危なくないの」
「王女殿下が城下へ行く時には、騎士団が護衛に付くので大丈夫ですよ」
「そう。でも、それでは買い食いなんかできないわね」
「でしたら、私と町娘の衣装を着て、お忍びで出掛けましょう」
「まぁ、それは楽しそうだわ」
フランソワーズがはしゃぐと、部屋の隅でハヤテと一緒に控えていたトワレが宥める。
「王女様、お忍びなんていけませんよ。何があるのかわからないのですから」
「まぁ、ニコルは強いのよ。大丈夫よね」
フランソワーズがニコルの手を取りながら笑う。
「ニコル。ごめんなさいね。トワレが口うるさくて」
「いいえ。王女殿下の身体や安全を心配するのは当然です」
「まぁ、物わかりが良くて助かります」
フランの乳母であるトワレが渋い顔をしながらお茶を淹れ替えた。
「ねぇ、ところで先程一緒に居た方は騎士団の人かしら」
「はい。王立騎士団のルイ総統と、後宮護衛官に任命されたマカオンです」
「髪の長い方はどちら?」
「マカオンですが。どうかしましたか」
ニコルはザワリと胸に嫌な感触を覚える。
「まぁ、あんなに若い方を後宮の護衛にするの?信じられないわ」
フランソワーズが汚いモノを見るような顔をした。
「ねぇ、ニコル。貴方からマカオンを私付きの護衛にするように、ルイ総統に言ってくれない?」
「え、私にはそのような力はありません」
「まぁ、だって貴方はあの辺境伯の娘でしょう。簡単じゃない」
フランソワーズが何を指して「あの辺境伯」というのか分からないが、騎士団は貴族階級とは別に騎士個人の階級がある。ニコルは貴族階級では上位だが、個人としての階級は下から数えた方が早い。
「申し訳ございません。私の身分では王女殿下のお力にはなれません」
ニコルは頭を下げた。
「貴方ばかりずるいわ。外で自由に暮らして、あんなに綺麗な男性に囲まれて。私は貴方のせいで、こんなに苦しんでいるのだから、一つぐらい言うことを聞きなさい」
今までとは別人のようにフランソワーズは、目を釣り上げてニコルを見据えた。
「・・・・・・」
黙るニコルに痺れを切らしたのかフランソワーズは立ち上がった。
「もういい。マカオンのことは父上に私から言うわ。帰りなさい。帰れ」
これがフランソワーズの本音なのだとニコルは震えた。
「それでは、失礼します」
ニコルは「ふざけるな」と大声を出したかったが、ぐっと堪えて儀礼的に挨拶をして離宮を出た。
「ニコル様。よく堪えました」
ハヤテが周囲に人がいないことを確認すると、ニコルの背中をさすった。
「だから来たくなかったのよ」
ニコルの目から涙がこぼれた。
フランソワーズとの面会でニコルは一生、見たくなかった現実を突きつけられたのである。

◇◇◇
マカオンは一日数回、後宮を巡回する。
かつて後宮には十人以上の女を住まわせていた国王が居たという史実の通り、数え切れない程の部屋がある。使っていない部屋は鍵が掛けられ、窓からの侵入を防ぐために柵が施してあるが、これだけ広いと、どこから賊が入ってもおかしくない。
事実、間男がどこからか侵入して子供ができた例が昔からある。
通常の巡回は二人以上で行うのだが、マカオンは巡回を装った囮であるため、一人で行動をしていた。
すると、毎日のように声が掛かる。
側室自ら声をかけるような事はないが、侍女がすれ違いざまにお茶に誘ってきたり、メモを渡されたり、プレゼントを渡されたり・・・・・・。
マカオンはどれにも迷惑顔で断る。だが、ルイの予測通り諦める気配はなく、制服のポケットに手紙やプレゼントをねじ込まれるようになった。おかげで、巡回を終えてニコルの部屋へ戻る時には、ポケットがパンパンだ。
「早く領地に戻りたい」
後宮に入って二週間でマカオンは音を上げた。
「今日も綺麗なご婦人に言い寄られて楽しかったでしょう」
ニコルが揶揄うと、マカオンはバサリと制服のジャケットをソファーに放り投げた。
「斬られたくなければ黙っていろ」
マカオンはギリっと歯ぎしりしながら、剣に手をかける。
「今からそんな事で上手くいくのかしら。そろそろ、もう一押しするべきではなくて」
ニコルはわざとフランソワーズの真似をして話すと、マカオンはドカッとソファーに座り、イライラと足を踏みならす。
「どうしろっていうのだ」
ニコルは想像以上にマカオンがストレスを抱えていることを知って、思わず顔を引きつらせた。
それでもニコルはジャケットのポケットから落ちた小箱を拾った。
「例えば、このプレゼントをくれた方と、お茶をするとか。積極的な人なら、その噂を聞きつけて、すぐにプレゼントを贈ってくるわ。そうしたら、またお茶をするの。積極的な人、というか暇を持て余している人なら、黙っていても自分から話をしてくれる。だから、マカオンでも情報を引き出せるわ」
ニコルの提案にマカオンは「面倒くさい」と呟く。
「だが、こちらのことを知られたらいけないのに、どうやって聞き出すのだ」
「そんなの簡単じゃない。マカオンは新人なのだから、警備上、人柄を把握しておきたいって言えばいいのよ。ついでに、困っていることはありませんか、って相手の心に寄り添えばペラペラ話すわ」
ニコルは「そんなことも分からないの?」とばかりに、マカオンを見るとギロリと睨まれた。
「新顔の騎士にそんなこと話すか?」
マカオンは首を傾げる。
「女性は話を聞いてくれれば誰でもいいのよ。黙って頷いて、聞いている振りしておけば信頼してもらえるものよ」
「そんなものか」
マカオンは半信半疑だ。
「えぇ。だって後宮の人は毎日同じ生活の繰り返し。話す相手も同じ人。だから、第三者の誰かと話しがしたいのよ」
「なるほど」
マカオンは腕を組んで考える。
「そういえば、お前も暇を持て余しているな」
「私は違うわ」
「あんなに外を走り回っていたお前が、一日部屋の中に居たら、退屈で死にそうだろう」
マカオンは揶揄うが、ニコルは動じない。
「馬鹿ね。私が一日部屋で大人しくしていると、本気で思っているの?」
「まさか、お前、出歩いているのか」
マカオンが身を乗り出すとニコルは鼻で笑った。
「内緒」
「あんまり、危ないことはするなよ」
マカオンは釘を刺すと、部屋を出て行った。

マカオンはまず小箱をくれたアデールとお茶の約束を取り付けた。
小箱を贈ったのは好意ではなく、後宮の警備に当たるマカオンへ感謝の気持ちだったらしいが、この際どちらでも良い。
「でも、真意は分からないから、出されたお茶は飲まない方がいいと思う。既成事実を作られたら困るでしょう」
「既成事実って何をするのかも知らないガキが生意気言うな」
マカオンが鎌を掛けるとニコルは言葉に詰まった。ニコルの後ろではハヤテが心底安堵した表情を見せる。
「やっぱりな」
マカオンが笑うとニコルがむくれた。
「アルディ公爵家の名を汚さぬよう、心配してあげたのに」
マカオンが言い返す前にハヤテがお茶を淹れながら、ニカッと笑った。
「私がフランソワーズ様からだと言って、お茶を淹れに行こう。そうすれば、相手がお茶に仕掛けをしたのか分かる。それに、マカオン様がフランソワーズ様の差し金だと相手に気が付かせることもできる。牽制にもなる」
「名案ね。それで反応を見ればいいのよ」
ニコルの顔が輝く。
「無駄な時間はかけたくない。早く帰りたいからな」
「私も。それで、マカオンはアデール様のこと、どれくらい知っているの」
「え?伯爵令嬢で十年前に現国王が即位した直後に、父親が権力保持のために送り込んだってことぐらいだな」
マカオンの返事にニコルがニヤニヤと笑う。
「なんだ」
「何でもない。ただ、調べが甘いと思っただけ」
ニコルが間諜の真似事をして調べたと分かったマカオンは、ニコルの両頬を片手で掴む。
「いちゃい」
「危ない真似するなって言っただろ」
マカオンは強い口調で言うが、ニコルは頬を掴むマカオンの腕を思い切り叩く。
「痛ったいな」
「私は騎士よ。普通の令嬢と一緒にしないで」
毅然とした物言いにニコルが騎士として誇りを持っていたことを、マカオンは無意識の内に無視していたことに気が付く。
「悪かった。それで、何が分かったのだ」
「・・・・・・」
ニコルが目を丸くしてマカオンを見つめる。
「なんだ。俺だって、悪いと思ったら謝る」
「そう・・・・・・」
「早く教えろ」
居心地が悪くなってマカオンはニコルを急かした。
「あぁ、えっと。アデール様は大人しくて控えめ方で、一日中お部屋に居ることが多いの。刺繍が得意で、作った物を侍女に渡して学校のバザーに出しているみたい。十年前に後宮へ入ってから、誰かが会いに来ることはなくて、話し相手は実家から連れて来た侍女だけ。レナータ様主催のお茶会でも、自分から話をすることはなくて、黙ってお茶を飲んでいるみたい。
そもそもアデール様は先妻の子供で、実家に居た時も社交界デビューもさせてもらえなくて、アデール様が居ることを知れ渡ったのは、後宮へ入る時だったというから伯爵の権力保持とお金のために駒として使われたと噂されているわ」
「よく調べたな」
どうやって調べたのか、後で聞いてみようとマカオンは思う。教えてもらえるとは思えないが。
「まぁね。実家でどんな扱いをされていたのかは分からないけれど、素直で優しい方みたいだから、ストレートに聞いたら、教えてくれると思う」
「そうか。なら、気が楽だな」
マカオンは、つくづく自分は社交に向いていないと思う。
そんなマカオンの心情を読み取ったように、ニコルはマカオンの顔を覗き込みながら言った。
「マカオンのそういう不器用な所、私、好きよ」
ニコルが満面の笑みを見せる。
「・・・・・・。馬鹿」
マカオンはニコルの顔が目に入らないように、掌でニコルの顔を押さえる。
「何するのよ」
「お前、あちこちで、そんなこと言っているわけではないよな」
「え?」
ニコルは悪気のない顔でマカオンを見る。
「男に簡単に好きとか言うな。危ないぞ」
「なんで?好きなモノを好きって言うのは危ないの?」
意味を理解していないニコルにマカオンは心底呆れた。
「お前、よく無事に生きてこられたな」
マカオンはソファーの背もたれに背を預けながら、ニコルの後ろにいるハヤテを睨んだ。
ハヤテはマカオンの視線に気が付いていたが、素知らぬふりで視線を逸らした。

アデールは大人しく素直な女性だった。
マカオンにとってアデールは、母親と同じ世代だが結婚と言っても名目上だけで恋愛もせず、社交界にも出ずに閉ざされた空間で生きてきたアデールの心は少女そのものだった。
そのせいか、人を疑うことを知らず、ハヤテが出したお茶も「フランソワーズ様からのものですか」と、恐縮しながら飲んでいる。
当然、マカオンが直球で訊ねた王宮の人間関係についても、親切に教えてくれた。
後宮は本来、国王の寵愛が深い順に順列が決まるが、国王は王妃以外に関心がないため、貴族社会と同じ序列になっているという。
つまり、皇女のレナータを筆頭に、侯爵令嬢のジル、伯爵令嬢のアデールの順だ。
それぞれ個性的な面々が揃っているが、国王が手出しをすることがないと分かっているせいか、対立することもなく、かといってベタベタすることもない。誰かがお茶会を開けば集まって話をする、適度な関係だという。
アデールは一人でいることが好きなので、干渉されない今の暮らしは快適だと清々しい表情で語る。
「十年も後宮にいて嫌にならないのですか」
マカオンは率直に訊ねた。
ニコルなら三日で逃げ出す、と思ったからだ。
「なりません。実家に戻った所で、年寄りの後妻にされることが分かっていますから。ここに居る方がずっと幸せです」
アデールは少し哀しそうに笑った。
ニコルが言っていたように、実家にアデールの居場所はないようだ。
ルイからの情報では、実家の後妻はアデールと年が変わらず、派手好きな女性らしく「金のかかる女で困る」と、こぼしているらしい。
そんな女が仕切っている家にアデールの居場所がないとマカオンは同情した。
「アデール様から見て、他の女性達はどんな方ですか」
「そうね、アンジェラ様は社交な方よ。王妃様とは後宮に入る前から、お知り合いだったようで今も一緒にお茶を飲んでいるみたい。」
アデールはそこでお茶を飲む。
「そうですか。レナータ様はどんな方ですか」
「皇女様は国王陛下をとても慕っておいでで、毎日のようにプレゼントやお手紙を贈っているようね。まぁ、国の同盟がかかっているのだから、仕方がないのでしょうけど。私よりもお若いのに・・・・・・」
アデールは、叶うことのない想いや責任を背負わされているレナータを気の毒に思っている様子だった。
「そうですか。ありがとうございます」
「いいえ、私のお話が何かお役に立てばいいのだけど」
アデールは優しく微笑む。
その微笑みに母親のような慈愛を感じてマカオンは、懐かしいような泣きたくなるような想いに駆られた。
その想いがあふれ出す前にマカオンは部屋を後にすると、ニコルの部屋に向かった。

後日、アデールがマカオンと一緒にお茶飲んでいたことが、後宮に広がりマカオンは他の2人からも話を聞こうとしたが、2人からはろくに話を聞き出せずに終わった。
ジルは庭でハーブを育てているのが趣味だと言ってハヤテのお茶を断り、その後はマカオンの隣に座るとベタベタ触りだした。
「お母様がマカオン様を避けられているので、お寂しいでしょう」
ジルはそう言ってマカオンにもたれかかる。
社交的ということは、情報通とも言えるのだ。その事実に気が付いてマカオンは舌打ちをするが、ジルは動じない。
「私をお母様だと思って甘えてくださってもいいのよ」
マカオンの手を握ると、自分の太股へと移動させた。
わざわざ胸元が大きく開いたドレスを着ているのは、このせいかと思うと何もかもが汚らわしい。
「娼婦のような真似は止めた方がいい。侯爵の名に傷がつきます」
マカオンは軽蔑の眼差しでジルを見つめ、ジルの身体を押しのけ手を振り払うと立ち上がった。
「まぁ、つまらない。人嫌いというのは本当なのね」
ジルは興醒めした、という表情でマカオンを見つめる。
「それがどうかしましたか」
マカオンは香水の匂いがついた制服を手で払う。
「フランソワーズ様のお部屋に入り浸っているようだから、人嫌いはフェイクだと思ったけど違ったのね」
「私はフランソワーズ様の護衛になる予定ですから、お部屋に行くのは当然です」
「あら、そう。わかったわ」
ジルはもう用はないとばかりに扇を振った。
「一つだけ教えてください。王妃に近づく目的はなんでしょう」
アデールから聞いた話とは異なる印象のジルにマカオンは不信感を抱いた。
「別に。目的はないわ。ただ、後宮に入る前から王妃様とは親しかったの。あとは、レナータ様がお可哀想だから、国王陛下への取り次ぎをお願いしているのよ」
「レナータ様と国王陛下の取り持ちを、王妃にお願いしているのですか」
マカオンは信じられない思いでジルを見ると、ジルは馬鹿にしたように笑った。
「お子様には分からないでしょうけど、フランソワーズ様しか跡継ぎがいないのよ。王妃様はそのことを案じて、国王陛下に何度も後宮へ通うよう、お願いしているけど聞き入れないのよ。今の後宮で国母に相応しいのはレナータ様だけ。だから、王妃様とどうすれば国王陛下の心を変えられるのか考えて、レナータ様にアドバイスしているの」
わかったかしら、とばかりにジルは首を傾げて見せた。
「そうでしたか。勉強になりました」
マカオンは冷笑を称えてジルの部屋を後にした。
その後、グラディス皇女レナータの部屋を訪れた。
嫌いな仕事は早く片付けたいと、この日は二件まとめてお茶の予定を入れたのである。
レナータは祖国のお茶を勧めて来たが、マカオンはハヤテのお茶を飲んだ。もちろん、レナータは祖国のお茶だけを飲む。
レナータはマカオン同じ年の22歳。紫色の瞳と亜麻色の髪を豪奢に巻き、陶磁器のような白い肌を持つ美女が後宮に幽閉されているのはもったいないと思うが、顔には出さない。
「マカオン様のその髪は、レジン国王の髪と同じ色よね」
レナータは皇女だけあってマカオンの髪の色に気が付いた。
「えぇ、母がレジン国王の妹に当たります」
銀色にも金にも見えるこの髪はレジン国内でも、王族や王族の縁者にしか見られないらしい。
「そう。とっても綺麗」
レナータはうっとりとマカオンを見つめる。
ここで「皇女様もお綺麗ですよ」と言えればいいのだが、マカオンにその発想はない。
「ありがとうございます。ところで、後宮に居て困ったことはありませんか」
「え、えぇ、そうね・・・・・・」
当然、自分への賛辞が続くと思っていたレナータは戸惑う。
「レナータ様は、まだお若いですし、後宮に閉じ込められていては退屈でしょう」
「えぇ、そうね。知り合いも少ないし、寂しいわ」
レナータはそう言うと、ティーカップに添えていたマカオンの手を握った。
マカオンはウンザリした。
「こういう冗談は嫌いです」
マカオンはキッパリ断ると、手を引っ込めた。
「困ったことがないか、聞いたのは貴方よ」
ムッとした顔でレナータは言う。
「貴方は、ご自分の任務を果たされるべきです。私と既成事実ができたら、グラディス帝国の信頼が失墜します。それが、分からないのですか」
「貴方、私にお説教するつもり」
レナータの目が吊り上がる。元々、気の強そうな顔立ちがさらに厳しくなる。
「いいえ、そんな大それたことは致しません。確認しただけです」
しれっとマカオンが言うと、レナータは胡乱な目でマカオンを見た。
「・・・・・・。何が知りたいの」
「さすがレナータ様。物わかりが早くていらっしゃる。後宮でフランソワーズ様を狙っている方を知りませんか」
「知らないわ」
「そうですか。では、レナータ様がお命を狙われたことは」
「ないと思うけれど」
「なるほど」
マカオンは考え込む仕草をする。
「ねぇ貴方、もし私がフランソワーズ様を狙っていたら、素直に白状するとでも思っているのかしら」
「えぇ、そうですね」
マカオンは笑いながら言う。
「貴方ってよく分からないわ」
「そうですか。人嫌いが原因で領地へ引きこもって隠遁生活をしていた騎士見習いです」
「そういうこと」
レナータは手を振り払われた原因がはっきりして安心したらしい。
「貴方の気持ちも分からないではないわ。その姿なら、どこに居ても目立つでしょうし、女性が放っておいてくれないでしょうしね」
「ついでに、駆け引きも嫌いです」
ただジルと話をして疲れて、ヤケクソになっただけなのだが。
「そのようね。では、何が好きなの」
レナータの問いにマカオンは少し考える。
「自分の領地で作られるシャンパーニュですね」
「まぁ、シャンパーニュを作っているの」
レナータが目を輝かせた。
「お好きですか。後で届けさせましょう」
「嬉しい。でも、変なモノは混ぜないでね」
「当然です。レナータ様に喜んで貰わなければ販路が拡大できません」
「引きこもりの割に仕事熱心なのね」
レナータの指摘にマカオンは、ハッと口元を押さえた。
「あぁ、仕事熱心な家の子が最近、領地に来ていたので感化されたのかも知れません」
「あら、恋人がいるのね」
レナータは意味深な笑いをした。
「そんな色っぽい話ではありませんよ」
はぐらかすマカオンを、レナータは最後まで疑っていた。

レナータとのお茶を済ませるとマカオンはニコルの部屋へ急いだ。
ところが、ニコルは侍女に変装して調査中だという。
もちろん、ハヤテや騎士団のメンバーが見張っているので安全だというのだが、マカオンは苛立つ。
なぜ、大人しくしていられないのか。
「珍しい。マカオン様が誰かに苛立つとは」
面白い物を見られたと、ハヤテが笑う。
「ただ、疲れているだけだ」
自分でもニコルに対してなぜ、こんなに感情が乱れるのかわからない。
だが、ニコルは自分が思う女性像と大きく異なっていて、一緒に居て楽しいのは確かだ。
「ただいま戻りました」
お仕着せ姿のニコルが戻って来た。
「お前は、ウロチョロするなと言っただろ」
感情に任せてマカオンが怒鳴る。だが、ニコルは冷静だ。
「大丈夫よ。それに、そんな大声出さないで。ここは病人の部屋よ」
ニコルに指摘されて、マカオンは口をつぐむ。
一触即発の雰囲気の中、ハヤテがお茶を運んで来た。
「マカオン様はニコル様が心配でたまらないのですよ」
ハヤテはマカオンをフォローしたのだが、マカオンは憮然とする。
「そんなことはない。後宮に侵入したのに、勝手な行動で任務が遂行できなかったら困る。それだけだ」
「そんなこと言って、綺麗なご婦人と楽しくおしゃべりしてきただけでしょう」
ニコルは嫌な含み笑いをした。
「ふざけるな。暇を持て余した女にベタベタ触られて不愉快な思いしているのだ。お気楽に飛び回っているお前とは違う」
マカオンは拳をテーブルに叩きつけた。
「お気楽って何よ。騎士団の一員として、自分ができることをしているのよ」
睨み合う二人。
次第にニコルの目に涙が盛り上がって来る。ニコルは涙を流すまいと堪えるが、先に視線を外したのはマカオンだった。
「・・・・・・。」
憮然とした表情でマカオンは部屋を出て行った。

マカオンが部屋を出て行った後、ニコルは人払いをして外を眺めていた。
ニコルだって好きで後宮へ来たわけではない。
ニコルはフランソワーズとは双子の妹である。
エランヴェール国王家にとって双子は禁忌だ。後から生まれた子は殺されるか、修道院で一生を過ごす。
だが、国王の兄アランが「戦でもないのに命を粗末にしてはいけない」と言い、妻のアゲハも「必要のない命はない」と、国王夫妻を説得してニコルを引き取ってくれたのだ。
アランとアゲハ達に育てられ、使用人や領民も家族のように接してくれた。
アランとアゲハ達に大切に育ててもらったので不満はない。
それでも、ふと本当の両親に育てられたのなら、姉がいたのなら、と考えることがあった。
そんなニコルにアゲハが言ったのだ。
「どんなに考えても過去は変えられないのよ。笑って前を進みなさい」
その日からニコルは笑って過ごすようにしている。
両親は悲惨な戦争を乗り越え生きてきただけあって強い人達だった。
そんな強さにニコルは憧れて騎士団へ入隊し、目の前にある任務に全力を尽くして来た。
そうしなければ振り返ってしまうから。
お気楽でもなんでもない。
ずっと忘れようとしていたのに、王城に来て思い出してしまった。
ニコルの心に「自分は望まれなかった子」「忌み子」「捨てられた子」という言葉が占める。
この気持ちはマカオンにはわからないだろう。分かって欲しいとも思っていないが。

マカオンは自室へ戻るとキャビネットにあったワインを開けると一気に飲み干した。
部屋に戻っても苛立ちが治まらない。
嫌々こなした仕事を終えて、いつものようにニコルと軽口を叩いて気を紛らわしたかった。
なぜこうなったのかと、頭を抱える。
マカオンは人嫌いと言っているが正確には、女性不信である。
原因はジルが言っていたように、マカオンの母にある。
マカオンの母、カタジナはレジン国の王女だったが前の大戦中に誘拐され、男性に恐怖心を抱くようになった。その時の後遺症で記憶喪失になり、エマと名乗るようになった。
誘拐犯から救出されたエマは貧窮院で生活をしていたところをアゲハに拾われ、レジンの王女だと身元が明かされた以降も、アゲハの元で生活を送っていた。
そこで、マカオンの父アルディ公爵と出会い結婚をした。
だが、結婚した時にエマの兄であるレジン国王がエランヴェール国王に条件を付けた。
王位継承権である。
エランヴェールでは女王は認められておらず、現状有力なのがニコルの兄アルテューユである。
しかし、アルディ公爵家はエランヴェール前王妃の実家でもある。そのため、レジン国王は王位継承権第二位をアルディ公爵家の嫡男に認めるように要求をし、エランヴェール国王は了承した。
結婚当初、エマは子供を産むつもりはなかったのだが、マカオンが産まれてしまったという。
本来、男子はアルディ公爵家にとって諸手を挙げて祝うことなのだが、エマは自分に酷い仕打ちをした男のように育つことを恐れた。
そこで父や使用人達はエマが女の子に名付けたいと言っていたマカオン(蝶)と名付けた。このマカオンとは、エマが尊敬するアゲハに由来する名である。
さらに、成長していくマカオンの髪を長くして女装させた。幸い、マカオンは母親似だったので、違和感がなく、エマも怖がることなく世話ができた。
だが、成長を止めることはできない。ある程度、成長すれば男らしくなる。
父は苦肉の策として全寮制のパブリックスクールへマカオンを入れた。そして、休みの期間はレジン国や領地でマカオンに過ごすように命じ、エマの目に触れないようにしていた。
子供を作りたくなかったのに出来てしまった。しかも、望んでいない男の子。仕方がないから女装させ、それが無理なら外に出す。
身勝手過ぎる。
誘拐被害に遭ったエマのことを考えていても、マカオンの気持ちを考えてくれる人は誰もいない。
マカオンもまた被害者なのに。
幼い頃は母に優しくしてもらった記憶はある。ただ、不本意な女の子姿だったが・・・・・・。
だが、成長期になり男性らしくなると、母は自分が姿を現すだけで声が出ないほど怯えるようになった。それでも、母に優しくして欲しくて髪を切ることはできなかった。
しかし、そんな日は訪れることはなくマカオンは次第に「自分が産まれてはいけなかったのか」と自問自答するようになった。
そんな葛藤を抱えながら出た社交界で、爵位と容姿だけで言い寄ってくる女性達を見て女の身勝手を思い知らされた。
母もそうだ。「産むつもりはない」と宣言しながら自分を作り産み、「女の子ではないから愛せない」と突き放す。
女とはそういう身勝手な生き物なのだ。
そう結論づけたマカオンは社交界に顔を出すのを止めた。
そんなマカオンが抱く女性像を壊したのがニコルだった。
最初はマカオンという名前の由来になったアゲハの娘ということもあって近づきたくなかった。だが、ニコルは爵位や容姿ではなく任務を果たすことや、自分の興味や関心で行動して話す。
そもそも、ニコルと話す時に女性を意識したことがなかった。
むしろ気楽で居心地がいいと思う。
だからこそ今日のように嫌な思いをした時は、ニコルと話がしたかった。
マカオンは自分のふがいなさを感じながら、ワインを1本飲み干した。

ニコルとマカオンが喧嘩をして情報共有ができなかったことを知ったルイは、マカオンを引きずってニコルの部屋を訪れた。
互いに気まずくて顔を合わせられなかったが、本題に入るとすっかり忘れていつも通りのやり取りが始まった。
その中でアデールの話とは食い違いがあることが判明した。
「ジルの話を信用すれば、ジルとレナータがフランソワーズを襲う可能性は高い。フランソワーズがいる限り国王が子作りしようとは考えないだろうし」
「そうね。だけど現状、女性は王位継承者にもなれないのだから、わざわざリスクを冒してまで、フランソワ―ズ様の命を狙うかしら」
「だが、グラディス帝国から圧力があれば、焦ってリスクを冒すこともある」
ルイは腕組みをして考え込む。
「そうか、レナータ様にはグラディス帝国がついているものね」
「国を背負って嫁いで来ているのだから、何かしらの密命を受けていてもおかしくないか」
マカオンも考え込む。
「ルイやマカオンの言うとおりなら、レナータ様は素直に白状しないわよね」
「まぁ、そうだろうな」
マカオンが相槌を打つとルイも無言で頷いた。二人は、レナータが犯人なら白状するぐらいなら死を選ぶだろうと、思っているが口には出せない。
「ねぇ、思い切って後宮の人達を自由にすればいいのではない?そもそも、彼女達だって人よ。道具じゃないわ」
ニコルの発言にマカオンとルイは唖然とした顔をする。
「おい。何言っているのだ。無理に決まっているだろう」
「そうだ。そもそも帰る所もない人間をどこに帰すつもりだ。馬鹿かお前」
「でも、それが一番良い方法よ。私は早くここを離れたい。マカオンもそうでしょう」
「・・・・・・。それはそうだが、出来ることと出来ないことがある」
マカオンはニコルが見たことがないぐらいの動揺を見せた。
「そんなのわからないわ。ルイ様。陛下と話しがしたいわ」
ルイは額を押さえた。
ニコルのことを幼い頃から知っているルイは、飲み込めない物を無理矢理飲むようにして頷いた。
「・・・・・・。なんとかしよう」

◇◇◇
ニコルは水色のベルラインにベルスリーブ、胸元は未婚の女性らしくレースのハイネックで、髪は一房を取って下ろしていた。
久しぶりのドレスにニコルは窮屈さを感じるが、辺境伯を父に持つ娘ならドレス姿が日常なのだと思い直す。さらに、王族ならば一日に何度かドレスを着替えなければならない日もあるのだと思うと、自分は自由な環境にいるのだと今更ながら痛感した。
ニコルが案内されたのは王の私室だった。
緊張しながら部屋に足を踏み入れると、王妃もいてニコルは驚きのあまり固まってしまった。
だが、そんなニコルを見て王妃は微笑む。
「さぁ、そこにお座りなさい。お茶を淹れたばかりなの。お菓子もあるのよ」
ニコルは王妃に促されて席に座る。そして、お茶を勧められると国王夫妻が口にしたのを見ながら一気にお茶を飲み干した。
ニコルのカップが空になったのを見た国王が、険しい表情でハヤテを呼びつけた。
「ハヤテ。お前はニコルの食事に毒が仕込まれていることを伝えていないのか」
国王に怒鳴られてハヤテは真っ青になって謝罪をする。
「申し訳ございません。ニコル様が口にするものはすべて、私の手作りや毒味したものをお出ししておりましたので、御本人にはお伝えしておりませんでした」
ニコルはそこで初めて自分の食事に毒が仕込まれていたことを知って、ショックを受けた。そして、マカオンと遠出した時、サンドイッチに入っていた毒はマカオンではなく、自分を狙っていたものではないかと思い、背筋が凍った。
「どこで何を口にするかわからん。お前が目を離した隙に何か口にしたらどうする」
「申し訳ございません。以後、注意いたします」
ハヤテが頭を下げると、国王は手で下がるように指示した。
「ごめんなさいね。急に怒鳴られたら恐いわよね」
王妃が優しく声をかけると、ニコルはそこで我に返った。
「いいえ」
ニコルが首を振ると、国王がニコルに微笑む。
「すまない。話があったのだな」
国王に切り出されてニコルは、背筋を伸ばして国王の顔を見つめた。
父のアランと同じプラチナブロンドだが、顔立ちは優美で華奢な身体付きをしている。かつて軍神と呼ばれていた精悍な顔立ちでガッチリとした身体付きの父とは正反対の印象だ。
だが、微笑む表情が似ていてニコルはホッとして口を開いた。
「後宮のお姉様方のことでお願いがあります。お姉様方を自由にしてください」
「それはできない」
国王は即答した。だが、ニコルは諦めない。
「お姉様方はまだ若くこんな所で飼い殺しのような生活を送らせるのは酷いです」
「飼い殺しにしているわけではない。彼女達は政治的な人質だ。それは、彼女達も理解している。だから、後宮に留まっているのだ」
国王は表情を変えずに淡々と話す。その隣では扇で顔半分を隠しながら、王妃が二人のやり取りを見守っていた。
「今の説明では、後宮を出たかったら出ても構わない、というように聞こえます」
「あぁ、そうだ。私はずっと後宮に留まれ、とは言っていない。だが、彼女達は自分が後宮を出て行けば、実家や国の力が保たれなくなるとわかって、留まっているのだ。無理な相談だな」
「そうでしたか。宿下がりさせた人達はそういう理由で後宮から出したのですね」
「不貞を働いたのだから当然だ。人質として差し出してきた家も不利益を被っている。彼女達が出ていけば実家も不利益を被ることになるだろう。それだけではない。私の力を削ぐことになる。ひいてはエランヴェール国の不利益になるのだ」
一向に後宮の女性達を人として扱わない国王の発言に、ニコルの中で何かが切れた。
「後宮にいる人達も私も貴方と同じ人間です。自由に生きる権利があります。それを、政治や迷信のために、人生や命を奪うのをやめてください」
ニコルがバンっと両手で叩いて立ち上がると、王妃が「きゃっ」と声を上げて国王に寄り添う。
だが、国王は呆れたように言った。
「迷信ではない。双子は禁忌だと歴史が証明している。とにかく座りなさい。君には淑女としての再教育が必要だな」
「もともと殺されるはずだった子供なのに?」
ニコルは「あはは」と力なく笑う。
王妃は悲痛な表情を浮かべてニコルを見つめていた。
「ニコル。人には役割がある。彼女達はその役割を果たすために後宮に居る。自由を許せば後宮の秩序が乱れる。人質を安全に管理するために、秩序が乱れるようなことはできない」
「役割ですか。では、私は生きていられませんね」
ニコルが感情を亡くした声で言い放つと、王妃は扇で顔を隠した。
「そんな話はしていない。」
国王は感情を露わにして、テーブルの上に置いてあるニコルの手を掴もうとする。だが、その刹那ニコルはサッと手を引っ込めてしまった。
「人には役割があり、その役割を果たすべきだと仰ったではありませんか。ならば忌み子は生きていてはいけない。違いますか。それに、陛下はすでに私という特例を作っています。今更、秩序がどうこうと言ってお姉様方に自由を当てないのはおかしいです」
ニコルは国王を真っ直ぐに見つめると、国王は目を逸らして溜息を吐いた。
「わかった。検討はする。だが、期待はするな」
「ありがとうございます」
ニコルはお礼を言うと、立ち上がり部屋を後にした。
背後で王妃のすすり泣く声が聞こえたが、ニコルは振り向くまいと前だけを見て歩く。
結果的に言いたかったことの半分も言えなかった。
ニコルは役割を果たすべきと実父である国王に言われて傷ついたからだ。
心のどこかでニコルは、実の両親からから謝られることを期待していた。迷信に惑わされて生まれたばかりの子供を殺そうとしていたことや、居なかった存在にしたことを。
部屋に着いた時、ニコルの感情はぐちゃぐちゃだった。
だから、マカオンが居ることに気がつかず、部屋に入って扉を閉めると蹲って泣いてしまった。
「ううっ・・・・・・」
だから王城には来たくなかったのだ。見たくなかった現実を突きつけられてしまうから。
「おい。どうした」
マカオンはいつも元気で騎士としての誇りを持つニコルの涙に慌てふためく。
「なんで居るのよ」
泣き顔は見せまいと、俯いたまま文句を言う。
「国王陛下との話がどうだったのか聞くために決まっているだろ。とにかく、ソファーに座れ。せっかくのドレスが台無しだ」
マカオンはニコルの手を取ると、立たせてソファーまでエスコートする。
ニコルは俯きながら素直に従い、泣くのを堪えようと「うっ・・・・・・。うっ・・・・・・」と、喉を詰まらせる。
「何があったかは聞かない。泣きたかったら泣けばいい。お前、俺に言っていただろう。な」
マカオンはニコルの背中を撫でると、そっと抱き寄せて胸を貸した。
ニコルはマカオンの優しさに触れて泣いた。
ひとしきり泣いた後、ニコルそっとマカオンの胸を押して離れる。
「ごめんなさい」
「ここは、ありがとうって言うところだろう」
マカオンのぶっきらぼうな言い方にニコルはつい「ウフフ」と笑ってしまう。
「何がおかしい」
「ううん。ねぇ、明日出掛けない?今日のこととか話したいの。でも、ここでは誰が聞いているかわからないから」
「あぁ、わかった。ルイに言っておく」
「ありがとう」
「とりあえず、その不細工な顔、なんとかしとけよ」
マカオンは笑いながらニコルの頭を撫でると部屋を出て行った。
ニコルは一瞬ムッとするが、胸に温かいものが溢れてくるのを感じていた。

翌日、ニコルは騎士姿でタンタンに、マカオンはアキレスに乗って、王都の外れに向かった。
その場所はニコルが王都で騎士団に入隊してから、一人になりたい時によく訪れる丘である。
丘からは王都が一望でき、普段よりも空が近くに感じられるのがニコルは気に入っている。
「いい所でしょ」
タンタンから降りてニコルが自慢すると、マカオンはニコルのおでこを指で突っつく。
「あぁ」
マカオンは頷きながら王都を見下ろしている。
ニコルはマカオンの横顔を見ながら、この丘に他人を連れてくるのはマカオンが初めてだと気がついた。だがニコルはマカオンの横顔を見つめながら、マカオンなら教えてあげてもいいと思う。
ニコルはハヤテから持たされたティーセットを出す。
「その飲み物は毒味してあるだろうな」
「もちろん。ハヤテが作って淹れてくれたものだから大丈夫よ」
「そうか」
ニコルは国王とハヤテの会話を思い出してハッとする。
「ねぇ、私の食事に毒が入っていたって本当なの」
「・・・・・・。あぁ」
マカオンはニコルから紅茶を貰いながら頷いた。
「いつから」
「フリュイに居た時からだ」
てっきり王城に入ってからだと思い込んでいたニコルはショックを受けた。
「そう。・・・・・・。じゃあ、やっぱりサンドイッチに毒が入っていたのは、マカオンじゃなくて私を狙っていたってことね」
「それは、犯人に聞かないとわからないな」
マカオンは素っ気なく言うが、言葉の裏に優しさを感じてニコルは微笑む。
「そうかしら。ねぇ、マカオンは本当に狙われているの?」
ニコルは以前から疑問に感じていたことを口にした。
マカオンはふぅっと息を吐くと真っ直ぐにニコルを見つめた。
「狙われているのは、お前だ。俺じゃない」
「・・・・・・。そう」
思った通りの答えにニコルは安心したような、がっかりしたような気持ちになる。
「ついでに言うと、お前の兄が王位継承権を放棄するというのは嘘だ」
「え・・・・・・」
ニコルはあんぐりと口を開けた。
ニコルはアルテューユが王位継承権を放棄すると話を聞かされ、信じていた。なぜ、嘘を吐く必要があったのだろう。
マカオンは「お前、間抜け面になっているぞ」と一瞬笑い、すぐ真顔になる。
「アルテューユが王位継承権を返上したという嘘は、すでに貴族の間で噂になっている。ルイが流したからな」
「どうして」
「狙いをアルテューユから俺に変えさせるためだ。ラーンジュで事が起きると王都からも遠いし、国境警備軍だけでは、護りきれない。だが、王都にも近いフリュイだったら、警護もできる。それに、家族のいない俺なら警護の手厚い王城に入ることができる。妻子のあるアルテューユを王城に招いても、妻子に危険が及ぶ可能性があるからな」
「そうだったの」
兄のアルテューユが狙われている可能性があることなど、思いも寄らなかった。そもそも、騎士として一人前だと自負していたのに、ただの思い上がりだと思い知らされ二重にショックを受けた。
「まぁ、ただ単にルイが隠遁生活をしている俺を引きずり出したかったらしいけどな」
マカオンは「本当、イヤな奴」と付け加えた。
「隠遁生活ってマカオンは、まだ若いじゃない」
「社交が苦手なのを知っているだろう。王城に引っ張り出されて迷惑だ」
マカオンは思い切り顰め面をした。
「ごめんなさい」
「そもそも、なんでお前が狙われているのだ。ルイの奴、お前から聞けって言うのだ」
ニコルはマカオンに言われて、今日ここに来た理由を思い出して意を決する。
「それは、私がフランソワーズ様の妹だから」
「はぁ?」
マカオンはフランソワーズと面識がないので、気が付かないのは仕方がない。
「私はフランソワーズ様と双子なの。でも、王家とって双子は禁忌。後から生まれた子は忌み子として昔から殺されていたのよ。でも、今の両親が国王様を説得して、アルテューユ兄様の妹として引き取られたの」
一気に話したニコルは冷めた紅茶を飲む。
「そうだったのか。フランソワーズは病弱だから女王制になったとしても、務まるかわからない。だが、お前の存在が明るみに出れば、お前が女王になる。それを阻止しようとしている奴がいるということか」
マカオンは腕組みをして考える。
「でも、そんな人いるかしら」
ニコルが首を傾げる。
「いるだろう。実際狙われている。お前は女傑と呼ばれている母親に教育されている。父親も昔は軍神と呼ばれた戦略家だ。お前に会ったことがない人間は、さぞかし優秀な子供だと思っているに違いない」
「含みのある言い方をするのね」
ニコルが睨むとマカオンが口の端を上げて笑う。
「こんな無茶苦茶な奴だと知っていたら、誰も狙わないだろう」
「失礼ね。母様だって昔はお転婆だったのよ。剣豪と呼ばれるハヤテから剣を習っていたのだから」
「へぇ」
「信じてないわね。マカオンだって領主とは名ばかりで、大した仕事もしてなかったのに」
「仕事はちゃんとしている。両親と比べるな。場所が違えば領主の仕事だって違う」
「ふうん。そうかしら。もっと特産品を流通させる方法を考えるとか、人材の確保とか考えればいいのに」
ニコルの指摘にマカオンは顔を引きつらせる。
「あのな。果物は傷みやすい。流通経路が限られるのは仕方がないのだ。人材の確保だって実習生を入れている。ただ、長続きしないだけだ」
最後の一言にニコルは「しめた」とばかりの笑顔を見せた。
「長続きしない理由はわかっているの」
「それは・・・・・・」
マカオンは口籠もる。
「ほら、やっぱり真面目に取り組んでいないじゃないの」
「あのな。・・・・・・」
マカオンはニコルに言い返す途中で考え込む。
「マカオン。どうしたの」
「そういえば、サンドイッチのことがあった後に消えた実習生がワイナリーにいたな」
「本当なの?」
「あぁ、ルイに報告して、すぐに領地に人を遣ろう」
「そうしましょう。たまには役に立つのね」
「お前、俺を馬鹿にしすぎだ」
マカオンはニコルの鼻を摘まむ。
「いったーい」
王城に戻ったニコルとマカオンはルイに消えた実習生の事を話すと、すぐに誰なのか判明するだろうという。
「実習生を見つけられれば、私を狙っているのか誰なのかわかるわね」
ルイの回答にニコルは一安心したがマカオンは険しい表情をしている。
「見つかればな。国外へ逃げられていたら見つけるのは難しい」
「あぁ、そっか。そういう可能性があるのね」
ニコルは国外逃亡の可能性を知ってがっかりする。一日も早く王城から出たいのだが、そう簡単にいかないらしい。
「国外逃亡など、そう簡単にできない。ルイが見つけてくれる」
励ますように言うマカオンにニコルは笑って頷いた。

◇◇◇
「もう少し危機感を持て」
マカオンに狙われているのは自分自身だと聞かされてからも、ニコルはよく食べよく寝た。自分が危険な目に遭っていないせいか、どこか他人事にしか思えない。
「持っているわよ。一応」
ニコルが首を傾げて見せると、マカオンは呆れた顔を見せた。
「ニコル様に国王陛下から招待状です」
ハヤテが差し出す。
「私に招待状・・・・・・」
ニコルとマカオンに緊張が走る。
招待状には王家の紋章が入っている。
「貸せ」
マカオンはあひったくるように招待状を取ると、日の光にかざす。
「細工はなさそうだな」
マカオンは小剣で封を切る。
「フランソワーズの誕生パーティーへの招待状だ」
「あぁ、もうすぐね」
ニコルは自分の誕生日を思い出した。
「そうか。お前の誕生日でもあるのだな」
マカオンが耳元で囁いた。
ニコルは鼓膜に響いたマカオンの声に赤面する。
「くすぐったい。やめて」
ニコルはマカオンの頬を掌で押して遠ざけた。
「ガキのくせに」
マカオンはニコルの手を掴むと鼻で笑う。
「五月蠅いわね。それより、私が誕生パーティーに出て大丈夫なのかしら」
「そんなに似ているのか」
マカオンはフランソワーズに会ったことがないので、ニコルと似ているのか判断できない。
「お姉様は病気を煩っているせいか、痩せて青白い顔色をなさっているから、あまり似ていないかも。声も小さくて大人しそうな感じだったわ」
「それは似ていないな」
マカオンは断言した。
「お姉様と会ったことないでしょう。なぜ言い切れるのよ」
「お前ほど青白い顔や大人しいという言葉に縁のなさそうな奴はいないってことだ」
マカオンはポンポンとニコルの頭を撫でるように叩く。
「もう、いいわ。当日はヴェールを被るから」
「その必要はありません」
ハヤテがお茶を持って入って来た。二人が振り向くとハヤテが満面の笑みを見せる。
「国王夫妻がニコル様はフランソワーズ様と双子とわかる人はいないと仰っています。まぁ、従姉妹でも似ている人もいますからな。それに後宮の女達も不参加です。ですから、当日はヴェルミリオン夫妻のお嬢様として、盛装して参加していただきたいそうです」
ハヤテは久しぶりにニコルの着飾る姿を見られるのが嬉しいらしい。
「やっぱりな」
マカオンは呟くと笑いを噛み殺す。
ニコルはマカオンの腹に軽くパンチするとソファーに座る。
「とにかく、お姉様の誕生パーティーまでに片付けないと」
「あぁ、そうだな」
マカオンもソファーに腰を降ろすと、ハヤテにルイを呼ぶように言いつける。
ニコルはカーラから便箋とペンをもらうと、ラーンジュの両親にドレスを持ってくるように依頼をした。
ルイが部屋に来るとハヤテを交えて作戦を練るが、なかなか良い案が浮かばない。
「ニコルの料理に必ず毒が盛られているのだから、厨房と配膳係は調べるべきだろう」
マカオンが指摘するとルイが首を振る。
「そこはすでに人を付けているが、怪しい人物が浮かばない」
「料理を持ってくる人物は同じ人物ですが、彼女の身元は」
ハヤテがルイに訊ねるとルイは、お手上げのポーズをして首をすくめる。
「兄が騎士団に所属しているので身元は確かだ」
「そうですか」
「フランソワーズ様の周辺は?念のため調べる必要があると思う」
「そうだな」
マカオンの案にルイが同意した。
「後宮の女達はどうしますか」
ハヤテがルイに訊ねると、それまで黙っていたニコルが前のめりで口を開く。
「私が調べるわ。後宮ではお茶会を開くのでしょう。私がお茶会を開いて話を聞いてみる」
「・・・・・・。ここはニコルに頼るしかないか」
「飲み物と食べ物には気を付けろよ」
ルイが決断すると、マカオンは「仕方がない」とばかりに、注意を促す。
「大丈夫よ」
ニコルはマカオンにウインクしてみせた。

数日後、ニコルは後宮の庭でお茶会を開いた。
後宮の庭にはハイドランジアやアナベルなどのアジサイが咲き乱れ華やかな景色が広がっている。
ルイが信頼のおける侍女を給仕係として付き、ニコルに毒が盛られないように気を配っていた。
当然、ハヤテも隅で控えている。
「王女殿下のお招きなのに、相変わらず無作法な方がいて困るわ」
レナータが話を振ると、ジルが相槌を打つ。
「えぇ、本当に」
アデールは二人の会話が聞こえない振りをして、レース編みをしている。
話をするのが苦手なアデールはお茶会ではいつも、レース編みや刺繍をしながら参加しているらしい。
しかし、ニコルは何の話をしているのかわからない。だが、今日もヴェールを被っているので、表情がわかりにくいことを良いことに、お茶を飲んで誤魔化した。
「今日は王女殿下のお茶会に参加できて光栄ですわ」
「えぇ、本当に。王女殿下がお元気になられて王妃様もお喜びでしょう」
ジルにニコリと微笑まれて、ニコル思い切って話を振った。
「とんでもございません。ところで、ジル様は最近、母上とお会いになりましたか」
「最近は、王妃様はお忙しいらしくて、お誘いがないの」
「そうですか。私のことで何か言っていませんでしたか」
ニコルはまず、ジルに探りを入れる。
「王女殿下のことを大変心配なさっておいでです。王妃様はローリエ王国とエランヴェール国の架け橋になるべく嫁いでらしたでしょう。子供を産むことが一番の仕事ですもの。そのお子様を次々と亡くされているから、王女殿下を失うのではないかと心を痛めていらっしゃるのよ」
実母にも苦労があるのだとニコルは気が付いて心が重くなる。だが、何も知らない振りをしてニコルは話を進める。
「・・・・・・。そうですか。だから、後宮の女性に手をつけないように国王陛下に進言されているのでしょうか」
「あら、違うわ。王妃様は国のために、後宮の女性との間に子供をもうけるように進言されているのよ。子供を産むのは大変だけれど、その子が病気や事故に遭わないように護ることも大変な事を実感していらっしゃるから。でも、国王陛下はなかなか、その気にならなくて悩んでいらっしゃるのよ」
「では、母上は一人でも多くの子が欲しいと考えていらっしゃるのですか」
ニコルが考え込むと、ジルは誤解をしたのか慌てた。
「もちろん後継者は王女殿下ですよ。今から子供ができても、即位するには時間がかかりますからねぇ」
ジルはレナータとアデールに助けを求める。
「そうですわ。我が国初の女王は王女殿下ですわ」
レナータが援護射撃をすると、アデールもフランソワーズを見つめて頷いた。
「それに、私だって愛されてもいないのに子供をもうけるのは嫌ですもの」
レナータが嫌そうな顔をする。
「女に生まれた以上、愛されたいと思うのは当然ですわ」
ジルが艶やかに微笑む。レナータも花のような笑顔で頷く。
「私は最近騎士見習いに来たマカオン様のような方がいいわ。簡単に靡かないところが素敵だわ」
「まぁ、レナータ様でもそうなのですか。私も冷たくされたわ。アデール様はどうでした?」
ジルに話しを振られたアデールは、ビクッと肩を震わせた。
「特に、何も。私は、マカオン様にとってお母様と同じような歳ですから」
「まぁ、そうよね。アデール様は、お母様のような雰囲気がありますもの」
レナータが笑うとジルは引きつり笑いを浮かべる。
アデールはレナータの言葉が聞こえなかったように、レース編みを再開した。
貴族同士の会話を目の当たりにして、マカオンの言葉を思い出す。
「あまり信用するな。貴族なんて腹の中では何を考えているのかわからないものだ。言われたことをそのまま信じていると、痛い目に遭うぞ」
ニコルは生まれて初めて社交の場を経験したが、自分も苦手だと感じた。
「王女殿下は、マカオン様と親しいのでしょう。王女殿下にも素っ気ないのですか」
ジルがニコルに話を振るとレナータが興味津々とばかりに、目を輝かせる。
「・・・・・・。どうかしら。他の騎士と変わりません」
二人がジッと見つめてくるので一瞬、言葉に詰まるものの、当たり障りのない返答をした。
「まぁ、そうなの」
ジルは拍子抜けしたようにレナータを見る。
「残念ね。年の近い同士、恋人のお話なんかなさらないの」
レナータが粘るのでニコルは内心焦った。だが、実際にそんな話をしたことはない。
「残念ながら存じません」
正直に答えるしかない。だが、一方で誰か好きな人がいると言えば良かったと思う。
「まぁ、本当に残念。マカオン様の好みがわかれば、なんとかできるかもしれないのに」
「まぁ、レナータ様はよほどマカオン様がお気に召されたのですね」
「えぇ、あんなに美しい男性はなかなかおりませんもの」
その後も、レナータとジルはマカオンの話を続ける。
ニコルはなぜか胸の中がモヤモヤする。
レナータがグラディス帝国の皇女であっても、ジルが侯爵令嬢だろうが女嫌いのマカオンが靡くとは思えない。だが、何も悪いことをしていないアデールを馬鹿にするような人達にマカオンを取られたくないと思う。
ニコルは膝の上で拳を握りしめながら、お茶を飲む。ところが、考え事に気を取られてしまったせいで、むせてしまった。
「ごめんなさい」
ハンカチで口元を押さえて立ち上がると、すぐにハヤテがニコルを抱える。
「大丈夫ですか」
アデールが綺麗なハンカチをニコルに渡した。
「申し訳ございません。王女殿下の体調が思わしくありませんので、お茶会はお開きにさせていただきます」
ハヤテがニコルに代わって挨拶をする。
「まぁ、長話をしてしまったせいですわ」
「申し訳ございません。気が付かないばかりに」
レナータとジルが謝罪の言葉を口にするのを聞きながら、ニコルを部屋に向かった。
ただ、お茶が気管に入っただけなのにと思うが、あの話を延々と聞かされずに済むと思うと良いタイミングだと思う。
アデールはニコルが躓かないようにドレスの裾を持ちながら付きそう。
「王女殿下、マカオン様のことはお気になさりませんように。皇女殿下もジル様も本気ではありませんから」
アデールはニコルに囁くと「お大事になさってくださいませ」と、自室へ帰って行った。
控え目どころか大人しすぎて不安な存在に見えたアデールだが、ニコルの心はお見通しだったようだ。
「ニコル様、アデール様はなんと」
ハヤテがニコルの顔を覗き込んだ。
「なんでもないわ。それより、ハヤテありがとう。助かったわ」
咳が治まったニコルはヴェールを取ってハヤテに笑って見せると、ソファーに倒れ込んだ。
疲れたのに何も収穫がなかった。
「あーあ、どうしよう」
フランソワーズとニコルの誕生日は、もうすぐそこまで来ていた。

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