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「綺羅様。気分転換にお庭でも散策しましょう」
望月が声をかけたが綺羅は返事もせず、ぼんやりしている。
出生の秘密を打ち明けられてから、綺羅は塞ぎ込んでいた。
見かねた望月が今日のように散歩やティータイムに誘うが、綺羅は返事すらしない。
ただ、ソファーでクッションを抱き、一点を見つめて自分の世界に入ってしまっている。
望月は深い溜息を吐いて部屋を出た。
自分は妖魔王の子。そのせいで龍宮王国に妖魔が集まって龍宮王すら手を出せなかったという事実が、綺羅を打ちのめしていた。
自分が龍宮王国にいると皆を危険に晒してしまう。ならば、自分さえ居なくなればいいのではないか。
綺羅がふとそんなことを考えた時、ガルシャム皇帝の侍従が綺羅を呼びに訪れた。
綺羅はすぐに望月を呼ぶと支度を始める。
「また、綺羅様をお茶にお誘いになったのでしょうか」
望月はウキウキしている。
「それは違うと思うわ。執務室に呼ばれたのだもの」
「行ってみなければわかりませんよ。執務が終わってからお茶やお散歩にお誘いになるかも知れません。もしかしたら、綺羅様へのプレゼントが届いたとか」
「・・・・・・。プレゼントなんて受け取れないわ」
「まぁ、いけませんよ。陛下からの贈り物をお断りになっては」
望月の中で綺羅がプレゼントを貰うことは決定したらしい。
綺羅は早とちりする望月に困惑しながら、腰に大きなリボンが付いた水色のドレスを着、同色のリボンを結い上げた髪に飾る。
着飾りすぎではないかと思いながら、執務室に着くと侍従が案内をしてくれた。
案内されたのは執務室の隣にある皇帝の私室だった。
ガルシャム帝国の特産品である色硝子工芸品が花瓶や水差しだけでなく、窓にも使われている。オレンジから茶色へのグラデーションカラーの窓は夕焼けを思わせて、沈んだ心の綺羅を優しく包んでくれる。

綺羅は窓際に立ってぼんやりと皇帝を待っていた。
そこへバタンと音を立ててドアが開くと、風のように皇帝が入って来る。
「待たせたな。私の姫」
「・・・・・・。いいえ」
綺羅は現実に引き戻され、慌ててソファーに座る。
「今日もかわいらしいな」
皇帝はにこにこしながら、侍女にティーセットを用意させた。
「みなさんに仰っているのでしょう」
綺羅は皇帝の言葉を社交辞令として受け取る。これも淑女の嗜みの1つである。
「つれないな。まぁ、元気そうで良かった。ここへ来る途中に遭った妖魔が意味深なことを言った後、龍宮王と話をしてから元気がないと聞いていたので心配していたのだ」
綺羅の顔が引きつった。皇帝はどこまで知っているのだろうと不安になる。
ネズミ頭と戦った時、皇帝が派遣した騎士団も一緒だった。だが、その時に妖魔と交した会話を聞かれていたとは思わなかった。あの時、話をしていたのは綺羅だが綺羅ではない。そのことまで報告されているのだろうか。「どうかしたか」
「・・・・・・。いいえ。なんでもありません。それに、妖魔の讒言ざんげんなど真に受けたりしませんわ」
綺羅は無理矢理に笑顔を作って見せる。
「そうか。それなら良かった。実は、龍使いとしてお願いしたいことがあるのだ」
「龍使いとして、ですか」
綺羅は困惑した。
通常、龍使いの依頼は専用の窓口を通じて依頼を受け、龍宮王が判断をして龍使いを派遣することになっている。「心配することはない。龍宮王は承知している」
「そうですか」
綺羅はあからさまにホッとして見せると、皇帝がクスクス笑う。
「かわいらしいな。私の姫は」
「そ、それで依頼とは」
皇帝が蕩けるような笑みを見せたので、綺羅は慌てて話題を変えた。
すると皇帝は、真剣な眼差しを綺羅に向ける。
「実は、ミュゲの街で人が消えている。半年ぐらい前から帝国フィルハーモニーの団員が1人また1人と失踪して行った。今では、ほとんどの団員が居なくなっている」
ミュゲの街は帝都近くにある芸術とファッションの街だ。美しいものが大好きな妖魔にうってつけの街とも言える。
「音楽関係者だけですか」
「いや、それが他にもいるのだが妖魔や妖獣との関係はわからない。何しろミュゲは人の出入りが激しいのだ」一流の芸術家を目指してミュゲに来る人がいれば、夢破れて去る人もいる。さらに、イベントも多く開催されるため短期滞在者も他の街とは比べ物にならない。
「難しそうですが、調査してみます」
綺羅は返事をした時、皇帝の袖から包帯が垂れ下がっているのが目に入った。
「失礼します」
綺羅は断りを入れると立ち上がって皇帝の傍らに立った。
「どうかしたのか」
訝しがる皇帝に綺羅は笑って見せる。
「皇帝兄様。包帯がほどけています。私が直してもよろしいですか」
「あぁ、本当だ」
皇帝は袖をめくると、皇帝の前腕が包帯で覆われていた。
綺羅は丁寧に包帯を巻き直す。
「今でも痛みますか」
「いいや。痛みはないが、痒くてかなわない。掻きむしらないように包帯を巻いているだけだ」
皇帝は美形だったことが災いして妖魔に狙われ続けた。そこで、両腕の前腕を自ら焼いて醜くした。それ以来、腕を見せると妖魔が去って行くらしい。
「あぁ、ありがとう」
綺羅は席に戻ると1つだけ確認した。
「いいえ。ところで、今回の依頼と龍宮王がこちらに滞在することは、関係ありますか」
「いいや。ガルシャム帝国としては龍宮王に長生きしてもらいたい。そのために、新しい治療法を試してもらうだけだ」
「そうですか。わかりました。龍宮王夫妻のことをよろしくお願いいたします。明日から調査に向かいます」
綺羅は皇帝の命を受け、ミュゲへ妖魔・妖獣退治に向かうことになった。

朝方、早く目覚めた綺羅は望月の部屋をこっそり覗く。
望月はまだ眠っているようだった。
仕事とはいえ、独りで出て行くとなれば自分も付いて行くと言い出しかねない。
今までも仕事を受ける度に、付いて行くと大騒ぎをして龍宮王夫妻に宥められて断念している。
綺羅は予め用意しておいた荷物を背負い庭へ出ると、青龍に乗りミュゲへ向かって飛び立った。
「こんな朝方にお姫さん独りで散歩か」
突然、綺羅の背後からバリトンボイスが聞こえた。
「貴方は・・・・・・」
驚いて振り向くとシアンが居た。
「妖魔の貴方に関係ないわ」
「そういうお姫さんも半妖だろう」
綺羅の真横に立ってシアンは付いて来る。
「青龍。もっとスピード出して」
綺羅は怒りを隠して青龍に命じる。
「それにしても大人しい龍だな。そんな頼りない龍が供で大丈夫か」
シアンは皮肉めいた言い方をした。
そして綺羅はシアンが現れたのに耳元の六角柱が静かなことや、青龍が大人しいことに違和感を覚えた。
「どういうこと・・・・・・?どうしたの?青龍、赤龍」
青龍や赤龍に聞くが何も返事がない。
代わりに答えたのはシアンだった。
「俺は敵ではないということだ。お姫さんを護るように契約を交しているからな」
「嘘でしょう。妖魔にとって契約は、命を縛るものじゃない。簡単に結べるものではないわ」
妖魔が契約を交すのは妖魔王か、命をかけて護りたいと妖魔が思った相手だけだ。
だが、綺羅がシアンと会ったのは記憶に残らないぐらい小さい頃で、シアンと契約を結べるような年齢でもなければ、シアンが命をかけても護りたいと思うとも思えない。
「嘘ではない。その証拠がお姫さんの龍だ」
「じゃあ、誰かに頼まれたの。私を護れと」
綺羅自身が契約を結んだ覚えがなければ、誰かがシアンに自分を護れと契約をしたに違いない。
そう思って質問したのだが、シアンは珍しくムッとした顔をする。
「俺は誰の命令にも従わない」
「・・・・・・。そうよね」
妖魔は傲慢で自分勝手。単独行動を好み、自分以外は塵芥ちりあくたと同じ。唯一の例外は妖魔王だけだ。妖魔王の為なら気に入らない同胞と一緒に行動をし、敵対する龍や龍使いとも戦うのである。
「そうか。私の中に流れる妖魔王の血なら。貴方と契約できるわ」
ネズミ頭と戦っていた時に現れた妖魔王の血。あの綺羅なら幼くてもシアンと契約できるし、シアンも契約せざるを得ない。綺羅はそう考えた。
「知らないのか」
「何を?」
「妖魔王の血を引いていても、その子は妖魔王とは限らない。だから、お姫さんはただの半妖だ。今のところはな」
シアンは面倒くさそうに説明した。
「・・・・・・。そうなの?じゃあ、幼い時に妖魔に狙われたのは何故?」
「さぁな」
シアンは答えなかったが、綺羅はホッとした。自分は妖魔王の子だから狙われていたのだと思ったが、そうではないらしい。
「じゃあ、誰と契約したの?」
「・・・・・・」
シアンは答えない。ただ、前を見つめる。超然とした美を纏う横顔は怖いぐらいに整っており、冴え冴えとしている。氷のように冷たく、触れればこちらが怪我をしそうだ。
「ところで、どこまで付いて来るつもり。そろそろ降りるけど」
前方にミュゲの街並が見える。
「お姫さんは記憶力がないのか。俺は護衛をする義務がある。どこまでも付いて行く」
「え、困るわ・・・・・・」
綺羅は迷惑そうな顔をシアンに見せる。
「いいか。覚えておけ。俺は妖魔王並に万能だ。俺にできないことは、ほとんどないと思え。人間に化けることぐらい簡単だ」
「妖魔王並に万能って大した自信ね。黄金龍が現れたら貴方が妖魔王ってこと?」
揶揄からかうような綺羅にシアンはフッと笑う。
「何も知らないのだな。黄金龍は、自らと同等の力を持った使い手、それと妖魔王が産まれた時に現れるのだ」「・・・・・・。じゃあ、黄金の龍は現れているということ?」
「さぁな」
「貴方は何にも答えてくれないのね。私の護衛をするのは構わないけど、万能なら人間に紛れても目立たないようにしてよね」
「もちろんだ」
「そう。じゃあ、楽しみにしているわ。人間に化けた貴方の姿」
綺羅はそう言って笑うと青龍に降りるように命じ、ミュゲの町外れにある丘に降りた。
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