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妹の頼み事
しおりを挟む「機会あったら、また来てね」という咲子との約束は、案外近いうちに果たされることになった。
本社に異動が決まってからというもの、円は身だしなみに気を配るようになり、服も近所のスーパーの衣料品売り場ではなく、きちんとしたブランドショップで買うようになっていた。
そんなところに頻繁に出入りするようになれば、咲子と出くわすのは当然の流れと言えた。
「円さん、久しぶり!今日はひとりなのね?」
円を見つけるなり、咲子は嬉しそうに駆け寄ってきた。
その様子が、初めて会ったときの大木とかぶる。
この妹は本当に、あの大柄な兄とそっくりだ。
今日は三つ編みにした髪をリボンで結っていて、フリルで裾が飾られた赤いワンピースを着ている。
「うん。あー……さ、咲子ちゃんもひとり?」
本当に今さらなのだけれど、恋人の妹を気安く「ちゃん」付けなどして呼んでもいいものだろうか、と円は気を揉みはじめた。
とはいえ、こんなタイミングで「咲子さん」と呼び直すのもおかしい気がするから、変わらず「咲子ちゃん」と呼んでいる、という塩梅だった。
「うん!バイト代が出たし、好きなブランドの新作が出たから買いに来たの。ねえ、円さん、この後は時間ある?」
「ある……けど…」
歯切れの悪い返事をした円は、どうしてそんなことを聞くのだろうと不思議に思った。
「うちに来てくれない?ちょっと付き合って欲しいことがあるの!」
咲子は白魚のような両手で、円の手を握った。
「お邪魔します……」
咲子に言われるまま、円は大木の実家に上がりこんだ。
──ていうか、恋人の家族とはいえ、女の子と2人っきりになるのってどうなんだろ?
咲子の押しの強さに負けて、ついついお邪魔してしまったが、これはマズいのではないか。
しかし、今さらもう遅い。
キリの良いところで何とか理由をつけて帰ることにしよう。
そうして考えを巡らせながら、円は大木家の敷居をまたいだ。
「あ、今日はリビングじゃなくて、こっちに来て!」
咲子が円の手を引いて、玄関に入ってすぐ左側にある階段を昇っていく。
飼い犬にリードを引っ張られながら散歩してるみたいだ。
こんなところまで兄に似ている。
「見て!ここがあたしの部屋!!」
咲子が階段を昇って、すぐ目の前にある部屋のドアを開けた。
「かわいいね」
咲子の部屋は、いかにも「女の子の部屋」と呼ぶにふさわしい空気に包まれていた。
フリルのカーテンや薔薇模様のカーペットなんかのインテリアは全体的に白とピンクで統一されていて、リボンやレースがあしらわれている。
アンティークフレームのベッドにはユニコーンやうさぎがプリントされたピンクの布団が敷かれ、ベッドをかわいらしく彩っている。
ベッド周りはぬいぐるみやハート型のクッションが置かれていて、天井から吊り下げられた円形の天蓋カーテンも、ロマンチックで可愛らしい。
部屋の隅に置かれた白い勉強机と椅子は、子どもの頃から使っているのだろうか、なかなか年季が入っている。
ところどころ塗装が剥がれた椅子には、白雪姫のモチーフがプリントされたクッションが置かれ、勉強机には少しばかり傷んだブルーのビニールマットが敷かれている。
ビニールマットには洋風のお城に円形の馬車、12時をさす時計、ガラスの靴、そして、豪華なドレスに身を包んだお姫様がプリントされている。
やはり咲子も、ああいったおとぎ話に憧れを抱いているのだろうか。
「かわいい部屋だね」
「うん!布団カバーとか、この天井から吊り下げるタイプの天蓋とか、自分のバイト代で頑張って買ったんだあ」
咲子は勢いよく飛び込むようにベッドに座ると、布団をぽすぽす叩いた。
「そう…あの、試したいことって何?」
「あ、そうそう!円さん、コレ着てみてくれない?」
咲子はベッドから立ち上がると、クローゼットの扉を開け、中から何か取り出した。
「コレ?」
咲子が取り出したのは、咲子が普段着ているような、少女趣味の服だった。
フリル付きの丸襟と、パフスリーブが可愛らしいサックスブルーのワンピースで、裾にはトランプや「Drink me」と書いてある瓶、「Eat me」と書かれたクッキーなんかがプリントされている。
おそらく、不思議の国のアリスをイメージして作られたデザインなのだろう。
「コレ、大学の課題で作ったの!」
言いながら咲子が、ワンピースの背中部分についているファスナーを下ろした。
「へえ、そうなんだ……あの、なんでボク?咲子ちゃんが着たら?」
「わたしね、将来自分のブランドを持つのが夢で、「みんなが着れるかわいい」がコンセプトなのよ。男の人も着れるようなかわいい服を売り出すの!!」
「ああ……」
「だからね、その予行練習みたいなカンジ?円さんにちょっとモデルをやって欲しいの!お父さんもお兄ちゃんも「趣味じゃない」とか「無理だ」とか言ってぜんぜん協力してくれないし、コレ、円さんなら似合うと思うし!!」
咲子が、持っているワンピースを円の眼前まで差し出してくる。
「そう、まあ、いいけど……」
上手い断り文句が見つからなくて、円は咲子の頼みを引き受けることにした。
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