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迫り来る捜査の手
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2月半ばの早朝6時、貞は国彦を連れて玄関を出た。
国彦がいいかげん外に出たいと言うので、渋々ながら了承したのだが、外に連れ出すのにはまだ抵抗があった。
この日のために、国彦の体に合ったコート、トレーナー、ジーンズ、スニーカーを買い、白い立体マスクをつけさせた。
国彦は顔が小さいから目元以外がすべて隠れて、いい目くらましになりそうだ。
「いいか、店員とか、他の人と口を聞くんじゃないぞ。」
「約束するよ、おじちゃん。」
「誰かが話しかけてきたら、喉を押さえて聞こえないフリするんだ。」
「わかってるよ。ねえ、早く行こうよ。オレ、あのマンガの新刊が欲しい。新発売のフレーバーのポテチも食べたい。」
貞の警告を聞いているのかいないのか、国彦は外に出られる嬉しさで浮き足立っていた。
早く早く、とずっと急かしてくる。
早朝のせいか周囲からは物音ひとつ聞こえてこないし、人影も見当たらない。
しかし、安心はできない。
こんな時間帯であっても、隣家の主婦が犬を散歩させている可能性がある。
息子にだって注意しなくてはならない。
早朝や深夜にふらふらコンビニに向かう姿を何度か見たことがあるし、鉢合わせしないとも限らない。
周囲にコンビニは3軒あるが、特定のコンビニには行かず、その日の気分で向かうコンビニも変えているようだった。
玄関ドアの鍵をかけて、2人いっしょに非常階段を降りたが、誰かに出くわすことはなかった。
非常階段のドアを数センチ開けて外の様子を確認したところ、周囲には誰もいない。
「国彦、今だ、出よう。」
コンビニに行く途中、2人の通行人とすれ違ったものの、特に問題なくたどり着けた。
しかし、コンビニのガラスのドアに貼られた貼り紙を見て、貞は絶句した。
B5くらいの紙にグレーの作業着を着た国彦の写真が載せられていて、大きな黒い文字で「この人を探しています」と書かれている。
『1月某日の午後19時前後、B市の職場を出たのを最後に行方がわからなくなっています。心当たりのある人はB市警察署までご連絡ください。』という説明書きの下にはB市警察署の連絡先、国彦の身長、体重、その他の特徴、失踪当時の服装や所持品が細かく記載されている。
──公開捜査してるのか!
それを見た途端、引き返そうとしたがすでに手遅れで、国彦はコンビニのドアを開けて店内に入った。
「こら、待て!」
張り紙など見ていなかったのか、足早に歩いていく国彦の背中をあわてて追いかけた。
「おじちゃん、これ買ってくれる?」
国彦はコミックコーナーから少年マンガの新刊を抜き取り、貞に差し出してきた。
「ああ、いいぞ。欲しいものがあったらカゴに入れていけ。」
貞は買い物カゴを取って、国彦が欲しがったマンガの単行本をそこに入れた。
「ありがとう、おじちゃん。」
国彦は店内をうろちょろ歩き回り、寝ぼけ顔で商品の陳列をしている若い男性店員のそばを、軽い足取りですり抜けていった。
「新しい味のポテチと、チョコレートドーナツも食べていい?」
「ああ、別にいいぞ。」
「この豆大福もいい?」
「ああ、美味そうだな。オレの分も買おう。」
国彦が欲しいものをねだっては貞が承諾するというかたちで、商品をどんどんカゴに入れていく。
レジで精算しているときも、国彦は楽しそうに話しかけてきた。
声を出して欲しくはなかったが、他人と話すことを禁じただけで警告自体はしっかり守っているから、怒るに怒れない。
表の張り紙を見ているはずの年配の女性店員は、目の前の客の様子など見向きもせず、レジの操作に集中している。
店内にいる2、3人の客も、こちらを気にしている様子はなかった。
マスクをしている上、服装も失踪当時とまるで違っているから、行方不明になっている本人とは気づかなかったのだろう。
しかし、貞は家に入るまで冷や汗が止まらなかった。
早朝に階段を往復したからか、疲労も生半可ではないし、腰痛もぶり返してきた。
帰り道は誰とも出くわさなかったのが、せめてもの救いだった。
その日の深夜1時。
国彦は隣で寝ている貞の顔をずっと眺めていた。
頭が妙に冴えてしまって、ぜんぜん眠れない。
コンビニのドアに貼られた自分の写真を見たときは、本当に戸惑った。
見ていなかったフリをして店内に入ったが、警察沙汰になっていることを知り、複雑な心持ちでいた。
家に帰るとなると、ここから逃げ出すことになる。
でも、そうすれば貞は警察に捕まって牢屋に入れられてしまうだろう。
会社はクビになり、犯罪者として新聞や週刊誌に顔が載り、ワイドショーなんかで晒し者にされ、好き勝手にバッシングされる。
──そんなの、おじちゃんが可哀想……
初めは恐怖し、嫌悪していた相手でも、悪い人ではないことがわかると、憎む気持ちも消えていった。
自分のためにいろいろ手を尽くしてくれている姿を見ると、感謝すら感じるようになった。
けれど、警察が自分の行方を探しているのを考えると、ずっとこのままというわけにはいかないだろう。
冬也も職場の人たちも、自分に何があったのか不安でしかたないだろうし、心配しているに違いない。
──でも、おじちゃんを置いてはいけない。
おじちゃんは孤独な人だから…
どうすればいいんだろう?
オレが黙ってさえいれば、刑務所には行かなくて済むのかな?
ひとり煩悶していると、貞のたくましい腕が伸びてきて、国彦の華奢な体を抱き寄せた。
国彦がいいかげん外に出たいと言うので、渋々ながら了承したのだが、外に連れ出すのにはまだ抵抗があった。
この日のために、国彦の体に合ったコート、トレーナー、ジーンズ、スニーカーを買い、白い立体マスクをつけさせた。
国彦は顔が小さいから目元以外がすべて隠れて、いい目くらましになりそうだ。
「いいか、店員とか、他の人と口を聞くんじゃないぞ。」
「約束するよ、おじちゃん。」
「誰かが話しかけてきたら、喉を押さえて聞こえないフリするんだ。」
「わかってるよ。ねえ、早く行こうよ。オレ、あのマンガの新刊が欲しい。新発売のフレーバーのポテチも食べたい。」
貞の警告を聞いているのかいないのか、国彦は外に出られる嬉しさで浮き足立っていた。
早く早く、とずっと急かしてくる。
早朝のせいか周囲からは物音ひとつ聞こえてこないし、人影も見当たらない。
しかし、安心はできない。
こんな時間帯であっても、隣家の主婦が犬を散歩させている可能性がある。
息子にだって注意しなくてはならない。
早朝や深夜にふらふらコンビニに向かう姿を何度か見たことがあるし、鉢合わせしないとも限らない。
周囲にコンビニは3軒あるが、特定のコンビニには行かず、その日の気分で向かうコンビニも変えているようだった。
玄関ドアの鍵をかけて、2人いっしょに非常階段を降りたが、誰かに出くわすことはなかった。
非常階段のドアを数センチ開けて外の様子を確認したところ、周囲には誰もいない。
「国彦、今だ、出よう。」
コンビニに行く途中、2人の通行人とすれ違ったものの、特に問題なくたどり着けた。
しかし、コンビニのガラスのドアに貼られた貼り紙を見て、貞は絶句した。
B5くらいの紙にグレーの作業着を着た国彦の写真が載せられていて、大きな黒い文字で「この人を探しています」と書かれている。
『1月某日の午後19時前後、B市の職場を出たのを最後に行方がわからなくなっています。心当たりのある人はB市警察署までご連絡ください。』という説明書きの下にはB市警察署の連絡先、国彦の身長、体重、その他の特徴、失踪当時の服装や所持品が細かく記載されている。
──公開捜査してるのか!
それを見た途端、引き返そうとしたがすでに手遅れで、国彦はコンビニのドアを開けて店内に入った。
「こら、待て!」
張り紙など見ていなかったのか、足早に歩いていく国彦の背中をあわてて追いかけた。
「おじちゃん、これ買ってくれる?」
国彦はコミックコーナーから少年マンガの新刊を抜き取り、貞に差し出してきた。
「ああ、いいぞ。欲しいものがあったらカゴに入れていけ。」
貞は買い物カゴを取って、国彦が欲しがったマンガの単行本をそこに入れた。
「ありがとう、おじちゃん。」
国彦は店内をうろちょろ歩き回り、寝ぼけ顔で商品の陳列をしている若い男性店員のそばを、軽い足取りですり抜けていった。
「新しい味のポテチと、チョコレートドーナツも食べていい?」
「ああ、別にいいぞ。」
「この豆大福もいい?」
「ああ、美味そうだな。オレの分も買おう。」
国彦が欲しいものをねだっては貞が承諾するというかたちで、商品をどんどんカゴに入れていく。
レジで精算しているときも、国彦は楽しそうに話しかけてきた。
声を出して欲しくはなかったが、他人と話すことを禁じただけで警告自体はしっかり守っているから、怒るに怒れない。
表の張り紙を見ているはずの年配の女性店員は、目の前の客の様子など見向きもせず、レジの操作に集中している。
店内にいる2、3人の客も、こちらを気にしている様子はなかった。
マスクをしている上、服装も失踪当時とまるで違っているから、行方不明になっている本人とは気づかなかったのだろう。
しかし、貞は家に入るまで冷や汗が止まらなかった。
早朝に階段を往復したからか、疲労も生半可ではないし、腰痛もぶり返してきた。
帰り道は誰とも出くわさなかったのが、せめてもの救いだった。
その日の深夜1時。
国彦は隣で寝ている貞の顔をずっと眺めていた。
頭が妙に冴えてしまって、ぜんぜん眠れない。
コンビニのドアに貼られた自分の写真を見たときは、本当に戸惑った。
見ていなかったフリをして店内に入ったが、警察沙汰になっていることを知り、複雑な心持ちでいた。
家に帰るとなると、ここから逃げ出すことになる。
でも、そうすれば貞は警察に捕まって牢屋に入れられてしまうだろう。
会社はクビになり、犯罪者として新聞や週刊誌に顔が載り、ワイドショーなんかで晒し者にされ、好き勝手にバッシングされる。
──そんなの、おじちゃんが可哀想……
初めは恐怖し、嫌悪していた相手でも、悪い人ではないことがわかると、憎む気持ちも消えていった。
自分のためにいろいろ手を尽くしてくれている姿を見ると、感謝すら感じるようになった。
けれど、警察が自分の行方を探しているのを考えると、ずっとこのままというわけにはいかないだろう。
冬也も職場の人たちも、自分に何があったのか不安でしかたないだろうし、心配しているに違いない。
──でも、おじちゃんを置いてはいけない。
おじちゃんは孤独な人だから…
どうすればいいんだろう?
オレが黙ってさえいれば、刑務所には行かなくて済むのかな?
ひとり煩悶していると、貞のたくましい腕が伸びてきて、国彦の華奢な体を抱き寄せた。
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