ハートの瞳が止まらない

男の子

「お家はどちらです？」
「あっちだよ」
五井は自宅のある方向を指差した。
「わかりました」
男の子が五井を気遣ってか、傘を持ち上げてくれた。
おかげで五井は濡れずに済んだが、男の子の肩に雨がかかってきていた。

男の子の「わかりました」という言葉を合図に、2人して歩き出す。
気を遣わせてしまって申し訳ない気持ちがあるから、できるだけ早く帰りたいと思う反面、あまり早歩きすると男の子を置き去りにしてしまうというジレンマもあった。
いかんせん、体格差がありすぎるせいで歩幅が合わないのだ。
しばらく歩いて自宅マンションに着いたときには、男の子の肩はずぶ濡れになり、彼が着ている白い無地のポロシャツが肌に張りついて、体の線が浮き出ていた。
線の浮き出た体は凹凸が乏しく、全体的に平坦で、幼児の体をそのまま大きくしたみたいだ。

「きみ、送ってくれてありがとう」
思わぬ親切に感謝しつつ、五井は男の子に背を向けて自分の部屋に帰ろうとした。
そのときだった。
「…あ、あの！」
男の子が呼び止めてきた。
「どうしたの？」
男の子の呼びかけに、五井は振り返った。
はて、何の用だろう。
ひょっとして、自分が店に何か忘れ物でもして、それを渡してくれるのだろうか。
声をかけたのもそのためで、傘に入れてくれたのはそのついでだったのだろうか。

「えっと…ちょっと待ってくださいね」
五井がアレコレ考えているうちに、男の子はショルダーバッグのファスナーを開けると、中をゴソゴソ探り始めた。
店に忘れ物をした記憶がない五井は、不思議に思いつつ男の子の様子を見守った。

「これ、ぼくの連絡先です！」
男の子はバッグからメモ用紙を1枚引っ張り出すと、五井に差し出した。
「……」
五井は困惑しながら、男の子が持っていたメモ用紙を受け取った。
「あの…こんな子どもでよかったら、連絡ください……」
それだけ言うと、男の子は出口に向かってマンションのエントランスを駆けていく。
外でバサっという傘を豪快に開く音がしたかと思うと、男の子の背中がどんどん小さくなっていくのが見えた。

五井は男の子が渡してくれたメモ用紙を見た。
そこに書かれていたのはおそらく、名前と連絡先。
急いで書いたからなのか、それとも男の子が元からこんな筆跡なのかわからないが、文字はぐちゃぐちゃで解読は難しい。
反面、連絡先はわりかしキレイに書かれてあったので、簡単に読めた。
しかし、問題はそこではない。

「こんなオッサンのどこがいいんだか…」
こんなものを渡す男の子の意図を理解できないまま、五井はメモ用紙をポケットに入れると、マンションの階段を上がっていった。

部屋に入ると、五井はデスクにドカッと体を預けて、さっき男の子が渡してくれたメモ用紙を見つめた。

──名字は読めないな。下の名前…これは「まさひろ」って読むのか？だからマスターに「ヒロちゃん」って呼ばれてるのか

五井は、去り際の男の子の顔を思い起こしてみた。
男の子の顔はほんのり赤らんでいて、うっとりした目つきで五井のことを見つめていた。

こんなあからさまな態度を取られて、男の子が自分に何を望んでいるか理解できないほど、五井は鈍くはない。