ハートの瞳が止まらない

若目

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五井の苦悩

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新人と思わしき男の子はマスターのもとへ戻ると、何やら雑談を始めた。
マスターと男の子の口からかすかに「大学はどう?」とか「課題が大変」だとかいう話し声が聞こえてくる。
ここから察するに、男の子は大学生なのだろう。

その話し声をBGMに、五井は新聞を読みながらコーヒーを飲んだ。
新聞を読み終えると、パソコンを開いて作業を始める。
しかし、なかなか原稿は進まず、パソコンの画面はずっと真っ白なままだった。
無気力に事務的に手を動かして、一応空白を埋めることはできた。
もっとも、出来がいいとはいえないから、編集者からダメ出しを食らって、加筆・修正を繰り返すハメになったのだけど。


書いてはダメ出しされて加筆・修正、書いてはダメ出しされて加筆・修正。
そんな日々を繰り返しながら、またいつものように喫茶店に向かい、無気力に事務的にキーボードを叩く。
その日も、ある程度は空白を埋めることができたが、やはり新しいアイデアは思いつかない。
他に方法も思いつかないので、とりあえずこれを出して、ボツを食らったらまた何とか頑張って書こうと考えて、五井は席を立った。
しかし、悪いことは連続して起こるものだ。
荷物を整えて店を出たとき、雨が降っていたのだ。

──まいったな

スマートフォンを取り出して天気予報アプリを開いて、天気を確認してみれば「午後から雨」と表示されている。
ここ最近のスランプに頭を支配されていたものだから、天気を確認することさえ忘れていたのだ。
仕方なく、このまま濡れて帰って、帰ったら風呂に入って体を温めよう。
そう考えて、進み出そうとした瞬間だった。

「ねえ、ここに入ってください。よかったら、家までお送りしますよ」
聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
最近入ったバイトの男の子だ。
ここで五井は、初めて男の子の顔を真正面から見た。
大きな瞳に短くて太い眉。
唇はぷっくりしていて鼻は少し低い。
髪はあごに届くか届かないかくらいまで伸ばしていて、元からくせっ毛なのかセットしているのかあちこちカールしている。
体格は男の子にしては小柄で痩せぎみだし、顔つきは童顔が過ぎて、本当に大学生か疑いたくなる。

そんな男の子の突然の申し出に、五井はどうしたものかと思った。
おそらく、他意はまったくない。
退勤時間になった頃合いに常連客を見かけて、純粋な親切心からこんなことを言ってきたのだろう。

ありがたいにはありがたいけれど、四捨五入したら還暦にもなる中年と、見ようによっては中学生くらいにも見える若い男の子が相合い傘しているという光景は、他人にどう見えるのだろう。
などと考えたが、冷静になってみれば、別にやましいことなど何もしていないし、こんな天気だからか、周囲に誰もいないし、何も問題はない。

「……ありがとう。じゃあ、お願いするよ」
五井は男の子の親切を受け取ることにした。
「ええ、どうぞ」
男の子は五井を傘の中へ入れてくれた。
その瞬間に、男の子の華奢な肩と、五井のいかついだけでかわいげのカケラもない肩が触れ合った。


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