宮廷の九訳士と後宮の生華

狭間夕

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1.宮廷の九訳士

1-3.任暁(レンシャオ)将軍⑤

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 女は任暁レンシャオの目線から、手紙の冒頭を見ているのに気付いたようだ。

「どの地域でも人に充てた手紙のの初めは、宛名が書かれることが多いのです。幸いにも、ある文官から『静月ジンユェ』に充てられた文ではないかとの情報がありました。それを正しいと仮定した場合、『静月ジンユェ』の名前は文の最初か、最後に書かれることになるでしょう。さらに呼びかけとして複数、名前が書かれる可能性があります」

 ――静衛ジンウェイより、静月ジンユェへ。
 ――兄の心は、いつでも静月ジンユェと共にある。

 女が言及しているのは、ここの二カ所だ。自分で自分の名前を手紙で連呼する妙な性格であれば別だが、普通は何度も呼んでいるのは相手の名前であるのが道理だ。

 任暁レンシャオは納得してうなずく。

「最初と最後に二回、名前を読んでいる部分が『静月ジンユェ』であれば……つまり静衛ジンウェイ静月ジンユェで、ジンの音が共通しているから、この二つは親戚の名前だと推測したわけですか」
「その通りです。名前は解読で大きな手掛かりとなります。なぜなら、名前の表記には一定の規則が見られるからです。とはいえ、ここまでは多分に推測を含んでおりますし、解読であって訳ではありません。私は九訳くやくです。根拠には字引きを使います」

 女は後ろに手を伸ばして、ひもくくって束にした紙を文の横に置いた。

「これは都を訪れる客人からの情報を集めて記録したものです。西南から訪れる方は珍しいとはいえ、これまでに幾人かはいらっしゃっていますから、単語の意味を書き留めています。これがないと『静月ジンユェ』に充てられた文でなかった場合に解読が破綻してしまいます」
「あなたは九訳であって、暗号を解く専門ではないと」
「そうです。それに暗号の解読はもっと多くの材料がなければ成り立ちません。一つの文だけでは不十分です。今回は字引きがありますから、効率を重視して、ある程度の当たりを付けてから該当する文字を探しました。すると……ここの単語は西南での防人さきもりを意味する言葉になります。発音としては『ウェイ』です。さらに、『活発でない』は『黙する』となり、『ジン』に相当します。『静衛ジンウェイ』と『静月ジンユェ』が正確に読み取れましたから、やはりこれは親戚に充てた手紙として残りの全てを訳す必要がないのです」

 ――あまりお前のことだ。

 ここが、名前の『ジン』と同じ発音。

 ――宮城のの任に就くことになった。

 ここが、名前の『ウェイ』と同じ発音。

 任暁レンシャオは女の説明を自分で理解しようと、目の前の文と字引きを交互に見比べた。そのようにしてから「なるほど」と言い、少し笑った口調で「なるほど」と、もう一度、言った。

「恐れ入りました。最終的に字引きがあるとはいえ、そこに至る過程が手馴れている。背景の事情を考慮した最低限の行動だけで、しかも必要以上に解読しなかった配慮も含めて、素晴らしい判断でした」
「いいえ、今回はいろいろとアテがあったものですから」
「あなたは聡明な方だ。どうか、改めてお願いしたい」

 任暁レンシャオは座ったままではあるが、礼儀正しく、頭を下げた。

 こういう特殊な場所で、特殊な仕事に就いているのだから、女の地位もそれなりに高いとは思われる。もしかすると官位は上なのかもしれないが、だとしても将軍である任暁レンシャオが自らをへり下るのは余程のことだ。それだけ任暁レンシャオは友人の静衛ジンウェイと、彼の妹である静月ジンユェを大事に想っている。

「頭を上げてくださいな。そのようにされても立場上、引き受けられることと受けられないことはあります。先ほども申しましたように、おそらくは静月ジンユェ美人妃のこととは思いますが」
「……私の力を以ってしても後宮のことは宦官かんがんを通さなければ分からない。静月ジンユェのような新参者は疎外そがいされているかもしれない。実際に悪い噂を微かに耳にしている。無理は言いません、味方してやってくれとも言いませんが、せめて彼女がこれ以上、孤立しないように宮廷の言葉を教えてやってほしいのです。それで、私の妹も同然である静月ジンユェの近況を私に教えて欲しいのです」
「……少し考えさせてください」

 しばらく、沈黙が包む。

 書斎から見える外の景色は夕暮れに青が増して、そろそろ夜になろうとしている。

 暗闇が少しずつ部屋に入り込み、女はろうに火を灯した。

 この間の沈黙は、時間にしてはそれほどではなかったが、任暁レンシャオには非常に長く感じられた。そのうちに、気の早いふくろうの鳴き声がした。

「この手紙を、届けるついでのことですから」

 応えた女の表情は、普段は冷静な彼女にとっては珍しく慈愛じあいに満ちていた。任暁レンシャオは彼女の返答に対して、これも彼には珍しいことなのだが、素直に「ありがとう」と礼を言った。

「ちなみに、まだ名前を伺っていませんでした」
「私は、英明インミン。どうか英明インミンとそのままお呼びください、レン鎮西ちんぜい将様」
英明インミン……良い名ですね。私のことも任暁レンシャオと呼んでほしい。実のところ肩が凝るのは苦手なのですよ」
「はい、実は私も同じです。あなたがそれで良いのでしたら、そうしましょう、任暁レンシャオ。ちなみに私も一つ、聞いても良いですか?」
「構いませんよ」
「どうして女物のくしをそんなにたくさん、頭に差しているのかって、部屋に入られた時から気になっていました。小鈴シャオリンに聞いても、きちんと教えてくれなかったものですから」
「ああ、これは……貰い物でして、くしだから頭に差そうと思いまして……変ですかね?」
「いいえ、とても似合っていらっしゃる」

 英明インミンが、まるで少女のように優しく微笑む。

 任暁レンシャオは少年のように照れ臭くなって、頭のくしを一つ、外して手に取った。
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