8 / 41
1.宮廷の九訳士
1-3.任暁(レンシャオ)将軍⑤
しおりを挟む
女は任暁の目線から、手紙の冒頭を見ているのに気付いたようだ。
「どの地域でも人に充てた手紙のの初めは、宛名が書かれることが多いのです。幸いにも、ある文官から『静月』に充てられた文ではないかとの情報がありました。それを正しいと仮定した場合、『静月』の名前は文の最初か、最後に書かれることになるでしょう。さらに呼びかけとして複数、名前が書かれる可能性があります」
――静衛より、静月へ。
――兄の心は、いつでも静月と共にある。
女が言及しているのは、ここの二カ所だ。自分で自分の名前を手紙で連呼する妙な性格であれば別だが、普通は何度も呼んでいるのは相手の名前であるのが道理だ。
任暁は納得して肯く。
「最初と最後に二回、名前を読んでいる部分が『静月』であれば……つまり静衛と静月で、静の音が共通しているから、この二つは親戚の名前だと推測したわけですか」
「その通りです。名前は解読で大きな手掛かりとなります。なぜなら、名前の表記には一定の規則が見られるからです。とはいえ、ここまでは多分に推測を含んでおりますし、解読であって訳ではありません。私は九訳です。根拠には字引きを使います」
女は後ろに手を伸ばして、紐で括って束にした紙を文の横に置いた。
「これは都を訪れる客人からの情報を集めて記録したものです。西南から訪れる方は珍しいとはいえ、これまでに幾人かはいらっしゃっていますから、単語の意味を書き留めています。これがないと『静月』に充てられた文でなかった場合に解読が破綻してしまいます」
「あなたは九訳であって、暗号を解く専門ではないと」
「そうです。それに暗号の解読はもっと多くの材料がなければ成り立ちません。一つの文だけでは不十分です。今回は字引きがありますから、効率を重視して、ある程度の当たりを付けてから該当する文字を探しました。すると……ここの単語は西南での防人を意味する言葉になります。発音としては『衛』です。さらに、『活発でない』は『黙する』となり、『静』に相当します。『静衛』と『静月』が正確に読み取れましたから、やはりこれは親戚に充てた手紙として残りの全てを訳す必要がないのです」
――あまり活発な性格ではないお前のことだ。
ここが、名前の『静』と同じ発音。
――宮城の防衛の任に就くことになった。
ここが、名前の『衛』と同じ発音。
任暁は女の説明を自分で理解しようと、目の前の文と字引きを交互に見比べた。そのようにしてから「なるほど」と言い、少し笑った口調で「なるほど」と、もう一度、言った。
「恐れ入りました。最終的に字引きがあるとはいえ、そこに至る過程が手馴れている。背景の事情を考慮した最低限の行動だけで、しかも必要以上に解読しなかった配慮も含めて、素晴らしい判断でした」
「いいえ、今回はいろいろとアテがあったものですから」
「あなたは聡明な方だ。どうか、改めてお願いしたい」
任暁は座ったままではあるが、礼儀正しく、頭を下げた。
こういう特殊な場所で、特殊な仕事に就いているのだから、女の地位もそれなりに高いとは思われる。もしかすると官位は上なのかもしれないが、だとしても将軍である任暁が自らをへり下るのは余程のことだ。それだけ任暁は友人の静衛と、彼の妹である静月を大事に想っている。
「頭を上げてくださいな。そのようにされても立場上、引き受けられることと受けられないことはあります。先ほども申しましたように、おそらくは静月美人妃のこととは思いますが」
「……私の力を以ってしても後宮のことは宦官を通さなければ分からない。静月のような新参者は疎外されているかもしれない。実際に悪い噂を微かに耳にしている。無理は言いません、味方してやってくれとも言いませんが、せめて彼女がこれ以上、孤立しないように宮廷の言葉を教えてやってほしいのです。それで、私の妹も同然である静月の近況を私に教えて欲しいのです」
「……少し考えさせてください」
しばらく、沈黙が包む。
書斎から見える外の景色は夕暮れに青が増して、そろそろ夜になろうとしている。
暗闇が少しずつ部屋に入り込み、女は蝋に火を灯した。
この間の沈黙は、時間にしてはそれほどではなかったが、任暁には非常に長く感じられた。そのうちに、気の早い梟の鳴き声がした。
「この手紙を、届けるついでのことですから」
応えた女の表情は、普段は冷静な彼女にとっては珍しく慈愛に満ちていた。任暁は彼女の返答に対して、これも彼には珍しいことなのだが、素直に「ありがとう」と礼を言った。
「ちなみに、まだ名前を伺っていませんでした」
「私は、英明。どうか英明とそのままお呼びください、任鎮西将様」
「英明……良い名ですね。私のことも任暁と呼んでほしい。実のところ肩が凝るのは苦手なのですよ」
「はい、実は私も同じです。あなたがそれで良いのでしたら、そうしましょう、任暁。ちなみに私も一つ、聞いても良いですか?」
「構いませんよ」
「どうして女物の櫛をそんなにたくさん、頭に差しているのかって、部屋に入られた時から気になっていました。小鈴に聞いても、きちんと教えてくれなかったものですから」
「ああ、これは……貰い物でして、櫛だから頭に差そうと思いまして……変ですかね?」
「いいえ、とても似合っていらっしゃる」
英明が、まるで少女のように優しく微笑む。
任暁は少年のように照れ臭くなって、頭の櫛を一つ、外して手に取った。
「どの地域でも人に充てた手紙のの初めは、宛名が書かれることが多いのです。幸いにも、ある文官から『静月』に充てられた文ではないかとの情報がありました。それを正しいと仮定した場合、『静月』の名前は文の最初か、最後に書かれることになるでしょう。さらに呼びかけとして複数、名前が書かれる可能性があります」
――静衛より、静月へ。
――兄の心は、いつでも静月と共にある。
女が言及しているのは、ここの二カ所だ。自分で自分の名前を手紙で連呼する妙な性格であれば別だが、普通は何度も呼んでいるのは相手の名前であるのが道理だ。
任暁は納得して肯く。
「最初と最後に二回、名前を読んでいる部分が『静月』であれば……つまり静衛と静月で、静の音が共通しているから、この二つは親戚の名前だと推測したわけですか」
「その通りです。名前は解読で大きな手掛かりとなります。なぜなら、名前の表記には一定の規則が見られるからです。とはいえ、ここまでは多分に推測を含んでおりますし、解読であって訳ではありません。私は九訳です。根拠には字引きを使います」
女は後ろに手を伸ばして、紐で括って束にした紙を文の横に置いた。
「これは都を訪れる客人からの情報を集めて記録したものです。西南から訪れる方は珍しいとはいえ、これまでに幾人かはいらっしゃっていますから、単語の意味を書き留めています。これがないと『静月』に充てられた文でなかった場合に解読が破綻してしまいます」
「あなたは九訳であって、暗号を解く専門ではないと」
「そうです。それに暗号の解読はもっと多くの材料がなければ成り立ちません。一つの文だけでは不十分です。今回は字引きがありますから、効率を重視して、ある程度の当たりを付けてから該当する文字を探しました。すると……ここの単語は西南での防人を意味する言葉になります。発音としては『衛』です。さらに、『活発でない』は『黙する』となり、『静』に相当します。『静衛』と『静月』が正確に読み取れましたから、やはりこれは親戚に充てた手紙として残りの全てを訳す必要がないのです」
――あまり活発な性格ではないお前のことだ。
ここが、名前の『静』と同じ発音。
――宮城の防衛の任に就くことになった。
ここが、名前の『衛』と同じ発音。
任暁は女の説明を自分で理解しようと、目の前の文と字引きを交互に見比べた。そのようにしてから「なるほど」と言い、少し笑った口調で「なるほど」と、もう一度、言った。
「恐れ入りました。最終的に字引きがあるとはいえ、そこに至る過程が手馴れている。背景の事情を考慮した最低限の行動だけで、しかも必要以上に解読しなかった配慮も含めて、素晴らしい判断でした」
「いいえ、今回はいろいろとアテがあったものですから」
「あなたは聡明な方だ。どうか、改めてお願いしたい」
任暁は座ったままではあるが、礼儀正しく、頭を下げた。
こういう特殊な場所で、特殊な仕事に就いているのだから、女の地位もそれなりに高いとは思われる。もしかすると官位は上なのかもしれないが、だとしても将軍である任暁が自らをへり下るのは余程のことだ。それだけ任暁は友人の静衛と、彼の妹である静月を大事に想っている。
「頭を上げてくださいな。そのようにされても立場上、引き受けられることと受けられないことはあります。先ほども申しましたように、おそらくは静月美人妃のこととは思いますが」
「……私の力を以ってしても後宮のことは宦官を通さなければ分からない。静月のような新参者は疎外されているかもしれない。実際に悪い噂を微かに耳にしている。無理は言いません、味方してやってくれとも言いませんが、せめて彼女がこれ以上、孤立しないように宮廷の言葉を教えてやってほしいのです。それで、私の妹も同然である静月の近況を私に教えて欲しいのです」
「……少し考えさせてください」
しばらく、沈黙が包む。
書斎から見える外の景色は夕暮れに青が増して、そろそろ夜になろうとしている。
暗闇が少しずつ部屋に入り込み、女は蝋に火を灯した。
この間の沈黙は、時間にしてはそれほどではなかったが、任暁には非常に長く感じられた。そのうちに、気の早い梟の鳴き声がした。
「この手紙を、届けるついでのことですから」
応えた女の表情は、普段は冷静な彼女にとっては珍しく慈愛に満ちていた。任暁は彼女の返答に対して、これも彼には珍しいことなのだが、素直に「ありがとう」と礼を言った。
「ちなみに、まだ名前を伺っていませんでした」
「私は、英明。どうか英明とそのままお呼びください、任鎮西将様」
「英明……良い名ですね。私のことも任暁と呼んでほしい。実のところ肩が凝るのは苦手なのですよ」
「はい、実は私も同じです。あなたがそれで良いのでしたら、そうしましょう、任暁。ちなみに私も一つ、聞いても良いですか?」
「構いませんよ」
「どうして女物の櫛をそんなにたくさん、頭に差しているのかって、部屋に入られた時から気になっていました。小鈴に聞いても、きちんと教えてくれなかったものですから」
「ああ、これは……貰い物でして、櫛だから頭に差そうと思いまして……変ですかね?」
「いいえ、とても似合っていらっしゃる」
英明が、まるで少女のように優しく微笑む。
任暁は少年のように照れ臭くなって、頭の櫛を一つ、外して手に取った。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる