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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花

40.四条決戦(5)

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 花見小路通から四条通まで見通しがよいのですが、どのみち路地に逃げても待ち伏せされていたのだから、このまま突っ切っることにします。相手から私が見える代わりに、こちらからも敵が見えるのです。一般人もいるから完全には判別できないけれど、なんとなく大丈夫な気がする。

 少なくとも、地上に脅威はなかった。

 とはいえ、空については知りません。

 だから油断していたわけではないと言い訳させてください。人もアヤカシも、上を見ながら走ることはありませんので。そんなことをすれば他人か、もしくは電柱にぶつかります。

「狙い通りだ、キツネ娘」

 白川筋の橋を渡ったところで突風が吹いて、私の体が宙で反転しました。さっきは真神さんが優しく持ち上げてくれたけど、今度は雑な扱いです。つまりは敵の仕業に違いなく、くるりと一回転した後に着地できたのはいいのですが。

 その拍子に袖から勾玉が落ちました。

「……しまった!」
「やはり、お前が持っていたか」

 びゅんと空から滑空して、私よりも早く勾玉を拾ったのは烏帽子えぼしをかぶった、黒い羽根を背中から生やしている天狗でした。彼はバクケンの総大将で、名前は法眼ほうげんさん。バサバサと空を飛んで、手元の勾玉を見つめて満足そうにうなづいています。よくよく見れば勾玉を二つ持っていらっしゃる。一つは私から奪ったもので、もう一つはバクケン側の勾玉でしょう。

「真神がお前を助けるのも計算のうちだ」
「……えっと?」
「我々が先に勾玉を運んでも、真神が拠点を守っていては無駄になる。真神を拠点から遠ざけるために、ここまでお前を泳がせていた。ついでにそちらの勾玉まで奪えたのは幸運なことだ――では失礼する」

 会話もほどほどに、天狗の法眼ほうげんさんは夜空の向こうに飛び去りました。

 少しだけ沈黙が支配してから、

「あ~、俺の負けだ、好きな酒を飲め」
「他人のおごりで飲む酒は上手い」

 道端で晩酌ばんしゃくをしているアヤカシ達。どうやら賭けをしていたらしく、私が勾玉を奪われたから、それでアマモリ側が負けると判断されているのです。

「その酒、おごるの待った!」

 まだ負けてないんだから、勝手に決めるのは言語道断! 早計な観衆のジャッジに断りを入れてから、すぐに彼を追いかけました。

「アタシの魅力が忘れられないんだ? いいよ、あんたもとりこにして――」
「どいてってば!」

 引き返した道中で再会した蜘蛛女を押しのけて、ついでに呪いの札を貼ってやりました。勾玉を持っていない私に怖いものはありません。捨てるものがなければ大胆にもなれます。壁に貼り付けになっている音兎ちゃんを見つけたので、糸まきまきの歌のようにぐるぐると自分の腕に巻き付けて彼女の束縛を解きました。

「薫はん?」
「ごめんね、奪われちゃった。音兎ちゃんはいったん引いて。私は追いかけないと」

 おそらく法眼ほうげんさんは勾玉での勝利を目指して、私たちの拠点に向かって飛んでいるはず。走って追いつけるわけがないけれど、誰かが足止めしてくれれば最悪の事態は防げるかもしれない。そうだ、スマホでみんなに状況を共有しておかないと。息を切らしながらスマホをぽちぽちと叩き、路地をぐねぐねと回って三条通まで戻ります。



「おい、通れないぞ!」

 どういうわけだか、三条通は一般の方々でさっきよりも混雑していました。道路から押しのけられたようにアヤカシが交差点の外側に立っています。通りの一角だけが緑色の光で覆われているのですが、あれは結界なのかも。光のカーテンが波のようにうねり、読めない難しい文字が流れて、なんか見たことがある。

「おのれ、陰陽師のせがれ!」

 法眼ほうげんさんが結界の中を飛び回っています。そうだ、これはハルの結界だ。私の報告を聞いてか、それとも妖気で察したのか、既に手を打ってくれていたみたい。

「あいたっ!」

 勾玉を取り戻そうと焦って不用意に結界に触れてしまいました。バチッと電流が走り、同時に、尻尾と耳が逆立ちます。

「触れるな、危険だ」
「……ごめんね。実は、勾玉が盗られちゃって」

 ハルは札を扇子せんすのように広げていました。私は結界の中に入れないので、結界を挟んでの会話です。

「なるほど、そうなると法眼はもう一つ持っているのか」
「もう一つ?」

 ハルは私の疑問に答える代わりに着物の裾から勾玉を取り出しました。ハルが持っているのは私が渡された銀色ではなく、金色の勾玉です。さすがは陰陽師の末裔まつえい、早くも敵側の勾玉を奪っています。そうなると……相手はこっちの勾玉を持っていて、こっちは相手の勾玉を持っていることになって。

「……どうしよっか」
「とりあえず、これを持って逃げろ。相手の勾玉を持っている限りは、すぐに勝負を決められることはない」

 ぽーんと、結界越しに勾玉を投げられました。あわあわと、生卵を渡されたように受け取ります。

「返せ!」

 上空から法眼さんが羽根を飛ばして、ハルが札で叩き落しましたが、さらに法眼さんは突っ込んできて棒を振り回しています。

「行け、カオル!」
「わ、分かった!」

 そう言われても、どこへ向かえばいいのか分かりません。とにかくここを離れなければならないので三条大橋に向かって走ってはみたものの、私が持っているのは敵側の勾玉だから自陣に近づいてはいけないような。かといって敵陣を目指しても捕まるリスクが高まるだけで何もメリットがない。そうだ、いったん切目さんに持っていてもらおうと、御池大橋から白山神社まで引き返すことにしました。

 しかし、ここで焦って御池大橋の現状を忘れていた。

 御池大橋は味方と敵で取り合いをしていまして、要するに激戦区なのですが、そこに突入してしまい、しかも不運にも勾玉が現在地を知らせる時間になったので私が相手の勾玉を持っていることがバレてしまい、厳つい侍が私に向かって突進してきました。

「世話が焼けるな、キツネ娘!」
唐変木とうへんぼくさん!」

 御池大橋にいた唐変木とうへんぼくさんが横から飛び込んで静止してくれます。

「しつこいぞ、唐変木とうへんぼく。引かないのであれば、今こそ桶狭間おけはざまでの借りを返させてもらう」
「それは川中島で貸し借りなしであろう、この朴念仁ぼくねんじんめ」

 ちなみに朴念仁ぼくねんじんとは相手の侍の名前です。唐変木とうへんぼくさんと朴念仁ぼくねんじんさんは長年の因縁があるらしく、南北朝時代から真反対の立場で戦ってきたとかなんとか、以前の会合で話していました。

「させるか!」
「行かせん!」
「お前の相手はこっちだ!」
「どこを見ている!」

 あれよあれよと敵味方が集まって、私は台風の目となって周りだけが激しく争い始め、これでは激戦に飲まれて勾玉を失いかねないと、私は二条大橋まで後退して木屋町通まで戻ることにしました。



「向こうは勾玉そのものを陽動にしてますよ」

 木屋町通の北側でやっと、切目さんと合流できました。

「勾玉での決着やなくて、こっちを全滅させるつもりですわ」

 何のことかと聞いてみれば、この先の河原町通から敵の主力部隊が堂々と北上しているらしいのです。双眼鏡を手渡されて偵察してみれば、河原町通を巨大な『がしゃ髑髏どくろ』が歩いていて、その背中に強敵のぬえが乗っています。がしゃ髑髏どくろの巨大な手の平の一撃とぬえの火で味方は四散し、飛び回る忍者に札を貼られては、こちら側の脱落者が続出している様子。

「このままだと我々よりも先に御池大橋に集まっている味方もやられますわ。やはり勾玉での決着が望ましいですが、次の行動を起こすまでにどれだけ生き残れるか」
「きっとハルが勾玉を奪い返してくれると思うけど……しばらくはみんなに耐えてもらうしかないのかな」
「勾玉なら、もう盗ってきた」

 いつの間にやらハルの声。振り返れば、ズルズルと蕎麦そばを食べています。

「法眼には逃げられたが、勾玉はここにある。代わりに、わんこ蕎麦の呪い札をつけられた。呪いを解いてから三条大橋の援軍に行く」

 銀色の勾玉を手渡されました。ハルの後ろから割烹着かっぽうぎのユーレイが追跡して、ハルが食べるたびに持っているわんに蕎麦を投げ入れています。

 いいなぁ、あの呪い。

「戦力はこちらが不利、しかし、勾玉は二つともこちらが持っている。さて、どうしますかね」

 切目さんに問われて、考えました。

 敵は河原町通から北上してくるのだから、それを無視して、隠密行動で再び東側から回るのが最善なように思いますが、また二条大橋から迂回して、三条、四条と移動しているうちに御池大橋の味方が全滅させられるかも。そうなれば私が八坂神社に近づく頃には敵の追撃が一層に激しくなって、そこでまた勾玉を奪われたりしたら――

 もう逆転の目はなくなる。

「あの……ちょっと無謀な策を思いついたのですけど。河原町通から正面突破するのはどうでしょう。各方面に散らばっている味方を結集して、一丸となって突撃します」
「……ええんやないですか、おそらく、それが正解やと思いますわ」

 戦況全体を把握している切目さんだから、正攻法では負けを悟っているのかもしれません。諦めないことは肝要ですが、起死回生の一手を打つためには堂々たる精神が、度胸を伴う覚悟が必要になります。だから、この状況下での隠密行動は消極的な発想であり、マイナスの結果を呼び込むのではないかと。

「ほな、さっそく集合をかけましょうか」
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