あやかし狐の京都裏町案内人

狭間夕

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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花

39.四条決戦(4)

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 鴨川沿いを南北に貫いているのは、川端かわばた通。

 この左右に見通せる広い道の南側に、今回の鬼ごっこで激戦区になっているであろう御池大橋が架かっています。遠くからアヤカシ達の声が風に乗って、「待て」「こんちくしょう」「やられたぁ」などの阿鼻あび叫喚きょうかんが一層の緊張をあおりますが、今の私はドジョウに首ったけ。救援だの、応援だのに加勢している場合ではない。まずは川端かわばた通を北へと走り、颯爽さっそうと二条大橋を渡りました。



 そこから木屋町通を過ぎたあたりで足がもつれて派手にコケて、ついに恐れていた事態へと、ドジョウが十匹を越えたのです。

 コケた拍子に、九匹のドジョウが頭から被さります。

 それなのに、十匹に達した罰として追加でドジョウが頭から被さります。

 合計、十九匹のドジョウとたわむれれた私。

 あれほど嫌だと言ったのに、このような悲惨な結末を迎えたのですから、目当ての白山神社に着いた頃には大雨の中で傘を飛ばされた心境になって、つまりは、諦めの境地に達していました。

 不貞腐れつつも、社の前でパンパンと手を合わせます。

「……呪いを解いてください……お願いします」

 ボソッとつぶやいた後に、

「……おめでとうございます! あなたの願いは聞き届けられました!」

 パンパカパーンと、ファンファーレと共にくす玉が頭上で弾けました。

 これは大変に腹が立つ。

 ええ、呪いは解けましたとも。どうも、ありがとうございました。でも最悪の事態は防げなかった。私の髪も、耳も、着物だってベトベトです。今すぐにシャワーを浴びて着替えたい。ここで失格になれば鴨川で行水できるのではないかと悪魔の誘惑に負けそうになりましたが――

 ピカッと、光の筒が空へと昇りました。

 そうです、私は勾玉まがたまを持っていたのです。ここで私が諦めてしまっては起死回生の一手が打てなくなる。しばらくドジョウに気を取られていましたが、あれから戦況はどうなったのか。

「えらい目に合いましたね」

 誰もいないと思っていたから、ビックリしました。

 社の脇のベンチに、灰色のスーツを着た切目さんが座っていました。この白山神社は解呪が確定する大事な拠点とのことで、切目さんが見張り番をしていたようです。切目さんはスーツの袖をまくっています。つまりは百目モードになっていて、広範囲に無数の目を飛来させて様子を観察していたらしく。

「音兎さんはこっちに向かってますよ。アヤメさんは四個目の知恵の輪が解けないみたいで、さっきチャットに画像が送られてきました」

 そうか、近況を知るにはスマホを見ればよかった。改めてスマホを確認しますと、アヤメさんから知恵の輪をアップにした画像が全体チャットに送信されていました。

 アヤメ「誰か解いてくれ。アタシには無理だ」
 真神「二個目と三個目の接合面で、ねじった状態で固定したまま四個目の輪っかを左手の小指で右に引っ張って下さい」
 アヤメ「サンキュー。てかさ、マジシャンじゃないんだから難題が過ぎる。ついでに五個目も解いてくれ」

 良かった、アヤメさんの問題は解決できそう。さすがは真神さん、知恵の輪を相手にしても負けません。その他にも近況が報告されています。

 火車「こちらは御池。いったん、敵を撃退した。しばらく来ないだろう」
 ろくろ首「こちら三条の手前。こっちはダメ、ぬりかべが塞いでる」
 座敷童「みなさん、ホッペをつねるのは止めてください」

 有意義な情報に埋もれて、座敷童さんの嘆き。ああ、なんて気の毒。偽物のタヌキがそこそこに暗躍あんやくしたせいで、被害者が座敷童さんと出会うたびに本物かどうかを確認しているのです。

 ハル「偽物は俺が倒した」

 スマホのメッセージと実際の声が重なりました。いつの間にやらハルが社の前に立っています。なぜかおわんを片手に持ち、はし湯葉ゆばを食べています。

「もしかして、それが呪いなの?」
「挟み撃ちにされてな、湯葉ゆばを食べ続ける呪いだ」
「え~、そんなのずるい! 私と変わって欲しかった!」
「食えば横腹が痛くなるぞ」

 ハルが手を合わせてお祈りをして、くす玉がパカーンと割れました。切目さんがハルに近寄り、余った湯葉ゆばわんを手に取りました。

「五分五分の、不利寄りやな」

 切り目さんは戦況について話しながら、むしゃむしゃと湯葉ゆばを食べています。

「相手に四条の西、烏丸通方面は抑えられとる。蜘蛛くも女のせいや」
「糸で路地に網を張ってるのか。そうなると四条側へ南下した連中は厳しいかもな」
「そっちの東大路通は、どやった?」
「今のところ静かだ。あそこから北上する気はないらしい」
「どうも四条あたりに固まっとるようやな。もう少し陽動をかけた方が良さそうやけど……ちなみに薫さんは、これからどないしますか?」
「う~ん、どうしよう」

 情報を整理します。



 四条の西側は蜘蛛くも女で危険とのことで、だから、このまま南へ向かうのはダメでしょう。そうなると鴨川を東へ渡ってから南へ向かうべきかもしれません。でも、鴨川を渡るのに三条大橋は使えない。ぬりかべが塞いでいるし、御池大橋は今は大丈夫そうだけど、敢えてリスクを冒す必要はない。

「二条大橋からさっきの所まで戻ります。音兎ちゃんとアヤメさんと合流して、当初の作戦通りに」
「そうですよね。ほな、こっちも三条あたりに監視の目を飛ばしてサポートしますよ」
「ありがとうございます――ハルはどうする? このまま一緒に行く?」
「妖気が気になる。八坂に集まり過ぎている。どのルートから迫って来るかを探りながら、場合によっては特攻して陽動するつもりだ」
「分かった。お互いに気を付けようね」

 ここまでは比較的、順調だったと思います。

 いえ、ドジョウの一件を除いてですが、今のところ大きな失敗はしていません。私は二条大橋に戻り、音兎ちゃんと合流して再び鴨川を東へと渡り、仁王門通でアヤメさんとも合流しました。音兎ちゃんの危険察知能力と切目さんからの情報を頼って敵との遭遇を避けつつ、花見小路通の北端まで到達しました。

「……切目の旦那からの連絡が来なくなった」

 不穏な気配が漂い始めたのは、三条を過ぎたあたりからです。

 アヤメさんがスマホを見て、「どうも変だ」とつぶやきながらスマホの光を隠しました。音兎ちゃんの耳も反応していて、「なにかが……揺れてはる」と曖昧あいまいな不安を口にしています。

 続いて、私のスマホが微動しました。緊迫した雰囲気に染まっていたから、このタイミングでの通知にはビックリしました。

 切目「あかん、けむりや」

 切目さんからの注意喚起のようですが、意図を察知するのが間に合わず、路地の曲がり角から山を覆う霧のように、ざあっと、灰色の煙が立ち込めたのです。瞬く間に視界が奪われて、鼻とのどがムズムズして、くしゃみとせきが同時に飛び出ました。

「ゆら~り、ゆら~り……今宵の獲物は何処にいる?」

 知らない男の声です。アヤメさんと音兎ちゃんが近くにいるはずなのに、何も見えない。咄嗟とっさに身構えましたが、前後左右の、どの方向から声がするのかも分からない。

「獲物は狐だ」
「させるか!」

 煙の一部が体となって、私の眼前から襲い掛かってきました。そこへ真横からアヤメさんの拳が一閃いっせん、あまりにも早い彼女のパンチで煙にボウッと穴が開いて視界が鮮明になりました。

 敵の正体は、煙々羅えんえんらです。

 煙のアヤカシです。もしかすると切目さんは、この煙で目が痛くなって情報発信が不可能になったのかも。煙々羅えんえんらはアヤメさんにターゲットを変更したらしく、くるりと横を向いて、札を煙に隠しながらアヤメさんに迫っています。

「アタシは平気。先に行きな!」

 アヤメさんは蹴りで煙を払いながら、上手く札を避けています。アヤメさんの役目は護衛ですから、私がここで立ち止まってはいけません。アヤメさんの意思を繋いで前へと突き進むのがチームワークなのです。

「そんな……糸が……蜘蛛くもやわ」

 路地を曲がった先で、音兎ちゃんが足を止めています。煙から逃げて飛び込んだ先に、今度は道を覆うように巨大な糸が貼られていました。それも前、右、左の三方向を囲むようにして。

「後ろも塞いであげたよ。もうアタシの虜なんだから」

 現れたのは土蜘蛛です。制服のような真っ黒い着物に今風の短いスカート丈で茶色の髪をしています。おそらくは音兎ちゃんと同じ年か、少し上くらい。

「姉さんばっかり、ずるいもんね」

 この一言で、なるほど、土蜘蛛は姉妹で参加しているのだと察しました。姉は四条で、妹は三条で、煙で視界を奪ってから糸で捕獲する。私達は見事、敵の術中にはまったのです。これは絶体絶命。どうやって切り抜けよう。

「薫はん、行って!」

 私がマゴマゴしていると音兎ちゃんが勢いよく、前方の糸に体ごと飛び込みました。全身が糸で絡まって、まるで網で捕えられた魚のようになって地面に転がります。音兎ちゃんは身を犠牲にして活路を開いたのです。私も、こんなところで負けはいけません。

 全ての道は、ローマに通ず!

 なんとなくニュアンスが合っていそうで間違っている言葉を思い浮かべながら、破れた糸を手で払いのけて、二人の想いを無駄にはできないと、このまま敵の本拠地に突っ込んでやると決心しました。

「どう思う、半蔵。この女、八坂へ行く気だろうか」
「陽動かもしれんが……いいや、勾玉まがたまだろうな。おそらく袖の下に隠している」

 真っ直ぐに走った先で、またもや次の敵です。私の前方の屋根の上に二つの影が立っています。どうやら忍者のようで、そういえば相手側に服部はっとり半蔵はんぞう百地ももち丹波たんば末裔まつえいが参加していると聞きました。そうであるなら強敵に違いなく、引き返そうか迷う暇すらなく、左右から同時に飛び掛かってきました。

 とても反応が間に合わない。

 失格になるのも嫌だけど、勾玉まがたまを奪われるのはもっと嫌。誰かに勾玉まがたまたくししつつ、せめて一矢むくてやりたいと札に手を伸ばそうにも、何もできずに、あれよあれよと、なぜか私の体がふわっと屋根の上にまで浮きました。

「遅くなって申し訳ありません、薫さん」

 月明かりに照らされた、オオカミさんの凛々りりしい横顔。銀色に光る彼の髪が美しくつやめいています。状況が理解できないまま、突如として救援に現れた真神さんは軽々と私の背中と腰を持ち上げて、お姫様だっこになっていて、屋根よりも遥かに高いところまで飛翔していたのです。

「月が綺麗ですね」

 真剣な表情なのに、穏やかに微笑みます。

「待て! 真神!」

 追い掛けて来る二人の忍びを背にして、屋根から屋根へと飛び移ります。彼と一緒に空を飛んでいる私は、耳がピコピコと、突然の出来事に驚いたのと、恥ずかしいのと、なんだかカッコよくて、私の心臓の鼓動を早める要因が幾つか重なったように思います。しばらく彼に抱かれていたいと願い、それは決闘の最中なのだからイケない乙女心なのだと感じつつも、やっぱり、このまま。

「彼らは厄介です。ここは私が引き受けます」

 真神さんは私を優しく地面に降ろしてから、私の袖に手を入れました。わざと相手に見えるように勾玉まがたまを掲げて、華麗に屋根を飛びこえて、二人の忍びと一緒に闇に消えてしまいました。

 辺りが静寂に包まれます。

 さっきまでの騒動が嘘のように、リーリーと、夏の虫が鳴く声がします。

 肘に違和感を感じて反対側の袖に手を入れると――なんと、勾玉まがたまが入っていました。どう見ても本物です。あれ、おかしいな。そうなると真神さんは偽物の勾玉まがたまを持っていて、瞬時にすり替えて相手に見せたのかも。

 私から敵の狙いを逸らすため。

 そうだ、こうしてはいられません。

 私は勾玉まがたまを右の袖に移して、早々と花見小路通を南に下りました。
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