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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花

38.四条決戦(3)

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 袖の外側から勾玉まがたまを強く握り、真っ白な二匹の龍を見上げながら丸太町橋を走ります。ここは繁華街ではありませんので平時の丸太町橋から望める鴨川の夜景は変哲へんてつもない、と言えば失礼かもしれませんが、平凡だからこそ変化の余地が多分にあるのです。このお祭り騒ぎで鴨川の両岸には提灯ちょうちんが吊るされて、まるで誘導灯に照らされた滑走路のように真っすぐに続いています。その先には二条大橋が架かっています。もう少し暑ければ向こうまで泳いでも構わない、かもしれないけれど、ここはまだ水深が浅いので泳ぐというよりは行水になりそう。

 橋の中央には木造の看板が立っていました。『鴨川行水者・名簿』と書かれており、鬼ごっごで失格になればここに名前が記されるのです。まだ該当者はおらず、さすがに一番目に名前を書かれるのは嫌だと考えながら丸太町橋を渡りきり、東大路通との交差点に差し掛かる前に早めに右に折れました。

「ちょっと失礼」

 丸太町通から南に突き抜ける細い路地は、完全に住宅街でした。二台の自転車がすれ違えるくらいの道幅に、ちゃぶ台を路地にまで出して晩餐ばんさんをしている骸骨がいこつさんの背中をすり抜けます。路地を抜けた先には水路があって、ここではプールのようにドンブラコッコとアヤカシ達が東から西へと流れていました。

「これって平安神宮前の? なんか楽しそうに流れていきはるけど」

 この水路は琵琶湖びわこ疎水そすいと白川が合流して鴨川へと流れているのですが、裏町では表京都と形を似せることを優先しているため本来の目的とは違い、ただのウォータースライダーと化しているのです。こんな夜更けにも関わらず(だからこそなのかもしれませんが)、ビートバンや浮き輪を装着したアヤカシ達が歓声を上げながら、最後に鴨川にドボンする仕組みです。

「薫殿~!」

 遠くから流れてきた声が、こちらに近付いてきます。水路に架かる秋月橋の上から声の主を探せば正体は蛙男さんで、

「頑張ってくだされよ~」

 とか言いながら一般人に混ざって、優雅に鴨川へと流れていきました。

「……え、何? どういうこと?」
「札が二枚くっついてた。アイツ、もう脱落したんか」

 手を振りながら遠ざかっていく蛙男さんを見送りながら、アヤメさんが呆れています。最初に人別帳に名が記されるのは蛙男さんになったようです。「私が敵情を視察してきましょう、はっはっは」なんて意気込んでいたのですが、よくよく考えれば陸上では足が遅いので当然の結末でした。

「この先でやられたか。思ったより相手の進撃が早い。気を付けよう」

 アヤメさんの忠告通りに、私も気を引き締めなければなりません。ここからは耳で足音を察知できる音兎ちゃんを先頭にして、コソコソと路地を抜けて二条通に到着して、颯爽さっそうと道路を渡りました。



「分かっちゃいたけど、見通しが良すぎるなぁ」
「建物に隠れるしか、あらへんどす」

 二条通までは順調に行軍してきましたが、ここからが鬼門なのです。更に南へ進むための、二条通から仁王門通、そこから三条通へと繋がるルートは碁盤ごばん状に直進する道ばかり。だから相手と遭遇すれば左右に逃れることができません。

「……前から来はる、知らへん足音」
「この家の庭に隠れよう。いったん様子見だ」

 一本道での出会いを避けるために、音兎ちゃんが足音を察知するたびに建物の影に隠れて、通り過ぎるのを待つ戦術です。ただの無関係な裏町住民かもしれませんが用心に越したことはありません。実際に、

「今のは……小豆洗いだった。シャキシャキ鳴ってた」
「こんな時でも小豆を研ぐんは、止めはらへんの」

 バクケンのメンバーとも擦れ違いました。ここで背後から強襲すれば脱落させられるかもしれませんが、私達の役割はあくまで隠密ですので居場所がバレるリスクを避ける方が重要です。

「今度は後ろから……誰か追いかけて来はる」
「さっきの小豆洗いが戻ってきたか?」
「いいえ、足音が違って……あ、知ってる足音どす。おそらく、座敷童さんどす」

 のっそり垣根から首を出すと、確かに、私達の来た方角からパタパタ走って来るのは座敷童さんでした。

「わわわわぁ、ビックリ~、しました~」

 私達が見知らぬ他人の庭から突然、現れたので、座敷童さんが腰をドスンと落としました。

「驚かしてゴメンね。もしかして助けに来てくれたの?」
「はい、道がまっすぐなので。一緒にいれば遭遇率が下がるかもですよ~」
 
 座敷童さんは幸運のアヤカシですから、御利益を届けに来てくれたようです。作戦にはなかったことですが実戦は臨機応変に対処すべきで、こういう配慮は有難い。毛利の三本の矢という話がありますが、四本になれば一層に折れることはないでしょう。ここからは四人でゴールを目指すとしましょうか。

 なんて、期待していたのですが。

「そういや……お前さ」

 直進する道を仁王門通まで抜けたところで、アヤメさんが立ち止まりました。

「札はどうした? さっき渡しに行った後に取りに帰らなかったのか?」

 そういえば座敷童さんは呪い札を前線に運ぶ役目でした。それが札を持ってないのは、まだ本拠地に戻ってないのでしょう。

「はいい~、渡した後にみなさんが見えたので。それでお手伝いできればと、追いかけてきました」
「はあ? お前、さっき腰抜かしてただろ。アタシらの居場所が分かってなかったくせに、どうして札を取りに帰らずに南に下ってんだ?」

 あれれ、言われてみれば、どうにもオカシイ。具体的に何がオカシイのか頭の整理が追い付かないうちに――

 瞬く間に札を三連発、私と音兎ちゃんとアヤメさんの足に貼られてしまいました。 

「コイツ、化けてやがった!」

 アヤメさんが仕返しに札を貼り返しました。座敷童さんではなくてタヌキさんへと姿が戻っています。なんと、化かす側であるはずのキツネが見事に化かされていたのです。やはりタヌキは私の、キツネの天敵だったようです。

「薫、貼れ!」
「えっと?」
「同じ相手には二枚、貼れないんだって」
「そうだった! って、ダメだ、逃げられた!」

 モタモタしている間に、今度は鳥に変化して、タヌキさんはバサバサと飛び去ってしまいました。おのれ、変化の術を極めていらっしゃる。柏餅がないと木に化けられない私とは大違い。これは二重の敗北感。

「あ~あ、呪われちまった。アタシの呪いは……うげっ! 知恵の輪! 五つ解くまで、ほふく前進!? なんてこった、最悪だ!」

 呪いは札によって効力が違います。身体に付着するまで一切、内容は不明です。

「ウチは、なんか知らへんけど兎飛びしかできません~」
「ある意味、ピッタリじゃないか」
「それは普段から四足歩行してはる人に言うとくれやす。兎やからって、こんなんしんどいもん。ちなみに薫はんは?」

 今のところ体に変化はありません。いったい何の呪いなのかと不安になりながらキョロキョロ見渡していると、そのうちに空からザルが舞い降りてきて私の手元にフワッと被さりました。

 続いて、一匹のどじょうが降ってきます。

「どじょうすくいだな。落としたら二匹に増えるから気を付けろ」
「なんなの、それ!? あわわわわ!」

 どじょうが暴れる、落ちる、落ちる、あ、落ちた。すぐさま二匹のどじょうがザルに降ってきます。

「本当に増えた! あらよっと! せいっ、せいっ!」
「ちなみに十匹にまで増えたらザルに乗ってるどじょうが全部、頭を目掛けて降ってくるぞ」
「そんなの絶対に嫌だぁ!」
「ウチも息が切れますえ。ここで追いかけられたら全滅します」
「いったん退いて、呪いを解こう。ここから近いのは……菊神稲荷大明神だな。項妙寺の中にある」



 呪い札のルール。

 ――札には呪いが掛けられており、体に貼られた者に行動の制約をすことができる。呪いを解くためには、神社で『二礼二拍手、一礼』をしなければならない。

 呪いを解くのは神社であれば、何処でも構いません。ですから、この競技においてはまさに神社はパワースポットならぬ、重要な拠点になります。必然的に神社で敵に待ち伏せされることにもなるため警戒が必要ですが、菊神稲荷大明神は位置的に味方陣営に近いため大丈夫だとは思います。とはいえ、念のためスマホのチャットで確認しようとしたけれど――

 どじょうが邪魔で、スマホを取り出せない!

「高千穂が見張ってる。まだ誰も来てないそうだ」

 ほふく前進しかできないアヤメさんが、地面に這いつくばったままスマホを操作して教えてくれました。

「アタシが一番、動きが遅いから、二人で先に行ってくれ」
「大丈夫? 襲われたら終了する気がするけど」
「さすがに知恵の輪を解くまでは下手に動かないって、近くの家にでも隠れとく。後で居場所を教えてよ。合流するから」

 こう言い残して、アヤメさんはノソノソと他人の家の軒下に消えてゆきました。音兎ちゃんと私は頷いて、互いに全力で神社を目指すことにしました。

 ザルを動かしながら頑張って走ります。

 両足は自由なので行動制限としてはマシなのかもしれませんが、走っていると、どじょうが落ちてしまいます。そのたびに増えていきましたが、どうにか距離が近いので助かった。項妙寺の境内に入ると、連絡を受けていた高千穂が手招きしていました。

「えらい楽しそうやね」
「どこが! ねえ、今、何匹? 私、今、何匹?」
「薫は一人やよ」
「どじょうだって!」
「ひい、ふう……七匹くらいちゃうの。まだゆとりあるわ。手を合わせるにはザルを離さんとやからね、増えるのを諦めるしかないわ」

 覚悟を決めて、ザルを地面に置いて手を合わせます。どうか、ザルからどじょうが落ちませんように……じゃなかった。

「どうか呪いを解いてください……お願いします!」

 しばらく沈黙を挟んで。

「……残念です。非常に」

 謎のお告げが木霊こだましました。

「……今回はアカンかったみたいやね」
「なんで? ちゃんとお願いしたのに!」
「半々やからね、確率が。特定の神社以外は運なんよ。次のとこ行くしかないわ。鴨川を渡って戻ったところにある白山神社は指定されてるから、そっちに向かい。二条大橋はアマモリ側が確保してるから、敵に札を貼られる心配はないよ」
「私の心配は、どじょうなの~!」

 そうなのです、十匹を越えれば、全身がどじょうだらけになるのです。それだけは嫌だと、泣きそうになりながらザルを拾って、また一匹増えていて、このままでは頭から全部、被さる可能性が高い。ここで嘆いて挫折ざせつしている場合じゃないけれど、本当にもう泣きたい。この時ばかりは決闘のことを忘れて、とにかく必死に、白山神社を目指すことばかりを考えました。

「あ、薫はん……なんで、まだどじょうを?」
「ダメだったの~! 音兎ちゃんには幸せが訪れますように~!」

 兎飛びをしながら、ぜぇぜぇと息を切らしている音兎ちゃんと境内の門で擦れ違いました。私はそのまま仁王門通へと飛び出し、白山神社に行くために二条大橋へと向かって走りました。
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