あやかし狐の京都裏町案内人

狭間夕

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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花

31.我が道を行くは先斗町(2)

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 そこからまた時間とお酒が進み、鈴華さんと高千穂の舞妓時代の苦労話に発展しました。

「だから辞める舞妓ひゃんも、多いんれふか?」

 うわっと、呂律ろれつが無意識に崩壊。日本酒、恐るべし。

「多いよ。ウチの鈴屋なんか、しばらくおらんかったもん。仕込み時代やったら現実とノスタルジーの合わせ技で帰りたなるし、舞妓を勤め上げた後は自力で稼がなやから、こんなん続けるん無理やわって」

 鈴夜ちゃんが、そんなことを言っていたような。学業を飛ばして社会に出てるから、かといって職人でもないから、芸の世界で、他と違う道を選ぶ将来は、やっぱり不安の不安で、不安定なのかも。

「あの二人が入ってきたんは、恵まれてる方やね。愛想がええから」

 高千穂が言いました。

「二人が来なかったらキツかったやろね。観光客向けのツアーなんかもやってしのいでたけど、それだけやと収益的には厳しいから。あの二人、鈴々コンビやいうて前々から期待されてたんよ。夜ちゃんだけでも引っ張りだこなんに、月ちゃんが正式に復帰したらカレンダーの日付を三十から増やしてもらわな休暇すら取れへんくなりそうで、まあ二人の成長を見守る立場としては嬉しい反面、ちやほやされてるのを見ると私もそんな時期あったなぁって……だってアラサーってさ、あーもう嫌! ハイボール!」

 鈴華さんは、ウイスキーをぐいっと飲み干しています。

「この間なんかさ、婚約者に振られましたんやって話になってさ、貰い手ないなら養うたるって言われて、別に悪い人やないけどもさすがに年齢差を考えようやって。五十超えてるのに愛があったら関係ないとか言われてもね。やけどお客さんやから下手なこと言われへんし、『冗談言うて嫌やわ~オホホホ』って遠回しに伝えてるんに、姐さんの方やったらいける思ったとか、どういうことやねん。もうなんなん~、私、こんなに頑張ってるんに、芸が最後の砦なんに、ちゃんと見ようやって思う時あるし、いや、見てくれる人もおるけども、高い金出しとるとか言うて寄っかかってきて。それでも花代出してくれはるから、無下にはできへんもの」
「姐さん、白子の天ぷら、食べへんのなら私が食べるよ」
「食べ、食べ、もう全部食べ。ねえ、薫さん、分かります、この悲しみ?」
「分はる、分はる、分かりば……ぶふっ!」

 悲しみ極まって、大号泣。この世の理不尽は白子です。私が食べようと思ってたのに。しかも鈴華さんの話を聞いていると、OL時代の記憶が強襲して悲痛の感情が止まりません。

「私もね、商社でね、取引先との飲み会でね、お酌もそうだけど、セクハラじみたことされてね、ムカついたけどビンタするの我慢したのにね、トイレに行く時にね、『なんなの、あの〇〇!』って叫んだらね、店中に聞こえててね、たったそれだけのことでね、なぜか私が怒られちゃって」
「スッキリ言えただけええやないの。何ならビンタしとけば良かったんに。ほら、薫、飲み」
「いただきまふ、ひっく」
「高千穂は~、凄いって~、思うわ~」

 鈴華さんが、私と同じように頭をグワングワンと回しながら言いました。二人で歌舞伎の連獅子れんじしになってます。

「全っ然、媚びへんもんね。私もさ~、そりゃさ~、媚びたくはないけどさ~、客商売だからさ~、仕方ない部分はあってさ~、女が出ちゃった時は、あの人と本質は一緒かなって自己嫌悪する時があってさ~」
「あの人は、この、どの」
「薫、えらい酔ってんね」
「酔ってへんろ。ほんで、あの人って何もの?」
「母よ、母」
「へえ?」

 それなのに、あの人とは、妙に他人っぽい、言い方で、あります。

「私、家出したんだけど、あの人がさ、水商売やって男を家に連れ帰ってくるの、我慢できなかった。家を出たくって仕方なかったんだけど、独りで生きてくのなんてアテがないでしょ? そしたらネットで舞妓募集ってのを見つけたから、同意書だけ書いてもらって京都へ来たんよ。これじゃあ月ちゃんと、あんま変わらないよね、衝動的なところ」

 なんということでしょう。それじゃあ、それじゃあ。

「う~、その後、お母さんとは?」
「会ってないよ、一回も。私の場合は嫌なことあっても故郷を捨てたから、意地でも舞妓になるしかなかった」
「ああ、悲しい!」

 み~んな、別れてばっかり。音兎ちゃんもそうだし、沖田さんもそうだし、鈴華さんまでそうだなんて。それぞれに会える、会えないの事情は違っても、私って、とっても幸せな部類なんだって、だから、ご利益の蝶なんて、私が持っているべきではなくって。

「これ、どうぞ」
「わあ……綺麗やね。何のアレ?」
「出してもらう代わりに、受け取ってくらはい」
「ええの? ありがとう……見てると吸い込まれそうになるね。どうしよっかな。かんざしに付けよか」
「どうか、私だと思って、戦場で思い出してね、うえっ、うえっ」 
「薫、泣き過ぎやわ、ほら、おいで。よしよし」

 高千穂に頭を抱えられ、和服なのに、なんという胸の弾力で、これはもうズルいったらありゃしないので、よけいに悲しみがぶわっと。

 鼻水が着物に。

「薫さんって泣き上戸なん?」
「何でもありなんよ。急に変わる」
「楽しくてええね。ちなみにさっきから気になっているけど、ねえ、ちょっと、そこの男達!」

 鈴華さんが立ちあがって、後ろの席の男性陣を指差している、ように思います。

「ずっとコッチを見てるけどさ、どうして声を掛けてこないの?」
「え……いや、さすがにそれは」
「さすがに何や、最近はやりの、草食系か。美人が三人おるのに縮こまってんと、ちゃんとナンパして来いって! ちゃんとって何やろ。ちなみに誰を見てんの。この中の、誰を見てんの?」
「その……真ん中の、和服のお姉さんを」
「やっぱりか~! そうやと思った!」
「ホント、そう!」

 私も立ち上ってやりました!

「つまり私達は、禿かむろだって言いたいのね!」
「何言うてんの。私が肩を出してるから見てるだけやよ」
「じゃあ、私も肩を出せば見てくれますか、どうですか。それとも色っぽくないって言うのですか、そうなんですか。これでもスレンダーって言われてるんだから! どこかの誰かに、きっと、言われてるんだから! ていうか、私じゃ不服だっての?」
「え……いえ……いいなら……是非、お願いします」
「薫、ちょっと、アホ言いって。何回もそれで失敗しとるでしょ」
「そっか。そうだった。も~、つまりは鈴華さん! 幸せじゃないのは、私達の魅力が世の中に浸透していないせい!」
「ホンマやわ。恋が女を変えるって言うもんね。恋はどこ? 私の愛は、どこに落ちとんの? 鴨川に流されたんかな。ちょっと探しに行こ、二軒目へ行こ!」

 鈴華さんと肩を組んで、力強く、頷きましょう!

「マスターはん、お会計。そちらの殿方さん、ホンマ、悪いねぇ。この二人、酔っぱらうとこうなるんですわ。シャンパンのボトル、余ってますから、これで堪忍したって。あら、そっちの奥の方、のっぺらさんやったの。店出る時は忘れずに顔を書いてくださいね。ほな、ご機嫌よう」

 高千穂の台詞のままに、店をゴキゲンに出た私達。

 二、三時間くらいが経過していても、まだ先斗ぽんと町の喧騒は止みそうもありません。光るネオンに、飛び出すテンション。私と鈴華さんで肩を組み、二人で前足を高く上げて、

「恋する乙女は、今日も京を行く!」

 座右の名を口から放ち、威風堂々、花街を闊歩かっぽしてやりました。

 今宵の私は、天下無双。

 百花ひゃっか繚乱りょうらん勇猛ゆうもう果敢かかん、令和の京都で花いちもんめ。恋に邁進まいしん、行けよ驀進ばくしん、全ての絆は京都に通ず!

 いつも通りに、そこからの記憶は町の光へと消えていきました。ただ、愉快に笑い、そして泣き、感情の坩堝るつぼに身を任せて、それこそが人生であると、妙に悟った気になって。

 どうか私と鈴華さん、それから道行く人々とタヌキに、幸あれ!


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 夜が明けて、朝を過ぎて、頭痛と共に目覚めたのは夕方でした。どうやら鈴華さんのマンションにご厄介になったようで、高千穂もいます。

「あ、起きたん。二日酔いさん」

 高千穂は平気な顔をしています。一方の私は、立ち上がった途端にぐわんぐわんと眩暈めまいがして、再びベッドに後頭部からダイブしました。

 どうして二日酔いは、己の限界は、後になって発覚するのか。

「薫さん、寝とってええどすえ。夜中に帰ってきますから」
「いや……さすがにそれは……とういうか……ヤバい、ハルから電話が。メールも来てる」

 ――寝とけ。二日酔い。そんでもってアホ。

 痴態がバレていらっしゃる。

 高千穂と鈴華さんは芸妓用の和服に着替えていました。今から出勤するらしく、私も慌てて支度します。

「二人とも、昨日の今日で出勤なんて大変だね」
「今日は稽古は休みやし、ゆっくり寝れたから平気なんどす。言うても――」

 お座敷カゴを抱えながら、鈴華さんが言いました。

「好きでやってますからね」

 私は土御門屋へ向かうため、花見小路通を南へ。高千穂と鈴華さんは白川筋で予約が入っているそうで、交差点を北へ。

「昨晩、ほんまに楽しかった。またウチの愚痴に付き合うたってください」

 四条通の隔たりは、昨日と今日。それから――

 人波を足早に割ってゆく二つの背中は、杉の木のように真っ直ぐに伸びていました。
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