あやかし狐の京都裏町案内人

狭間夕

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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花

21.右手と左手(2)

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 狼の本能が顔を出して、私の狐の本能までもが呼応します。だけど、前回のことがあったから、動揺を隠すように努めました。

「義経さんって、アヤカシじゃないんですよね?」
「霊体みたいになっていますが、人間ですよ」

 アヤカシ幕府の復権を目指すデモクラシー急進派のバクケンと、人間の義経さん。この二つが繋がるのは……

 どうして?

「鎌倉幕府に未練でもあるのでしょうか」
「未練があるのかは分かりませんが、固執していないはずなんですけどね。なぜなら彼は、武家政権を築いた兄に滅ぼされた側ですし、表の歴史では語られていませんが、明治維新の頃に討幕派として江戸幕府と戦っていたんです」
「あれ? それじゃあ、真逆だ。もしかしてアヤカシ幕府を樹立させまいと、スパイ的な潜入捜査を?」
「どうでしょう。昔から霧のように掴みどころのない人ですから。ただ、兄の頼朝さんと対立した経緯から察すると、私の予想では――」

 真神さんが前のめりになって続きを話そうとした時、彼の左側からカレー皿が滑ってきました。

「ご注文のライスカレーです」

 店長さんらしき黒ベストの男性が注文の品を運んできました。メイド服の店員さんがいるのに、わざわざのご登場。きっと真神さんは常連で、昔からの馴染みなのでしょう。運ばれてきたカレーは豚肉に、野菜をドロドロになるまで煮込んだシンプルな黄土色。カレーポットでライスと分けているインド風カリーではなくて、庶民的な見た目です。

「こちらはコロッケです」

 テーブルの真ん中に狐色にカラッと揚がった四つのコロッケが置かれます。とっても美味しそう。コロッケってどうしてこんなに人間の、いえ、アヤカシの食欲までも刺激するのでしょうか。

「コロッケは頼みましたっけ?」

 間違えたままでいて欲しいと願いつつも、確認しておきます。

「セットなんですよ、真神さんの場合は。それにしても珍しいですね。女性を連れて来るなんて」

 マスターの言葉を聞いてか、聞かずか、真神さんは鼻唄を奏でながらゴキゲンにコロッケを二つ、自分のカレーの上に載せました。さらに福神漬けの山を築いています。

「えっと……いつも独りなんですか?」

 代わりに私が反応しました。真神さんがどういう方と来ているのか、興味が湧いちゃって。

「独りか、もしくはご友人と。少なくとも私は真神さんがここ百年、男性以外を連れて来るのを見たことがありません」
「へえ……百年も。そうなんですか」

 百年振りの女性が私ってこと? それとも私が初めての女性になっちゃう?

 カレー皿から顔を上げた彼と目が合いました。じっと彼を見つめている私に気が付いて、真神さんは不思議そうに目を丸めて、それから目を細めて、優しく微笑みました。

 心臓の鼓動がちょっぴり、早まります。

「子供っぽいですかね、コロッケカレー。どうしてだか趣味が高級志向だと誤解されがちなんですが、私の味覚はこっち寄りなんです。薫さんには、本当の私を知って欲しくて」

 どうしよう、何だか体が熱い。火照ってしまいそうで、もしかして顔が赤くなってたりする?

「スパイスが効いていますね、熱くなってきちゃった!」
「まだ食べてないのに? 暑いのでしたら、ショールを脱いではどうでしょう。カレーが付くと汚れますよ」

 肌寒かったのでダークレッドのベルベットショールを小振袖の上から羽織っているのですが、言い訳に失敗したばかりか、ショールにまで気が回らなくて、そういうのって本当は先に私が気が付くべきなのに。

「うわっと!」

 動揺したら、左側のナプキンスタンドを倒してしまいました。慌てて戻す拍子に、今度は右腕の振袖にカレーが付きます。

「薫さん、袖が……マスター、シミ取り、お願いします」
「はい、持ってきましょう」

 シミ取りがあるだなんて、用意のいいお店で助かりましたが。

 もうヤダ、私。

 ガサツ、器量なし、真反対レディ。

 脳内自分に、責め立てられます。

 委縮しながら、恐る恐る真神さんの顔色をうかがうと。

「おシャレな女性は、大変です。先にこれで拭ってください」

 倒れたスタンドから数枚のペーパーナプキンを取り出して、私に差し出しました。手を取り合う私達。粗相をしたことと、それでもフォローしてくれる彼の心遣いに恥ずかしくなって、咄嗟に、視線を下へ逃がします。

 ヤバい、この気持ち。今はまだ、そうじゃないって決めたのに。このまま目を合わせていたら、また、吸い込まれちゃう。

 ダメ、ダメ。

 全然ダメじゃないけど、そう頭で繰り返さないと身を委ねてしまいそう。

「薫さんはいつも小振袖なのに、カレーだなんて、もうちょっと配慮すべきでした」
「そんなこと! か、カレー、好きです! 私、カレー、大好きですから!」

 大きな声を出しちゃって、店内の注目が集まります。曲を楽しみつつも自由に雑談しても構わないというコンセプトのお店なのですが、あまりに大きな声は、さすがによろしくない。

「ご、ごめんなさい」

 より一層、気落ちします。

「私も、大好きですよ」

 大好きって? カレーのこと?

 以前に彼から告白されたから、この言葉に別の意味を感じてしまうのは自然な反応で、だからここで「ええ、私も、好きなんです」なんて改めて返事をしたら成立するわけで、でも今は仕事に専念するって決めたわけで。

 とにかく今は、カレーを食べて火照った心を誤魔化すしかない。

 コロッケを載せて、ラグビー選手のようにガツガツと食べます。恋の蝋燭ろうそくが揺らめくような淡い時間が台無しですが、音兎ちゃんのことがあるし、あんな啖呵たんかを切って宣戦布告したから、私が恋にうつつを抜かしては示しがつかない。少なくとも今回の件が解決するまでは、彼の好意に浸るわけにはいかない。

 精一杯の言い訳、かもしれないけれど。

 カレーを一気に半分くらい食べたところで、私は視線を上げました。

 真神さんは本当にコロッケカレーが好きなようで、まだ、一生懸命にガッツいています。

 本当、オオカミみたい。

 普段の真神さんのイメージとは、ちょっと違うけど。

 でも、嫌な気は、全くしない。

 いつの間にか曲は終わっていて、誰かがセットしたであろう別の歌が流れていました。クラシックではなく、今度はロック。八十年代のアメリカと言わんばかりのサウンドに、メニュー表に書いてあるレモネードが飲みたくなります。

 マスターがシミ取りを持ってきたついでに、真神さんはメニュー表を手に取ってレモネードを注文しました。

「薫さんも、どうですか?」
「はい、私も、ちょうど」

 どうして私が飲みたいって、分かったのかな? 私の視線で気が付いたのか、たまたま真神さんも飲みたかっただけなのか。

 真相は分からないけれど。

 椅子に垂れ下がった尻尾が反応しちゃったのは、彼には内緒です。
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