上 下
33 / 67
第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花

14.市会論争(1)

しおりを挟む
 一週間が過ぎて、本番の日を迎えました。表京都の市役所近辺に新築のオフィスビルがあって、例の会議はここで催されるらしいのです。

「ひゃっぱを口にふわへないほ、変身がほけちゃうの」
「だから柏餅を食べてんの?」
 
 絶賛、鉢植えに変身中。施設内の廊下を台車に乗って、アヤメさんにゴロゴロと押してもらっています。ちらっと自分の腕を見ると、南国の木のような白く太い枝に変わっています。もっと春らしく梅とか、桃とか、モクレンとかに化けようかとも考えたのですが、華やかさで注目を惹きつけては困るので平凡な観葉植物にしたのです。

 頭にはくずの葉、口の中には餅と一緒に柏の葉。変身が未熟な私は、この二枚の葉のインスピレーションを体の表面積で感じないと術が解けてしまう。頭のくずの葉はともかく、どうして柏の葉を餅で食しているのかと言いますと、葉っぱのまま噛んでいても美味しくないからです。

「食べ終わったら、どうする気なんだ?」
「まだまだ、ここにあるの」

 胸から柏餅を取り出します。私は植物っぽく、白のブラウスに深緑色のワンピース。最初はワンピースのポケットに入れたりもしたのですが、肌と直接、触れていないと木に餅がぶら下がっている格好になるので。

「胸、大きく見える?」
「そんなこと言われても、アタシには木にしか見えない」

 一方のアヤメさんは、灰色の帽子を被って作業員に扮しています。一階の受付までは人が多かったのですが、この階は特別な会議にしか使われないらしく、私達以外は誰もいません。気の緩みが談笑を産み、廊下の突き当りに着くと、アヤメさんはポケットからカードキーを取り出しました。

 これは切目さんから事前に渡されています。

 認証パネルにかざす時に、アヤメさんのポニーテールがキラリと虹色に光りました。これは私が渡した例の紅い紐で、今朝にアヤメさんの髪ゴムがプツンと切れてしまったので、ちょうどいいかなと。

「やっぱダメだね、ノイズがウルサイ」

 扉を抜けると、会議室が沢山あって、アヤメさんは左手で台車を押しながら、イヤホン型の通信機をはめている右耳に右手を添えました。外の駐車場で待機しているハルと連絡を取るためですが、あまり聞こえないようです。

 尚更、私が頑張るしかない。

 幾つもの会議室を通り過ぎて、目的の部屋は北側にあって、扉には『鞍馬くらま』と書かれています。如何にも新しいオフィスビルの会議室といった内観は、廊下に面する方の壁は白いコンクリート、扉と反対側は全面ガラス張り。床には白黒のカーペットが敷き詰められ、横長の会議机に向かい合うように椅子が並んでいます。

 アヤメさんはスクリーンとホワイトボードがある壁とは反対側に、私と、残り二つの観葉植物を等間隔に配置しました。三つあれば、違和感がないだろうとの配慮です。

「机の下ってわけにもいかないし、アタシは廊下の天井にでも隠れておくよ。なんかあったら助けるから」

 そう言い残して、アヤメさんは台車と一緒に部屋から出て行きました。ここまでは予定通りですが、いざ独りになると心細い。

 左胸に手を添えて、深呼吸。

 会議の時間になるまで、一時間ほど。沈黙だけが続き、待っている間に柏の葉の味がしなくなって、徐々に変身が解けてきます。十分前になったら再び変身しようかと、壁の丸時計をじっと、秒針が一周するのを長距離ランナーを応援する気分で見続けましたが、それにも飽きてきたので、窓の外を眺めることにしました。

 一羽のスズメが、向かいの屋上の柵の外側に止まっています。スズメといえば、電線で満足している印象です。こんな高い場所にまで飛んできて、何の用事があるのか。人知れず、一息つきたくなったのかも。

 スズメの将来を気にしていたら、頬を磁場の乱れがチクチクと刺しました。

 変身する練習を繰り返しているうちに、キツネの本能が研ぎ澄まされていたようです。音は聞こえずとも、会議フロアに誰かが入る気配を察知したので胸元から柏餅を一つ、取り出して、パクっと頬張ります。

 ちゃんと腕が枝になっているのを確認したあたりで、カチャッと、私のいる会議室のロックが解除される音が聞こえて――

 最初に部屋に入ってきたのは、三十代前半くらいのスーツ姿の男性。私に近い方のテーブルの端に座り、黒のビジネスバッグからノートパソコンを取り出し、テーブル上のコンセントと繋げています。パソコンが起動するまでの間、暇だったのか、彼は部屋を見渡して、ちらっと私と目が合いました。

 あちらからは観葉植物にしか見えていないはず。だけど、これは緊張する。しかも胸元から柏餅を取り出したばかりだったので、左手は下へ、右手は胸の手前で停止している格好のままで、もしかするとヘンテコな枝に見えていたりするのかも。

 ピクリとも両腕を動かさないように意識します。

 右の枝が変な形だからといって、まさか触って確かめには来ないよねとドキドキしていると、ピロロンと大きな起動音が鳴って、驚いた男性は慌ててマウスをカチカチしました。音量をミュートにしているつもりだったのかもしれません。

 続いて入ってきたのは、ほとんど白髪の、灰色スーツの男性紳士です。彼の外見は切目さんから事前に写真を見せてもらっているから知っています。京都市議員の香月さんです。音兎ちゃんの舞妓入りを推薦した方らしく、この方もアヤカシの兎なのですって。つまり立場的にも、心情的にも、私の味方になります。

 それから年配の女性、東祇園の後援会員の方々に、市民団体の代表者などが順番に着席しました。最後に予定の十五時から五分ほど遅れて、でっぷりした茶色スーツの男性がノシノシと入ってきました。

 この人が、平安平穏党の、五臓ごぞう六腑ろっぷ衆議院議員です。

 若い女性の秘書を連れています。もしかして、あのタヌキが化けていたりする? だとずれば私が変身しているってバレたりするのかな? いや、さすがに騒ぎの起爆剤を担ったタヌキさんを堂々と連れているはずはない。きっと、ただの秘書なのでしょう。

 こうして全員が揃うのを待っている間に、またしても口の中の餅が消えたので、ゆっくり、こっそり、右手を胸の中に沈めて、少し顎を下げて、追加で餅を頬張ります。

「これで全員でしたかな?」
「いえ……もう一人、ゲストでお呼びしている方がいます」

 香月さんが尋ねると、ノートパソコンの男性が答えました。

「なんや、誰を連れて来たんや? 内々の話なんやから、あまり広げんのは良うないで」

 バッと日の丸扇子を開きながら五臓さんが文句を言います。

「決して部外者ではありません。京都界隈でアヤカシの――」
「失礼する」

 てっきり五臓さんが最後だと思っていたのに、開いたままの後ろの扉から和装の男性が、ぬっと入ってきました。黒羽二重ぶたえと袴に、顎には立派な髭を生やしています。威厳のある風格と全身から流れ出る威圧感に、彼が部屋に入った瞬間、ピリッと緊張の稲妻が走りました。

「あんた……まさか玄桃斎……さんか」

 五臓さんが、扇子をあおる手をピタッと止めました。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。 しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。 本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。 盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。