あやかし狐の京都裏町案内人

狭間夕

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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花

6.清水の舞い(1)

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 江戸の町を後にして再びタクシーに乗り、裏町三条通から三条大橋を渡って東大路通まで戻りました。途中で八坂神社が見えたので、ここで音兎の将来について祈願することにします。

 ――どうか、音兎ちゃんが舞妓に復帰できますように。

 祈願を終えて、おみくじを引いて、『先程までは吉』だなんて、これからどうなるのかを教えてくれない結果に眉をしかめます。八坂神社を出ると、いつもより往来が騒々しい。もしかして清水で開催される『芸妓の舞』が目当てなのかも。

「今日はね、伝説の芸妓さんが来るらしくって」
「それって、高千穂たかちほ姐さんでっしゃろか?」
「あ~、高千穂も出るんだけどね。もっと昔からいる人で……あれ、誰だったかな」

 お、から始まったような。

 ダメだ、茫漠ぼうばくの砂地に伝説の名前を置いてきた。とにかく音兎ちゃんに伝説の芸妓とやらの踊りを見てもらって、『芸の素晴らしさ』を改めて感じて、舞妓を続けてもらおうとの画策なのです。

 東大路通と五条通が交わる手前の清水坂に着いた頃には、もう夕日が迫っていました。土道の茶色が斜め上に伸びて、だいだい色に染まり始めた灯篭とうろうが暮れる陰にちらちらと揺れています。情緒を感じさせる景観の中には、酒におぼれた飲兵衛達が寝転がっています。時折、踏みつけそうになりながら雑木林を掻き分けるようにして突き進み、とにかく坂を上り続けました。

 本当に混雑がはなはだしい。

 清水坂の雑踏は表でも相当ですが、裏町ではアヤカシの自由奔放ほんぽうな振る舞いが加算されますから一層に邪魔、いえ、通りにくい。

 道中で食べ歩きの誘惑に駆られながら、時には無視して、時には負けて、金銭と満腹を引き換えにしながら、やっと坂の上の仁王門まで辿り着きました。

 茶屋の紅い毛氈もうせんに腰を降ろし、ほっと一息。

 もうお腹はいっぱいだから、坂道で火照った体を冷えた緑茶で静めます。

 茶屋の外には石の砂利道の向こうに低い柵があって、ハナミズキが白く咲いている奥に湖が広がっていました。その湖の手前で、人とアヤカシが輪になっています。カメラを携えた殿方達がパシャパシャと撮影していまして、有名人でもいるのかと遠目に観察していたら、囲いの隙間から黒の打掛うちかけがチラッと見えて、頭の金色のかんざしがキラリと光りました。

 キセルから放たれる幽霊の形をした煙がモヤモヤと暮れた空へ昇っては、うらめしやーと消えていく。

 これは、もしかして。

「あら、薫やないの!」

 やっぱり、高千穂でした。高千穂は私に気が付くなり、パッと笑顔になって長い袖を揺らしながら近寄ってきます。

「私に会いたくて、しょうがなかったんやね。両想いって離れていても心が通じるもんやわぁ!」

 人前で抱き着かれました。

「これを見に来たんだって」

 ずいっと引き離し、訪問した理由はこれですよと高千穂の眼前にチケットを突き付けました。これは高千穂に渡された招待チケットです。洗濯したらしく、シワシワになっています。

「私に会いに来たのであってるやないの――あら、そっちの兎さんは?」
「た……高千穂姐さん、どうも、初めまして」

 音兎ちゃんが緊張した面持ちで、震えた声で高千穂にペコリと頭を下げました。両耳も微かに揺れています。

「えらい可愛らしいわぁ。その呼び方からして、舞妓さんやね」
「は、はい。姐さんの噂は表でよう聞いとりやす……」

 先輩、後輩の関係だからでしょうか。気を遣っているのかもしれませんが、それにしては過剰な反応。高千穂がチロチロと赤い舌を出すと、両肩と背中をブルっと足元から震わせました。

「音兎ちゃん、どうしたの?」
「いえ……姐さんがあまりに綺麗やさかい……姐さんはいくらお酒を飲んでも酔いはらへんって、表では武勇伝になっとりやす」
「常に酔ってるみたいなテンションだしね」
「薫はホンマにいけずやわ。可愛い舞妓さん、芸名はなんて言いはるの?」
「鈴月どす。鈴華姐さんの頭文字を拝命させてもろてます」
「ええ名前やないの、これからもよう、おきばりやす。今日は薫と一緒に舞台を観に来てくれたん?」
「はい。薫はんが誘ってくれて」
「ほな、尚更、手を抜かれへんわぁ。ま、いつも全力でやってるんやけどね。終わったら軽く話でもしよか。お酒でも飲みに行く?」
「ダメだっての」

 私が止めました。

「まだ、舞妓。年齢、分かるでしょ」
「英才教育って、子供の時期が大事なんやって。あ、そろそろ行かな。ほな、皆さん、いったん失礼させてもらいます」

 高千穂は一礼してから、すっと、長い袖を舞わせました。

「ちょっと待って」

 足早に去る高千穂を追いかけます。西門の前で追い付いて、小声で耳打ちしました。

「音兎ちゃんさ、実はさ、事情があって――」
「知ってるよ。表の母さん達から聞いているから」
「本当!?」

 なんと、話が早い。

「でも、さっき芸名、聞いてたけど」
「事情知ってるって思わせへん方がええかなって。どうせ薫のことやから私らの芸を見せて、あの子にヤル気出させようとしてるんでしょ? 任せとき、だからチケットを二枚渡したんやし」
「そうなの? そこまで予想していたのなら最初から言ってよ」
「半分は冗談、そないに上手いことタイミングが合うなんて、さすがに全部を予見できへんよ」

 朱塗りの立派な西門の抜けた先には、三重の塔が佇んでいました。ちらっと石段の上から後ろへ振り向いたら、裏京都の町並みが視界に開けて、空は夕日に淡く染まり、薄暗い帯を引いた商店街には誘導灯のように明かりが連なっています。

「裏清水の陰りは、春でも早いんよ」

 遠くの山にはうっすらと夕霧がカーテンとなり、春霞はるがすみが尾根を隠していました。心地よい風が西門を正面から私達の後ろへと抜けて、新緑に混ざった桜色の花弁がふわっと巻いて、目で追えば、花弁は西門の先にある三重の塔から突き出た相輪の周りをクルクルと回り、先端に止まっていた白い鳩が一斉に翔び立ちます。
 
 同時に、参道の灯篭に光が灯ります。遠くにまで順番に点々と、やがては列になって、私達の案内を勤めてくれるのです。

「もうちょい暮れたら始まるわ」
「伝説の芸妓さんが主演なんだっけ?」
「芸妓とちゃうわよ、源流は歌舞伎。まあ、今は芸妓の舞いもやりはるけど」
「そ、その方の名前は……何ていいはるんですか?」

 後ろから追いかけてきた音兎ちゃんが、息を切らしながら興味津々に尋ねました。

阿国おくにはん、やね」
「まさか……芸名でっしゃろか?」
「相伝してはらへんよ、初代のままやから」
「だって、そないなこと……」
「昔ながらのアヤカシは長寿やったりするんよ。私らは血が薄いけどね」
「そうなんどすか……阿国はんってアヤカシやったんどすなぁ。でも、どうして表では過去の人になってはりますの?」
「いろいろと面倒になったんやって。今と違ってね、女性で芸能やるんが大変な時期もあったんよ」

 阿国さんとは、江戸初期の徳川家康さんの頃に活躍していた、芸で名を馳せた女性です。

 夫婦で歌舞伎の源流を広めたとされ、夫である『名古屋山三郎』の亡き後、男装して幽霊となった夫役も演じたのだとか。一団を率いて諸国を巡回し、この京都でも『かぶき踊り』を披露していたといいます。男装、女装という、ある意味で時代を先取りした演目は人気を博し、観客と一緒になって騒ぐスタイルは文化人というよりも庶民に寄り添ったエンターテイナーと表現すべきでしょうか。ちょっぴりお色気的な要素もあったらしく、遊女踊りとも称されています。

 江戸城でも披露したとされていますが、その後の消息は不明です。歴史の表舞台からは、忽然こつぜんと姿を消しましたが――江戸から裏京都に戻ったのが真相だったと。

「よう知ってんね」
「スマホがね」

 検索すれば、すぐに情報を引き出せる便利な世の中です。

「ほな私は先に行くわ。舞台越しに再会しよか」

 高千穂といったん別れて、三重塔を通り過ぎ、経堂の前を通ると、お経が聞こえてきました。ちらっと中を覗いたら女性の法師さんが教えを説いている真っ最中で、白い法衣を着て、山が連なっているかのような被り物をしています。長い髪が垂れているかのような布が特徴的でした。

「あの講師さん、どえらい美人さんどすえ。もしかして西遊記の三蔵はんでっしゃろか?」
「まさか……いや、有り得るかも」

 特別に招待されているのかしら。

「まだ生きてはるって、三蔵はんもアヤカシになりますやろか?」
「どうかな。あのレベルになると徳が極まって、人間でも長生きできるのかもしれない」

 本堂の舞台に入ると、もう人とアヤカシで既に埋め尽くされています。裏町の清水の舞台は本堂から斜め下へとスロープになっていて扇状に席が並んでいます。まるで和風の映画館みたい。座布団が敷かれて落語場のように木材で仕切られているのですが、仕切りを無視して立ち見客で賑わっています。

 私達の席は何処かな。

 改めてチケットを確認したら『眼前の目前』とかいう、よく分からない指定です。まあ多分、前の方なのでしょう。キョロキョロしながら探したら、ぽっかりと席が二つ空いています。とりあえず座ってみます。

「あの~、ここは~私の席ですけど~」

 見知らぬ女幽霊に声を掛けられます。どうやら違ったようです。

「あなたは一番前の~席ですね~、うらやましい」
 
 幽霊さんにチケットを見せると、舞台の真正面だと教えてくれました。高千穂が渡してくれただけあって特等席です。幽霊さんにお礼を告げて、前の座布団に腰掛けると、柔らかい笛の音色が響きました。

 観衆の談笑がピタッと止み、姿勢を正す衣擦れの音が重なります。

「もう始まるみたい」
「緊張しますえ」
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