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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花
2.舞妓の依頼(2)
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裏町の二条城の一帯は、江戸の町になっています。
テーマパークのコンセプトのように江戸っぽい風情を維持している、よりも更に本格的で、和服限定でや電子機器の持ち込み禁止など徹底しています。二条城には将軍まで住んでいるらしく、どのような場所なのか前々から気になっていました。
舞妓を辞めることになって消沈している依頼人を元気づけるため、ついでに私も楽しむために、江戸町に行くのが良いだろうとの合理的判断です。
土御門屋を出たら東大路通と四条通の交差点に黒い箱タクシーが停まっていました。運転手さんの説明によると、このタクシーは大正時代から現役を続けているらしく、つまりは百年以上も稼働していることになります。
江戸だけでなく、大正の産物が現存しているのが裏町の面白いところ。
私たちはタクシーに乗って、四条大橋を抜けて、裏町四条通の繁華街を過ぎていきます。
「ねえねえ、薫はん。なんであないに沢山、鳥居が空に浮いてはりますの?」
音兎ちゃんがタクシーの窓から興味津々に身を乗り出して、四条通に並行して連なっている鳥居を指差しました。
「あれはね、天狗が通るの」
私が答えたそばから、鴉天狗が颯爽と鳥居を潜って飛行しました。ただ、不器用な方だったようで、天狗さんは三つ目の鳥居に頭をぶつけて木の葉のようにヒラヒラと落ちていきます。
「あの路面電車も――」
今度は商店通りの屋根の上を走っている、レトロ電車を指差しました。
「どうして地上を走りはらへんの? わざわざ屋根を走りはるなんて……地下鉄にする選択肢とか、あらへんかったんどすか?」
むしろ私が知りたい。
「常識とか効率とかは、考えない場所だから」
「そうなんどすか。でも、こうして眺めているだけでも、とっても楽しおすな~!」
音兎ちゃんは薄ピンクの袖をフリフリと揺らしながら、微笑んでいます。童顔のツインテールがアイドルっぽい。それでいて古風な京言葉のギャップが、これまた可愛い。ついさっきまで元気がなかったのに、未知なる世界に触れたことで早くも悩みを忘れたみたい。いつぞやの私もそうでしたが、裏町にはこういった元気促進作用があるのです。
やがてタクシーは烏丸通との交差点を過ぎて、鞍馬街道に差し掛かりました。
ここを北上すると目的の二条城です。目的地が近づくにつれて私もワクワクしてきたのですが、音兎ちゃんが急に寂しそうな顔をして窓の外を眺めていました。
「こっちでは人もアヤカシも、気にせず自然と歩いてはる。表もそうやったら、良かったんどすけど……」
この一言で、また、現実を思い出したのだと察します。
音兎ちゃんがアヤカシだとバレて、舞妓を辞めることになったキッカケ。
それは、『見世だし』の日でした。
舞妓さんは京都の花街の置屋に所属して、住み込みで面倒を見てもらうのが慣例です。最初は『仕込みさん』としてスタートします。これは修行期間でして、朝早くに起きて掃除をして、先輩方のお座敷が終わる夜遅くまで待って片付けをして、その合間に踊りや歌の稽古、行儀作法や京言葉を教わります。舞妓さんには華やかなイメージがありますが仕込みさん時代も含めて、ずっと修行の連続です。中学や高校を卒業した十代の前半から住み込みで働くため、一般の学生のように恋愛、彼氏、などと浮いた話はなく、友達と遊ぶ時間すらもありません。実家から離れて、背水の陣の覚悟で修行に励むのですが。
そのうちにポッキリと心が折れて、舞妓さんになる前に置屋を去ってしまう子も珍しくないそう。
舞妓さんになるには強い決意と憧れが必要です。音兎ちゃんは諦めずに、この第一段階を乗り越えました。仕込みさんから一年程の修業を経て、見習い舞妓としてお姉さん芸妓に付き従うようになり、先輩と一緒にお座敷で仕事を覚えて、見習い期間も終えて。
やっと晴れて、舞妓さんデビューすることになったのです。
化粧で美しく彩ってもらい、煌びやかに着付けて、綺麗な簪を髪に飾ります。お姉さん芸妓と正式に姉妹の盃を交わし、男衆さんに連れられて茶屋町で挨拶回りするのです。置屋の玄関を出ればスター誕生を祝う多くのギャラリーが芸能人の記者会見ばりに、カメラのシャッター音を響かせます。
この日を『見世(店)出し』といいます。
本当に舞妓になったのだと実感が湧くのですって。この後もいろいろと大変なのですが、新たな一歩を踏み出す、まさに人生の岐路となります。今までの苦労が報われて、蝶が花畑へと飛翔する瞬間です。
「あの時はウチも姉さん方のように、ホンマに舞妓になったんやと感動しました。やけど、油断して……ピョコンと耳を出してしもうたんどす」
音兎ちゃんの可愛らしい耳が、ピンと高く伸びました。
「こうして耳が出た途端に、自分では気付けへんかったんどすけど、大騒ぎになってしもうて……周りが騒ぎはるさかい、やっとウチも気付いて、慌てて奥へ引っ込んで誤魔化したつもりやったんどすけど……結局、京都市議会のお偉いさん方の耳に入ってしもうたみたいで、『人間やあらへんのが舞妓に混ざっとるんとちゃうか、まさかアヤカシちゃうか』って、『そんなんあらしまへん、何言うてはんの』って母さん達が必死に庇うてくれはったんどすけど、証拠の写真がありますさかいに、このままでは母さん達に迷惑が掛かりますし……そればかりか、さらに支援団体にまで苦情が入ってもうて――」
「そこがねぇ、どうにも引っ掛かるのよねぇ。たかが兎の耳くらいで大袈裟な反応じゃない?」
表で狐が跋扈している世の中ですから、いえ、別にのさばってはいませんが、私の家系は代々、眷属として神社のお手伝いをしています。人間社会で活動してるアヤカシは狐だけではなく、表京都の先斗町や木屋町にも狸や猫が経営する居酒屋が沢山あるし、それを知った上での馴染みの人間客もいたりします。
つまり、アヤカシを知っている人は知っているのです。だから花街界隈の方々でもアヤカシの存在を認知しているはずで、ここまで騒ぎになるのは異常事態の眉唾もの。市議会までもが公に反応するなんてオカシイのでは?
「見世出しの日取りって、晴明神社で決めたんだっけ?」
「母さんからは、そう聞きましたえ。縁起の良い日を選んでくれはったとか」
「ふぅん、なるほど」
晴明神社といえば、ハルのお父さん、正統陰陽師の玄桃斎さんとも馴染みがあります。玄桃斎さんとはいえば、毎度おなじみ、このフレーズ。
――大のアヤカシ嫌い。
う~ん。
でも乙葉さんの結婚式で歩み寄れたと思うし、『大事の中に小事なし』と言うように、もっと大きな政治的レベルの話には首を突っ込んでも個々の話にまでは手を出さないような。いや、そもそもお婆ちゃんの時は、そこそこに個人的だったような。それでも、もうそんなことはしないと私は信じています。
「きゃあっ!」
唐突にタクシーが急停車しました。慣性力が私の背中をドンっと押し、向かい合っている私と音兎ちゃんの額がゴッチンします。何事かと額をさすりながら窓から顔をニュっと出しますと、関所に着いたようで、鞍馬街道を通せんぼするように大きな木造の門が立ち塞がっていました。馬車を停めたのは薄黄色の羽織に長い棒を持った、門番のちょんまげ侍さん達です。
「ここより車は御法度だ。あっちの広場に止めなさい」
「え、タクシーってダメなんですか?」
前方の運転手さんに聞きますと、
「江戸時代には不釣り合いですからね。大正時代でも圏外だと」
だ、そうです。さすが、徹底しています。
だけど事前に分かっているのなら急停車する必要ないでしょ。
テーマパークのコンセプトのように江戸っぽい風情を維持している、よりも更に本格的で、和服限定でや電子機器の持ち込み禁止など徹底しています。二条城には将軍まで住んでいるらしく、どのような場所なのか前々から気になっていました。
舞妓を辞めることになって消沈している依頼人を元気づけるため、ついでに私も楽しむために、江戸町に行くのが良いだろうとの合理的判断です。
土御門屋を出たら東大路通と四条通の交差点に黒い箱タクシーが停まっていました。運転手さんの説明によると、このタクシーは大正時代から現役を続けているらしく、つまりは百年以上も稼働していることになります。
江戸だけでなく、大正の産物が現存しているのが裏町の面白いところ。
私たちはタクシーに乗って、四条大橋を抜けて、裏町四条通の繁華街を過ぎていきます。
「ねえねえ、薫はん。なんであないに沢山、鳥居が空に浮いてはりますの?」
音兎ちゃんがタクシーの窓から興味津々に身を乗り出して、四条通に並行して連なっている鳥居を指差しました。
「あれはね、天狗が通るの」
私が答えたそばから、鴉天狗が颯爽と鳥居を潜って飛行しました。ただ、不器用な方だったようで、天狗さんは三つ目の鳥居に頭をぶつけて木の葉のようにヒラヒラと落ちていきます。
「あの路面電車も――」
今度は商店通りの屋根の上を走っている、レトロ電車を指差しました。
「どうして地上を走りはらへんの? わざわざ屋根を走りはるなんて……地下鉄にする選択肢とか、あらへんかったんどすか?」
むしろ私が知りたい。
「常識とか効率とかは、考えない場所だから」
「そうなんどすか。でも、こうして眺めているだけでも、とっても楽しおすな~!」
音兎ちゃんは薄ピンクの袖をフリフリと揺らしながら、微笑んでいます。童顔のツインテールがアイドルっぽい。それでいて古風な京言葉のギャップが、これまた可愛い。ついさっきまで元気がなかったのに、未知なる世界に触れたことで早くも悩みを忘れたみたい。いつぞやの私もそうでしたが、裏町にはこういった元気促進作用があるのです。
やがてタクシーは烏丸通との交差点を過ぎて、鞍馬街道に差し掛かりました。
ここを北上すると目的の二条城です。目的地が近づくにつれて私もワクワクしてきたのですが、音兎ちゃんが急に寂しそうな顔をして窓の外を眺めていました。
「こっちでは人もアヤカシも、気にせず自然と歩いてはる。表もそうやったら、良かったんどすけど……」
この一言で、また、現実を思い出したのだと察します。
音兎ちゃんがアヤカシだとバレて、舞妓を辞めることになったキッカケ。
それは、『見世だし』の日でした。
舞妓さんは京都の花街の置屋に所属して、住み込みで面倒を見てもらうのが慣例です。最初は『仕込みさん』としてスタートします。これは修行期間でして、朝早くに起きて掃除をして、先輩方のお座敷が終わる夜遅くまで待って片付けをして、その合間に踊りや歌の稽古、行儀作法や京言葉を教わります。舞妓さんには華やかなイメージがありますが仕込みさん時代も含めて、ずっと修行の連続です。中学や高校を卒業した十代の前半から住み込みで働くため、一般の学生のように恋愛、彼氏、などと浮いた話はなく、友達と遊ぶ時間すらもありません。実家から離れて、背水の陣の覚悟で修行に励むのですが。
そのうちにポッキリと心が折れて、舞妓さんになる前に置屋を去ってしまう子も珍しくないそう。
舞妓さんになるには強い決意と憧れが必要です。音兎ちゃんは諦めずに、この第一段階を乗り越えました。仕込みさんから一年程の修業を経て、見習い舞妓としてお姉さん芸妓に付き従うようになり、先輩と一緒にお座敷で仕事を覚えて、見習い期間も終えて。
やっと晴れて、舞妓さんデビューすることになったのです。
化粧で美しく彩ってもらい、煌びやかに着付けて、綺麗な簪を髪に飾ります。お姉さん芸妓と正式に姉妹の盃を交わし、男衆さんに連れられて茶屋町で挨拶回りするのです。置屋の玄関を出ればスター誕生を祝う多くのギャラリーが芸能人の記者会見ばりに、カメラのシャッター音を響かせます。
この日を『見世(店)出し』といいます。
本当に舞妓になったのだと実感が湧くのですって。この後もいろいろと大変なのですが、新たな一歩を踏み出す、まさに人生の岐路となります。今までの苦労が報われて、蝶が花畑へと飛翔する瞬間です。
「あの時はウチも姉さん方のように、ホンマに舞妓になったんやと感動しました。やけど、油断して……ピョコンと耳を出してしもうたんどす」
音兎ちゃんの可愛らしい耳が、ピンと高く伸びました。
「こうして耳が出た途端に、自分では気付けへんかったんどすけど、大騒ぎになってしもうて……周りが騒ぎはるさかい、やっとウチも気付いて、慌てて奥へ引っ込んで誤魔化したつもりやったんどすけど……結局、京都市議会のお偉いさん方の耳に入ってしもうたみたいで、『人間やあらへんのが舞妓に混ざっとるんとちゃうか、まさかアヤカシちゃうか』って、『そんなんあらしまへん、何言うてはんの』って母さん達が必死に庇うてくれはったんどすけど、証拠の写真がありますさかいに、このままでは母さん達に迷惑が掛かりますし……そればかりか、さらに支援団体にまで苦情が入ってもうて――」
「そこがねぇ、どうにも引っ掛かるのよねぇ。たかが兎の耳くらいで大袈裟な反応じゃない?」
表で狐が跋扈している世の中ですから、いえ、別にのさばってはいませんが、私の家系は代々、眷属として神社のお手伝いをしています。人間社会で活動してるアヤカシは狐だけではなく、表京都の先斗町や木屋町にも狸や猫が経営する居酒屋が沢山あるし、それを知った上での馴染みの人間客もいたりします。
つまり、アヤカシを知っている人は知っているのです。だから花街界隈の方々でもアヤカシの存在を認知しているはずで、ここまで騒ぎになるのは異常事態の眉唾もの。市議会までもが公に反応するなんてオカシイのでは?
「見世出しの日取りって、晴明神社で決めたんだっけ?」
「母さんからは、そう聞きましたえ。縁起の良い日を選んでくれはったとか」
「ふぅん、なるほど」
晴明神社といえば、ハルのお父さん、正統陰陽師の玄桃斎さんとも馴染みがあります。玄桃斎さんとはいえば、毎度おなじみ、このフレーズ。
――大のアヤカシ嫌い。
う~ん。
でも乙葉さんの結婚式で歩み寄れたと思うし、『大事の中に小事なし』と言うように、もっと大きな政治的レベルの話には首を突っ込んでも個々の話にまでは手を出さないような。いや、そもそもお婆ちゃんの時は、そこそこに個人的だったような。それでも、もうそんなことはしないと私は信じています。
「きゃあっ!」
唐突にタクシーが急停車しました。慣性力が私の背中をドンっと押し、向かい合っている私と音兎ちゃんの額がゴッチンします。何事かと額をさすりながら窓から顔をニュっと出しますと、関所に着いたようで、鞍馬街道を通せんぼするように大きな木造の門が立ち塞がっていました。馬車を停めたのは薄黄色の羽織に長い棒を持った、門番のちょんまげ侍さん達です。
「ここより車は御法度だ。あっちの広場に止めなさい」
「え、タクシーってダメなんですか?」
前方の運転手さんに聞きますと、
「江戸時代には不釣り合いですからね。大正時代でも圏外だと」
だ、そうです。さすが、徹底しています。
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