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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花

1.舞妓の依頼(1)

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「そんなのって絶対にオカシイ! 納得できない!」

 土御門屋は裏町への案内だけではなく、昼はカフェ、夜はバーも兼用しています。今日は珍しく開店からお客さんが訪れまして、静かな午前のひとときを紅茶とパフェで過ごしている最中でしたが――

 テーブルにドンッ! と両手を突いて大声を発した私ですから、視線が豪雨のように集中したのも無理はなく。

 シーンと静まり返った後に、

「春……だからな。気温の急激な変化は神経に触るらしい」

 溜息すらも漏らさずに平然と悪口を言ってのけたのは、私と同じ案内人のハルでした。

 彼は陰陽師でして、夜の担当のはずなのに今日は昼から来店しています。いつも全身が黒コーデ、黒髪の短髪に墨汁のような着流しに黒下駄。彼は店内の隅にある黒い皮のソファに座りながら、テーブルの上に八卦はっけ札をメンコみたいにバシバシと投げつけています。

「本人が決めたのなら、仕方ない」

 ハルはテーブルに視線を固定したまま、身もふたもないことを言います。

「あ~、そういう冷たいことを言っちゃう? 案内人なんだから、何とかして然るべきでしょ」
喧嘩けんかを吹っ掛けるのは親切ではなくて、お節介という」
「お節介上等! 傍観ぼうかんしているくらいなら、世話を焼いている方が随分とマシ。それに喧嘩けんかをするなんて言ってない!」
「するだろ、その剣幕では。賭けてもいい」
「へえ、何を賭ける気?」
「ちょうど丸薬の笹の葉が切れている。どちらが裏比叡ひえい山に取りに行くかを賭けよう」
「オーケー、分かった。その賭け、降ります」
「あ、あの~」

 私の正面に座っている女の子が遠慮がちに、肩をすぼめました。

「ええんどす、ウチのことなら」

 彼女は茎をもたげた百合の花のように弱々しく微笑みました。真っ白なツインテールの髪もダラリと垂れ下がっています。

 彼女は望月音兎(もちづき・おと)ちゃんといいます。表京都から土御門屋を訪れたお客さんで、名前のまんま、うさぎです。月の裏側に住む月兎げっと末裔まつえいなのだとか。今年で十六歳になる彼女は表京都でデビューしたばかりの新人舞妓さん、でした。

 表現が過去形になったのには、理由があります。先月にデビューしたばかりなのに、もう舞妓さんを辞めるんですって。

「ウチが表におったら……母さんや姐さん達の迷惑になりますやさかいに」
「でも、ずっと出たかったんでしょう? 都のにぎわい、に」

 都の賑い、とは毎年六月に表京都で開催される踊りのこと。

 京都には五つの花街があります。

 ――祇園ぎおん甲部こうぶ、祇園東、宮川町、先斗ぽんと町、上七かみひち軒。

 各々の花街に舞妓さんや芸妓げいこさんが所属していますが、それぞれに踊りの流派が違い、彼女達の踊りが披露される会が花街ごとにあって、例えば祇園甲部では四月に『都をどり』ですし、音兎おとちゃんが所属する祇園東では秋頃に『祇園をどり』が開催されます。

 その中でも『都の賑い』とは、五花街ごかがいが一堂に会して共演する夢の舞台なのです。この演目にある『舞妓の賑い』に、祇園東からは音兎おとちゃんが新人舞妓として参加するはずでした。それなのに彼女は参加を辞退するどころか、やっと成就した舞妓の道すらも捨てて裏町に帰ろうと言うのです。市議会から参加を取りやめるように通達されたらしいのですが、どうやら彼女がアヤカシであることと関係しているみたい。

音兎おとちゃんは何も悪いことをしていないんだから、堂々としていればいいじゃない。それを舞妓まで辞めちゃうなんて……」
「ウチがあかんのどす。ウチが不注意やったばかりに」

 彼女は兎耳を八の字に折って、肩を落とし、シュンと黙ってしまいました。遠くでハルが指をクイクイ、私を呼んでいます。近寄りますと、小声で私の耳にささやきました。

「今はとりあえず、裏町を案内してやれ」
「だってさ、裏町案内を終えたら月に帰っちゃうって言うのよ? 分かってて何もしないつもり?」
「事はそう単純じゃない。いくつも裏がありそうだ、これを見てみろ」

 ハルがテーブルをトントン、指差しました。私が視線を落とすと、クルクルと回る五行盤の上で不穏な赤色が幾つも光っています。

「受難の相が出ている。薫の時は一つの大きな赤だったが、あの娘の場合は複数の鬼門が行く手を阻んでいる。相当に複雑なのかもしれん。『敵を知り己を知れば百戦危うからず』という言葉があるだろう? もう少し見極めてから動いた方がいい」

「敵を知ればって――」

 ちょっと間を置いてから、私はプッと笑いました。

「なんだ、ハルも喧嘩する気なんじゃない」
「喧嘩というのは語弊ごへいがある。本当の敵が市議会とは限らないし、公平に物事を判断するためには、もっと情報を集める必要がある」
「それはそうだけど……じゃあ具体的にどうするつもり?」
「俺は知人に当たってみる。薫は彼女を励ましてやれ。今の彼女に必要なのは心の静養と刺激だ」
「刺激って……ああ、つまり、舞妓を続けたいと思わせるカンフル剤が必要ってことか。つまりは、同業者の先輩とか……」

 高千穂たかちほの顔が浮かびました。高千穂たかちほは私の幼馴染で、舞妓さんを卒業して今は芸妓さんをやっています。表と裏の両方で芸を披露している彼女なら音兎おとちゃんを説得できるかもしれない。

「オーケー、分かった。そっちの賭けなら、やってみる価値ありそう――ねえ、音兎おとちゃん。今から裏町散歩に出発するけど、いいかな?」
「よろしおす。何処へ行きはりますのん?」
「えっとね、夕方から裏の清水きよみずで舞が披露されるんだけど……まだ昼か。夕方になるまで、江戸の町でも観光しよっか」
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