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第二幕 あやかし兎の京都裏町、舞妓編 ~祇園に咲く真紅の紫陽花

第二幕プロローグ

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 裏京都――裏町はアヤカシ達が住まう、もう一つの京都です。

 京都には一条から十条まで真横に伸びる主要な通りがありますが、それは裏町も同じ。裏四条や裏鴨川など、全ての名前に『裏』を冠する地名があります。構造は表の京都とそっくりなのに、風変りな文化が築かれた個性的な町との評判です。

 表と裏を繋ぐのが南祇園ぎおん町にある土御門つちみかど屋。私はそこで案内人をしていますが――

 私は人間ではありません。

 アヤカシです。

 私はキツネなのです。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 掃除は心の洗濯です。

 忙しさにかまけて部屋を散らかしていると精神のゆとりを失います。私の掃除習慣といえば、まあ、そこそこ。サボるでもなくマメでもなく、それなりの快適空間を維持しつつ節目にはガッツリと捨てる。この春に案内人になったばかりの私ですから、新年度の幕開けに裏町の実家で片付けをしようと考えたのは自然な感情でした。

 裏伏見・玉藻たまも神社には、本殿が前後に二つ並んでいます。

 六本の柱に片側が長い坂のように伸びた屋根は『五間社の流造ながれづくり』といいますが、朱色、緑、金の装飾など、みやびに彩られた特有の様式は『稲荷いなり造り』とも呼ばれています。裏町では本殿の屋根が二つの山のように連なっていまして、前が表京都、後ろが裏京都を意味し、表裏の調和を表現しているのだとか。外観は手入れされているため清潔に保たれていますが、本殿の中にまで歴史が降り積もり、今では物と埃で溢れ返っています。

 私の代で手入れしないと、倉庫と化した本殿がもう一つ増えるかもしれない。

 参拝客が増える前に片付けようと、早朝から、お婆ちゃんと二人で整理整頓することにしました。

「カラッポの木箱なんて、もういらないよね」
「それはねぇ、何かに使えるはずなのよ」
「……こっちの配膳用の食器、割れてるけど」
「くっ付けたらねぇ、まだ使えそうだから」

 お婆ちゃんは物を捨てられない性格。

 人生の健康は『忘却の決断』に左右されると思います。消去、焼却、滅却の先に輝かしい未来が待っているのです。だから元彼との想い出なんて真っ先に捨てるべき事案で、アルバムに挟んで涙を流している暇があるのなら、さっさとゴミ箱に放り込むのが吉。

 こういう持論を貫く私ですから、お婆ちゃんの裁定に従うのは止めておきました。

 次々と無慈悲な決断を下し、半透明のビニールが五つばかり並んだところで、紅いひもで括られた黒い箱に到達しました。シンプルな造りですが、古色こしょく蒼然そうぜんとした重厚さがあります。土嚢どのうのように積み上がったガラクタ、いえ、遺産の奥底に隠されていたのですから、おそらくは年代物に違いありません。ほこりをふんだんに被ってはいるものの、割れている形跡はなく、これでは捨てる判断には至らない。いったい何が入っているのかと興味津々にふたを開けば、綿くらいの小さな白い煙がポワッと弾けて、私の金色の毛先の数本が白く染まりました。

「それは玉手箱やねぇ」
「嘘でしょ!」

 思わず放り投げました。危うく年を取るところだった。心臓がバクバク、栄養ドリンクを五本続けて飲んだくらいの血糖値。

「どうしてそんな物がここに!?」
「玉藻で玉手やから、何となく預かったらしいんよ。もう効力はないから平気なんよ」

 効力がないとおっしゃる。

 いいえ、しっかりと白髪になっています。

 不幸中の幸いで犠牲は毛先程度で済んだものの、もしも顔面に当たっていたらしわになっていたかと思うと恐ろしい。物騒な代物ではありますが、玉手箱といえばお伽話の証拠品でもありますから、つまりは貴重品なわけで、さっきの衝撃で割れてはいないかと今更ながらに心配になりました。

 放り投げた先に視線を移したら。

 玉手箱から細い帯が伸びて。

 三頭のちょうがパタパタと、どうやら箱に閉じ込められていたらしく、まるで花の蜜に集まるように私の掌に降り立ちました。

「これは何?」

 蝶は光を失い、やがて三本の紅いひもに変わりました。

「そんな所にあったんやねぇ。髪に結ぶとね、ご利益があるんよ。縁結び……やったかいね、ちょっと違ったかもしれへんけど。使ってあげないと可哀そうやから、薫ちゃん、貰っとき」

 縁結びと聞いて、興味を抱かない独り者はいない。とはいえ今は恋を求めているようで求めてはいない。しばらく考えた末に、恋をしたくなった時に発動してもらえばいいと、今は髪には結ばずに鞄にでも忍ばせておくことにしました。

 それから一ヶ月ほどが経ちまして。

 ご利益のひものことをすっかり忘れていました。

 桃色の桜が散り、ピンク色の薔薇ばらの花が咲く頃になって、再び、あの蝶が空に羽ばたく機会が訪れたのです。

 それは、五月の初旬でした。

 私が裏町側から土御門つちみかど屋に出勤すると、表京都へ通じる扉の前で黒猫の『豆大福』が、にゃあにゃあと鳴いていました。表から誰かを連れて来たようで、取っ手を引くと、一人の、まだ若い高校生くらいの女の子がうつむいたまま立っていました。

 雪原に咲く花のように可憐なうさぎさん。

 私と目が合うなり、あっ、と小さな声を出して、耳がぴくっと揺れました。

 緊張しているみたい。

 私はできるだけ優しく、声を掛けました。
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