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第百三十二話『あたしは続いていく』

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 その言葉を聞いてお姉ちゃんが何を想ったのか、それはあたしには分からない。嬉しく思ってくれているのか、それとも都合のいい言葉だと受け取られたのか。……今までずっと目を背けてきた問題に今更直面しようとしているんだから、お姉ちゃんがそれをよく思わなくたって何も不思議じゃない。

 だけど、今こうやって前を向けるのは間違いなくお姉ちゃんたちがいてくれたからだ。受け止めようと思えるその時まで、過去を知らなくてもいいように守り続けてくれたからだ。……それだけは、絶対に間違いない。

「お姉ちゃん、お願い。……あたしが本当の意味であたしらしくいるためには、過去を知らないままでいるわけにはいかないの」

 人は変わる生き物だ。紡君と出会う前からそう思っていたし、変わってしまう事が怖いとさえ思っていた。……何が起きたのかは覚えていなかったとしても、お父さんとお母さんが仲違いしてしまったことだけははっきりと分かっていたから。……お互いに好き合っていたはずの関係でさえも壊れてしまうと思うと、怖くて仕方がなかった。

 どれだけ今のあたしが誰かを好きになっても、この先のどこかでそう思えなくなるように変わってしまうかもしれない。そうなった時、あたしはその人にどう接するのだろうか。……今までたくさん出会ってきた人たちと同じような接し方に戻るのか、それとももっとそっけない形になってしまうのか。

 ずっと分からなかったけれど、今のあたしにその心配はない。紡君への思いが悪い方向に変わる創造なんてできないし、万が一離れるようなことがあったとしてもそれでそれ以前に抱いた『好き』って気持ちが否定されるわけでもない。……たとえどう変わったとしても、変わる前のあたしと変わった後のあたしは繋がっているんだ。別人になるわけじゃ、ない。

 どれだけ変わっていったのだとしても、その変わる道筋の集まりこそがあたしだ。今までも今もこれからも、あたしはずっとあたしのままだ。……この先どうなろうと、あたしが急にふっといなくなっちゃうことなんてない。

「大丈夫だよ、お姉ちゃん。たとえその過去が知りたくなかったものでも、それで今のあたしが変わるわけじゃない。……あたしは、あたしのまんまだから」

 隠し事を知ったって急に大人になれるわけじゃないし、お姉ちゃんの妹じゃなくなるわけでもない。あたしは前山千尋、今までずっと前山千尋として生きてきたんだ。……その中の欠けたピースが増えたところで、いいことはあれ悪いことなんて一つもあるもんか。

 押し黙るお姉ちゃんに対して、あたしはさらにそう付け加える。……それが決め手になったのかどうかは分からないけれど、しばらくしてからお姉ちゃんはゆっくりと口を開いた。

「……そっか。本当の本当に本気なんだな、千尋」

「本気だよ。本気じゃなかったらわざわざこんな風に聞きに来たりしないもん」

 紡君は今でもあたしのことを優等生だと思っている節があるけれど、本当のあたしは結構面倒くさがりだ。やりたくないことは出来るならやりたくないし、何もやることなくのんびりできるならそれが一番いい。夏休みの課題だって、紡君と一緒にやれなかったらモチベーションが湧いてくることはなかったと思う。

 だから、あたしが動くのはいつだって本気の時だ。あたしはこれがやりたいと思った、だからやる。それ以上の理由なんてないし、ご立派なことを語ることはあたしにはできない。

「そっか、そうなんだな……。大きくなったな、千尋も」

「そりゃもう高校生だもん。まだお姉ちゃんからしたら子供かもしれないけど、着々と大人には近づいてるんだよ?」

 今こうしてお姉ちゃんと向き合ってるときでだって、あたしは大人に向かって進んでいるんだと思う。ゆっくりとしているかもしれないけれど、確かに前に。……その隣には、きっと紡君がいてくれている。

 あたしが小説を読めるようになったら、紡君はどんな表情をしてくれるだろうか。『おめでとう』って、『よく頑張ったね』って褒めてくれるだろうか。……その未来を想像すると、少しだけ表情が緩んでしまう。

「あたしにとってそれがつらい過去だったんだとしても、あたしはそれを独りで受け止めなくちゃいけないわけじゃない。お姉ちゃんもいるし、紡君もいてくれる。……そうでしょ?」

「そうだな。……ああ、千尋の言うとおりだ」

 少しだけ泣きそうな声でお姉ちゃんは答え、こくこくと首を縦に振る。その眼の中にうつるあたしがお姉ちゃんからしてどう見えているのか、それはあたしには分からない。だけど、お姉ちゃんはやがて晴れやかな笑みをあたしに向けてくれた。

「お前が本気なのは分かった。……それじゃあ、今からあたしの知ってること全部を話すぞ。……大丈夫だとは思うけれど、覚悟して聞いてくれ」

「うん。……大丈夫だよ、どんな過去でもそれはあたしの物だから」

 お姉ちゃんの最後の注意に頷きを返して、あたしは一度目を瞑る。……五年以上も前、厳重に鍵をかけた記憶に触れる時間が、始まろうとしていた。
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