上 下
115 / 185

第百十四話『僕は空転する』

しおりを挟む
 僕が小説を書き始めたのは、『僕は元気にやっているよ』とセイちゃんに伝え続けるためだった。

 どれだけ距離が離れても、同じ日本にいるのなら本は出版される。どんな場所でも出版されるような作家になれれば、セイちゃんと離れても僕のことを忘れないでいてくれる。……もうあんな悲しい思いを、しなくても済む。

 我ながらとんでもない動機だと思うし、それで才能が開花したのは偶然もいいところだったと思う。こんな夢が叶う事の方が珍しいし、どこかでボタンを掛け違えれば今でも小説化を目指して公募作品を書き続ける未来も十分にありえただろう。僕が小説家になれたのは、たくさんの努力を見つけてくれる人が居たからだ。……つまり、巡り会わせの部分があまりにも大きく関係している。

 それは僕に取って最大級の幸運だし、これからもその恩恵を噛み締めて生きていくことになるだろう。小説家にならなければ、僕はたくさんの人に出会えないまま生きていくしかなかった。千尋さんと出会う事もなく、本当に大切な人の傍にいる幸せを知ることもなかった。

 そう、だからこれでいいのだ。小説を書き始めてここまで来た僕は、何も間違った道なんか選んでいない。僕は僕の道をしっかり歩み切れている、それでいいのだ。……そう思えば、全て解決するはずなんだ。

――そうして小説家としてデビューした僕の姿が、セイちゃんからの連絡を断ち切るきっかけになってさえいなければ。

 セイちゃんは僕の事を忘れてなんかいなかった。むしろずっと覚えてくれていた。僕が思っていた以上に、鮮明に正確に覚えていた。……小説家デビューするのだという話を聞いた時に、そのイメージが僕からはみ出てしまうぐらいに。

 人は変わっていくものだと思っていた。セイちゃんもその過程で、僕のことを忘れてしまったのだと思っていた。……先に変わったように見えていたのは、僕の方だった。

 逆だった、何もかもが逆だった。僕が考えていた真実と、嘘偽りのない真実は全く逆の位置にあった。……僕はただ、悲観的妄想で傷ついていただけだった。『また同じだった』と、一度目の痛みを理由にして。……その痛みを抱えたまま書き続けるほかに、選択肢はなかった。

 セイちゃんからして本当に僕が変わったように見えるなら、それは勘違いの過程で本当に変わってしまっただけなのだろう。勘違いを元に結論を出した僕は、結果としてセイちゃんの思っていた以上の僕へと変わってしまっただけだ。

 それを悪いことだとは言わない、千尋さんに出会えたのは本当に幸福なことだ。今の僕にとって一番大切なのは千尋さんで、それに並び立つ者なんて存在しない。……だから今、あの時の痛みが勘違いだと気づいたって――

――本当に?

「……っ!」

 どこからか声が聞こえてきて、僕の思考は唐突に止められる。だけれど、その声の主は僕以外にあり得ないのだ。……ほかならぬ僕自身が、今の考えに待ったをかけている。それで本当に正しいのかと、まっすぐ目を見て問いかけてくる。

 忘れられたからと言って、セイちゃんのことが大切じゃないわけがないだろうと。……千尋さんに恋をしていたとして、セイちゃんの存在が無価値になるわけがないだろうと。怒気のこもった声が、僕の中に響き渡る。……それはきっと、あの時セイちゃんに恋していた僕の声だった。

 忘れられたからと言ってこっちも忘れてやろうなんて、そんな思考を持ってたわけじゃない。だからずっとセイちゃんのことは大切なままだし、送られてきた手紙だって取ってある。

 大切にしたかった。今でも大切だ。千尋さんとはカテゴリーが違うけれど、セイちゃんが大切じゃなくなることなんてあり得ない。……それが分かっているから、本当に辛い。

「……どうしたら、いいんだろう」

 パソコンの前で、僕は一人そう口にする。白紙のページには新たな文章が一つたりとも刻まれず、手は完全に止まっている。……試行錯誤することすら、今の僕にはできていない。

 その原因は分かっている。僕の根本が揺らいだからだ。僕の小説の始まりは、セイちゃんに忘れられたくないという思いだからだ。

 その前提から間違っていた今、僕が小説を書く理由は何だろう。……何のために、今僕はここにいるのだろう。『赤糸 不切』が生まれた意味は、一体どこにあったのだろう。

「……分かんないよ……」

 疑問をどれだけ羅列してみても、僕は答えを出すことなんてできない。これ以上座ってても何も出ないと判断して、僕はパソコンを一度閉じる。……明日開ければ、上等と言ったところか。

 今まで僕をぐいぐいと引っ張ってきたエンジンが、急に故障してしまったかのようだ。どうすれば前に進むエネルギーが生まれるのか分からなくて、ただ空転するしかない。……考えても考えても、答えが出てこない。

――僕の小説は、本当にこのままでいいのだろうか?
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

冴えない俺と美少女な彼女たちとの関係、複雑につき――― ~助けた小学生の姉たちはどうやらシスコンで、いつの間にかハーレム形成してました~

メディカルト
恋愛
「え……あの小学生のお姉さん……たち?」 俺、九十九恋は特筆して何か言えることもない普通の男子高校生だ。 学校からの帰り道、俺はスーパーの近くで泣く小学生の女の子を見つける。 その女の子は転んでしまったのか、怪我していた様子だったのですぐに応急処置を施したが、実は学校で有名な初風姉妹の末っ子とは知らずに―――。 少女への親切心がきっかけで始まる、コメディ系ハーレムストーリー。 ……どうやら彼は鈍感なようです。 ―――――――――――――――――――――――――――――― 【作者より】 九十九恋の『恋』が、恋愛の『恋』と間違える可能性があるので、彼のことを指すときは『レン』と表記しています。 また、R15は保険です。 毎朝20時投稿! 【3月14日 更新再開 詳細は近況ボードで】

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

男女比の狂った世界で愛を振りまく

キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。 その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。 直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。 生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。 デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。 本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ネットで出会った最強ゲーマーは人見知りなコミュ障で俺だけに懐いてくる美少女でした

黒足袋
青春
インターネット上で†吸血鬼†を自称する最強ゲーマー・ヴァンピィ。 日向太陽はそんなヴァンピィとネット越しに交流する日々を楽しみながら、いつかリアルで会ってみたいと思っていた。 ある日彼はヴァンピィの正体が引きこもり不登校のクラスメイトの少女・月詠夜宵だと知ることになる。 人気コンシューマーゲームである魔法人形(マドール)の実力者として君臨し、ネットの世界で称賛されていた夜宵だが、リアルでは友達もおらず初対面の相手とまともに喋れない人見知りのコミュ障だった。 そんな夜宵はネット上で仲の良かった太陽にだけは心を開き、外の世界へ一緒に出かけようという彼の誘いを受け、不器用ながら交流を始めていく。 太陽も世間知らずで危なっかしい夜宵を守りながら二人の距離は徐々に近づいていく。 青春インターネットラブコメ! ここに開幕! ※表紙イラストは佐倉ツバメ様(@sakura_tsubame)に描いていただきました。

僕が美少女になったせいで幼馴染が百合に目覚めた

楠富 つかさ
恋愛
ある朝、目覚めたら女の子になっていた主人公と主人公に恋をしていたが、女の子になって主人公を見て百合に目覚めたヒロインのドタバタした日常。 この作品はハーメルン様でも掲載しています。

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

処理中です...