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第百十四話『僕は空転する』
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僕が小説を書き始めたのは、『僕は元気にやっているよ』とセイちゃんに伝え続けるためだった。
どれだけ距離が離れても、同じ日本にいるのなら本は出版される。どんな場所でも出版されるような作家になれれば、セイちゃんと離れても僕のことを忘れないでいてくれる。……もうあんな悲しい思いを、しなくても済む。
我ながらとんでもない動機だと思うし、それで才能が開花したのは偶然もいいところだったと思う。こんな夢が叶う事の方が珍しいし、どこかでボタンを掛け違えれば今でも小説化を目指して公募作品を書き続ける未来も十分にありえただろう。僕が小説家になれたのは、たくさんの努力を見つけてくれる人が居たからだ。……つまり、巡り会わせの部分があまりにも大きく関係している。
それは僕に取って最大級の幸運だし、これからもその恩恵を噛み締めて生きていくことになるだろう。小説家にならなければ、僕はたくさんの人に出会えないまま生きていくしかなかった。千尋さんと出会う事もなく、本当に大切な人の傍にいる幸せを知ることもなかった。
そう、だからこれでいいのだ。小説を書き始めてここまで来た僕は、何も間違った道なんか選んでいない。僕は僕の道をしっかり歩み切れている、それでいいのだ。……そう思えば、全て解決するはずなんだ。
――そうして小説家としてデビューした僕の姿が、セイちゃんからの連絡を断ち切るきっかけになってさえいなければ。
セイちゃんは僕の事を忘れてなんかいなかった。むしろずっと覚えてくれていた。僕が思っていた以上に、鮮明に正確に覚えていた。……小説家デビューするのだという話を聞いた時に、そのイメージが僕からはみ出てしまうぐらいに。
人は変わっていくものだと思っていた。セイちゃんもその過程で、僕のことを忘れてしまったのだと思っていた。……先に変わったように見えていたのは、僕の方だった。
逆だった、何もかもが逆だった。僕が考えていた真実と、嘘偽りのない真実は全く逆の位置にあった。……僕はただ、悲観的妄想で傷ついていただけだった。『また同じだった』と、一度目の痛みを理由にして。……その痛みを抱えたまま書き続けるほかに、選択肢はなかった。
セイちゃんからして本当に僕が変わったように見えるなら、それは勘違いの過程で本当に変わってしまっただけなのだろう。勘違いを元に結論を出した僕は、結果としてセイちゃんの思っていた以上の僕へと変わってしまっただけだ。
それを悪いことだとは言わない、千尋さんに出会えたのは本当に幸福なことだ。今の僕にとって一番大切なのは千尋さんで、それに並び立つ者なんて存在しない。……だから今、あの時の痛みが勘違いだと気づいたって――
――本当に?
「……っ!」
どこからか声が聞こえてきて、僕の思考は唐突に止められる。だけれど、その声の主は僕以外にあり得ないのだ。……ほかならぬ僕自身が、今の考えに待ったをかけている。それで本当に正しいのかと、まっすぐ目を見て問いかけてくる。
忘れられたからと言って、セイちゃんのことが大切じゃないわけがないだろうと。……千尋さんに恋をしていたとして、セイちゃんの存在が無価値になるわけがないだろうと。怒気のこもった声が、僕の中に響き渡る。……それはきっと、あの時セイちゃんに恋していた僕の声だった。
忘れられたからと言ってこっちも忘れてやろうなんて、そんな思考を持ってたわけじゃない。だからずっとセイちゃんのことは大切なままだし、送られてきた手紙だって取ってある。
大切にしたかった。今でも大切だ。千尋さんとはカテゴリーが違うけれど、セイちゃんが大切じゃなくなることなんてあり得ない。……それが分かっているから、本当に辛い。
「……どうしたら、いいんだろう」
パソコンの前で、僕は一人そう口にする。白紙のページには新たな文章が一つたりとも刻まれず、手は完全に止まっている。……試行錯誤することすら、今の僕にはできていない。
その原因は分かっている。僕の根本が揺らいだからだ。僕の小説の始まりは、セイちゃんに忘れられたくないという思いだからだ。
その前提から間違っていた今、僕が小説を書く理由は何だろう。……何のために、今僕はここにいるのだろう。『赤糸 不切』が生まれた意味は、一体どこにあったのだろう。
「……分かんないよ……」
疑問をどれだけ羅列してみても、僕は答えを出すことなんてできない。これ以上座ってても何も出ないと判断して、僕はパソコンを一度閉じる。……明日開ければ、上等と言ったところか。
今まで僕をぐいぐいと引っ張ってきたエンジンが、急に故障してしまったかのようだ。どうすれば前に進むエネルギーが生まれるのか分からなくて、ただ空転するしかない。……考えても考えても、答えが出てこない。
――僕の小説は、本当にこのままでいいのだろうか?
どれだけ距離が離れても、同じ日本にいるのなら本は出版される。どんな場所でも出版されるような作家になれれば、セイちゃんと離れても僕のことを忘れないでいてくれる。……もうあんな悲しい思いを、しなくても済む。
我ながらとんでもない動機だと思うし、それで才能が開花したのは偶然もいいところだったと思う。こんな夢が叶う事の方が珍しいし、どこかでボタンを掛け違えれば今でも小説化を目指して公募作品を書き続ける未来も十分にありえただろう。僕が小説家になれたのは、たくさんの努力を見つけてくれる人が居たからだ。……つまり、巡り会わせの部分があまりにも大きく関係している。
それは僕に取って最大級の幸運だし、これからもその恩恵を噛み締めて生きていくことになるだろう。小説家にならなければ、僕はたくさんの人に出会えないまま生きていくしかなかった。千尋さんと出会う事もなく、本当に大切な人の傍にいる幸せを知ることもなかった。
そう、だからこれでいいのだ。小説を書き始めてここまで来た僕は、何も間違った道なんか選んでいない。僕は僕の道をしっかり歩み切れている、それでいいのだ。……そう思えば、全て解決するはずなんだ。
――そうして小説家としてデビューした僕の姿が、セイちゃんからの連絡を断ち切るきっかけになってさえいなければ。
セイちゃんは僕の事を忘れてなんかいなかった。むしろずっと覚えてくれていた。僕が思っていた以上に、鮮明に正確に覚えていた。……小説家デビューするのだという話を聞いた時に、そのイメージが僕からはみ出てしまうぐらいに。
人は変わっていくものだと思っていた。セイちゃんもその過程で、僕のことを忘れてしまったのだと思っていた。……先に変わったように見えていたのは、僕の方だった。
逆だった、何もかもが逆だった。僕が考えていた真実と、嘘偽りのない真実は全く逆の位置にあった。……僕はただ、悲観的妄想で傷ついていただけだった。『また同じだった』と、一度目の痛みを理由にして。……その痛みを抱えたまま書き続けるほかに、選択肢はなかった。
セイちゃんからして本当に僕が変わったように見えるなら、それは勘違いの過程で本当に変わってしまっただけなのだろう。勘違いを元に結論を出した僕は、結果としてセイちゃんの思っていた以上の僕へと変わってしまっただけだ。
それを悪いことだとは言わない、千尋さんに出会えたのは本当に幸福なことだ。今の僕にとって一番大切なのは千尋さんで、それに並び立つ者なんて存在しない。……だから今、あの時の痛みが勘違いだと気づいたって――
――本当に?
「……っ!」
どこからか声が聞こえてきて、僕の思考は唐突に止められる。だけれど、その声の主は僕以外にあり得ないのだ。……ほかならぬ僕自身が、今の考えに待ったをかけている。それで本当に正しいのかと、まっすぐ目を見て問いかけてくる。
忘れられたからと言って、セイちゃんのことが大切じゃないわけがないだろうと。……千尋さんに恋をしていたとして、セイちゃんの存在が無価値になるわけがないだろうと。怒気のこもった声が、僕の中に響き渡る。……それはきっと、あの時セイちゃんに恋していた僕の声だった。
忘れられたからと言ってこっちも忘れてやろうなんて、そんな思考を持ってたわけじゃない。だからずっとセイちゃんのことは大切なままだし、送られてきた手紙だって取ってある。
大切にしたかった。今でも大切だ。千尋さんとはカテゴリーが違うけれど、セイちゃんが大切じゃなくなることなんてあり得ない。……それが分かっているから、本当に辛い。
「……どうしたら、いいんだろう」
パソコンの前で、僕は一人そう口にする。白紙のページには新たな文章が一つたりとも刻まれず、手は完全に止まっている。……試行錯誤することすら、今の僕にはできていない。
その原因は分かっている。僕の根本が揺らいだからだ。僕の小説の始まりは、セイちゃんに忘れられたくないという思いだからだ。
その前提から間違っていた今、僕が小説を書く理由は何だろう。……何のために、今僕はここにいるのだろう。『赤糸 不切』が生まれた意味は、一体どこにあったのだろう。
「……分かんないよ……」
疑問をどれだけ羅列してみても、僕は答えを出すことなんてできない。これ以上座ってても何も出ないと判断して、僕はパソコンを一度閉じる。……明日開ければ、上等と言ったところか。
今まで僕をぐいぐいと引っ張ってきたエンジンが、急に故障してしまったかのようだ。どうすれば前に進むエネルギーが生まれるのか分からなくて、ただ空転するしかない。……考えても考えても、答えが出てこない。
――僕の小説は、本当にこのままでいいのだろうか?
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