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第百九話『僕は手を挙げない』
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「今日からこのクラスに加わることになった、松伏犀奈さんだ。この学校についてはまだ慣れてないみたいだから、皆からいろいろと教えてやってくれ」
先生からの紹介を受けて、セイちゃん――松伏犀奈は綺麗に頭を下げる。……僕はそれを、まるで幻でも見るかのような思いで見つめていた。
だって、もうあり得ないと思っていたのだ。僕とセイちゃんの人生は完全に分かたれて、もう交わることなんてないって思っていたのだ。だからこそずっと痛くて、ずっと忘れられなくて、でもようやく背負っていこうって思えてきて。……それなのに、過去は足を生やしてすぐに僕の隣まで追いついてきた。……その決意を、あざ笑うみたいに。
三年たって顔立ちはだいぶ大人びたけれど、よく見ればセイちゃんの面影はたくさん残っている。同姓同名なんてこともなく、正真正銘のセイちゃんだ。少し前まで会いたくて会いたくて、また声を聴きたくて仕方なかった人が、目の前にいる。
だけど、その想いはもう整理して思い出の中にしまい込み終わったんだ。辛い思い出だったけれど、セイちゃんが僕にくれたものだってたくさんあった。それを大切にしながら生きていこう、千尋さんの隣で彼氏として歩いていこうって。そう決めた、ばかりなのに。
「松伏犀奈です、三年ぶりぐらいにこの県に戻ってきました。まだ不慣れで迷惑をかけることもあるかもしれないけれど、仲良くしてくれると嬉しいです」
――なんで今、道は再び交わったのだろう?
『敬語が上手になったな』なんて、セイちゃんを見つめながら僕はそんなことを考える。昔は誰にでも飄々とした態度で接していて、それは引っ越す時までずっと変わらなかったのに。
それでいて頭の回転が速いから、セイちゃんは隙あらば僕をからかってきた。だけど不思議と嫌な気分になることはなくて、むしろ楽しそうなセイちゃんの表情が見れて嬉しくなって。
(……それも『憶えてる』のかな、セイちゃんは)
先生が「何か質問はー?」なんて言ったことを皮切りに、クラスのあちこちから手が挙げられる。その全てを処理していたら千尋さんの始業式並みになりそうなぐらいに、セイちゃんへの興味は強いようだった。
だけど、僕の手が上がることはない。ここにいる誰よりも、僕はセイちゃんのことを覚えているから。……『どこまで覚えてますか』なんて、周りからしたら要領の得ない質問しか、僕は投げかけることしかできないからだ。
好きな食べ物も前にどんな部活に入っていたかも、三年前までの事なら大体わかっている。知ろうとしなくても知れてしまうぐらいに、僕とセイちゃんは同じ時間を過ごしすぎているからだ。
変わったところが見えるからこそ、その奥に見える変わらない部分がより際立つ。セイちゃんはセイちゃんなんだって、質問コーナーが終わりに近づいていくにつれて分かってしまう。……根っこは、本当に何も変わっていない。
半年の前の僕ならば、その再開に快哉を挙げることが出来ただろうか。トラウマを今とは違う形で克服して、なんだかんだ楽しい毎日を送れていたのだろうか。……もう成立しない、『イフ』の自分ではあるのだけれど。
「珍しい転校生ってことで興味があるのは分かるが、今日はこれぐらいにしといてくれ。まだ話すことは終わっとらんからな」
半分ぐらいの質問が消化されたところで先生がそう言うと、クラスが一気にブーイングの嵐に包まれる。その中心にいるセイちゃんは、どこか困ったように笑っていた。
「まあまあ、これから話す機会も絶対にめぐってくるからな。さて、それじゃあ松伏の席は――」
その騒ぎを治めながら、先生はクラス全体を見つめる。こういうのって大体先に空いた机を準備しておくのが定石だと思うのだが、どうやら今回はそうではないらしい。
だが、しばらくして先生の視線は一点に定まっていく。そこは僕がいる後ろとは離れた、窓際よりの空間で――
「――先生、あのあたりなんてどうですか?」
――そう思った、矢先のことだった。
セイちゃんの指が、僕の座っている席の左隣に向けて伸ばされる。……そこは、いつも僕が始業前に立っているいつもの場所、つまりは教室におけるデッドスペースだ。
「ああ、それが希望ならいいんだが……視力は大丈夫か?」
「はい。……それじゃあ、私は先にあそこで待機していていいですか?」
堂々と返答を終えると、返事を待つことなくセイちゃんはこちらに歩み寄ってくる。クラスの視線を引き連れながら、僕の左隣へ。……そのすれ違いざま、小さな小さな声が聞こえた。
「……久しぶりだね、つむ君。――ずっと会いたかった」
先生からの紹介を受けて、セイちゃん――松伏犀奈は綺麗に頭を下げる。……僕はそれを、まるで幻でも見るかのような思いで見つめていた。
だって、もうあり得ないと思っていたのだ。僕とセイちゃんの人生は完全に分かたれて、もう交わることなんてないって思っていたのだ。だからこそずっと痛くて、ずっと忘れられなくて、でもようやく背負っていこうって思えてきて。……それなのに、過去は足を生やしてすぐに僕の隣まで追いついてきた。……その決意を、あざ笑うみたいに。
三年たって顔立ちはだいぶ大人びたけれど、よく見ればセイちゃんの面影はたくさん残っている。同姓同名なんてこともなく、正真正銘のセイちゃんだ。少し前まで会いたくて会いたくて、また声を聴きたくて仕方なかった人が、目の前にいる。
だけど、その想いはもう整理して思い出の中にしまい込み終わったんだ。辛い思い出だったけれど、セイちゃんが僕にくれたものだってたくさんあった。それを大切にしながら生きていこう、千尋さんの隣で彼氏として歩いていこうって。そう決めた、ばかりなのに。
「松伏犀奈です、三年ぶりぐらいにこの県に戻ってきました。まだ不慣れで迷惑をかけることもあるかもしれないけれど、仲良くしてくれると嬉しいです」
――なんで今、道は再び交わったのだろう?
『敬語が上手になったな』なんて、セイちゃんを見つめながら僕はそんなことを考える。昔は誰にでも飄々とした態度で接していて、それは引っ越す時までずっと変わらなかったのに。
それでいて頭の回転が速いから、セイちゃんは隙あらば僕をからかってきた。だけど不思議と嫌な気分になることはなくて、むしろ楽しそうなセイちゃんの表情が見れて嬉しくなって。
(……それも『憶えてる』のかな、セイちゃんは)
先生が「何か質問はー?」なんて言ったことを皮切りに、クラスのあちこちから手が挙げられる。その全てを処理していたら千尋さんの始業式並みになりそうなぐらいに、セイちゃんへの興味は強いようだった。
だけど、僕の手が上がることはない。ここにいる誰よりも、僕はセイちゃんのことを覚えているから。……『どこまで覚えてますか』なんて、周りからしたら要領の得ない質問しか、僕は投げかけることしかできないからだ。
好きな食べ物も前にどんな部活に入っていたかも、三年前までの事なら大体わかっている。知ろうとしなくても知れてしまうぐらいに、僕とセイちゃんは同じ時間を過ごしすぎているからだ。
変わったところが見えるからこそ、その奥に見える変わらない部分がより際立つ。セイちゃんはセイちゃんなんだって、質問コーナーが終わりに近づいていくにつれて分かってしまう。……根っこは、本当に何も変わっていない。
半年の前の僕ならば、その再開に快哉を挙げることが出来ただろうか。トラウマを今とは違う形で克服して、なんだかんだ楽しい毎日を送れていたのだろうか。……もう成立しない、『イフ』の自分ではあるのだけれど。
「珍しい転校生ってことで興味があるのは分かるが、今日はこれぐらいにしといてくれ。まだ話すことは終わっとらんからな」
半分ぐらいの質問が消化されたところで先生がそう言うと、クラスが一気にブーイングの嵐に包まれる。その中心にいるセイちゃんは、どこか困ったように笑っていた。
「まあまあ、これから話す機会も絶対にめぐってくるからな。さて、それじゃあ松伏の席は――」
その騒ぎを治めながら、先生はクラス全体を見つめる。こういうのって大体先に空いた机を準備しておくのが定石だと思うのだが、どうやら今回はそうではないらしい。
だが、しばらくして先生の視線は一点に定まっていく。そこは僕がいる後ろとは離れた、窓際よりの空間で――
「――先生、あのあたりなんてどうですか?」
――そう思った、矢先のことだった。
セイちゃんの指が、僕の座っている席の左隣に向けて伸ばされる。……そこは、いつも僕が始業前に立っているいつもの場所、つまりは教室におけるデッドスペースだ。
「ああ、それが希望ならいいんだが……視力は大丈夫か?」
「はい。……それじゃあ、私は先にあそこで待機していていいですか?」
堂々と返答を終えると、返事を待つことなくセイちゃんはこちらに歩み寄ってくる。クラスの視線を引き連れながら、僕の左隣へ。……そのすれ違いざま、小さな小さな声が聞こえた。
「……久しぶりだね、つむ君。――ずっと会いたかった」
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