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第百八話『教室は静まり返る』
しおりを挟む 明日は、いよいよ婚姻の儀の初日。
正妃選びの儀から、たったの半年。
けれど、自分もジョゼフィーネも変わったと感じる。
ジョゼフィーネはよく笑うようになったし、言葉数も増えていた。
なにより、ディーナリアスに向ける視線が変わっている。
それを感じるたびに、胸が暖かくなった。
同時に、自分の中の変化にも気づくのだ。
ディーナリアスは、今まで誰かを「愛しい」と感じたことがない。
好ましいとか、良い人物だと思うことはあっても、積極的な好意をいだいたことがなかった。
女性とベッドをともにしていてさえ「愛」とは無縁で過ごしてきている。
避けていたのではなく、本当にそういう気持ちがわからなかったのだ。
ジョゼフィーネを大事に想うようになって、初めて知った。
それまでは「愛」がどのようなものか想像もできずにいたが、彼女との関係の中で実感するようになっている。
(ジョゼとでなければ、愛し愛される婚姻は望めなかったやもしれぬ)
ディーナリアスは、書に従い、愛し愛される婚姻を目指してはいた。
さりとて、言葉で言うのと実際的なものとは違う。
言うだけなら簡単なのだ。
本物には成り得ない。
それも、今だからこそ、わかる。
「ディーン……どうしたの?」
就寝前の、ひと時。
いつものようにベッドに入っているが、今日は、字引きはなし。
体は起こしているものの、ただ寄り添っているだけだった。
ディーナリアスが黙っているので、不思議に思っているのだろう。
ジョゼフィーネが首をかしげて、彼を見ている。
ディーナリアスは、彼女の頭を、ゆっくりと撫でた。
薄い緑の髪に、菫色の瞳をしているジョゼフィーネは、たおやかに見える。
変わりつつあるとはいえ、急激な変化があったわけではない。
彼女は未だ頼りなげな雰囲気をまとっている。
そんなジョゼフィーネが、やはり愛おしいし、守りたいと思った。
「緊張しておるか?」
「う……うん……大勢の前に立つなんて、初めてだし……」
「案ずるな。俺が隣にいる」
婚姻の儀では、儀式そのものが終わったあと、民への「姿見せ」がある。
明日から3日間、王宮に民が入ることが許されるのだ。
新年の祝時の際にも似た行事があるため、ディーナリアスは慣れている。
ただ、今回は自分が中央に立つことになるのが、いつもとは違うところだった。
「ど、どのくらいの人が、来るの?」
「1,2万人程度……いや、3万人ほどであろうな」
「そ、そんなに……想像つかない、よ……」
ジョゼフィーネが、少し不安そうに瞳を揺らがせる。
その瞳を見つめ、ディーナリアスは目を細めた。
2人で民の前に立つ姿を想像する。
ジョゼフィーネは、ぷるぷるするかもしれない。
「王宮の立ち見台から手を振るだけだ。回数が多いゆえ、ずっと緊張しておると疲れるぞ」
「お昼前と、お昼のあと、2回ずつ、だよね?」
「そうだ。3日間で6回もあるのだし、すぐに慣れる」
立ち見台にいる2人と民との距離は、それなりに離れている。
1人1人の顔の判別がつくかつかないか、くらいだ。
至近距離ではないので、慣れれば緊張もほどけるだろう。
ディーナリアスも、いつもたいして「にこやか」な演技などしていないし。
ディーナリアスはジョゼフィーネの両手を自分の手のひらに乗せる。
その手を、じっと見つめた。
ジョゼフィーネが怪我をした時と同じ仕草だ。
「ジョゼ」
「……はい……」
ジョゼフィーネは、本当に鋭敏な「察する」という能力を持っている。
悪意から身を守るすべだったのだろう。
人の放つ「雰囲気」を察して、緊張したり、危険を察知したりするのだ。
今は、ディーナリアスの声音に、緊張している。
「俺は、明日、国王となる」
「はい……」
「それで何が変わるということはない。俺自身はな」
ジョゼフィーネの手から、彼女の顔に視線を移した。
瞳を見つめて言う。
「だが、国王とは民の平和と安寧のための存在だ。国の乱れを治めねばならぬ」
ディーナリアス個人の意思とは無関係に、その責任を負うのだ。
即位に応じた際には、自分1人の責だと思っていた。
負うのは自分だけだという勘違いに、今さらに、気づいている。
もちろんジョゼフィーネに、同じだけの責を負わせるつもりなどない。
ただ、無関係でもいられないのが、現実なのだ。
「そのために、俺は……お前に、どうしても言えぬことがある」
自分とリスとの関係。
与えられる者と与える者としての役割分担。
これは、たとえ「嫁」であって、口にはできない。
ジョゼフィーネを信頼しているとかいないとかの問題ではなく、知る者を限定することに意味があるのだ。
「いずれ必ず話す。それまで、待っていてほしい」
ジョゼフィーネは前世の記憶のこと、心を見る力のことを話してくれた。
秘密にしておくのが心苦しかったに違いない。
(嫁に隠し事をするなら墓場まで……これは、とてもできそうにない)
ディーナリアスだって隠し事をするのは後ろめたいのだ。
とくにジョゼフィーネは打ち明けてくれているのに、との気持ちがあるので、なおさら罪悪感をいだいている。
ディーナリアス個人からすれば「たいしたことではない」と思ってもいた。
ただ「国王」としては「たいしたこと」として扱わなければならないのだ。
「ディーン、真面目、だね」
ジョゼフィーネが、なぜか笑っている。
ディーナリアスの隠し事について気にした様子もない。
「隠し事は……黙ってするもの、だよ……隠し事があるって、言わなくても」
「それはそうかもしれぬが、隠し事を持っていることが、落ち着かぬのだ」
「…………隠し子、とか、じゃない、よね……?」
「いや、違う。そういう方向ではない、隠し事だ」
「だったら、大丈夫。話してくれるまで、待つ、よ」
ジョゼフィーネは、気を悪くしてもいないらしく、にっこりする。
その笑顔に、胸が、きゅっとなった。
彼女からの本当の信頼が得られていると感じる。
ディーナリアスはジョゼフィーネを抱き寄せた。
ぎゅっと抱きしめて、頬に頬をすりつける。
「俺の嫁は、なんという出来た嫁だ」
言葉でも態度でも、彼女を傷つけるようなことはするまい、と心に誓った。
ディーナリアスの頭に、改めて書の言葉が蘇る。
ユージーン・ガルベリーの書
第1章第2節
『嫁(妻となる女または妻となった女の別称)は、いかなることがあっても守り、泣かせてはならない。また、誰よりも大事にし、常に寄り添い合い、愛し愛される関係を築く努力をすべし』
正妃選びの儀から、たったの半年。
けれど、自分もジョゼフィーネも変わったと感じる。
ジョゼフィーネはよく笑うようになったし、言葉数も増えていた。
なにより、ディーナリアスに向ける視線が変わっている。
それを感じるたびに、胸が暖かくなった。
同時に、自分の中の変化にも気づくのだ。
ディーナリアスは、今まで誰かを「愛しい」と感じたことがない。
好ましいとか、良い人物だと思うことはあっても、積極的な好意をいだいたことがなかった。
女性とベッドをともにしていてさえ「愛」とは無縁で過ごしてきている。
避けていたのではなく、本当にそういう気持ちがわからなかったのだ。
ジョゼフィーネを大事に想うようになって、初めて知った。
それまでは「愛」がどのようなものか想像もできずにいたが、彼女との関係の中で実感するようになっている。
(ジョゼとでなければ、愛し愛される婚姻は望めなかったやもしれぬ)
ディーナリアスは、書に従い、愛し愛される婚姻を目指してはいた。
さりとて、言葉で言うのと実際的なものとは違う。
言うだけなら簡単なのだ。
本物には成り得ない。
それも、今だからこそ、わかる。
「ディーン……どうしたの?」
就寝前の、ひと時。
いつものようにベッドに入っているが、今日は、字引きはなし。
体は起こしているものの、ただ寄り添っているだけだった。
ディーナリアスが黙っているので、不思議に思っているのだろう。
ジョゼフィーネが首をかしげて、彼を見ている。
ディーナリアスは、彼女の頭を、ゆっくりと撫でた。
薄い緑の髪に、菫色の瞳をしているジョゼフィーネは、たおやかに見える。
変わりつつあるとはいえ、急激な変化があったわけではない。
彼女は未だ頼りなげな雰囲気をまとっている。
そんなジョゼフィーネが、やはり愛おしいし、守りたいと思った。
「緊張しておるか?」
「う……うん……大勢の前に立つなんて、初めてだし……」
「案ずるな。俺が隣にいる」
婚姻の儀では、儀式そのものが終わったあと、民への「姿見せ」がある。
明日から3日間、王宮に民が入ることが許されるのだ。
新年の祝時の際にも似た行事があるため、ディーナリアスは慣れている。
ただ、今回は自分が中央に立つことになるのが、いつもとは違うところだった。
「ど、どのくらいの人が、来るの?」
「1,2万人程度……いや、3万人ほどであろうな」
「そ、そんなに……想像つかない、よ……」
ジョゼフィーネが、少し不安そうに瞳を揺らがせる。
その瞳を見つめ、ディーナリアスは目を細めた。
2人で民の前に立つ姿を想像する。
ジョゼフィーネは、ぷるぷるするかもしれない。
「王宮の立ち見台から手を振るだけだ。回数が多いゆえ、ずっと緊張しておると疲れるぞ」
「お昼前と、お昼のあと、2回ずつ、だよね?」
「そうだ。3日間で6回もあるのだし、すぐに慣れる」
立ち見台にいる2人と民との距離は、それなりに離れている。
1人1人の顔の判別がつくかつかないか、くらいだ。
至近距離ではないので、慣れれば緊張もほどけるだろう。
ディーナリアスも、いつもたいして「にこやか」な演技などしていないし。
ディーナリアスはジョゼフィーネの両手を自分の手のひらに乗せる。
その手を、じっと見つめた。
ジョゼフィーネが怪我をした時と同じ仕草だ。
「ジョゼ」
「……はい……」
ジョゼフィーネは、本当に鋭敏な「察する」という能力を持っている。
悪意から身を守るすべだったのだろう。
人の放つ「雰囲気」を察して、緊張したり、危険を察知したりするのだ。
今は、ディーナリアスの声音に、緊張している。
「俺は、明日、国王となる」
「はい……」
「それで何が変わるということはない。俺自身はな」
ジョゼフィーネの手から、彼女の顔に視線を移した。
瞳を見つめて言う。
「だが、国王とは民の平和と安寧のための存在だ。国の乱れを治めねばならぬ」
ディーナリアス個人の意思とは無関係に、その責任を負うのだ。
即位に応じた際には、自分1人の責だと思っていた。
負うのは自分だけだという勘違いに、今さらに、気づいている。
もちろんジョゼフィーネに、同じだけの責を負わせるつもりなどない。
ただ、無関係でもいられないのが、現実なのだ。
「そのために、俺は……お前に、どうしても言えぬことがある」
自分とリスとの関係。
与えられる者と与える者としての役割分担。
これは、たとえ「嫁」であって、口にはできない。
ジョゼフィーネを信頼しているとかいないとかの問題ではなく、知る者を限定することに意味があるのだ。
「いずれ必ず話す。それまで、待っていてほしい」
ジョゼフィーネは前世の記憶のこと、心を見る力のことを話してくれた。
秘密にしておくのが心苦しかったに違いない。
(嫁に隠し事をするなら墓場まで……これは、とてもできそうにない)
ディーナリアスだって隠し事をするのは後ろめたいのだ。
とくにジョゼフィーネは打ち明けてくれているのに、との気持ちがあるので、なおさら罪悪感をいだいている。
ディーナリアス個人からすれば「たいしたことではない」と思ってもいた。
ただ「国王」としては「たいしたこと」として扱わなければならないのだ。
「ディーン、真面目、だね」
ジョゼフィーネが、なぜか笑っている。
ディーナリアスの隠し事について気にした様子もない。
「隠し事は……黙ってするもの、だよ……隠し事があるって、言わなくても」
「それはそうかもしれぬが、隠し事を持っていることが、落ち着かぬのだ」
「…………隠し子、とか、じゃない、よね……?」
「いや、違う。そういう方向ではない、隠し事だ」
「だったら、大丈夫。話してくれるまで、待つ、よ」
ジョゼフィーネは、気を悪くしてもいないらしく、にっこりする。
その笑顔に、胸が、きゅっとなった。
彼女からの本当の信頼が得られていると感じる。
ディーナリアスはジョゼフィーネを抱き寄せた。
ぎゅっと抱きしめて、頬に頬をすりつける。
「俺の嫁は、なんという出来た嫁だ」
言葉でも態度でも、彼女を傷つけるようなことはするまい、と心に誓った。
ディーナリアスの頭に、改めて書の言葉が蘇る。
ユージーン・ガルベリーの書
第1章第2節
『嫁(妻となる女または妻となった女の別称)は、いかなることがあっても守り、泣かせてはならない。また、誰よりも大事にし、常に寄り添い合い、愛し愛される関係を築く努力をすべし』
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