上 下
106 / 185

第百五話『僕は褒められる』

しおりを挟む
――まるで夢のようだった海での二日間を終えた僕たちに訪れたのは、その揺り戻しかと言いたくなるぐらいの現実の連続だった。

 積み重なった宿題の山、そしてようやく進むようになったラブコメの執筆。その合間を縫ってデートもしたりと、何もしなかった日が一度もないぐらいのペースで夏休みの日々は消化されていった。もしかしたら学校がある時よりも忙しく動いていたのではないか――なんて、そんな考えも頭をよぎるぐらいだ。

「ほんとに大変でしたけど、その分充実した毎日でしたよ。……それがこの作品の中に落とし込めてればいいなあって、そう思います」

「ええ、照屋さんにとってその日々は宝物なんでしょうね。……一目見ただけでも、見違えるぐらいにたくましい表情になりました」

 夏休み最終日を間近に迎えた暑い日の事、僕と氷室さんは二人で向かい合ってコーヒーを口に含む。最近は僕たちの事も覚えられてきたのか、ブラックとミルクコーヒーが取り違えておかれることはだんだんと無くなりつつあった。

 そんな変化はあったけれど、周囲のマダムたちが氷室さんに送る情熱的な視線は全く変わらない。千尋さんと言い氷室さんと言い、これだけの熱量の視線を浴びてどうしてそんなに気にせずにいられるのだろう……?

「昨日データで頂いた原稿からも、その成果はありありと見えてきていました。……私が課した『殻を破ってほしい』という願いが此処まで早く叶いつつあること、私はとてもうれしく思いますよ」

「……と、いう事は……‼」

 氷室さんの発した含みのある言葉に、僕はガッツポーズを我慢しながらその先を促す。まだぬか喜びはできないけれど、変に期待をさせないのが氷室さんであることも同じぐらいにはっきりと分かっていた。そんな氷室さんが思わせぶりに為を作った時点で、僕は嫌でも期待せざるを得ないのだ。

「ええ、この作品は会議に懸けるに相応しい作品かと。『イデアレス・バレット』で見せたキャラ造形の巧みさがさらに磨かれた、赤糸不切作品の新境地と言ってもいいでしょうね」

 そんな期待をはるかに飛び越える称賛の言葉が氷室さんから発されて、僕は今度こそ派手にガッツポーズ。その瞬間マダムたちの視線が一瞬僕の方へと移ったが、そんなこともお構いなしだった。

 ここからもう一段階踏まなければ作品にはならないのがきついところだが、僕の作品を本当に昔から知っている氷室さんから贈られる称賛はそれだけで天にも昇るほど嬉しいものだ。……千尋さんと一緒に過ごす日々は小説家としての僕にもこんなに影響してくれているのかと、そう実感させられる。

「曰くラブコメディのキャラクターたちの描写に苦労していたという話でしたが、そんなことを微塵も感じさせないぐらいの自然さですね。誰も彼もに人間味があって、まるで一人の生きた人物かのように文字の上を踊っている。ええ、私がほれ込んだ照屋さんの持ち味が全開です」

「そう言ってくれると嬉しいですね……。何というか、最近いろんな人と触れ合う機会があったので」

 むしろ今までの世界が狭すぎただけかもしれないけれど、千尋さんと出会ったことで僕の視野は圧倒的に広がったと言っていいだろう。千尋さんを通じていろんな人の思いに触れただけにとどまらず、僕の内面すらも見返す機会に恵まれた。長い事燻っていた疑問たちに一応の答えを出すことが出来たから、僕の子供であるキャラクターたちも吹っ切れることが出来たのだろう。

「まだ断言はできませんが、このクオリティなら会議を通っても何もおかしくはありませんね。……年末に間に合うかどうか、後はそこの問題です」

「ですね。まだまだブラッシュアップの余地はありますから」

 テンションの高い氷室さんの言葉に応えて、僕は脳内で皆の物語をもう一度見返す。きっとまだ描き切れていない思いがあって、それを示すためのやり方がある。僕にとってのブラッシュアップとは、脳内で展開された物語をできる限り希釈せずに文章へと落とし込むための作業だ。

「九月の頭に会議がありますから、それが終わり次第結果の連絡を入れます。……照屋さん、これからもどんどん大きくなるって期待してますよ」

「そりゃもちろん。まだまだ小説の世界でやりたいことがたくさんありますからね」

 氷室さんの言葉に頷き、僕はブラックコーヒーを一気に飲み干す。……忙しすぎる毎日だったけど、それも今の僕にとっては誇らしかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

とぅどぅいずとぅびぃ

黒名碧
現代文学
それもまた誰かの人生。 何かをする、行動するという事が生きるという事。 縦読み推奨。

幼馴染が昼食の誘いを断るので俺も一緒に登校するのを断ろうと思います

陸沢宝史
恋愛
高校生の風登は幼馴染の友之との登校を断り一人で歩きだしてしまう。友之はそれを必死に追いかけるのだが。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。

たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】 『み、見えるの?』 「見えるかと言われると……ギリ見えない……」 『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』  ◆◆◆  仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。  劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。  ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。  後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。  尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。    また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。  尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……    霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。  3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。  愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー! ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...