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第九十八話『僕は布団の上』
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「……っは、はあっ」
唐突に夢の世界が終わりを迎えて、僕は跳ね起きるようにして現実へと帰還する。無意識のうちに僕は布団を握り締めていたらしく、掛け布団には結構なしわが出来てしまっていて――
「……布団?」
僕は確か、千尋さんと寝転がって話している間に眠りについてしまっていたはずだ。布団なんて当然用意しているわけもなくて、フローリングの上で寝こけていなければおかしい。でもそうじゃないという事は、きっと千尋さんが布団まで運んでくれたのだろう。
抱きかかえられるぐらいの重さしかないことを恥ずかしく思えばいいのか何なのかはよく分からないが、フローリングで寝るよりも睡眠の質がいいことは確かだろう。先に寝ちゃった僕にそこまでしてくれたんだから、千尋さんには感謝しないと……。
「……あれ、千尋さん?」
感謝の言葉と目覚めの挨拶をしようとあたりを見回してみても、千尋さんの姿は見当たらない。……その代わりとばかりに聞こえてきたのは、シャワーのものと思しき微かな水音だった。
それを耳にして、僕はとっさに状況を理解する。……その瞬間、頬がかあっと熱くなったのが分かった。
窓の外を見ればまだ空は昏くて、僕がそう長い時間寝ていたわけじゃないことを教えてくれる。より正確な時間を把握しようとスマホを開いてみると、そこには千尋さんからのメッセージが残されていた。
『フローリングの上だと体を傷めちゃうかもしれないから、あたしがお布団まで移動させておきました。紡君が起きた時のために、あたしは早めに夜の支度を済ませておくね』
「……なるほど、だから今シャワーを……」
そのメッセージを見れば今の状況にもまあ納得は言ったが、だからと言って緊張感がなくなるわけじゃない。……近くで彼女がシャワーを浴びてる状況って、こんなにも落ち着かないものなのか。
盗み聞きをしてしまっているような、いてはいけない場所にいてしまっているような、そんな背徳感にも似た感覚が僕の全身を包む。別に悪いことをしているはずではないけれど、耳を塞がないといけないかもしれないなんて考えがふと頭をよぎった。
いっそもう一度眠ってしまおうかとも思ったが、今寝たらあの悪夢の続きを見てしまいそうなのが何とも怖い。……今まで大切だった人達が豹変して僕を責めるあの夢が何を示そうとしているのか、僕には理解することが出来なかった。
まだ僕の中に二人の付けた傷が残っていることを示しているのか、それともまた別の何かなのか。……なんにせよ、あれほど質の悪い夢を見るのはもう二度と御免だ。
「……二人の事を忘れて前に進むなんて、簡単にできるはずがないんだから」
保存している場所が変わっていくだけで、二人の思い出は僕の中で大事にしまってある。いつでも思い返せるし、その度に痛みもリアルに蘇ってくる。……その痛みをもう味わいたくないから、僕は誰かにとって忘れられない人間になろうって決めたわけで。
「忘れないし、混ざらないよ。……たとえどんなことがあっても」
この先僕と千尋さんはたくさんの思い出を作るだろうし、そうであったらいいなと心から願っている。だけど、思い出は上書き保存されるものじゃない。どれだけ千尋さんとの思い出が増えたって、他の思い出が大事じゃなくなることなんてないんだ。
悪夢をもたらした僕の中のどこかがそれを信じてくれないのなら、信じざるを得ないところまで進み続けるだけだ。僕と千尋さんは、これからも長い間一緒に居るわけだし――
「ふう、いいお湯だった……あ、紡君おはよ。お布団の寝心地はどうだった?」
風呂上がりで黒髪をしっとりとさせながら、こっちに向かって手を振ってくれる千尋さんの姿。……こういう些細なことだって、僕の思い出の中には強く刻まれていくのだから。
唐突に夢の世界が終わりを迎えて、僕は跳ね起きるようにして現実へと帰還する。無意識のうちに僕は布団を握り締めていたらしく、掛け布団には結構なしわが出来てしまっていて――
「……布団?」
僕は確か、千尋さんと寝転がって話している間に眠りについてしまっていたはずだ。布団なんて当然用意しているわけもなくて、フローリングの上で寝こけていなければおかしい。でもそうじゃないという事は、きっと千尋さんが布団まで運んでくれたのだろう。
抱きかかえられるぐらいの重さしかないことを恥ずかしく思えばいいのか何なのかはよく分からないが、フローリングで寝るよりも睡眠の質がいいことは確かだろう。先に寝ちゃった僕にそこまでしてくれたんだから、千尋さんには感謝しないと……。
「……あれ、千尋さん?」
感謝の言葉と目覚めの挨拶をしようとあたりを見回してみても、千尋さんの姿は見当たらない。……その代わりとばかりに聞こえてきたのは、シャワーのものと思しき微かな水音だった。
それを耳にして、僕はとっさに状況を理解する。……その瞬間、頬がかあっと熱くなったのが分かった。
窓の外を見ればまだ空は昏くて、僕がそう長い時間寝ていたわけじゃないことを教えてくれる。より正確な時間を把握しようとスマホを開いてみると、そこには千尋さんからのメッセージが残されていた。
『フローリングの上だと体を傷めちゃうかもしれないから、あたしがお布団まで移動させておきました。紡君が起きた時のために、あたしは早めに夜の支度を済ませておくね』
「……なるほど、だから今シャワーを……」
そのメッセージを見れば今の状況にもまあ納得は言ったが、だからと言って緊張感がなくなるわけじゃない。……近くで彼女がシャワーを浴びてる状況って、こんなにも落ち着かないものなのか。
盗み聞きをしてしまっているような、いてはいけない場所にいてしまっているような、そんな背徳感にも似た感覚が僕の全身を包む。別に悪いことをしているはずではないけれど、耳を塞がないといけないかもしれないなんて考えがふと頭をよぎった。
いっそもう一度眠ってしまおうかとも思ったが、今寝たらあの悪夢の続きを見てしまいそうなのが何とも怖い。……今まで大切だった人達が豹変して僕を責めるあの夢が何を示そうとしているのか、僕には理解することが出来なかった。
まだ僕の中に二人の付けた傷が残っていることを示しているのか、それともまた別の何かなのか。……なんにせよ、あれほど質の悪い夢を見るのはもう二度と御免だ。
「……二人の事を忘れて前に進むなんて、簡単にできるはずがないんだから」
保存している場所が変わっていくだけで、二人の思い出は僕の中で大事にしまってある。いつでも思い返せるし、その度に痛みもリアルに蘇ってくる。……その痛みをもう味わいたくないから、僕は誰かにとって忘れられない人間になろうって決めたわけで。
「忘れないし、混ざらないよ。……たとえどんなことがあっても」
この先僕と千尋さんはたくさんの思い出を作るだろうし、そうであったらいいなと心から願っている。だけど、思い出は上書き保存されるものじゃない。どれだけ千尋さんとの思い出が増えたって、他の思い出が大事じゃなくなることなんてないんだ。
悪夢をもたらした僕の中のどこかがそれを信じてくれないのなら、信じざるを得ないところまで進み続けるだけだ。僕と千尋さんは、これからも長い間一緒に居るわけだし――
「ふう、いいお湯だった……あ、紡君おはよ。お布団の寝心地はどうだった?」
風呂上がりで黒髪をしっとりとさせながら、こっちに向かって手を振ってくれる千尋さんの姿。……こういう些細なことだって、僕の思い出の中には強く刻まれていくのだから。
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