千尋さんはラノベが読みたい――ラノベ作家という僕の秘密を知ったのは、『小説が読めない』クラスのアイドルでした――

紅葉 紅羽

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第九十四話『僕と厨房』

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「ないなんてことはないよ、海の家は大忙しだもん。一人メニューを出せる人が増えるだけで相当楽になるって、ここの人たちは去年までの経験で居たいぐらいに理解してるし」

「そうだぜ坊ちゃん、今はどんな人手でも救いの神様みたいなもんだ。猫の手も借りたい状況の中、普通に人手が来たらそれだけでもう崇めたくなるもんだろ?」

「今は皆手がふさがってるから、拝みたくても拝めないけどねえ。この山を乗り越えるまでいてくれるってんなら、それ以上にありがたいことはないさ!」

 亜子さんの答えを皮切りにするようにして、厨房のあちこちから僕の質問に答える声が聞こえてくる。その内容は全部『やることがないわけがない』みたいなニュアンスで一致していて、この場がどれだけ多忙な状況で回しているのかという事を改めて実感させられた。

 話しながら回しているという時点でまだ余裕は残っているのかもしれないが、話していようといまいとクオリティが変わらないならそれはもう限界点なのかもしれない。……なんにせよ、僕もずっとこのまま迷っていていいわけではなさそうだ。

「……分かりました。それじゃあ、僕は何をすればいいですか」

「あたしのことも遠慮なく頼りにしていいからね! 紡君とあたし、それに亜子ちゃんが居れば百人力だよ!」

 意を決して手伝いを始める僕の隣に立って、千尋さんが勇ましく宣言をしてくれる。それに厨房の中は一瞬どっと沸きたつと、一人の男の人が俺の肩を叩いた。

「よく言ってくれた少年、君がいてくれるだけでこっちは大助かりだ! とりあえず、少年にはいろんな材料やら出来上がった料理やらの運搬をお願いしてもいいか?」

「運搬、ですか?」

「ああ、今は材料を移動させるために動く時間すらもったいないからな! 切った野菜をフライパンに投入する、出来上がった料理をカウンターまで持っていく。そういう役割が一人増えるだけで持ち場を離れる時間が減って大助かりってもんだ!」

 超高速で食材の下ごしらえを終わらせながら、男の人はきっぱりとそう断言する。言われて厨房の中を見回してみれば、確かに全員とある一点を拠点として動いているように思えた。

 まな板の前だったり鍋の前だったり拠点になる場所は様々だが、きっと自分の技術が一番活かせる場所を中心にしているうちにそうなっているのだろう。中心から動く時もその動きは機敏なもので、時間にして重病もないぐらいだった。

 だがしかし、その十秒がロスに分類される時間なことは間違いない。それを僕が介入することで軽減できるなら、それは立派な役割だと言って何も問題ないだろう。

「分かりました。……少し不安ではありますけど、やってみます」

「おう、若いうちはトライアンドエラーが大事だからな! 大丈夫だ、失敗しても責める奴は誰もいねえさ!」

 僕が役割を引き受けると同時、満足げな笑顔とともに僕の手の中に大きなボウルが預けられる。ずっしりと重いそれを突然受け止めたことで腰が少し痛みそうになったが、どうにか耐えて僕はあたりを見回した。

「あ、それは次こっちで使う奴よ!」

「分かりました、すぐ行きます!」

 目的地を探していた僕を見つけて一人の女性が声をかけてくれ、そのおかげで僕は無事に材料を次の場所に渡すことに成功する。移動の速度的にはあまり早くないけれど、その移動の間にもあの男の人が次の下ごしらえを始められているとすれば貢献自体は十分できているはずだ。……あとは、僕もこの厨房のスピードにできる限り慣れられるようにしないと。

「おい皆、下ごしらえとか調理が終わった奴は出来そうだったらあそこの少年に預けてやってくれ‼ 相変わらず人手が足りないのは間違いねえが、それでも力にはなってくれるはずだ」

「そいつあ助かる、往復するだけで時間の無駄だったからな! ……君、今からこっちに来れるか⁉」

「分かりました、すぐに向かいます!」

 さっきの男の人が僕の存在を周知したと同時、助力を求める人の声は急速に増える。厨房の中を右へ左へ前へ後ろへ、止まることなく僕は走り続けた。

 だんだん息は切れてくるのだけれど、僕の中には間違いない充足感がある。この慌ただしい雰囲気の中になじめているのがなんだか誇らしくて、それが足を動かしてくれる。もっとできるだろうって、そんなことを自然に思える。

「紡君、こっち来れる⁉」

「了解千尋さん、今行く!」

 そんな中でかき氷を一心不乱に作り続けていた千尋さんから声がかかって、僕はそれを受け取りに行く。次はカウンター目指して持って行こうという所で、後ろから千尋さんの声が聞こえた。

「……紡君、楽しんでる?」

 その内容に、僕は一瞬だけ動く速度を緩める。その一瞬だけで、どう答えたいかを決めるには十分だった。

 手伝いに楽しいも何もないだろうと、手伝う前の僕だったらそう答えていたかもしれない。千尋さんと一緒ならともかく持ち場は違うし、一瞬たりとも足を止める暇もないし。とんでもなくキツイと、そう弱音を吐いてすらいたかもしれない。

 だけど、今感じているのはもっと違うものだ。そりゃもちろん息は切れるし苦しいけれど、足を止めようとはならない。ピークを越えるまでどうにか粘ってやろうと、そんな気概だけが僕の中にはあって。

「そりゃもちろん、これも含めて最高に楽しんでるよ!」

 カウンターに向けてかき氷を運びながら、僕ははっきりと口に出して答えた。
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