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第八十話『僕は後ずさる』
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突然会話に割り込んできたこと、僕からしたら絶対に初対面の人であること、そしていかにも地元の人であろうという風体。そのどれもが僕を驚かせたけれど、一番驚いたのはその呼び方だ。千尋さんのことを『ちー』と呼び捨てにする人と、僕は初めて遭遇した。
「今年も来てくれてありがとうなあ、おっさんもアイツも諸手を挙げて歓迎するぜ! しかも今年は一人じゃなくてカップルでってあっちゃあ、おっさんとしては赤飯を焚かずにはいられねえよ!」
「お赤飯いいね、確かにしばらく食べてなかった! ねねね、紡君は赤飯大丈夫?」
「……あ、うん。大丈夫っちゃ大丈夫、だけど……」
正面に立つ男の人から目が離せないまま、僕は千尋さんの質問に答える。この人が何者なのか頭では理性的な結論を出せるのだけれど、本能がまだ突然の登場にびっくりし続けていた。……いや、本当にいつの間に僕たちの後ろまで歩いてきたんだ……?
「ああ、驚かせちまったか。悪いな、いつもちーを歓迎するノリでそのまま来ちまった」
気づかないうちに三歩ほど後ずさりをしていた僕を見て、男の人は心配するような表情を浮かべる。その表情になったとたん豪快さは影を潜めて、その代わりに優しい雰囲気が前面に現れていた。
「そうだね、おじさんはこれが平常運転だ。あたしはそれを知ってるからいいけど、紡君にとっては確かにすごくびっくりすることかもしれないね」
「……うん、びっくりした。結構本気でびっくりした」
千尋さんの冷静な同意に、僕はまだ少し声を震わせながら頷く。悪い人じゃないのは分かったけれど、びっくりしてしまった本能は立て直すまでに時間がかかっていた。
「悪いな、こういう所で豪快に行きたくなっちまうのはおっさんの悪い癖だ。おっさんの勇み足だと思って許してくれると助かる」
「……はい、大丈夫です。確認なんですけど、貴方が千尋さんの取ってくれた民宿の――」
「ああ、その認識で会ってる。新谷 蒼汰だ、気軽におじさんって呼んでくれていいぜ?」
「いえ、それは流石に……。しばらくは新谷さんと呼ばせてください、僕のことは紡と呼び捨てにしてくれて構わないので」
新谷さんの差し出した手を取りながらも、僕は提案をやんわりと辞退する。新谷さんの距離の詰め方がナチュラルな物なのは何となく分かってきたけれど、そのノリについて行くとなると民宿に着く前に気力が枯渇してしまいそうだった。
「ふふふ、紡君もおじさんと仲良くなれそうで嬉しいよ。びっくりしちゃわないかどうかだけが心配だったからね」
「事実びっくりはしたけどね……。千尋さんのフォローがあってくれて助かったよ」
もしも一対一で新谷さんと遭遇していたら、僕は後ずさりの勢いのままこの街を去っていたかもしれない。千尋さんめがけてやってきてくれた存在であることが、僕の中では一つ大きな要因だった。
「さて、立ち話もなんだしそろそろ俺の宿に移動すっか。クーラーもしっかり効かせてるし、アイツも母ちゃんと一緒に色々と準備しながら待ってるからよ」
「うんうん、それは早めに移動しなくちゃね! 一年たってあの子の料理がどれだけ進化してるのか、今からもう楽しみだよ!」
新谷さんの呼びかけをきっかけとして、立ち止まっていた僕たちは目的地に向かって歩き出す。一緒のバスに乗ってきた観光客は各々の宿に向かっていて、バス停には僕たちしか残されていない。
「さ、紡君も一緒に行こ! あの民宿にはあたしと同い年の女の子がいるんだけどね、料理が本当に上手なんだよ?」
「確かに千尋さん、『できるだけ朝ごはんは少なくしておいてね』ってしきりに言ってたもんね。その理由はこれだったわけか」
にこにこと笑う千尋さんに連れられて、僕たちは今度こそ民宿へと歩き出す。少しためらった後手を繋いだ僕の姿を見て、新谷さんはさっきとは違う静かな笑みを浮かべて――
「……ちーよ、真っ当に若者出来てるじゃねえか」
――どこか泣きそうな声がかすかに聞こえてきたけれど、僕がその真意をくみ取るのはもう少し先の話だった。
「今年も来てくれてありがとうなあ、おっさんもアイツも諸手を挙げて歓迎するぜ! しかも今年は一人じゃなくてカップルでってあっちゃあ、おっさんとしては赤飯を焚かずにはいられねえよ!」
「お赤飯いいね、確かにしばらく食べてなかった! ねねね、紡君は赤飯大丈夫?」
「……あ、うん。大丈夫っちゃ大丈夫、だけど……」
正面に立つ男の人から目が離せないまま、僕は千尋さんの質問に答える。この人が何者なのか頭では理性的な結論を出せるのだけれど、本能がまだ突然の登場にびっくりし続けていた。……いや、本当にいつの間に僕たちの後ろまで歩いてきたんだ……?
「ああ、驚かせちまったか。悪いな、いつもちーを歓迎するノリでそのまま来ちまった」
気づかないうちに三歩ほど後ずさりをしていた僕を見て、男の人は心配するような表情を浮かべる。その表情になったとたん豪快さは影を潜めて、その代わりに優しい雰囲気が前面に現れていた。
「そうだね、おじさんはこれが平常運転だ。あたしはそれを知ってるからいいけど、紡君にとっては確かにすごくびっくりすることかもしれないね」
「……うん、びっくりした。結構本気でびっくりした」
千尋さんの冷静な同意に、僕はまだ少し声を震わせながら頷く。悪い人じゃないのは分かったけれど、びっくりしてしまった本能は立て直すまでに時間がかかっていた。
「悪いな、こういう所で豪快に行きたくなっちまうのはおっさんの悪い癖だ。おっさんの勇み足だと思って許してくれると助かる」
「……はい、大丈夫です。確認なんですけど、貴方が千尋さんの取ってくれた民宿の――」
「ああ、その認識で会ってる。新谷 蒼汰だ、気軽におじさんって呼んでくれていいぜ?」
「いえ、それは流石に……。しばらくは新谷さんと呼ばせてください、僕のことは紡と呼び捨てにしてくれて構わないので」
新谷さんの差し出した手を取りながらも、僕は提案をやんわりと辞退する。新谷さんの距離の詰め方がナチュラルな物なのは何となく分かってきたけれど、そのノリについて行くとなると民宿に着く前に気力が枯渇してしまいそうだった。
「ふふふ、紡君もおじさんと仲良くなれそうで嬉しいよ。びっくりしちゃわないかどうかだけが心配だったからね」
「事実びっくりはしたけどね……。千尋さんのフォローがあってくれて助かったよ」
もしも一対一で新谷さんと遭遇していたら、僕は後ずさりの勢いのままこの街を去っていたかもしれない。千尋さんめがけてやってきてくれた存在であることが、僕の中では一つ大きな要因だった。
「さて、立ち話もなんだしそろそろ俺の宿に移動すっか。クーラーもしっかり効かせてるし、アイツも母ちゃんと一緒に色々と準備しながら待ってるからよ」
「うんうん、それは早めに移動しなくちゃね! 一年たってあの子の料理がどれだけ進化してるのか、今からもう楽しみだよ!」
新谷さんの呼びかけをきっかけとして、立ち止まっていた僕たちは目的地に向かって歩き出す。一緒のバスに乗ってきた観光客は各々の宿に向かっていて、バス停には僕たちしか残されていない。
「さ、紡君も一緒に行こ! あの民宿にはあたしと同い年の女の子がいるんだけどね、料理が本当に上手なんだよ?」
「確かに千尋さん、『できるだけ朝ごはんは少なくしておいてね』ってしきりに言ってたもんね。その理由はこれだったわけか」
にこにこと笑う千尋さんに連れられて、僕たちは今度こそ民宿へと歩き出す。少しためらった後手を繋いだ僕の姿を見て、新谷さんはさっきとは違う静かな笑みを浮かべて――
「……ちーよ、真っ当に若者出来てるじゃねえか」
――どこか泣きそうな声がかすかに聞こえてきたけれど、僕がその真意をくみ取るのはもう少し先の話だった。
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