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第六十九話『僕の存在意義』

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 千尋さんが僕に話を持ち掛けてきたのは、『小説を読めるようになりたい」と言う思いが確かにあったからだ。そこにどんな気持ちの動きがあったのか、そこまでを知ることはできない。そこまでは分かった顔をして語ることはできない。……だけど、それでも分かってることはちゃんと言わなくちゃいけないだろう。

「千尋さんは小説を読めるようになることを通じて、確かに何かを掴もうとしてた。それが何かは分からないけれど、ただぼんやりとした理由で小説を読めるようになりたいって思ったわけじゃない。お姉さんが思っているよりもよっぽど、千尋さんは前に進もうと手を伸ばしてるよ」

 守られることなんて、きっと千尋さんは望んでいるわけじゃない。千尋さんにとってお姉さんは頼れる人ではあるけれど、何からでも守ってくれる英雄じゃない。……お姉さんは、ただの『お姉ちゃん』でしかないのだ。

「……ずいぶん、分かったような口を聞くじゃねえか」

「聞くよ、この一か月僕なりに千尋さんのことをたくさん見てきたんだ。……お姉さんであるあなたには見せられないようなところだって、ちゃんと見てきた」

 お姉さんだからと言って何でも知れるわけじゃないし、彼氏だからと言って全てを見せてくれるわけではない。きっとそれぞれにしか見せない姿も言えない秘密もあって、それが正しいんだ。……だから僕たちは、本当ならいがみ合ってる場合なんかじゃない。

 千尋さんが頭を撫でてくれたことも、夕立が降りしきる中を一緒に走ったことも。あの日の遠足でお互いを『特別だ』って伝えあったあの日に走った感慨も、全部全部僕と千尋さんだけの思い出だ。……それを無視することなんて、絶対にさせてやるものか。

「千尋さんは前に進もうとしてる。過去にどんな傷を負ったかなんて分からないけど、それと向き合って何かを掴もうとしてる。……その道のりの半ばに立って腕を大きく広げることが『守る』ことだなんてまだ本気で言うつもりなら、僕はあなたのことを軽蔑しなくちゃいけなくなるよ」

 まるで警告するように、僕はお姉さんにそう断言する。僕に軽蔑されることなんてお姉さんからしたら別になんでもないことだろうけど、本質はそこじゃない。今問われてるのは、お姉さんの千尋さんに対する向き合い方だ。

 千尋さんの傷ついていた時のことを、僕はまだ知らない。それを知っているのはお姉さんで、それを知っているのはお姉さんだけだ。その時の記憶の断片が、きっと今でもお姉さんを『守る』という考えに向けて突き動かしているのだろう。

「人は変わっていくものだ。そうだよね、お姉さん」

 最初に僕が投げかけられた言葉を、ようやくお姉さんへと投げ返す。人がどれだけ強く想っても、それは時間とともに変わっていくものだ。だけどそれは、きっと悪い咆哮ばかりにじゃない。……いい方向に変われる時だって、長く過ごしていればきっとあるんだ。

 もしそれが今じゃないのだとしても、未だに変わっていないのはお姉さんだけだ。……もう千尋さんはお姉さんの手を離れて、前に進もうと視線を向けている。……だから、届いてくれ。

 もしこの考えが間違っていたなら、あの時僕と千尋さんが出会ったことから間違いだってことになってしまう。……この思いは、今の僕の存在意義をかけた言葉だと言ってもいい。

 そんなことを想うと胸が苦しくなって、僕は思わず目を瞑る。……そんな僕の耳朶を打って、聞こえてきたお姉さんの答えは――

「……そうか。あの日にうずくまって立ち止まり続けてたのは、私の方だったか」

 自嘲の色が濃く染み出した、お姉さんの渇いた笑い声だった。
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