千尋さんはラノベが読みたい――ラノベ作家という僕の秘密を知ったのは、『小説が読めない』クラスのアイドルでした――

紅葉 紅羽

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第五十二話『僕は経験不足』

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「……まあそんな感じで、こいつはこれからも親の仇を追い続けることにはなると思うよ。……多分、それを終えたからと言って命を絶つような真似はしなくなると思うけどさ」

「うんうん、この子にはもうたくさんの仲間が出来ちゃったからね! もう独りじゃないから、きっと目的だって果たせるはずだよ!」

 僕がそう物語を締めくくると、千尋さんは一人でスタンディングオベーションを贈ってくれる。カウンターに座るお姉さんは退屈そうに頬杖を突いてはいるが、それでも最後まで聞いてくれたことだけは間違いなかった。

「最初はとっても危なっかしかったからね、仲間が見つかってくれて本当によかったよ……。それがなかったら物語の中盤で死んじゃってた可能性だってあるわけだし」

「うん、十分あるね。……独りじゃないことに気づけたのが、こいつの大きな転機だったのは間違いないよ」

 一本語り終えた後恒例の感想会で、千尋さんはしみじみとそう呟く。本が読めないことを気にしている千尋さんだが、物語と言うもの自体を理解する力は十分凄いものだ。その感想だけを聞けば、千尋さんが本を読めないことなんて信じられないだろう。

「……というか、よくもまあネタ被りせずに色んな話を提供できるもんだね。これも作家の性ってやつ?」

 話が一段落したところで、お姉さんが息を吐きながらそう質問してくる。それに対して首を縦に振ると、僕は改めて説明した。

「僕って一応作家なんですけど、最近は書籍化までありつくことができてなくって。今千尋さんに話してるのは、僕がこれまでに没にしたりとか、編集部の会議を通らなかったりした物語たちなんですよ」

「あたしからしたらなんでこれが没になるのかわかんないレベルなんだけどねー……お姉ちゃんもそう思わない?」

「ああ、素人からしたらクオリティが高いのは間違い無いね。けどまぁ、そういう業界は上を見たらキリがないってのもまた事実なんだよ」

 カフェだって同じようなもんだし、とお姉さんは千尋さんの言葉にそう付け加える。やはり経営者ということもあってか、その視点は一歩引いて色んなものを見つめているように思えた。

 お姉さんのいう通り、僕の上なんて見上げればキリがなさすぎるぐらいに沢山いるのだ。登っても登っても頂点なんて見えなくて、それにビビってると下からとてつもない速度で登ってくる人たちもいる。……結局のところ、自分にとっての最速で登り続ける以外に道はないんだよな。

「へえ、そういうものなんだね……。あたしも本が読めるようになったらその感覚が分かるのかな?」

「うん、きっと分かるよ。……もしできるなら、それに触れた後でも僕の作品を好きでいてくれると嬉しいけどさ」

 もし千尋さんが色んな本を読めるようになったとして、その時に気にいる作家は誰なのだろう。……気になるような、少し聞くのが怖いような。まぁ、その時が来るまで考えても仕方がないことではあるんだけど。

「大丈夫、読めるようになったからって紡君がいらなくなるなんてことはないよ。あたしにとっての紡君は、小説とかを抜きにしたって大切になってるんだから」

 そんなことを考えると少し恐ろしいような気もしたが、どうやらそれは杞憂だったらしい。……千尋さんがかけてくれる言葉は、まるで僕の心の中を読んでいるかのようにいつも的確だった。

「ありがと、千尋さん。そう言ってくれると気持ちも楽になるよ」

「まったく、一ヶ月経ったってのにお前らの熱はおさまんないねえ。……まぁ、それぐらい仲良くしてくれる方がこっちとしても安心だけどさ」

 僕のお礼に笑顔で応える千尋さんを見て、お姉さんは呆れるような羨むような口調でそんなことを呟く。それを聞いて千尋さんは顔を真っ赤に染めると、慌てた様子で話題を別の所へと移した。

「そっ、そういえば紡君は今も新しい作品書いてるんだよね! たしかラブコメ……だっけ?」

「……うん、まぁね。上手く行ってるかどうかは少し不安だけど」

 その話題が偶然さっきの氷室さんとの会話に絡み、僕は思わず言葉を詰まらせる。……正直なところ、普段よりよっぽど筆の進みが遅いというのが現状だった。

「僕の中の引き出しが少ないというか、あまり広がってかないというか……難しいんだよなぁ、とにかく」

「引き出しが少ない……要は経験不足か」

 僕が言葉を濁したところを、お姉さんが的確に突き抜いてくる。それに対して抗議しようとお姉さんへと視線を向けると、何やらカウンターの奥に手を突っ込んでガサゴソとしている姿が目に映った。

「大丈夫さ、経験不足なら今から積み上げればいい。なんせお前たちは青春真っ盛りなんだから」

 そう言いながらお姉さんは何かを探りあて、僕の方へと滑らせてくる。……それは細長い長方形をした、二枚の薄い紙切れで。

「……動物園の、チケット?」

「その通り。前は二人きりじゃなかったって話だし、今度こそデートとして行ってきてもいいんじゃないか?」

 場所は違うけどさなんて言いながら、お姉さんは僕達に向かって笑みを浮かべる。……その姿は、まるで後光が差しているように見えた。
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