千尋さんはラノベが読みたい――ラノベ作家という僕の秘密を知ったのは、『小説が読めない』クラスのアイドルでした――

紅葉 紅羽

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第四十九話『僕と夏』

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『今打ち合わせ終わったよ。氷室さんの熱弁は今日も絶好調だった』

 お会計を済ませて外に出るなり、僕は千尋さんに向かってメッセージを送信する。少し予定してた時間よりも長引いてしまったから心配ではあったけれど、まるで待ち構えていたかのようにすぐさま返信が画面の中に浮かび上がった。

『了解、それじゃああたしも駅に向かうね! お姉ちゃんも今日は貸し切りにしてくれたって話だし、涼しいところでのんびり話そー!』

 テンションが上がっているのがはっきりとわかる文面の後に、特徴的なスタンプが二つ添えられる。『楽しみ!』と『気を付けて!』と書かれた看板を持ったゴリラがピコピコと動いていて、僕は思わず街中で吹き出しそうになってしまった。

 それに僕も『オーケー!』のスタンプを返し、駅に向かって歩き始める。氷室さんは僕の交通費事情を気遣っていつも駅近くのカフェに集合場所を設定してくれるのだが、最近そのありがたみはどんどんと増していくばかりだった。

 今までは打ち合わせをしたら帰るほかなかったけれど、最近はすぐ帰ることの方が珍しいからね。この暑さの中で移動するのは未だに慣れなくても、その後に楽しい時間が待っているなら安いものだ。

 休日という事もあって少し混んでいる歩道を進みながら、僕は何となく空を見上げる。入道雲の子供のような雲が黙々と空に浮かんでいて、空までもが夏仕様に模様替えをしているかのようだった。

 駅まではのんびり歩いても大体七分あれば着くし、千尋さんを待たせることもないだろう。そんなことを思いながら、僕は普段よりも歩幅を縮めて歩いていく。景色がゆっくりと後ろに流れて行って、一歩歩くたびに熱された空気が頬を撫でた。

――夏という季節は、昔から好きじゃない。暑いし、それなのにたくさん外に出なくてはいけないし。……あの夏以来『あの子』に出した手紙はずっと返ってきていないことが、それを決定づける最後の一押しになった。

 今更『あの子』への感情がどうのこうのとか、そういうことを言うつもりは微塵もない。今の僕にとっての特別は千尋さんで、それは決して揺るがないものだ。……だけど、それはそれとしてトラウマって奴は簡単に逃がしちゃくれないわけで。

 夏。思い出がたくさんできる季節。だからこそ、過去を忘れるにはちょうどいい季節。……いろんな人間関係が、新たな出来事によって塗り替えられる季節。

 だから、夏は僕の敵だった。きっと『あの子』も夏に何かがあって、そして僕のことを忘れて行ったのだろう。ボクの事を忘れていることも忘れるぐらいに、きっと楽しい思い出を今も作っているのだろう。……それは、とても悲しいことでもあるのだけれど。

(――いつか僕も、同じことをする日が来るのかな)

 千尋さんと会うために歩を進めながら、僕はふとそんなことを思う。僕もいつか記憶が千尋さんとの思い出だけで埋め尽くされて行って、信二の事とか『あの子』との思い出も忘れて行ってしまうのだろうか。そうしたら、忘れられることを怖がらなくてよくなる日も来たりするのだろうか。

 そうなってほしいのか欲しくないのか、今の僕には分からない。分からないけれど、だからと言って自分から答えを探しに行けるようなことでもない。……思い出が積み重ならなくちゃ、それがどんな形で僕の中に根付いていくかも分からないんだから。

 頭の中に何度も浮かび上がってくる疑問に今日も同じようなケリをつけて、僕はまたぼんやりと景色を眺める。そのうちに駅前のビジョンから流れるうるさいCMの音が聞こえてきて、歩行者信号が青になったことを示すピヨピヨという音声が重なってくる。それが聞こえてきたら、駅まではあともう少しだ。

 少し浮足立ちながら横断歩道を渡り、駅前の広場に到着する。そこにはたくさんの人がいて、うっかりすれば流されてしまいそうになる。……だけど、幸いそうはならなかった。

 人が群がる駅前広場、その中でひときわ目を引く人が居る。街ゆく人も一瞬視線を奪われてしまうぐらいにキラキラとした、白いワンピースを着こなす一人の少女が俺に向かって手を振っていた。

「紡君、こっちこっちー!」

 ぱたぱたとかわいらしく飛び跳ねながら、僕の姿を見つけた千尋さんは目一杯の合図を送る。それに応えて近づいていくと、その表情が柔らかくほころんだ。

「紡君、打ち合わせお疲れ様! どう、疲れてない……?」

「うん、だいぶ暑さにも慣れてきたし。……それに、あそこは涼しいでしょ?」

 ねぎらいの言葉を受け取りながら、僕はさっき送ってくれた文面を思い出してそう告げる。それを聞いた千尋さんの表情は、まるで花が咲いたかのように可憐なもので――

「うん、もちろん冷やしてもらってるよ! それじゃあ行こっか、紡君!」

 俺の方に手を差しだしながら、千尋さんは目的地であるお姉さんのカフェへと歩き出す。人波の中で離れることがないように、僕はおずおずと千尋さんの白い手を握り締めた。
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