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第四十八話『僕は宣言する』
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――外ではせっかちなセミが心細げに鳴いていて、季節が夏に差し掛かっていることを教えてくれている。梅雨も終わりかけに差し掛かって太陽が勢力をより強めていく外の様子を眺めながら、僕はアイスコーヒーを一口すすった。
「……それで、どうですか。『何かが変わりそうな気がする』……と照屋さんが教えてくれてから、もう少しで半月が経とうとしていますが」
正面に座る氷室さんは、今日も今日とてクリームたっぷりのフラペチーノをちびちびと運んでいる。イケメンと甘いものという組み合わせ自体はとても和やかなものだったが、その口調だけがあまりに真剣であまりにミスマッチだった。
これもまた『ギャップ萌え』と言う奴なのかもしれないが、それにしたってTPOぐらいは存在してたっていいだろう。そんなことを言いたくなったけれど、今の僕にそれを言っているだけの余裕はない。何せ、この場で問い詰められているのは僕の方なのだから――
「編集者として心苦しいですが、単刀直入にお伺いします。……次の原稿が完成するのは、いつのことになりそうですか?」
「う……それ、は」
まっすぐ僕の方を見つめてくる氷室さんから目を逸らしつつ、僕は言葉を詰まらせる。前よりは人と一対一で話すことに抵抗はなくなりつつあったけれど、それでも氷室さんが持つ独特の雰囲気に慣れられるのはまだ先になりそうだ。
「ええ、分かっています。六月の連載会議にも作品を提出したあなたを即座に催促するのは私だって心苦しい。……ですが、どうか分かっていただけると嬉しいのです。私は、一皮むけたあなたが描く世界をとても楽しみにしているのだと」
「はい、わかってます。『私は同情からあなたの編集者として付くのではない』んですもんね」
初対面の時にいきなり言われたその言葉を復唱して、僕は小さく首を縦に振る。普段からクールなせいで見えづらいけど、氷室さんは僕のことを高く買ってくれている人の筆頭と言ってもよかった。
少しまぜっかえすような僕の返答に氷室さんは小さく目を見開いて、それからほうっと一つ息を吐く。それだけで繊細に泡立てられたクリームが揺れて、崩れる寸前でどうにか形を持ち直した。
「ええ、それは今でも変わりません。私は、照屋さんが持っている無限の可能性を信じている」
「無限の可能性、ですか」
「はい。望むなら何者にだってなれるようなしなやかさを、今もあなたは持っている。子供から大人になるにつれて忘れて行ってしまうような、ある意味『童心』と言ってもいいものを」
僕のオウム返しをきっかけとして、氷室さんの言葉に熱がこもりだす。微かに身を乗り出した氷室さんの眼は、どことなく楽しそうな光を纏っていた。
「――例えば、この一か月だけでも照屋さんは大きく変わりました。無茶を承知で私が一皮むけることを期待したあの日から、ずっと大きくなったように見える。……少し、背筋が伸びたように見える」
「……っ」
そう言われて、思わず背中の方に力がこもる。……氷室さんの期待の視線に、僕はむしろ縮こまっていたような気がしたからだ。
その動作を見て、氷室さんはくすりと笑う。千尋さんのような柔らかい笑顔ではないけれど、氷室さんも笑うとまた印象がはっきり変わるものだから不思議な話だった。
「そう、そういう所ですよ。……自分では気づいていないかもしれませんが、あなたは確実に成長している。一皮むけて、また新しい形を得ようとしている。それを見られるのは、昔から照屋さんを担当してきた私の特権ですね」
長年専属で担当することの醍醐味です――と。
心底楽しそうな表情を浮かべ、氷室さんはフラペチーノを一口。飲み終わったその口元でクリームが白いひげのようになっていて、僕の緊張が少しほぐれたような気がした。
「だから、私は次の照屋さんの作品が楽しみでならないんです。決定的に一つ大きくなったあなたがどんな世界を描いてくれるのか、どんなキャラクターを紙の上に生み出してくれるのか。……催促がよくないと分かっていてもそうしたいと思ってしまうぐらいには、熱烈に」
「はい……ありがとう、ございます」
はっきり言ってその感情を受けることはプレッシャーでもあるけれど、氷室さんからそこまで言ってもらえるのはありがたい話だ。その言葉があれば、執筆に向かおうとする僕の心がしなびることはないだろう。ただ一つ問題があるとするなら、たとえパソコンに向き合えたとしても原稿が進むとは限らないという所になるのだけれど――
「……ああ、そうだ。照屋さんがもしよければ、次に各ジャンルだけでも教えていただけませんか。それによって私も色々と動きを変えなければいけませんから」
そんな僕の懸念をよそに、氷室さんはぐいぐいとこちらに問いかけてくる。その積極性には驚くしかないけれど、その質問なら安心だ。……今の僕でも、ちゃんと答えられる。
「ああ、はい。……今まで書いてきたジャンルと違うんで、驚かないでほしいんですけど――」
氷室さんの視線に正面から向き合い、僕は一つ頷く。そして、僕はあの遠足から今に至るまでに起きた様々な出来事を思い返しながら――
「――ラブコメを、書こうと思ってます」
そう、氷室さんに宣言した。
「……それで、どうですか。『何かが変わりそうな気がする』……と照屋さんが教えてくれてから、もう少しで半月が経とうとしていますが」
正面に座る氷室さんは、今日も今日とてクリームたっぷりのフラペチーノをちびちびと運んでいる。イケメンと甘いものという組み合わせ自体はとても和やかなものだったが、その口調だけがあまりに真剣であまりにミスマッチだった。
これもまた『ギャップ萌え』と言う奴なのかもしれないが、それにしたってTPOぐらいは存在してたっていいだろう。そんなことを言いたくなったけれど、今の僕にそれを言っているだけの余裕はない。何せ、この場で問い詰められているのは僕の方なのだから――
「編集者として心苦しいですが、単刀直入にお伺いします。……次の原稿が完成するのは、いつのことになりそうですか?」
「う……それ、は」
まっすぐ僕の方を見つめてくる氷室さんから目を逸らしつつ、僕は言葉を詰まらせる。前よりは人と一対一で話すことに抵抗はなくなりつつあったけれど、それでも氷室さんが持つ独特の雰囲気に慣れられるのはまだ先になりそうだ。
「ええ、分かっています。六月の連載会議にも作品を提出したあなたを即座に催促するのは私だって心苦しい。……ですが、どうか分かっていただけると嬉しいのです。私は、一皮むけたあなたが描く世界をとても楽しみにしているのだと」
「はい、わかってます。『私は同情からあなたの編集者として付くのではない』んですもんね」
初対面の時にいきなり言われたその言葉を復唱して、僕は小さく首を縦に振る。普段からクールなせいで見えづらいけど、氷室さんは僕のことを高く買ってくれている人の筆頭と言ってもよかった。
少しまぜっかえすような僕の返答に氷室さんは小さく目を見開いて、それからほうっと一つ息を吐く。それだけで繊細に泡立てられたクリームが揺れて、崩れる寸前でどうにか形を持ち直した。
「ええ、それは今でも変わりません。私は、照屋さんが持っている無限の可能性を信じている」
「無限の可能性、ですか」
「はい。望むなら何者にだってなれるようなしなやかさを、今もあなたは持っている。子供から大人になるにつれて忘れて行ってしまうような、ある意味『童心』と言ってもいいものを」
僕のオウム返しをきっかけとして、氷室さんの言葉に熱がこもりだす。微かに身を乗り出した氷室さんの眼は、どことなく楽しそうな光を纏っていた。
「――例えば、この一か月だけでも照屋さんは大きく変わりました。無茶を承知で私が一皮むけることを期待したあの日から、ずっと大きくなったように見える。……少し、背筋が伸びたように見える」
「……っ」
そう言われて、思わず背中の方に力がこもる。……氷室さんの期待の視線に、僕はむしろ縮こまっていたような気がしたからだ。
その動作を見て、氷室さんはくすりと笑う。千尋さんのような柔らかい笑顔ではないけれど、氷室さんも笑うとまた印象がはっきり変わるものだから不思議な話だった。
「そう、そういう所ですよ。……自分では気づいていないかもしれませんが、あなたは確実に成長している。一皮むけて、また新しい形を得ようとしている。それを見られるのは、昔から照屋さんを担当してきた私の特権ですね」
長年専属で担当することの醍醐味です――と。
心底楽しそうな表情を浮かべ、氷室さんはフラペチーノを一口。飲み終わったその口元でクリームが白いひげのようになっていて、僕の緊張が少しほぐれたような気がした。
「だから、私は次の照屋さんの作品が楽しみでならないんです。決定的に一つ大きくなったあなたがどんな世界を描いてくれるのか、どんなキャラクターを紙の上に生み出してくれるのか。……催促がよくないと分かっていてもそうしたいと思ってしまうぐらいには、熱烈に」
「はい……ありがとう、ございます」
はっきり言ってその感情を受けることはプレッシャーでもあるけれど、氷室さんからそこまで言ってもらえるのはありがたい話だ。その言葉があれば、執筆に向かおうとする僕の心がしなびることはないだろう。ただ一つ問題があるとするなら、たとえパソコンに向き合えたとしても原稿が進むとは限らないという所になるのだけれど――
「……ああ、そうだ。照屋さんがもしよければ、次に各ジャンルだけでも教えていただけませんか。それによって私も色々と動きを変えなければいけませんから」
そんな僕の懸念をよそに、氷室さんはぐいぐいとこちらに問いかけてくる。その積極性には驚くしかないけれど、その質問なら安心だ。……今の僕でも、ちゃんと答えられる。
「ああ、はい。……今まで書いてきたジャンルと違うんで、驚かないでほしいんですけど――」
氷室さんの視線に正面から向き合い、僕は一つ頷く。そして、僕はあの遠足から今に至るまでに起きた様々な出来事を思い返しながら――
「――ラブコメを、書こうと思ってます」
そう、氷室さんに宣言した。
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