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第四十六話『僕は名付ける』
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その一歩を踏み込んだら戻れなくなることは、きっと最初から覚悟していた。この先僕はたくさんの変化に巻き込まれて、元通りの僕には決して帰り着けない。それがいい結果であれ悪い結果であれ、僕の明日からの生活は――いや、帰りのバスから多分生活は変わっていくことになるだろう。
それを分かったうえで、僕はなおも千尋さんの眼を見つめ続ける。……目の前に立つ千尋さんこそが僕にとって本当に特別でありたい人だと、そう思ったからだ。
「……信二が千尋さんにアプローチしようとしてるってのは、前もって聞いてた。途中まで何とか協力できないかって、あれこれ考えたりもしてた。たとえ僕のことを利用するような真似をしてたとしても、信二は僕の友達……だった、から」
『だった』と過去形を使った瞬間、僕の心がズキリと痛む。きっともう信二とは元の関係に戻れなくて、特別でも何でもないただの他人同士になる。もしかしたら、忘れたい記憶として僕の事なんて最初からいなかった風に扱ってくることもあるかもしれない。
だけど、それならそれで別にいい。信二の気持ちを慮る必要なんて、もうどこにもないんだから。
「だけど、途中からなんでか凄くざわざわした。信二が割り込んでくるたびに、嫌な気持ちがした。……お土産屋さんで信二が割り込んできた時は、『邪魔だ』って直接言ってやりたくなった」
きっと、転機はあの時だ。あの時、僕は決定的に理解したんだと思う。僕が本当に大切にしたいのがどっちなのか、その明確な答えを。
「……そう、だったんだね。そりゃ確かに浮かない顔もするわけだよ」
僕の言葉をゆっくりと聞いて、千尋さんは優しい声色で受け止めてくれる。それが温かくて、なんだか泣きそうになった。
「あたしね、照屋君と遠足回れて嬉しかったんだ。いろんなところを回っていろんなお話が聞けるって思ってた。あたしもいろいろ話したいって思ってた。……だからさ、『じゃまだなあ』って桐原君のことを見てたのはあたしも一緒なんだよね」
これは内緒だよ――と、千尋さんは口の前に指を当てながらくすりと笑う。……千尋さんが他の人にそういう感情を見せるのは珍しい気がして、けれどすぐに見せていないだけだと思い至った。
千尋さんはきっと、周りが求めるクラスのアイドルになろうと少なからず気を遣っているのだ。だから遠足の班決めもとりあえず全部案は聞くし、皆の波風が立たないように振る舞える。……その裏には、きっといろんな感情もあるだろうに。
「その皆の中に、僕は入れないでいいの?」
「いいんだよ、と言うか入れたくない。……照屋君は、他の子たちと違うもん」
それを確かめるような問いかけに、千尋さんから思った以上のカウンターが飛んでくる。……その言葉は、僕にとって何よりの殺し文句だ。
「……違う、っていうのは?」
「あ、もちろんいい意味だよ? ……あたしのことを一緒に受け止めてくれる人、照屋君しかいないもん」
少し照れたように頬を指でかきながら、千尋さんは小さな声でそう呟く。だけど近くにいる僕にはそれがはっきりと聞こえて、頬が急速に熱くなった。
なんだこれ、人の頬ってこんなに熱くなるものなのか。ただ言葉を聞いて、目を見ているだけなのに。……それだけなのに、こんなに嬉しくなるものなのか。
「……いきなり話しかけてきたあたしの秘密をまっすぐ受け止めてくれて、力になってくれて。……嬉しかったんだ。あたしの秘密を知っても一緒に居てくれる人が家族のほかにもいたことが、嬉しかった」
「まあ、あれだけ真剣に頼まれたらね。……作家モードの僕のことを見てそう思ってくれたなら、なおのことさ」
僕にとって、作家であり続けることは一つの手段だった。作家であり続ければ忘れられないと、そう思って小説を書き続けていた。……だけど、今はそこにもう一つの理由が付け加えられている。
「ほかの誰でもない『僕』の物語を求めてくれる人が居るってこんなに嬉しいんだって、心から思った。千尋さんにみんなの物語を話すのが、僕も楽しかった」
今まで本にならなかった物語たちのことを、僕はずっと覚えている。たとえ小説にならなかっとしても、僕の中でその物語は動き続け、キャラは生き続けている。……それを忘れることは、ボク自身の手で物語を完全に殺すことに他ならなかった。
だから、聞いてくれるのが嬉しかったんだ。誰かの中でもそのキャラクターたちが生きていてくれることが、本当に嬉しかった。……もっと知ってほしいと、心からそう思うぐらいに。
「これからも、千尋さんにいろんな物語を話したい。この先また小説を出すことになっても、出せない日々が続いても。……たとえ、千尋さんがいつか本を読めるようになっても、ずっと」
「……うん」
新たに生まれた僕の思いを、千尋さんは小さく頷いて受け入れる。……それを見て、僕の胸はいとど大きく跳ねた。そして自然に、舌の上に一つの言葉が乗る。
まだ知り合ってから少ししかたってないし、気が早すぎることかもしれない。もしかしたら、千尋さんはそこまで深いことを考えて居たわけじゃないかもしれない。そんな思いがいろいろとあたまをよぎるけれど、それはためらう理由にはならなかった。
進みたい。前に進んで、千尋さんの特別になりたい。そう思う感情は、きっと僕だけのものじゃなくて。きっと皆経験していたけれど、『特別』って言葉に固執しすぎたせいで僕にもそれが起きていると気づかなかっただけで。
誰かの特別になりたくて、二人で過ごすずっと未来のことまでうっかり想像してしまって。……だけど、不思議と悪い気はしなくて口元がにやけてしまう。そんな感情を、世界でたった一人に向ける特別な感情を――
「……好きです、千尋さん」
――きっと先人は、『恋心』と名付けたのだろう。
それを分かったうえで、僕はなおも千尋さんの眼を見つめ続ける。……目の前に立つ千尋さんこそが僕にとって本当に特別でありたい人だと、そう思ったからだ。
「……信二が千尋さんにアプローチしようとしてるってのは、前もって聞いてた。途中まで何とか協力できないかって、あれこれ考えたりもしてた。たとえ僕のことを利用するような真似をしてたとしても、信二は僕の友達……だった、から」
『だった』と過去形を使った瞬間、僕の心がズキリと痛む。きっともう信二とは元の関係に戻れなくて、特別でも何でもないただの他人同士になる。もしかしたら、忘れたい記憶として僕の事なんて最初からいなかった風に扱ってくることもあるかもしれない。
だけど、それならそれで別にいい。信二の気持ちを慮る必要なんて、もうどこにもないんだから。
「だけど、途中からなんでか凄くざわざわした。信二が割り込んでくるたびに、嫌な気持ちがした。……お土産屋さんで信二が割り込んできた時は、『邪魔だ』って直接言ってやりたくなった」
きっと、転機はあの時だ。あの時、僕は決定的に理解したんだと思う。僕が本当に大切にしたいのがどっちなのか、その明確な答えを。
「……そう、だったんだね。そりゃ確かに浮かない顔もするわけだよ」
僕の言葉をゆっくりと聞いて、千尋さんは優しい声色で受け止めてくれる。それが温かくて、なんだか泣きそうになった。
「あたしね、照屋君と遠足回れて嬉しかったんだ。いろんなところを回っていろんなお話が聞けるって思ってた。あたしもいろいろ話したいって思ってた。……だからさ、『じゃまだなあ』って桐原君のことを見てたのはあたしも一緒なんだよね」
これは内緒だよ――と、千尋さんは口の前に指を当てながらくすりと笑う。……千尋さんが他の人にそういう感情を見せるのは珍しい気がして、けれどすぐに見せていないだけだと思い至った。
千尋さんはきっと、周りが求めるクラスのアイドルになろうと少なからず気を遣っているのだ。だから遠足の班決めもとりあえず全部案は聞くし、皆の波風が立たないように振る舞える。……その裏には、きっといろんな感情もあるだろうに。
「その皆の中に、僕は入れないでいいの?」
「いいんだよ、と言うか入れたくない。……照屋君は、他の子たちと違うもん」
それを確かめるような問いかけに、千尋さんから思った以上のカウンターが飛んでくる。……その言葉は、僕にとって何よりの殺し文句だ。
「……違う、っていうのは?」
「あ、もちろんいい意味だよ? ……あたしのことを一緒に受け止めてくれる人、照屋君しかいないもん」
少し照れたように頬を指でかきながら、千尋さんは小さな声でそう呟く。だけど近くにいる僕にはそれがはっきりと聞こえて、頬が急速に熱くなった。
なんだこれ、人の頬ってこんなに熱くなるものなのか。ただ言葉を聞いて、目を見ているだけなのに。……それだけなのに、こんなに嬉しくなるものなのか。
「……いきなり話しかけてきたあたしの秘密をまっすぐ受け止めてくれて、力になってくれて。……嬉しかったんだ。あたしの秘密を知っても一緒に居てくれる人が家族のほかにもいたことが、嬉しかった」
「まあ、あれだけ真剣に頼まれたらね。……作家モードの僕のことを見てそう思ってくれたなら、なおのことさ」
僕にとって、作家であり続けることは一つの手段だった。作家であり続ければ忘れられないと、そう思って小説を書き続けていた。……だけど、今はそこにもう一つの理由が付け加えられている。
「ほかの誰でもない『僕』の物語を求めてくれる人が居るってこんなに嬉しいんだって、心から思った。千尋さんにみんなの物語を話すのが、僕も楽しかった」
今まで本にならなかった物語たちのことを、僕はずっと覚えている。たとえ小説にならなかっとしても、僕の中でその物語は動き続け、キャラは生き続けている。……それを忘れることは、ボク自身の手で物語を完全に殺すことに他ならなかった。
だから、聞いてくれるのが嬉しかったんだ。誰かの中でもそのキャラクターたちが生きていてくれることが、本当に嬉しかった。……もっと知ってほしいと、心からそう思うぐらいに。
「これからも、千尋さんにいろんな物語を話したい。この先また小説を出すことになっても、出せない日々が続いても。……たとえ、千尋さんがいつか本を読めるようになっても、ずっと」
「……うん」
新たに生まれた僕の思いを、千尋さんは小さく頷いて受け入れる。……それを見て、僕の胸はいとど大きく跳ねた。そして自然に、舌の上に一つの言葉が乗る。
まだ知り合ってから少ししかたってないし、気が早すぎることかもしれない。もしかしたら、千尋さんはそこまで深いことを考えて居たわけじゃないかもしれない。そんな思いがいろいろとあたまをよぎるけれど、それはためらう理由にはならなかった。
進みたい。前に進んで、千尋さんの特別になりたい。そう思う感情は、きっと僕だけのものじゃなくて。きっと皆経験していたけれど、『特別』って言葉に固執しすぎたせいで僕にもそれが起きていると気づかなかっただけで。
誰かの特別になりたくて、二人で過ごすずっと未来のことまでうっかり想像してしまって。……だけど、不思議と悪い気はしなくて口元がにやけてしまう。そんな感情を、世界でたった一人に向ける特別な感情を――
「……好きです、千尋さん」
――きっと先人は、『恋心』と名付けたのだろう。
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