千尋さんはラノベが読みたい――ラノベ作家という僕の秘密を知ったのは、『小説が読めない』クラスのアイドルでした――

紅葉 紅羽

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第十七話『千尋さんは無自覚』

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――千尋さんの行動原理は、近くで見ていると思っていた以上にまっすぐだ。やりたいことがあれば素直にそれをしに行くし、頼みたいことがあればほぼ面識がない僕のような人間にも臆することなく話しかけてくるぐらいだ。

 それ自体はとても美徳だと言えるし、千尋さんがここまで皆のアイドルになった理由の一つでもあるんだろう。千尋さんの不断の振る舞いを見て、裏表があるだなんて疑ることの方が失礼というものだった。

 そのまっすぐさは僕も見習いたいと思うし、自分の望みをはっきりと言えるのは大きな美徳だ。……だけど、それが時に災いする場合ってのも往々にして存在するわけで――

「……お前らの気持ちはわかるが、くれぐれも喧嘩が起きないようにしてくれよー……?」

 クラスのとある一角に群がるクラスメイト達に向かって、担任の宮村先生が困惑の声を上げる。まだ二十代の若手教師ってこともあって普段から生徒の人気を集める先生ではあるのだが、この時ばかりはその忠告にほとんど意味はなかった。

 なにせこの時間はクラスメイトのほとんどにとって勝負の時間、全力を尽くさなければほしいものは手に入らないのだ。それが自分の生活を大きく動かすものになるのならば、手を伸ばしに行くのは当然の礼儀というもので。

「千尋ちゃん、ウチら女子組で一緒に回ろ! ほらこれ、もう行きたいスポットリストアップしといたやつ!」

「おいおい、そのプランより行くならこっちだろうが! なあ千尋さん、こっちのほうがいいよな?」

「全くみんな分かってないね、遠足なんてノープランでグダグダ回るから楽しいものだよ。……ねねね、ちひろんもそう思うよね?」

 千尋さんが座っているであろう机を全方位から囲みながら、クラスメイト達は口々に自分の立てたプランを売り込みながら千尋さんにラブコールを贈る。遠足を来週に見据えた六限の自由時間は、千尋さんと一緒の班に入りたい面々による死闘の舞台となっていた。

 日帰りの遠足と言えども目的地は結構豪華なもので、自然公園から遊園地、さらにはアウトレットでお買い物までできるというお得スポットだ。普通にやれば一日で満喫しきることは不可能だからこそ、『いかにしてプランを立ててきたか』というのはすさまじいセールスポイントになる。

 ざっと見ただけでも六班、いや七班ぐらいは今千尋さんにラブコールを贈っているだろうか。んでその班が大体四人から六人で構成されているから、クラスのほぼ全員が千尋さんと一緒の班になろうと手を尽くしているという事になるわけだ。

「……それだけ一緒の班になりたいなら、この時間の前に根回ししておけばよさそうなものだけどね……」

 その『ほぼ』に含まれていない僕は、皆のラブコールを聞きながらふとそんなことを思いつく。……だが、それに答えたのは僕の隣に座るもう一人の例外だった。

「いや、それは事前協定でナシってことになってるらしいぞ。千尋さんに誘いをかけられるのはこの時期になってからっていうのが、クラスの有志主導で事前に決められてるらしい」

「……なんだか、秋ごろに解禁されるワインみたいな扱われ方してるんだね……?」

 それだけ千尋さんに対して本気という事なのだろうが、にしてもとてつもない熱量だ。というか、文化祭とかの行事以外で『有志』なんて言葉を聞くことになるとは思ってもいなかった。

「……でも、信二はその有志側じゃないんだ?」

 僕の知らない世界を見せてくれた友人――信二の方を見やって、僕は重ねて質問を投げかける。あれだけ厚く千尋さんのことを語っていた信二があの輪の中にいないのは、友人としてもかなり意外なところだった。

 だがしかし、その質問に『待ってました』と言わんばかりに信二は胸を張る。……その表情は何かを企んでいるときのものだ。それも大体ろくでもないやつ。

「紡、世の中にはこんな言葉があるだろ?『押してダメなら引いてみろ』……ってな」

「……それ、結構がっつり目に押してみた人が使う手段だと思うけどね?」

 ロクに押してもないのに引いたらそれはただ距離を取ってるだけだし、それをやってる限り千尋さんは遠のいていくばかりだ。……決して頭は悪くないはずなのに、信二の立てる計画はどうしていつもこう斜め上を行くのだろうか。

「それをやるには少し親密度不足というか、なんというか……。信二、今からでも突撃してきたら?」

「無理無理無理、アイツら全力でラブコール考えてきてんだぜ? それに俺はまだどの班に入るか決めてもねえし、千尋さんと二人じゃ班は組めねえよ」

 千尋さんの方を指さしてせっついてみるも、信二は肩を竦めて拒否するばかりだ。普段はアグレッシブなのにこういう所でチキンなのが信二の弱点でもあり、僕が信二のことを怖がらずに済むようになったきっかけでもあった。

……しっかし、まだ信二も班決めてないのか。それは少し意外だな……。

「信二ぐらい人望あってモテるなら、どこにでも『入れてくれ』って言えそうなもんだけどね」

 やれやれと言いたげに首を横に振る信二を見つめつつ、僕はふとそう呟く。……すると、信二はこっちに大きく身を乗り出してきた。

「おう、やっぱりそう思うか? 実はな紡、『押してダメなら引いてみろ作戦』にはまだ続きがあるんだよ」

「続き?」

 続くも何もその名前が全てを物語っているような気はしないでもないけれど、どうも続きが存在するらしい。僕がオウム返しで聞き返すと、信二は大きく頷いた。

「ああ、俺は今まだどこの班にも入ってないだろ? ……だからよ、千尋さんがどこの班に入ったかを見届けてからその班に入れてもらえるように頼み込めば――」

「少なくとも印象は最悪だね、それ……」

 いわゆる『漁夫の利』ってやつだ。確かに千尋さんとは同じ班になれるかもしれないが、仮に千尋さんが女子オンリーの班に入ったらこいつはどうするつもりだったんだろう。

 だけど、その心配は実現しない話だ。協定まで組んで正々堂々やってきた有志の面々には本当に申し訳ないが、この時間は出来レースのようなものなのだ。なんてったって、千尋さんがどうしたいか僕だけは先に知ってしまっているんだから――

「皆、ごめん! 前から組みたいなって思ってる人が居るから、その人に声かけてきてもいいかな?」

 そう思った矢先、皆のラブコールの合間を縫って千尋さんが思いっきり声を張り上げる。……それば、今千尋さんに群がっている面々の中にその人はいないのだという証明でもあるわけで。

「「「「「…………ッ⁉」」」」」

 千尋さんのその言葉を理解して、輪になっていたクラスメイト達がどよめきを上げる。あちこちを見ているその視線は、千尋さんが組みたいと思っている人が誰かを血眼になって探し求めていて。

「おーい、照屋くーん! 来週の遠足なんだけど、一緒に回らなーい?」

「「「「「………………ッッッ⁉」」」」」

「……あ」

 そのタイミングで千尋さんが僕の名前を呼んだことにより、その視線は一点へと集中する。『ありえない』とでも言いたげなざわめきは、さっきよりも何倍も大きくなっていた。

――何度でも言うけれど、千尋さんはまっすぐだ。やりたいことはやりたいっていうし、事情次第でそれを躊躇うなんてこともなかなかしない。それは美徳で、見習いたいものでもある。……だけど今は、今だけはもう少しこそっとしていてほしかった。千尋さんが積み重ねてきた人徳は、周囲の人に大きな影響を与えてしまうのだから。

「……あは、あはは……」

――ゴゴゴゴという擬音がよく似合うような視線がいくつもこっちに向けられる中、僕はかろうじて苦笑いを浮かべる。『穴があったら入りたい』ってこんな状況のことを言うんだろうなあ……なんて、僕はぼんやりと思った。
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