上 下
14 / 185

第十三話『僕は進みたい』

しおりを挟む
「うん、本気で言ってるよ。……あたしがお父さんのことを話題に出す時、本気じゃないことがあった?」

 しかし、そんなお姉さんの変化にもひるむことはなく前山さんはなおも語りかける。普段の無邪気というか元気のいい姿とは違って、今の前山さんはとても大人びて映った。

 こんなにも真剣な表情、もしかしたら学校でもなかなか見ることはできないかもしれない。……クラスの中心にいる前山さんは、いつでも笑っているように見えていたから。

 だけど、その印象はだんだんと僕の中で変化を果たしつつある。僕が思っているよりもずっと前山さんはたくさんの側面を持っていて、クラスで見せてるのはその一欠片に過ぎないんだ。――『クラスのアイドル』なんてのは、前山さんを定義するうちの一つでしかない。

「……正直な話をすると、私は父さんが嫌いだ。自分で背負った重みに耐えられなくなって、それで家族にも迷惑をかけて。……何より、千尋を取り返しもつかないぐらいに傷つけた。仮に今父さんがどんな状況なんだとしても、私は一発ビンタしないと気が済まない」

「知ってるよ、だってお姉ちゃんはあたしのために怒ってくれてるんだもんね。それは嬉しいし、お姉ちゃんのことも大好き。……だけどね、あたしはお父さんも大好きなんだ。できるならまた仲良くしたいって、心からそう思ってる」

 そんなことを思っている間にも二人のやり取りは続いている。……いるんだけど、ここに僕がいていいんだろうか。僕のいることなんか忘れて、二人の話はかなり深いところに突っ込みつつあるような気がしてならなかった。

 僕は前山さんの家族のことを何一つ知らないけれど、それでも話しぶりを聞けば深刻な問題がそこにあることぐらいは分かる。……『小説が読めない』っていう前山さんの秘密が、きっと先天的なものではないのだろうという事も。

 何もせずにこの場に居ることがいたたまれなくてつい考えてしまっていたが、そういうのは後々前山さんの口から聞くべきことなんじゃないだろうか。今はまだ忘れたふりをした方が、僕も前山さんも不用意に傷つくことはないんじゃないか――

「……だからね、あたしはまた小説が読めるようになりたいんだ。あの時のお父さんと似たキラキラを持ってる照屋君がいてくれたら、あたしはそれができると思うの」

「……っ」

 そんな僕の考えは、唐突に僕の方を向き直った前山さんに一瞬で否定される。僕は傍観者なんかではなくむしろこの話題の中心なのだと、はっきりとそう突き付けられたような気がした。

「だけど、父さんがどうなったかは千尋も知っているだろう。……それと同じことが照屋紡にも起こらないと、そう断言できるのか?」

 だがしかし、お姉さんはまだ不安げな様子で千尋さんに問いを重ねる。僕のことを信じていないというよりは、千尋さんのことが心配で仕方がないのだろう。……少なくとも、口調の棘の矛先が僕に向いているような感覚はなかった。

 むしろ、お姉さんは僕の向こう側に『父さん』を見ているんじゃないだろうか。いつだか前山さんを大きく傷つけてしまった、憎むべき人の姿を。

 あんまり誰かの姿と重ね合わせられるのは好きじゃないんだけど、こればっかりはしょうがないことだ。かつて自分を傷つけた人と似たものを持ってる人を連れてきたなんて、普通に考えたら焦らずにはいられない状況だし。

「……ならないって、断言はできないと思う。あの時のあたしは子供で分からなかったけど、キラキラの裏には辛いこともたくさんあるって今なら理解できるもん」

 その質問を受けて、前山さんは僕の方を見つめながらぽつぽつと答える。その瞳に中に映る僕を、前山さんはどんなものとしてみているのだろうか。『お父さん』と類似した何かなのか、それとも問題が起こる前の『お父さん』そのものなのか。どちらにせよ、『僕』の気配が薄れていることは間違いないだろうと、そう断言できる。

 だって、始まりは僕に『お父さん』と似た何かを見つけたことなんだ。だったら、前山さんは僕を通していつかの『お父さん』の姿を見ていなきゃおかしいんだ。そうでなきゃ、十か月も僕のことを探し続ける道理なんてない。前山さんが追いかけてたのは僕自身じゃなくて僕の中にある『お父さん』の要素でしかない、そのはずなんだ。

――そのはず、なのに。

「……だけど、そうなるとも言い切れないよ。だって照屋君はお父さんと似てるだけで、お父さんじゃないから。ここにいるのは、お父さんみたいなキラキラを持ってる別の人なんだからね」

――なんで、そんなことが当たり前のように言ってしまえるのだろうか。

 何かを見てそれと似ている別の何かを思い浮かべることは、普通に日々を過ごす中で普通にあることだ。あの人は芸能人の誰それに似てるとか、あのアイドルの新曲は誰々のあの曲に似てるとか。僕もきっと無意識にしてしまっているんだから、僕も誰かに重ねあわされて考えることを受け入れるしかない。……それがたとえ、僕に取ってあまり気持ちよくないことだとしても。

 だけど、前山さんはそれをしない。ずっとずっと、その眼は僕そのものを貫いている。……誰かと似たものを感じていたのだとしても、それを重ね合わせることはしない。別物なんだって、ちゃんと分かっている。……それは、なんて嬉しいことだろう。

「……前山、さん」

 心がぐらぐらと揺れ動いて、気が付けば僕はその名を呼んでしまう。……すると、前山さんは僕の方を向いてゆっくりと笑みを浮かべた。柔らかくて、優しい笑みだ。

「千尋、でいいよ。名字で呼ばれるのには慣れてないし、それにここだとお姉ちゃんも『前山さん』になっちゃうからね」

 小さい子供に勉強を教えるかのように、ゆっくりと前山さんは笑う。……その言葉を受けて、僕はかすかに息を呑んだ。

 信二にもいつか話したみたいに、僕にとって名前は特別なものだ。僕が名前を呼ぶのは、僕のことを忘れてほしくない特別な人の事だけ。そうして線を引いていないと、僕はきっとたくさん傷つくことになってしまうから。このルールは、弱くて脆い自分を守るための弱気な防衛策なんだ。

 千尋さんは僕にとって遠いところにいる人で、僕の事なんてすぐに忘れてしまう人だと思っていた。……だけど、それは間違いだと思い知らされた。その黒い瞳は、僕のことを誰よりもまっすぐに見つめていた。

 目指しても、いいのだろうか。願っても、許されるんだろうか。『もうあの痛みを味わいたくない』と思っていた僕が、都合よく身勝手なことを望んでいいのだろうか。

 ずきずきと胸が痛んで、心臓があり得ないぐらいにうるさく鼓動を刻む。僕の視界にはもう一人しか映っていなくて、その一人も僕を映している。……それが改めて分かって、踏み出したいって思いが僕の中で溢れた。

 もしかしたら、また傷つくことになるかもしれない。身の程知らずな願いだって、そう思われるかもしれない。……だけど、願うだけならいいだろう。目指してみたって、きっと悪くはないはずだ。傷つくことも埋もれることも怖いけれど、それでも前に進みたいって気持ちがしぼむことはない。だって、だって――

「……分かったよ。…………………ええっと、千尋――さん?」

――『特別』だって思われたいと、そう感じてしまったんだから。

 千尋さんの名前を呼ぶ瞬間、火が出たかのような熱さが僕の顔を包む。そんな僕の顔を見て、千尋さんはどこか嬉しそうに笑っていて。

「……参ったな。そんなことを言われたら、私の方が子供みたいじゃないか」

 困ったように苦笑しながらお姉さんがそんな言葉を漏らしたのが、僕の耳に届いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

幼馴染が昼食の誘いを断るので俺も一緒に登校するのを断ろうと思います

陸沢宝史
恋愛
高校生の風登は幼馴染の友之との登校を断り一人で歩きだしてしまう。友之はそれを必死に追いかけるのだが。

可愛すぎるクラスメイトがやたら俺の部屋を訪れる件 ~事故から助けたボクっ娘が存在感空気な俺に熱い視線を送ってきている~

蒼田
青春
 人よりも十倍以上存在感が薄い高校一年生、宇治原簾 (うじはられん)は、ある日買い物へ行く。  目的のプリンを買った夜の帰り道、簾はクラスメイトの人気者、重原愛莉 (えはらあいり)を見つける。  しかしいつも教室でみる活発な表情はなくどんよりとしていた。只事ではないと目線で追っていると彼女が信号に差し掛かり、トラックに引かれそうな所を簾が助ける。  事故から助けることで始まる活発少女との関係。  愛莉が簾の家にあがり看病したり、勉強したり、時には二人でデートに行ったりと。  愛莉は簾の事が好きで、廉も愛莉のことを気にし始める。  故障で陸上が出来なくなった愛莉は目標新たにし、簾はそんな彼女を補佐し自分の目標を見つけるお話。 *本作はフィクションです。実在する人物・団体・組織名等とは関係ございません。

隣の家の幼馴染は学園一の美少女だが、ぼっちの僕が好きらしい

四乃森ゆいな
ライト文芸
『この感情は、幼馴染としての感情か。それとも……親友以上の感情だろうか──。』  孤独な読書家《凪宮晴斗》には、いわゆる『幼馴染』という者が存在する。それが、クラスは愚か学校中からも注目を集める才色兼備の美少女《一之瀬渚》である。  しかし、学校での直接的な接触は無く、あってもメッセージのやり取りのみ。せいぜい、誰もいなくなった教室で一緒に勉強するか読書をするぐらいだった。  ところが今年の春休み──晴斗は渚から……、 「──私、ハル君のことが好きなの!」と、告白をされてしまう。  この告白を機に、二人の関係性に変化が起き始めることとなる。  他愛のないメッセージのやり取り、部室でのお昼、放課後の教室。そして、お泊まり。今までにも送ってきた『いつもの日常』が、少しずつ〝特別〟なものへと変わっていく。  だが幼馴染からの僅かな関係の変化に、晴斗達は戸惑うばかり……。  更には過去のトラウマが引っかかり、相手には迷惑をかけまいと中々本音を言い出せず、悩みが生まれてしまい──。  親友以上恋人未満。  これはそんな曖昧な関係性の幼馴染たちが、本当の恋人となるまでの“一年間”を描く青春ラブコメである。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小学生をもう一度

廣瀬純一
青春
大学生の松岡翔太が小学生の女の子の松岡翔子になって二度目の人生を始める話

処理中です...