上 下
7 / 185

第六話『僕は頼まれる』

しおりを挟む
 あの日は本当に強い雨が降っていて、傘をさしていても本が濡れてしまわないか心配になるような日だった。だからあまりお客さんがいたわけでもないが、それでもその日店頭に並んでいた『イデアレス・バレット』は数冊か減っている形跡があって。……誰かの手に渡ったんだと思ったその時、急速に『完結したんだ』という実感がこみあげてきたのは今でも忘れられない。きっとこれからも思い出すし、何なら夢にも見たりするんだろうな。

 それぐらい僕にとっては大事な区切りの日で、小説家として前に進みたいと今も思える原動力になっている日だ。……まさかそれを前山さんが目撃しているだなんて、夢にも思わなかったけれど。

「あの時の照屋君、誰かに電話してたように見えてさ。店の中に入るときに少しだけ、その内容が聞こえちゃったの。……ああ、もちろん盗み聞きしようだとかは思ってないからね?」

「大丈夫だよ、そこを責めるつもりはないから。……というか、店の前で話し込んだら嫌でも聞こえちゃうものだろうしね」

 自分で言っておきながらわたわたと弁明する前山さんに対して、僕も手を横に振り返す。あの時の僕は感動で回りが見えなくなっていたから、周囲の眼に対する意識が薄かったのは言い逃れできない事実なんだ。……氷室さんと会話してたこともあって、がっつり作家モードだったし。

「『次回作もきっといいものに』とか『すぐに次のプロットを――』とか、泣きながらなのにすっごいうきうきした声で言っててさ。それを聞いた時、『ああ、この人は作家なんだ』って思ったの。作家として何かいいことがあったから、この人はこんなにキラキラしてるんだろうなあ……ってさ」

「キラキラしてるって言われるのは少し恥ずかしいけど、作家だから味わえた喜びだってのは間違いないね。……書くことに出会わなかったら、僕は今よりもっと人と関わることをしてこなかったと思うし」

 心底羨ましそうにあの日のことを思い返す前山さんに、僕もうなずきながら返す。……自然に頬が緩んでいることに気づいたのは、その時の事だった。

 ファミレスの席で対面した時も、作家だってことを言い当てられたときも騒がしかった頭の中が、だんだんとすっきりしていくような。自然体で話してもいいのかもしれないと、そう思えてしまうような、そんな不思議な感覚が僕を包んでいる。……もしかすると、これが前山さんが人を惹きつける理由なのかもしれないな。

「……その時の僕、確か制服着てたもんね。だから同じ学校だってことに気づいて、クラス替えの時に自己紹介を聞いて確信したってわけか」

「うん、大体そんな感じ! いろんな人に聞いて回ったのに中々『これだ!』ってなる人が居なかったから、あの日を境に天候でもしちゃったんじゃないかって心配になったんだよ?」

 微かに頬を膨らませる前山さんに、僕は頭を掻きながら曖昧な笑みを返す。前山さんの人脈があるとはいえ、僕たちが通う高校は一学年四百五十人近くが在籍する結構大きめな私立学園だ。その中でも僕と親しいのは信二だけなわけだし、僕に中々行き当れないのも気の毒だが納得ってところだった。

「だけどやーっと見つけられて、今日こうやって話しかける機会もできた。前から話したいなーってずっと思ってたのに、照屋君ってばまるで気づいてないみたいな感じですぐにどこか行っちゃうんだもん」

 今日のことがなかったらあとどれだけかかってたことか、と前山さんは額に手を当てながら大げさに嘆いてみせる。申し訳ない話ではあるが、今日のこれがなかったらあと三か月は最低でもかかっていただろう。話が広がる機会自体がそもそも生まれないぐらい、僕は信二以外の誰かと行動するってことを中々しないからね。

「……でもさ、どうしてそこまでして僕のことを探そうって思ったの? 言葉を交わしたわけでもなければ、僕のその様子が前山さんを助けたってことでもないだろうし」

 手間取らせてしまったことを内心で謝りつつ、僕は少し踏み込んだ質問を投げかける。確かにあの日の僕は感情を爆発させていたが、それはあくまで個人的なものだ。それがどうして僕を探す理由になるのか、そこが何も解決されていなかった。

「……うーん、とね……。それを話そうって思うと、先にあたしの頼みごとを話した方が分かりやすいんだよなあ……」

「ああ、そういえば頼みたいことがあるって話だったっけ。作家だってことがバレてた衝撃で忘れてた」

 むしろ僕にとっては言い当てられたところがメインで、そこからどんな話に繋がろうがそれ以上の衝撃なんてありえないと思っているほどだ。誰にもバレていないと思っていた秘密を知る者が突如現れることなんて、一生に一回経験するかしないかレベルの話だろう。

 だからこそ、僕は気楽な様子で前山さんのその言葉を聞いていた。……それが、後々僕に与える衝撃を増加させる態度であることも知らずに。

「うん、あたしにとってはその頼み事が大事なの! 作家な照屋君じゃないと解決できないような、本当に大切で重大な、あたしの秘密の話!」

「……秘密の、話」

『秘密』という言葉が出てきたことによって、まずその気楽さは少しだけ崩される。前山さんにとっての『秘密』がどれだけ重いものなのか、僕はいまいち見極めきれずにいた。

 言葉を噛み締めるようにゆっくりとオウム返しをする僕の姿を、前山さんはまっすぐに見つめている。少し緊張が和らいだ僕の姿が、夜空を映した池のように黒い瞳の中に映りこんでいた。

 もし重大な秘密に振れてしまえば、もう前山さんと無関係ではいられない。僕と前山さんは互いの秘密を共有する存在になって、簡単には切り離せない繋がりがそこには生まれる。……仮に引き返すんだとしたら、ここが最後のチャンスだ。

(……だけど、引き返す理由がどこにあるの?)

 そう思うと同時、僕の脳裏をそんな思考がふとよぎる。前山さんは僕の秘密を知って、その上で僕に話したいことを持ってここに来ているというのに、それを僕が身勝手に拒絶できる理由がどこにあるのか。――ないというのが、僕の結論だった。

「……教えて、前山さん。僕にできることなら力になるって、先に約束しとく」

 どうにでもなれと腹を括り、僕は前山さんにその結論を伝える。すると前山さんの表情がぱっと明るくなって、瞬きの後にはテーブルの上に置いていたはずの僕の手がぐっと握られていた。

「あ、え⁉」

「ありがとう照屋君! もしここまで来て断られたらどうしようって、あたし内心実は心配だったんだよ……!」

 そのままぶんぶんと手を上下に振って、前山さんは感謝の念を力いっぱいこっちに伝えてくる。隅に置かれたコップの中のぶどうジュースが、その勢いを示すかのようにちゃぷちゃぷと揺れていた。

「……うん、それじゃああたしの頼みを伝えるね。できればでいいんだけど、驚かないでくれると嬉しいな」

 一通り感謝の気持ちを伝え終えた後、落ち着いた様子の前山さんは咳ばらいを一つ。どういうわけか僕の手は握られたままだったけど、到底それを指摘できるような雰囲気ではなさそうだ。

 僕の方を見つめたままで、前山さんは大きく深呼吸をする。……そして、座った姿勢のままできるだけ頭を下げると――

「……お願い。『小説が読めない』あたしに、君の物語をたくさん聞かせてくれないかな?」

「……小説が、読めない?」

――この先の僕たちの関係を決定づける頼み事を、目の前に座る僕へと投げかけてきた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

冴えない俺と美少女な彼女たちとの関係、複雑につき――― ~助けた小学生の姉たちはどうやらシスコンで、いつの間にかハーレム形成してました~

メディカルト
恋愛
「え……あの小学生のお姉さん……たち?」 俺、九十九恋は特筆して何か言えることもない普通の男子高校生だ。 学校からの帰り道、俺はスーパーの近くで泣く小学生の女の子を見つける。 その女の子は転んでしまったのか、怪我していた様子だったのですぐに応急処置を施したが、実は学校で有名な初風姉妹の末っ子とは知らずに―――。 少女への親切心がきっかけで始まる、コメディ系ハーレムストーリー。 ……どうやら彼は鈍感なようです。 ―――――――――――――――――――――――――――――― 【作者より】 九十九恋の『恋』が、恋愛の『恋』と間違える可能性があるので、彼のことを指すときは『レン』と表記しています。 また、R15は保険です。 毎朝20時投稿! 【3月14日 更新再開 詳細は近況ボードで】

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

男女比の狂った世界で愛を振りまく

キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。 その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。 直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。 生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。 デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。 本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ネットで出会った最強ゲーマーは人見知りなコミュ障で俺だけに懐いてくる美少女でした

黒足袋
青春
インターネット上で†吸血鬼†を自称する最強ゲーマー・ヴァンピィ。 日向太陽はそんなヴァンピィとネット越しに交流する日々を楽しみながら、いつかリアルで会ってみたいと思っていた。 ある日彼はヴァンピィの正体が引きこもり不登校のクラスメイトの少女・月詠夜宵だと知ることになる。 人気コンシューマーゲームである魔法人形(マドール)の実力者として君臨し、ネットの世界で称賛されていた夜宵だが、リアルでは友達もおらず初対面の相手とまともに喋れない人見知りのコミュ障だった。 そんな夜宵はネット上で仲の良かった太陽にだけは心を開き、外の世界へ一緒に出かけようという彼の誘いを受け、不器用ながら交流を始めていく。 太陽も世間知らずで危なっかしい夜宵を守りながら二人の距離は徐々に近づいていく。 青春インターネットラブコメ! ここに開幕! ※表紙イラストは佐倉ツバメ様(@sakura_tsubame)に描いていただきました。

僕が美少女になったせいで幼馴染が百合に目覚めた

楠富 つかさ
恋愛
ある朝、目覚めたら女の子になっていた主人公と主人公に恋をしていたが、女の子になって主人公を見て百合に目覚めたヒロインのドタバタした日常。 この作品はハーメルン様でも掲載しています。

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

処理中です...