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第三話『僕は遭遇する』

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――自動ドアをくぐると同時、すっかりかぎなれた本の匂いが僕の鼻をくすぐる。本が多く集まる場所に決まって存在するそれを思い切り吸い込むと、ささくれ立った気分がどこか落ち着いていくような気がした。

 午後四時を過ぎたころの書店は人の入りも少なく、週刊誌を立ち読みする主婦らしき人達がちらほらと目につくぐらいだ。もうしばらくしたら学生たちが来られるぐらいの時間にはなるだろうけど、それにしたって高校から二十分ほど歩かないといけないこの場所がが寄り道の候補に挙がることは中々ないだろう。ここにある本は大体駅前の大きな本屋にもあるし、皆で寄ろうと思うなら基本的にそっちで事足りるのが悲しいところ。

 そんなこともあって傍目から見るといつ潰れてもおかしくないぐらいの経営状況なんじゃないかと思えてしまうこの書店だけど、それでもここは僕にとって特別な場所だ。……少し落ち込むことがあると、ついここに通ってしまいたくなるくらいには。

 週刊誌をはしごする主婦の方々に背を向けて、僕は隅の方にあるライトノベルコーナーへと歩を進める。一番目立つところには『今月の新刊』と銘打たれた小説たちが平積みされていて、手書きのポップがそれらを彩っていた。

「……あ、これ今月発売だったっけ」

 その中に最近気になっている作品の新作を見つけて、僕は無意識のうちにそれを取り上げる。平積みにされている中でもそれは特に冊数が減っている様で、見るだけで人気作だという事がよく分かった。

 自分だけが知っているような隠れた名作を見つけるのもいいけど、やっぱり自分が応援している作品が人気になっていくのはやはり嬉しいものだ。そうやって応援されればされるほど、物語は広がるための余地を与えられるものだからね。

 もちろん僕も買うことでその一端に貢献する所存だが、僕がこの店を訪れたのはそれが目的ではない。……僕が本当に見たかったのは、新刊コーナーの先にある既刊作品たちの並ぶ本棚だ。

「……確か、こっちだよな……」

 いろんなレーベルの作品が並べられている本棚の前を少し進むと、『スライディア文庫』と書かれた小さなしおりのような紙が目に付く。『近年力をつけている』と評されるそのレーベルにお世話になって、僕は三年前に小説家として産声を上げることができた。

 少しうぬぼれるようになってしまうが、僕がスライディア文庫の話題の火付け役の一部となったと言っても過言ではない。『現役中学生作家の作品が出版』なんて、内容が全く関係ないところで理由が生まれたのが少し悔しいところだけど。

 それでも、僕が作家として今日まで生きてこられたのはここで上げた成果があったからだ。きっと十年たっても、僕はあの作品を代表作の一つという事ができる。それぐらいにはしっかり売れたし、僕自身にも手ごたえが残る作品だった。

 そんなこともあって、僕のお目当てはすぐに見つかる。誰でも手が届きそうな本棚中段のスペースを頂き、『当店員おススメ』というポップが控えめながらしっかりとつけられた作品こそが、僕の生み出した『イデアレス・バレット』だった。

 全六巻で完結し、コミカライズまでしていただいたこの作品は、あの当時の僕の全力以上が籠っていると言っても過言ではない。いろんな人に支えられながらとにかく夢中になって書き上げたそれが皆に応援されていると知ったのは、勢いのままに第三巻にあたる部分の構想に突入しているころの話だった。

 作家として生まれたのがあの編集部だとするのなら、作家として生きることの喜びを初めて知ったのは間違いなくこの場所だろう。僕の作品が積み上げられているのをこの目で見て、それを手に取ってくれる人が居ることを実際に目の当たりにしたとき、僕はずっと小説家として生きていきたいと明確に思ったものだ。

 一年前に最終巻が発売した時も、もちろん僕はこの店でそれを見届けた。原稿自体が仕上がったのはかなり前の事だったけど、『物語が完結した』と思えたのは最終巻が商品となって並んでいるのを見られたあの瞬間だ。……記念として一冊買ったその帰り道で、氷室さん相手に号泣してしまったこともよく覚えている。

「……懐かしいな、色々と」

 この小さな書店のラノベコーナーは、僕が『イデアレス・バレット』の始まりと終わりを見届けた場所だ。だから、ここに来ることには特別な意味がある。原点回帰なんて言葉を使うのは、少しだけカッコつけすぎているような気もするけどさ。ここに来ればあの時の喜びが思い出せて、またあれを味わいたいと思える。……僕が愛したキャラクターたちの物語を、皆と共有したいって断言できる。

 だから、今日みたいな日にはここに来ずにはいられないんだ。あの時の喜びをはっきりと思い出せれば、僕は明日から――いや、今日からでもパソコンに向かうことができる。少しでもいい作品を生み出すためにも、燃え尽きてる暇なんて少しもないんだから。

「うん、これでまた頑張れる」

 心の栄養がしっかりと補給されたことを確信して、僕はラノベコーナーを後にする。その過程で読みたかった新刊も見つかったし、今日ここに来たのは大成功だと言っていいだろう。後は会計を済ませて、少しでも早く家に帰るだけ――

「……照屋君――だよね?」

「……え?」

 呼ばれるはずのない名前が呼ばれて、僕は思わず振り返る。レジの方に来ると思って会計の準備をしていた店員さんが面食らったような様子で足を止めたのが、その視界の隅にちらりと映った。

 だが、そのことを申し訳ないと思える余裕すらない。名前を呼ばれただけでも相当焦っているのに、眼の前にいた人物によってその焦りはさらに増幅されているんだから。

 そこにいたのは、僕とは接点が絶対にないと思っていた人。僕のことを知っているわけもないしこれから知る機会だってあり得ないだろうと結論を出していた、学年一のアイドル――

「前山……さん?」

「うん、学校ぶりだね! ……突然でごめんなんだけど、今から少し時間もらってもいいかな?」

 たどたどしく名前を呼ばれて、前山さんはにっこりと笑う。――言うまでもなく、これが前山さんと交わした初めてのまともな会話だった。
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