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第六章『主なき聖剣』

第五百六十四話『反撃の嚆矢』

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「……スピリオ、本当に休憩は十分なんでしょうね?」

「大丈夫ですよ、もう動くのに何の支障もありません。どっちかって言うとキツいのは精神の方ですけど、それもいつもと比べたら随分マシですし」

 作戦決行の間際、リリスから改めて投げかけられた問いにスピリオは頷きを返す。軽く跳ねたり力こぶを作る仕草を見せたり、とりあえず動くのに支障がないのは間違いなさそうだ。……あんまり筋肉が盛り上がったように見えないのは、まあ言わないでおくこととして。

 アールが俺たちに授けた作戦は、文字通り魔兵隊を一掃するためのものだ。本来の俺たちがカバーできる範囲を思い切り飛び越えて、帝都全体に影響を及ぼしに行く。言い方は悪いが、俺たちの身を守るついでに共同戦線をも掬い上げるための大立ち回りだ。

 リリスたちでなくても魔兵隊を倒せる奴は少なからずいるだろうが、この規模の作戦を実行できるのは俺たちだけだ。魔術師としての腕前とアールが暮れた情報の両方がなければ魔兵隊を根本から叩き潰すことは出来ない。これを成功させられなければ待っているのはジリ貧だけ、勝利の可能性は一気に遠くなる。

「体調に気を付けるのはお前たちもだぞ、リリス、ツバキ。お前たちに何かあったら計画が根元からダメになるんだからな」

「ええ、大事な役割だって理解してるわ。それを分かったうえで私は絶好調って言わせてもらうけどね」

「勿論ボクもだよ。一気に勝ち筋が見えてきたんだ、大事なところで潰れるようなヘマはしないさ」

 余計なお世話かもしれないと思いながら投げかけた確認に、二人から力強い答えが返ってくる。リリスはわずかな冷気を迸らせ、ツバキは手のひらから煙のように影を立ち上らせながら。今までに何度も見てきた、この世界で最も頼れる姿だ。

「もし仮に何かあったとして、今はマルクが傍にいてくれてるし。私たちの事、簡単にあきらめるつもりはないんでしょ?」

 そのままの勢いで片目を瞑り、リリスは悪戯っぽく笑う。無理をすることさえ厭わないような発言は咎めないといけないと分かっているのだが、どこか楽しそうな表情を見ているうちにその言葉はどこかへと引っ込んでいってしまった。

「……ああ、そうだな。万が一不測の事態が起きたとしても、最後の最後まで絶対にお前たちの事は諦められねえ」

「あははっ、君もすっかりリリスに絆されてるね。見守る立場のボクとしては好ましい限りだよ」

 たじろぐように答える俺の声に、楽しそうに笑うツバキの声が重なる。それに同調するようにリリスも笑みを深めて、作戦決行直前とは思えないほどの朗らかな雰囲気が部屋の中に漂った。

「アールさんが皆さんの事を気に入った理由、改めてよく理解できましたよ。あんな振る舞い方ですけど実はすっごい仲間想いの方ですから」

「ああ、根の優しさが隠しきれてなかったよね。マルクの考え方を模倣できてる時点であの人がただ好き勝手やってるだけじゃないのは何となく理解できてたよ」

 遠巻きに聞いていたスピリオがそんな茶々を入れると、それにツバキが誇らしげな表情で返す。最初こそ警戒が勝っていたが、最終的にアールへの評価はとても高いところで落ち着いていた。

 考えてみればそもそもスピリオと『同調』している身なのだから、誰の事も気にしないような自由人であるわけがなかったんだけどな。不遜なくせに他人思いで、戦場の恐ろしさを知っている。アールの助言を得られたことは、この先きっと色々なところで活きてくるのだろう。

「スピリオ。アールは今、お前の中でどうしてるんだ?」

「どうしてるって言われると答えに困りますけど――まあ、簡単に言えばうとうとしてますかね。魔術でのサポートがあったとはいえ、普段精神だけの存在が他者の身体を借りて活動するのには体力を使いますから。何なら完全に休眠状態じゃないことが不思議なぐらいですよ」

 胸に手を当てながら、スピリオは軽く首をかしげて答える。だが、それさえ聞ければ十分だ。なんでアールが休眠に入っていないのか、その理由はもう分かってしまったから。

「分かった、ありがとうな。……んじゃ、俺たちは迷わねえってところを見ててもらうとするか」

「せっかく個人的なアドバイスまでもらったもんね。大丈夫、君が信じた道を正解にするのがボクたちの役割だよ」

 俺の背中を押すアールの言葉に、ツバキの頼もしい宣言が続く。リリスもそれに頷くと、窓枠に手をかけながら大きく口を開いた。

「そうよ、貴方はただ信じていればいいの。貴方が私たちのことを『最強だ』って信じるなら、どんな敵でもなぎ倒して最強を証明してやるわ」

 迷うことなく言い放ち、勢い良く窓を開ける。血なまぐさい香りが風に乗って部屋の中に漂うが、不快感は一切なかった。今はただ、リリスたちが居てくれることが何よりも頼もしい。

 ベガの背中も随分と大きく感じたものだが、二人に比べたらやはり安心感が違いすぎる。二人が居れば負けることなどないという確信は、ベルメウでの戦いを経ても変わることはなかった。

 不安要素がないと言えば嘘になるが、それは一旦隅に置くと決めたのだ。今はただ二人を信じて、二人が最大限に力を発揮するためにできることを考え続ける。万全の二人に勝てる相手などこの世界に存在しないと断言してやろうじゃないか。

 全開になった窓を抜け、申し訳程度に取り付けられたテラスに四人揃って立つ。示し合わせるでもなく手が繋がれて、一塊になった俺たちの身体を風が包んだ。

 吹き抜ける異様な風に気づいた魔兵隊が俺たちの存在に勘付くが、その時にはもう俺たちの身体は天高く舞い上がっている。人の身体をベースにした存在では、高みの見物を決め込む俺たちに牙を届かせることは不可能だ。

「……リリス、行けるよな?」

「当然よ。氷の弓矢ぐらい手を使わなくたってコントロールできるわ」

 その答えが見栄でないことを示すかのように、リリスの頭上に氷の弓矢が形作られる。普段打ち放つ槍たちとは違い二つのパーツを用いて作り上げたそれは、俺たちの反撃開始を高らかに告げるファンファーレのようなものだ。

 此処まで派手に動けば俺たちの居場所は割れてしまうが、それはそれで好都合だ。魔兵隊もクライヴの配下も、いずれ打ち破らなくちゃ勝てないことには変わりないんだからな。

 結局戦わなければいけない敵に後も先も関係ない、なんなら巻き込まれてくれた方が好都合だ。折角どでかいリターンが得られるチャンスなんだ、少しぐらい欲張って行こうじゃないか。

「……行くわよ」

「ああ、いつでもいいぞ」

 ちらりとこちらを見ながら発せられた言葉に頷き、短い言葉で返す。伝えるべき言葉も、示すべき信頼も全部示した。……後は、一度信じたこの作戦を最後まで信二と押すだけだ。

 リリスが呼吸を整える音が、俺たちを見つめる魔兵隊が唸り声が聞こえる。仮にも兵隊として敵前逃亡は許されていないのか、誰一人として逃げるようなそぶりは見せない。とても魔物の要素を混ぜ込まれているとは思えないぐらいの従順さだが、今回ばかりはそれが命取りだ。

 氷の弓は引き絞られ、眼下の魔兵隊に狙いを定める。それに引っ張られるようにして俺たちの緊張感も高まっていく中で、リリスがひときわ大きく息を吸いこむのを俺の耳ははっきりと聞き取って――

「――貫きなさい」

 凛とした声が響いた直後、張り詰めていた緊張が一気に解ける。解き放たれた力は全て矢を加速するための物へと変わり、研ぎ澄まされた氷の一撃が魔兵隊に向かって発射された。

 重力すらも味方に付けて矢はぐんぐんと加速していき、人の形をした怪物を貫かんとその勢いを増している。リリスの声以外に何の合図もなかったそれの接近に魔兵隊が気付く頃には、回避も防御も全てが手遅れだ。

 氷の矢が魔兵隊の頭部を直撃し、減速もそこそこに体を縦方向へと貫通していく。いくら魔物と混ぜ合わされても頭部が急所になるのは変わらない様で、着弾から五秒もしないうちにその体はぐったりと地面に崩れ落ちた。
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