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第六章『主なき聖剣』

第五百五十六話『消耗する戦線』

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「……妙ね」

 むむむと唸り声を上げながら首を捻るリリスの視線の先には、地面から伸びた氷の針に体中を貫かれた男の亡骸がある。クラウスとの戦いを経て一段と吹っ切れたのか、リリスの仕掛ける初見殺しは帝都の各地で猛威を振るっていた。

 集団戦が中心の戦場で個人行動を許されているあたりそこそこの強さはあると見ていいはずなのだが、それを忘れそうになるほどにリリスとの実力差は大きい。そのほとんどが罠で命を落としているのだから、直接対決になってもどうなるかは目に見えてるしな。

 俺からすればとてつもない戦果を既に挙げているのだが、当人はどうも納得できていないようだ。あれこれと見る角度を変えながらしばらく死体を観察した後、リリスは少し離れた位置に立つスピリオの方を向いた。

「……ねえ、これも多分帝国の人間よね?」

「そう――だと、思います。名前はすぐに出てきませんが、何度か城で見かけたような気がしますから」

 少し近づいて目を凝らしつつ、スピリオはコクリと頷く。それに「ありがとう」と答えるリリスの表情はどこか釈然としない様で、首の傾きはさらに深くなるばかりだった。

「何か分からないことでもあるのかい? この男も罠にかかって死ぬ楽な相手だったし、君が不安に思う事なんてないと思うのだけれど」
 
「ええ、確かに楽な相手だったわ。初見殺しも破られなかったから、まだ対策とかがあっちに出回ってないことも分かる。でもねツバキ、それが妙だって話なのよ」

 首をぶんぶんと横に振り、リリスは死体へと再び目を向ける。リリスと直接対面する事さえなかった男の表情には驚きと苦悶が浮かんでいるが、それももう見慣れつつある表情だ。なら、リリスは何を妙だと感じているのか――

「この男の前に殺した男も帝国出身、その前に殺した男も帝国出身。その前ももう一つ前も、私たちの罠にかかってるのは帝国の人間ばかりよ。クラウスが居たってことはあっちもそれなりに動いてきてるってことのはずなのにね」

 あっち側が日和ってるだけならそれでもいいのだけれど――と、リリスは表情を微かに曇らせながらそう締めくくる。リリスが感じていた違和感は、確かに偶然の一致とするには腑に落ちない部分が多かった。

 ツバキも同じ感想を抱いたようで、その目つきは鋭さを増している。ただの杞憂で終わってくれるならそれが一番楽ではあるのだが、今までクライヴと向かい合ってきた身としては完全に無視するのも難しいのが厄介なところだ。

 しばらく沈黙が続き、それぞれがそれぞれの方向に考えを広げていく。流石は『夜明けの灯』のブレインと言うべきか、最も早く考えをまとめたのはツバキだった。

「細かく考えていったらキリがないけど、大きく分けて可能性は二つだよね。クライヴ達がまだ戦力を温存してるのか、それとも投入した上でボクたちを避けるように動かしてるのか――正直な話、前者だったほうがまだボクたちとしてはありがたいけど」

「そうね、それならまだ初見殺しが対策されてないってことになるし。……まあ、それが正しいとなるとクラウスは一体何だったんだって話にもなっちゃうんだけどね」

「アレもクライヴの部下だったことには変わりないしな。あー、でも忠誠心がないってところを危険視された線もあるにはあるのか……?」

 いわゆる捨て駒と言うか、体のいい処分方法として俺たちを利用してきたという感じだろうか。それなら他の面々よりも早く投入されたことも理屈が通り、クライヴ側にも明確なメリットがある。いずれ裏切ることがわかり切ってる奴なんてアイツにとってリスクしかないだろうからな。

「ああいうタイプは組織に一人いるだけで不和を招きますからね。どれほど腕の立つ魔術師だったとしても、アレはカイル様ならいの一番に切り捨てていてもおかしくはない手合いでしたよ」

 ふと浮かんできた考えにスピリオも賛同し、いよいよ『クラウス捨て駒説』が真実味を増している。今更同情してやる気もないが、あれほど人をこき使っていた奴の末路が捨て駒とはまた何とも皮肉が効いた結末だ。

 リリスとツバキもある程度腑に落ちた様で、漂っていたモヤモヤとした雰囲気がにわかに晴れる。それだけ見れば良いことなのだが、帝都はまだ戦いの真っただ中だ。クラウスが捨て駒だと仮定した時、俺たちの前にはまだ問題が山のように積みあがっている。

「つまり、クライヴ達はまだ策を隠し持ってるってことになるよね。捨て駒たちに時間を稼がせてまで切りたいような、自信のある一手を」

「あの男も馬鹿じゃないものね。……今でも結構苦しいところにさらに追い打ちがかかるとか、あまり考えたくない話ではあるけど」

 ツバキに同意を示しつつ、リリスは周囲のあちこちに視線を向ける。遊撃兵の討伐に関しては順調そのものなのだが、全体で見た時の戦況は決して歓迎できるものではなかった。

 帝都各地で起きている集団戦は予想をはるかに超えて長引き、前進と後退、集団同士の合流や分断を繰り返しながら今でも拮抗を続けている。それが共同戦線に与える影響を、俺たちはここまでで何度か垣間見てきていた。

 一人一人の技量や強さはもちろん共同戦線が上回っているのだが、転移魔術を有する相手には人員を補充する術がある。対してこちらは最初から全力、戦況次第で援護することは出来ても戦力の絶対量が増えることは絶対にない。クライヴ達がどう出てくるか分からなかった以上、最初から全戦力を動かさなければならなかったのが裏目に出た形だ。

 帝都を移動する中で俺たちも何度か集団と合流してきたが、その誰もの額には脂汗が浮かんでいたのを覚えている。格下とはいえあれだけの量の敵と絶え間なく殺し合い続ければ、体に負担がかかっていくのは至極当然の事だった。

 奮闘しているとか地力はこちらが上とか関係ない。どれほどの雑兵だろうと援軍が続く限り魔術師たちは休息を許されず、魔術神経はじりじりと傷ついていくばかりだ。さながら真綿で首を絞められているかのように、共同戦線は崩壊に向けての道をゆっくりと歩まされている。

「……どうする、集団戦の援護に回るか?」

「それが出来れば理想だけど、遊撃兵を狩る以上の価値があるか分からないのが問題よね。私が倒そうと他の誰かが倒そうと転移魔術で次の兵が送られて来ることは変わらないもの」

「ボクもリリスに賛成かな。倒す意味が薄い相手に目を向けるより、たとえ捨て駒でも多少は腕の立つ相手を倒した方がボクたちの目的は果たしやすくなると思うんだ」

 二人の言い分は至極真っ当で、俺は思わず言葉に詰まってしまう。俺たちの目的は三人で生き残る事、共同戦線をまとめて救い出すことじゃない。死者なんて減らせるものなら少しでも減らしたいにしても、そのために無用なリスクを負わせるのでは本末転倒だ。

「……結局、今の方針を貫くのが一番なんだろうな」

 しばらく頭を捻った末に、俺の思考はありきたりな結論に帰着する。戦況がだんだんと悪い方向に進んでいることは分かっても、それをひっくり返すような方策が都合よく思いつけるわけでもない。最善策が思いつかない以上、次善策に頼るしかないのは当然の道理と言うもので――

「――って、リリス?」

 ツバキが静かに頷いて賛同を示すその隣で、リリスは怪訝そうな表情を浮かべている。どこか上の空のように思えるそれを不思議に思った次の瞬間、弾かれたようにリリスは体の向きを変えた。

「……何が、起こってるの?」

 視線を明後日の方向へ向け、茫然とした声を漏らす。リリスしか気付いていないという事はきっと魔力の気配が絡んでいるのだろうが、リリスですら理解できないことを俺が把握できているはずがない。

「……っ、あ……何ですか、この音は……‼」

 思わず唇を噛んでいると、スピリオが耳を抑えながら苦しそうにうずくまる。方向性は違えど優れた感覚を持つ二人が何かに気づいた中で、俺とツバキだけが何も分からずに目を瞬かせていた。

 はっきりしていることと言えば、何らかの異常事態が巻き起こったことぐらいだ。それがクライヴの作為なのかも恐ろしいほどに間の悪い偶然なのかも分からなければ、それが俺たちにどんな影響をもたらすのかも不明瞭だ。願わくば無害なものであれと、分からない身としてはそう思わざるを得ないが――

「おおおお前たち、何でもいいから助けてくれ! あんな怪物に貪られて死ぬのだけは勘弁だあッ‼」

 恐怖に表情を歪ませた一人の男が泣き喚きながらこちらに駆け寄ってきたことで淡い願いは打ち砕かれ、俺とツバキも確信するに至る。手詰まりに向かいゆく戦場に起きた変化は、偶然と言い張るにはあまりにも見覚えのある悪意に満ち溢れていた。
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