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第六章『主なき聖剣』

第五百五十三話『死に損ないを、あるべき場所へ』

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 クラウスはおろか、リリス本人でさえもその笑みに気づいていない。どんな想いが乗っているのか、あるいは完全に無意識の産物なのか。……その答えは、誰に聞いても明らかになる物ではないけれど。

「――お願い」

 それでも、炎に向かって踏み出すリリスは笑っていた。

 影の武装による筋力増強に追い風の後押しまで受けてトップスピードへと到達し、夜空のような黒の軌跡を描きながら影を纏った氷の剣が勢いよく振り出される。炎の熱で溶けることもなく、その煌めきで影が薄れることもなく、寧ろそれらを喰いつくさんほどの気迫がこもった一撃だった。

 間違いなく今のリリスに出せる最大火力、逆に言えばこれが受け止められるならば正面からの仕掛けは不用意にするべきではない。掠っただけで致命傷になりかねないほどのこれすらも今は試金石、リリスの中で立った仮説を証明するための過程の一つだ。……いや、これで潰れてくれるならばそれはそれで助かるのだが。

「う――おおおッ‼」

 野太い方向とともに蒼い炎が勢力を増し、リリスの一撃を真正面から受け止める。今まで封じ込められていた鬱憤を晴らすかのように、魔剣に取り付けられた装飾が憎たらしい輝きを放った。

 剣が止まったのを確認したリリスはすぐに氷の剣を破棄、大きく後退しながら無数の槍を作り上げる。流石は魔術神経に負担をかけているだけはあって、正面からの力押しではほぼ互角と言ったところか。このまま押し続ければいずれ綻びも出るかもしれないが、それを待っていられるほど悠長な状況とはお世辞にも言えないだろう。

(……少なくとも、前からクライヴに付いてた人間が動き出してるわけだしね)

 いくら帝国の人間が戦いに慣れているとは言っても、開戦前の二日でかき集めた即席の戦力に限界があるのは自明の理だ。事実『血濡れ公』は罠にかかって死んだし、マルクと合流するまでになぎ倒してきた遊撃兵も元をたどれば全て帝国の人間だった。

 リリスが気付いていることにクライヴが気付いていないわけもなし、大方帝国の面々の事は捨て駒ぐらいにしか考えていなかったのだろう。それぐらい平気でやってのける人物だと、マイナス方向に厚い信頼をリリスは奴に向けている。

 クラウスが動き出したという事は、アグニ達をはじめとしたクライヴの部下たちが帝都に送り込まれつつあるという事だ。平均的な私兵の実力がせいぜい中の上程度なことも考えると、帝都のあちこちで戦線が崩壊し始めるのは時間の問題のように思えた。

 最悪帝都がどうなろうが別に構わないのだが、戦線が崩壊して割を食うのは最後まで生き残った者たちだ。全てを見捨ててしまったが最後、無事に帝都から脱出できる可能性は著しく低くなるのがオチだろう。情けは人の為ならず、だ。

「……氷華よ」

 決してクラウスに聞こえない様に声を潜め、リリスは『式句』を口にする。新しい技術への入り口としてフェイから習ったそれは、今や最も頼りになる武器へと化けた。他にも色々とみにつけてみたものの、今の所一番汎用性が高いのは間違いなくこれだ。

 続々と生み出される巨大な氷の槍に紛れて、リリスの掌に数粒の小さな氷の球体が生み出される。リリスの合図次第でいつでも真価を発揮できるそれは、言うなれば氷だけで構成された爆弾だ。随分器用で回りくどい手を使うようになったと、自分でもそう思う。

 それがいいことなのか悪いことなのか、結論はまだ自分の中でも出ていない。正攻法の強さを磨くことを忘れてはいけないと思う一方で、三人で生き残れるなら強さの方向性なんかどうだっていいと嘯く自分もいる。罠にかかって死んだ『血濡れ公』の亡骸を見てからずっと、その問いはリリスの中でずっと引っかかり続けていた。

 だが、それを使う事に対する遠慮はもうなくなった。今リリスに起きている変化がいい物であろうとなかろうと、それが勝利に近づくためなら手札を着ることに躊躇はない。――何があっても嫌いになんてならないと、大好きな人がそう断言してくれたのだから。

「――跡形もなく、吹き飛びなさい‼」

 右手を大きく振るい、空中に装填された武装たちに指令を下す。全て一人の魔術師が生み出したとは思えないほどの暴力的な物量が、眼前に立つ敵を圧し潰すためだけに打ち放たれた。

「悪いな、吹っ飛ぶのはてめえの方だ。身の程弁えて消え失せやがれ‼」

 クラウスも負けじと吠え猛り、意志を持つかのようにうねる蒼い炎が次々と武装を呑み込んでは溶かしつくす。それらを浴びても勢力が落ち込むことはなく、寧ろ活き活きと迎撃し続ける様はさながら伝承に
残る悪龍のようだ。

 しかし、呑み込まれたからと言って氷の武装たちが魔力の無駄遣いになるわけではない。単純な力押しで勝ち切れる相手じゃないことはもう確認済み、分かった上でのこの一手だ。

 勝ちきるための種は既に蒔かれている。――後は、遠くに見えた勝機を全力を尽くして手繰り寄せるだけでいい。

「影よ、お願い――‼」

 氷の武装を生み出す手を止めないまま、影を操ってリリスはクラウスに中距離戦を挑む。氷魔術に比べれば武装の本数では劣るが、自分の身体と結びついて機能している分自由度も強度も段違いだ。

 魔剣の間合いにだけは踏み込まないよう意識しつつ、影で編まれた剣をクラウスの脇腹目がけて放つ。濃密な殺意を乗せて放たれた追撃に応えたのは、蒼い炎を纏ってもなお溶け落ちる様子を見せない魔剣だった。

 もとから魔杖としての側面も持っていた分負荷に強いのは納得できるが、それを込みにしても驚くべき強度だ。悪趣味な装飾込みでオーダーメイドしたらしい一振りは、それに見合うだけの恩恵をクラウスにもたらしている。

「随分とまあ好き勝手やってくれたもんだ。今までの雑魚どもはそれで何とかなってきたかもしれねえが、生憎『最強』はそんなやり方には屈しねえもんでな」

「気が早いわね、まだ私に傷一つつけられていないのに。そうやって何もかも見下して話を進めるの、あなたの悪い癖だと思うわよ?」

 攻撃の、あるいは防御の手を止めないままで二人は言葉を交わし、同時に敵意をぶつけ合う。影と氷と炎、本来相容れない物同士が目まぐるしく交錯しては喰らい合いながら、薄氷を踏むような拮抗を二人は保ち続けていた。

 構図だけ見ればクラウスは防戦一方、リリスが押しているようにも見える。だが、それはあくまで嵐の前の静けさだ。相手の気が変わるだけで戦況は大きく動くだろうと、影の剣を生み出す前からリリスは既に予測していた。

――いや、むしろそれに期待してさえいると言っていいかもしれない。こちらの攻撃を安定して防げる状況が整いさえすれば、クラウスは確実に踏み込むタイミングを探りにかかってくる。単純な魔力量の勝負なら負ける気はしなかったし、膠着した状態に耐え続けられるほど辛抱強い性格でもないだろう。

 いつどんな状況でも強気であり続けられることは長所だと言えるが、相手に把握されてしまえばそれは致命的な弱点になり得る。――実力伯仲の戦いであればあるほど、癖を読まれることは敗北に直結しかねない致命的な失策へと化けるのだ。

(他人に無頓着なあなたは、そんなこと考えたこともないんでしょうけどね)

 角度を変え速度を変えて影を打ち込み続けながら、リリスはクラウスの一挙手一投足を観察する。一つ間違えれば死に繋がる攻撃を捌き続けているうちに、彼我の距離はじりじりと縮まり始めていた。

 拮抗を嫌うが故に起きた無意識の事なのか、それとも反撃を画策するクラウスの策なのかは分からない。ただ一つ分かるのは、クラウスが前進するタイミングを見定め始めたという事だ。リリスの喉笛を掻き切るための一瞬を、クラウスはずっと探している。

 そうと分かってしまえばやることは一つだ。相手がタイミングを伺っているなら、格好のチャンスをこちらから提供してやればいい。いつ我慢が爆発するか分からないなら、こちらから刺激を与えて意図的に爆発させてしまえばいい。そう、例えば――

「ち、いいっ……‼」

――今まで何度も再生を繰り返してきた影の刃を、少し顔をしかめつつこれ見よがしに減らしてやるとか。

 六本伸びていた物が数を一つ減らすだけで、リリスの攻勢には少しばかりの間隙が生まれる。放たれ続ける氷の武装たちも炎の龍に任せていれば問題は無し、踏み込むことに何のリスクもない。――少なくとも、クラウスからはそう見えるはずだ。

 釣り糸は垂らした、針には格好のエサも付けた。これでかからないならその時はその時、そうなったとしてもただ戦況が振出しに戻るだけ。失敗上等、これは最大リターンを狙った勝負手だ。

 だからこそ、仮に食いついた時に勝負は大きくその姿を変えるわけで。

「ああ、そうだよなぁ。流石のエルフ様と言えど、他人様の魔術を使い続けちゃ身が保たねえよなァッ⁉」

 リリスが生んだ変化に確かな勝機を見出して、クラウスは魔剣を握り直す。体は前傾姿勢になり、全速力でこちらに突っ込んでくる構えだ。ここまで溜めてきた苛立ちをまとめて発散するかのように、クラウスは守りを捨ててこちらへと突っ込んできていた。

 影と氷を総動員してもそれを受け止められるかは未知数、おそらく受け止めきれない確率の方が高い。これが戦いの中で自然に生まれた流れだったならば、確かにそれは戦いを終わらせるきっかけになりえたはずだ。しかし、今ばかりは少し話が違う。

 ギリギリまでクラウスを引き付け、どう足掻いても止まれないほどの速度になるように誘導する。地面を擦らんばかりに低く構えられた魔剣は石畳を焦がし、照り付ける光を受けた刀身は目障りなぐらいに煌めいていた。

 それにリリスが行動を起こしたのは、あと一歩で魔剣の間合いに踏み込まれようかというギリギリになってからの事だ。影の力も借りて全力で後方へと飛び退り、構えを取っていたクラウスから大きく距離を取る。重力に縛られていないかのように緩やかな放物線を描いて跳躍する間も、リリスの視線はクラウスを捉え続けていた。

 しかしその回避は読まれていたのか、すぐに構えを解いたクラウスは再びリリスと距離を詰めていく。いくら影の支援を得ているとはいえ、後退よりも前進の方が流石に速かった。

 このまま後退を繰り返したところでいずれは追いつかれるのが関の山、散々嫌ってきた魔剣の間合いに踏み込まれるのも時間の問題だ。安易な逃げが勝機に繋がるはずもなく、あと三十秒もすれば蒼い炎はリリスの華奢な体を食らいつくすだろう――

「……今、咲き誇りなさい‼」

――そんな未来予想図に否を突き付けるかのように、足元から伸びた氷の刃がクラウスを刺し貫いた。
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