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第六章『主なき聖剣』

第五百五十話『素直な答えを』

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 タイミング的に俺たちの話に混ざりたいのかとも一瞬思ったが、瞳に走る僅かな緊張を見た俺は飛び出しかけた言葉を喉の奥へと押し返す。多分そうじゃないと、俺の直観が結論付けていた。

「マルク、今度は先に言っておくわね。実は私たち、結構えげつないことをしたのよ」

 前置くリリスの声は固く、明らかにいつもの調子ではない。さっきの揺れを踏まえて教えてくれているのだろうが、それにしてはあまりにもこう、叱られるのを恐れる子供みたいというか。

「えげつない事……奇襲で氷漬けにして殺すことよりも、か?」

「見方によってはね。あの人たちはあくまで氷に呑み込まれて凍死しただけ、傷は負ってないもの」

 問いかけにコクリと頷いて、リリスは意を決したかのように一つ息を吐く。そのまま何度か瞬きを繰り返した後、リリスの細長い指が背後にそびえる巨大な氷の塊へと向けられた。

 何かにつけてスケールが大きいのは出会った時から変わらないが、目の前の氷塊は単純なサイズだけで言うなら今までで見てきた中で最も大きいかもしれない。道を埋め尽くすほどの横幅も左右の建物にも見劣りしない分厚さも、そして奥行きも。――リリスはまだまだ伸びしろを残しているのだと、それを見るだけで痛感させられる。

「これがどうかしたのか? そりゃえげつなくデカいとは思うけど、それでそんな顔をしてるわけじゃねえよな」

「ええ、もう少し目を凝らして。……氷の中に閉じ込められてる敵なんて、一人もいないでしょ?」

 そう言われて、俺はもう一度氷塊の中をよく観察する。……リリスの言う通り、氷の中に誰かが閉じ込められている様子はなかった。

 ふと隣を見れば、スピリオとツバキは少し心配そうにリリスの方を見つめている。三人で居た時に何かあったのか、ツバキたちは何を言わんとしているのか察しがついているようだ。口を挟まないあたり、ツバキは相棒として静観することを選んだようだが。

「氷漬けにして殺したのはね、少し離れたところにいる取りこぼしを拾うためでしかないのよ。最初から人が集まってるって分かる場所には違うやり方をしてる。……これに関しては見せた方が早いわね」

 どこか自嘲気味にも見える笑みを浮かべて、リリスは軽く手を叩く。それに呼応するようにして巨大な氷塊は一瞬にして細かな結晶となって宙に舞い、閉ざされていた視界が一気に開ける。

――そうして見えた景色の中に、死体らしい死体の姿は一つとしてなかった。

 その代わりに広がっているのは赤黒いシミ、そして血に染まった無数のローブたち。それらがなければ誰かが死んでいたことすら分からない程に、肉体があった痕跡は一つも残されていない。それはあまりにも凄惨な、俺ですら体験しなかった命の終わり方だ。

「ま、簡単な話よね。さっきやって見せた要領で氷の粒を作って、ツバキの力を借りて奴らの上空に転移させてもらう。……後は私が合図を送るだけで、絶対に避けられない氷の塊がいきなりアイツらの頭上から降ってくるって寸法よ」

 俺の推論を裏付けるかのように、この惨状を生み出した少女は肩を竦める。跡形も残らないほどに押し潰された数多の死体を背景にして、リリスは引き攣った笑みを浮かべていた。

「効率がいいやり方だとは思うわよ。有象無象の一つ一つに丁寧な対応をしてたらきりがないし、ならひとまとめに仕留められた方が楽なのも分かってる。……分かってるから、一つ貴方に聞きたいの。私が求めてそうな答えじゃなくて、貴方の思うがままの答えを聞かせてほしいわ」

 面倒なことを言ってるかもしれないけどね――と。

 付け加えながらリリスは一歩こちらに踏み込んできて、自然と俺を見上げる形になる。背筋を伸ばしてまっすぐ立っているはずなのに、どうしてか酷く不安定に見えて仕方がなかった。 

 どんな言葉をかければその心に寄り添えるのかと反射的に考えて、そんなものは微塵も求められていないのだとすぐに気づく。気遣いとかそういうのではなく、俺の心の底から出てきた言葉をリリスは欲しがっているのだ。たとえそれが、リリスの事をさらに責め立てるのだとしても。

「……分かった。思ったことを正直に答えるよ」

「応えてくれて嬉しいわ。だけどごめんなさい、もう少しだけ前置きをさせて」

 普段とは違うどこか力ない笑みを浮かべて、リリスは詰めた距離をもう一度開ける。視界に映るリリスの全身は、思わず目を疑ってしまうぐらいに小さかった。戦場で見る後ろ姿はいつもあんなに大きく見えているというのに、だ。

「私ね、貴方を失う事だけが怖かったのよ。帝都がどうこうなんてものは結局都合のいい口実でしかなくて、私達に影響が及ばないなら帝国がどうなろうと知ったことじゃないし。クライヴの問題とか共同戦線として任された役割とがなければ今すぐにだってこんな場所抜け出して王都に帰りたいって思ってるぐらいには、私にとって帝国の問題はどうでもいいものなの」

 言葉を切り、リリスはふと首筋に触れる。この半年を経て少しボロくなってしまってはいたけれど、俺が贈ったチョーカーは今でもそこで確かな存在感を放っていた。

「だから私は何に代えても私たち三人が生き残ることを優先するし、リスクを減らすためだったらこういう戦い方だってする。そのこと自体には抵抗はなかったけれど、それでもふと思っちゃったのよ。――今の私は、マルクの期待に応えられているのかなって」

「……え?」

 チョーカーを軽く握りしめながら発された問いに、俺は思わず声を漏らす。それに気付いているのかいないのか、リリスは一呼吸おいてから言葉を続けた。

「使える物は何でも使って、私たちの命を守るためだったら手段は選ばないで。罠だって張るし必要に狩られなきゃ正面突破はやりたくないし、最悪私たち以外の誰が犠牲になっても構わないって思ってる。……今ここに広がってる光景が、その何よりの証拠でしょう?」

 俺に背を向けて、自分が巻き起こした惨劇にリリスは正対する。石畳にできたシミは数知れず、中にはいくつも繋がって大きくなったシミもある。そうでいながら悲鳴の一つも聞こえてこなかったことを思えば、ここにいた奴らの末路は何となく想像が付くというものだ。

 すうと深く息を吸いこむ音が、俺の耳にも微かに届く。きっとこの先が本題で、一切の遠慮なく答えなきゃいけない問答だ。何を聞きたいかは何となく想像が付いたし、それになんて答えるかも既に俺の中では決まっていた。

「ねえマルク、聞かせてちょうだい。……今の私は、貴方が求めた通りの私で居られてるの?」

 予想したものとほとんど変わらない質問が、後ろを向いたままで投げかけられる。事前に考えていたのだから、シンキングタイムは必要ない。後は口が動くに任せて、リリスが期待している以上に混じりけのない答えを返してやろうじゃないか。

「えっとな、リリス。答えに入る前に一つ勘違いを訂正しとくぞ」

 リリスの前へと移動しながら、俺はそう前置く。予想した通りその瞳は潤んでいて、誰が見ても不安がっていると分かるぐらい不安定に揺れている。これもきっとリリスの一面で、あまり表に出てこなかったところなのだろう。

 きっと俺が思っている以上にリリスは繊細で、力任せではあっても何も考えていないわけじゃない。そうやっていればたまには思考がごっちゃになることもあるし、一人じゃ答えの出せない問題に行き当たることもあって当然だ。それを面倒くさいとは思わないし、そう自称して遠慮することを許すつもりもなかった。

 そもそもリリスの疑問は前提からして成立していないんだ、それに気づかないまま考え続けるんじゃそりゃ迷路に迷い込んだっておかしくはない。リリスの悩みを根本から拭い去るためにも、答えを出す前にまずはその話から丁寧に進めていくことにしようじゃないか。

「まず一つ言わせてもらうぞ。お前が期待に応えられなかろうとどれだけ頼りない姿を見せようと、この先何かあって戦えない体になったんだとしても。俺はそれを理由にお前を見限ったりしないし、さっき伝えた気持ちをなかったことにするつもりもねえ」

 期待がどうこうとか言われたとき、不思議な気分になった。俺は期待に応えてくれるからリリスを好きだと思ったわけでもないし、戦っている時の姿だけに惚れ込んだわけでもない。普段の少し力が抜けたところまで含めてリリスは『リリス・アーガスト』で、全部ひっくるめて俺はリリスが好きだと結論を出したのだから。

 あれやこれやと色々言葉を並べてはいたが、それは全部簡単な言葉に収束できる。……『貴方に嫌われるのが怖い』と、リリスが言いたいのはきっとそれに尽きるのだろう。

 確かにリリスのやれていることは増えているのかもしれないし、直接対面せずに戦いを終わらせるやり方はある意味でリリスたちらしくないものではあった。だけど、それを悪いものだと思う気持ちは俺の中のどこにもない。――ましてや、自分たちさえ生き残ればいいと思ってるのは俺だって一緒なのだ。

 一歩距離を詰め、髪の毛に触れる。リリスの瞳が見開かれ、弾みで零れ落ちた涙が頬を伝った。

「いいかリリス、よく聞いとけ。この先何があっても俺はお前を嫌いになったりしねえし、どんだけ頑張っても出来るとは思えねえ。自分では気にしてるのかもしれないけど、自分たちだけ生き残ればいいって考え方だって――」

 決して間違った物じゃないと、俺は背中を押そうと口を開く。今のリリスが抱えた不安を丸ごと肯定したくて、見合った言葉を探して頭を回す。全ては、少しでもたくさんの想いを伝えるために。


「おーおー、随分とお熱いこって。――こりゃまた偉い御身分になったもんだな、あァ?」

  
 そうして生まれた一瞬の隙間に、無粋な言葉が割って入った。

 弾かれるように半回転し、声がした方を見やる。何十何百もの死が刻まれた石畳の上を、一人の男が鷹揚に歩いていた。

 白を基調にした面のようなものをこめかみ辺りに乗せ、一歩踏みしめる度にくすんだ茶色の前髪が左右に揺れる。こちらを見据える瞳は、妖しげな紅い光を伴っていて。

「考えてみりゃそりゃそうか、今のお前たちは『王都最強』って奴だ。もてはやされて当然、頼られるのも当然。……結果としてこんなところまで来ちまったのは、可哀想としか言えないけどよ」

「……なん、で」

 まだ呆然とした様子のリリスがこぼした言葉が、スピリオを除いた三人の総意だった。それはもう途切れたはずの因縁で、とっくに決着がついたはずの関係で。それが今更動き出すことなどありえないと、頭ではそう分かっている。だが、どう見たって今目の前にいるのは『奴』そのものだ。

 背に担いだ剣を抜き放ち、あっちはいつでも準備万端と言った様子だ。嫌になるぐらいに大量の装飾が施されたそれも記憶のままで、また一つ裏付けが増えたことにうんざりしてしまう。どれだけ入念に全身を観察しても、一度出た答えを否定するための材料は何も残っていない。

「でも、それも今日ここまでだ。あの日俺からぶん奪った『最強』の称号、耳揃えて返してもらうぞ」

 もちろん、お前たちの首と一緒にな――と。

 不吉な笑みを浮かべて、『奴』――クラウス・アブソートは俺たちに挑戦状を叩きつける。その立ち姿のどこを探しても、油断や慢心の類は見つけられそうになかった。
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