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第六章『主なき聖剣』

第五百二十六話『開戦』

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――太陽が南へと昇り始め、朝から昼へと一日が移り変わろうとし始めるころ。円卓の間で交わされた約束を一秒たりとも違えることなく、帝位への挑戦者たちは襲来した。

 張り詰めた空気の纏う気配が一瞬にして変化し、子供が好き勝手弄りまわしているかのように魔力が歪み始める。それはやがて空間へと干渉し、遠く離れた拠点と帝都を繋ぐ『穴』を作り上げた。

 どれだけ距離が離れていようと、その穴をくぐる事さえできれば奴らの移動はそれで完結する。何度見ても無茶苦茶で、この世界の移動システムをバカにしているとしか思えないやり方だ。もしここにかつての雇い主が居ようものなら、それが邪法だと知っていてもなお協力を求めていただろう。

「……それに乗ってくれるような小物だったら、私たちももう少し楽が出来たかもしれないんだけど」

 残念なことに、現実はそうではない。奴らにとって転移魔術は便利な手札の一個でしかなく、クライヴの理想はリリスたちと相容れないところにある。――故に、お互いに殺し合うしか道はなかった。

 魔力が歪み始めてから五秒と経たないうちに、ローブを被った人間が虚空から染み出すように次々と帝都の地を踏みしめる。その手に握られた思い思いの武器は、命中すれば無事ではいられないだろう。……たとえ幹部が相手でなくとも、手を抜く余地などあるはずもない。

 今までにしてきた遭遇戦とこの戦いでは、その中に含み意味合いがあまりにも違いすぎる。今から始まるのはお互いを否定するための戦い、どちらかが倒れるまで続く生存競争だ。決して退くことの許されない戦いの火蓋が、転移魔術によって切って落とされていた。

「氷華よ」

 相手の転移が完全に完了するのを待たず、リリスは密かに『式句』を口にする。――あいさつ代わりの攻撃に何人耐えられるか、見せてもらおうじゃないか。

「……貴女も気合十分みたいね、ツバキ」

 リリスの動きに呼応するかのように背後で影の気配が膨れ上がったのに気づいて、思わず頬が緩んでしまう。不謹慎なことだとは分かっていたが、それでも嬉しかった。なんだかんだと言いながらも、リリスはずっとこの日を待ち望んでいたのかもしれない。

 今日のツバキ・グローザは、ただリリスを影で支えるだけの存在ではない。磨き抜いた影で敵を呑み、戦場を駆ける一人の戦士だ。二人で背中を預けあいながら、リリスたちは戦場に立っている。

 今更何か言葉を交わす必要はなかった。伝えるべきことは事前に全部伝えてあるし、この後どうするべきかはひとまずこの場を切り抜けてから考えればいい。……ここ最近のツバキが今までで一番強いことは、リリスが一番よく知っているのだから。

 どこに隠れたかは知らないが、きっとスピリオも近くでこの戦いを見守っていることだろう。……その期待に応えて、存分に見せつけてやろうではないか。ベルメウでの敗戦を経て、リリスたちが遂げた大きな進化を――
 
「影よ、ボクの道を拓いてくれ‼」

 ツバキが勢い良く吠えたのとほぼ同時に、リリスは地面を蹴り飛ばして加速する。足元を漂っていた風の渦が追い風となり、帝都に降り立ったばかりの侵略者へと一気に肉迫した。

 視界に何人もの下っ端を捉え、その中から大楯を持っている人間を瞬時に見つけ出す。そこから瞬時に懐へ詰め寄るまで、実に一秒も経たないうちの出来事だった。

 一瞬にして脇をすり抜けられた下っ端たちは驚愕とともに視線をリリスに追いつかせるが、その時にはもう武装は氷の中に閉じ込められている。リリスと下っ端たちとの間では、行動する速度の領域があまりにも違いすぎていた。

「……近寄るんじゃ、ない……‼」

 トップスピードのまま突っ込んでくるリリスを止めようと楯持ちの下っ端も身じろぎするが、接近戦を許してしまった時点で戦況は完全にリリスのペースだ。……高々十把一絡げにして送り込まれるような戦力の中に、リリスを止められるような才能が紛れているはずもない。

(……あっち側も、流石に私たちがどう配置されてるかまでは分からないって所かしらね)

 軽い身のこなしで盾を乗り越えながら、リリスは一つの確信を得る。自惚れてやるつもりはないが、リリスたちが共同戦線における一大戦力であることは確かだ。……この程度で止められるわけがないことぐらい、クライヴは重々理解していることだろう。

……まあ、もし分かったうえでこの采配なら単純にリリスたちを軽んじているという事になるのだろうが。仮にそれが正しかったのだとしても、クライヴに返してやらねばならない借りが一つ増えるだけだ。今リリスがやるべきことは、なんにせよ決して変わらない。

「……これ、あなたにあげる」

 盾持ちの身体を乗り越える動きの最中、リリスはそのローブの内側に小さな氷の球体を滑り込ませる。ローブの下にどれだけ着込んでいるかは分からないが、もし防刃仕様の装備でもして居ようものならその存在に気づく可能性は皆無だ。

 万一仕込みに気づかれたところで、今となってはもうそれを完全に防ぐ手段はない。リリスの間合いでの勝負に持ち込まれた時点で、下っ端に勝機などないも同然だった。

 風の助けも受けて空中で体勢を整えながら、下っ端たちの背後へと両足で着地する。一呼吸遅れてその視線がリリスに集中したのを確認しつつ、軽く息を吸いこんで――

「咲き誇りなさい」

 二つで一つの式句の後半が、唄うようにリリスの口から零れ出る。……盾持ちの全身が一瞬にして氷に覆われたのは、その直後の事だった。

 突然自陣の中心で起きた致命的な変化に、視線はリリスから氷漬けになった同士の下へと移動する。ローブのせいで誰が誰だか判別するのは不可能な状況でも、一応仲間を思う気持ちぐらいはあったらしい。

「……けど、今更その程度で心が痛んだりしないわよ」

 一瞬だけ訪れかけていた感慨をあっさりと蹴り飛ばし、空中に氷の粒をいくつも放り投げる。その全てがリリスのイメージが詰め込まれた種であり、外敵を蹂躙する圧倒的な物量の暴力だ。

 それらに意識が向くよりも早く、リリスはもう一度『式句』を紡ぎ出す。……それに応えるようにして空中で解き放たれた魔力は氷の天井を形作り、突然の出来事に惑う者たちを一人残らず呑み込んだ。

 解き放たれた魔力たちは互いにぶつかり合う事でその勢力を拡大し、より大きく強固な氷の牢獄となって下っ端たちを閉じ込める。今はまだ脱出しようともがくだけの余裕もあるが、それもすぐに終わりを迎えるだろう。生半可な抵抗で、咲き誇った氷の華を散らすことなど不可能だ。

「――それでも一応、ね」

 頭では完全勝利であると理解しながら、しかしリリスは氷塊へと一歩歩み寄る。まっすぐ伸ばした手のひらが、柔らかく氷の表面に触れた。

 もはや抵抗することを諦めた物、どうにか一人でも氷を破ろうと体を動かすもの、あるいはどうにかして仲間たちの情熱を取り戻そうと行動を起こすもの。氷の中では様々な行動が起こされていて、リリスはそれを妙な感慨とともに見つめる。……さしものクライヴたちと言えど、部下の人格までもを自由に弄繰り回せるというわけではないらしい。

 考えてみれば当たり前のことだが、それにリリスは言いようのない安堵を覚えていた。相手は全能の神などではなく、当たり前のようにできないこともあるただの魔術師だ。……必要以上にその姿を大きく見る必要なんて、思えばどこにもないじゃないか。

 クライヴにもどうにもならないことがあるのなら、どうにもならなくなるまで徹底的に追いこんでやればいい。……この場での勝利は、その第一歩でしかなかった。

「徹底的にやらせてもらうわよ。……これは、あなた達を殺すための戦いなんだから」

 氷に触れた右手のひらに意識を集中し、魔力を氷へと流し込むイメージを明確に作り上げる。その途端、氷に囚われた下っ端たちの動きが急速に鈍くなった。

 なんという事はない、ただ温度が下がっただけだ。リリスがより魔力を込めたことにより、氷の中は最早人間が生存できないほどに冷却されている。あくまで身動きを封じていただけの氷は下っ端たちの体内にまで侵入をはじめ、肉体ごと氷に巻き込んで葬り去る準備を着々と整えていた。

「ここであなたたちを見逃して、後々クライヴ達に利用されるのも癪だしね。……皆まとめて、ここで終わってもらうわよ」

 どうせ聞こえてなどいないのだろうが、氷に囚われた下っ端たちに声をかける。どんな理由でクライヴに従っているのかも、何を目指しているのかも分からない。死ぬ理由があるのだとすれば、クライヴの側に着くことを選んでしまったことぐらいだ。……それだけでこんな無残な最期を迎えるのは、少しだけ理不尽に思えるかもしれないけれど。

 だが、それを可哀そうに思う気持ちなどとうに捨ててきた。……だから、ここで下っ端たちは死ぬのだ。

「……さようなら。せめて、痛みなく散りなさい」

 別れの言葉を継げると同時、巨大な氷塊が音を立てて崩れ始める。それは一瞬にして氷の内部にも到達して、氷漬けになった下っ端たちの体にも容赦なく亀裂を刻み付けて。

――戦場と化した帝都に咲いた氷の華が粉々になって霧散するまで、十秒とかからなかった。
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