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第六章『主なき聖剣』

第五百十七話『強者の敬意』

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「殺風景な部屋じゃのう。やはりあの小僧、客人に対して払うべき敬意を知らぬと見える」

 俺の混乱など意にも介することなく、部屋全体をきょろきょろと見まわしながらベガはゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。その様子だけ見ればただの世話焼きな老人だが、纏う雰囲気はどう考えても穏やかなものではなかった。

 鍵をぶっ壊して入ってきているあたり、クライヴがわざわざ案内したというのは考えにくいだろう。何らかの意図があって、自分の意志でベガはここまでやってきている。……一体、何のために?

 脳内を駆け抜ける疑問は、しかし明確な言葉とならずに俺の頭の中をぐるぐると空転する。あの時真っ向から立ち向かえたのがいっそ不思議に思えるぐらいに、ベガの纏う雰囲気は俺の身体を強張らせていた。

 体がいうことを聞かない――と言うよりは、そもそも抵抗する気力がが起きないという方が正しいだろうか、ベガが俺を始末するつもりでここに来ているならば、俺がどう足掻こうとそれを免れる手段はない。逃げ場のない閉じられた部屋で相対してしまっては、小細工を仕込む余地などあったものではなかった。かといってまともな戦いを挑んだところで、勝ち目は皆無どころか絶無に等しいだろう――

(――それは、『少し前の俺』だったらの話じゃないのか?)

 するり、と。最悪の未来をシミュレートする俺の脳裏に、きっちり一線を引いたはずの修復術の存在が滑り込んでくる。仮にベガが俺を殺しに来るんだとして、不意を打てる可能性があるならばそれだけだ。それを使わなければ、生き残るための賭けに挑む権利すら得ることは出来ない。

 何も殺しに行くわけじゃない、ただ時間を稼ぐだけだ。ベガが易々と死なないことぐらい知っているし、そもそもここで死んだらすべてがパーだろう。一線を越してでも生き延びなければ、リリスたちに合わせる顔がない。

 他でもない俺の思考が、修復術を唯一の勝算だと訴えてくる。一線を守ったまま無様に死ぬぐらいならいっそ踏み越えてしまった方がまだマシだろうと、そんな声が聞こえてくる。……その誘惑を、振り切ることのできない俺がいる。

 どちらの考えにも傾くことができないまま、ベガはつかつかとこちらに歩み寄ってくる。真紅の瞳に移る俺は、きっと酷い表情をしているのだろう。それを直視したくなくて、俺は咄嗟にベガから目を背け――

「……嘆かわしい、随分と弱り切った顔をしておる。このような環境に閉じ込められれば是非もない話じゃがの」

「……あ、え?」

 その右手がそっと俺の首筋を撫ぜ、俺の口から間の抜けた息が漏れる。……俺が想定していた剣呑な展開は、何一つ現実になっていなかった。

「殺さない、のか……?」

 思考を覆いつくした困惑のままに、俺はたどたどしい口調でベガに尋ねる。……それに対して返ってきたのは、豪快な笑い声だった。

「かっかっか、今のお主を殺すわけがなかろう! お主は儂が直々に認めた強者、何れ倒すべき標的じゃ。……じゃが、今のお主を殺したところで強者に打ち勝ったことになどならぬじゃろうて」

 堂々と胸を張りながら、ベガは自らの矜持を澱むことなく宣言する。……そう言えば、コイツは戦いの邪魔をするなら部下でも殺すような奴だった。最初からクライヴの完全な部下じゃないんだ。

 だが、あの時のベガは俺たちを殺せずにいることを心から惜しんでいた。それが今も続いているなら、俺とベガしかいないこの状況は格好のチャンスだろう。……それなのに、どうして。

「お主が最も力を発揮するのは、貴様を理解しておる仲間が傍らに立っているときじゃろう? 『弱者の論理』を大いに震えぬお主を殺したところで、ベルメウでの敗北を清算することにはならぬわ」

「清算……か」

 確かに俺たちはあの時ベガを出し抜き、九番街へと向かう事に成功した。だが、それはあくまでベガが自分のルールに則って撤退したからだ。何が何でも目的を果たすために動いていれば、俺たちはクライヴと戦うまでもなく捕らえられていた。……あれを俺たちの勝ちだと言い張るのは、今思うと無理のある話だろう。

「儂は強者との闘いを好む。じゃが、その戦いに敗北したままでは気が済まぬ性質での。……万全のお主――いや、お主相手に勝利を収めねば、儂の心は晴れんままじゃ」

 故に今の貴様を殺すなどあり得ぬ――と。

 堂々と胸を張りながら、ベガは自分に殺意がないことを宣言する。ベガの持つ強者としての誇りを鑑みれば、一度口にしたその言葉が嘘ではないことは明らかで。

「推定五百歳オーバーの負けず嫌いか。……そりゃ、俄然勝ち逃げしたくなってくるな」

「おお、ようやく少しだけ調子が戻ってきたようじゃな。じゃが、儂はやると決めたらやる性分じゃ。――どんな手を使ってでも、儂との再戦は受けてもらうぞ」

 小さく笑みを浮かべた俺に、ベガはどこか満足げにしながら改めて宣言する。色々と裏が読めない人間ばかりと会話していた中で、良くも悪くも一本気なベガとの会話はありがたいものだった。

 とはいえベガがクライヴの部下であることには変わりないし、そうやすやすと気を許すことは出来ないんだけどな。再戦を叶えようにも、俺がここに囚われたままじゃそれは叶わない夢でしかないし――

「……差し当たって、お主にはここを抜け出してもらわねばならぬ。血沸き肉躍る宴も近いが、お主が居なければ最大限愉しむことはできぬからのう」

「……………は?」

 ベガの発した言葉の意味が呑み込めなくて、俺はまた間の抜けた声を出す。……今コイツ、俺をここから脱出させるみたいなことを言ってなかったか?

「なにを呆けた顔をしておる、お主にとっても悪い話ではなかろう。……それとも、ここであの首魁に飼殺されるのがお主の望みか?」

「いや、そんなわけはない……ないんだけど、さ」

 行き詰まりきっていた状況があまりにも急速に動き出したことに、頭はまだついてこられずにいる。ベガは俺たちの敵のはずで、でも俺を逃がす気はあるらしくて。……つまり今、ベガはどこの立ち位置にいるんだ?

「ベルメウでのお前、『裏切る気も起きぬ』って言ってただろ。なんだ、らしくない嘘をでも吐いたのか?」

 予想外の方向から差し伸べられた救いの手を信じ切れず、俺は問いを投げかける。ベガに駆け引きをする意思がないことはよく分かっているが、その裏で動く奴らには色々と思惑があるのだ。こんなうまい話、裏がないと思う方がおかしいだろう。

「儂は嘘などつかぬ、それが強者の責務故な。……じゃが、心変わりまでせぬというわけではない」

 それに対する答えは明快で、しかし剣呑な物だった。さっきまでどこか穏やかな雰囲気を纏っていた瞳が、一瞬にして敵意に満ちた物へと変わる。それが俺に向けられたものではないと頭では納得できても、身体はぶるぶると震えていた。

 その口ぶりを信じるなら、クライヴの信用が下がるような出来事があったという事なのだろうか。用意周到なクライヴがそんな単純なミスをするとも思えないが、クライヴに明らかな敵意を向けているベガがここにいるのもまた事実だった。

「儂にとって、強者とは敬意を払うべき物じゃ。たとえ目的のために対立する存在であったとしても、戦場で向かい合えばただの武人同士、積み上げた研鑽には称賛を送らねばならぬ。上回った相手を見下し足蹴にするなど、強者の在り方をはき違えた下衆な行いじゃよ」

 俺の言葉を待たずして、ベガは滔々と言葉を重ねる。それはきっと、五百年と言う時間をかけてベガが積み重ねてきた確固たる在り方の一部だった。

「故に、儂はお主にも敬意を払う。『弱者の論理』を振るい、儂を一度退けた男を、儂は一人の武人として尊く思う。……たとえ下衆の策略に搦め取られ、囚われの身になったのだとしても」

 どこか遠くを見ていた視線が俺の方へと戻り、燃えるような熱が俺を貫く。取り繕いようも謙遜しようもないぐらい、それは純粋な敬意だった。……お互いに死力を尽くした者へと向けられる、最上級の賛辞だった。

「故に、その名誉を穢すような真似を儂は許さぬ。――礼儀知らずの小僧め、『落日の天』などと悪意に満ちた名前を儂らの旗として掲げおって」

「……ッ‼」

 その名前がベガの口から洩れた瞬間、俺はベガが何に怒ったのかを察する。それはきっと、俺の心にも同じような感情が湧いてきたからで。クライヴ・アーゼンハイトが、決して踏み込んではいけない一線を土足で踏み荒らしたからで。

「これより儂は小僧の下を離れ、お主が脱出する手助けをする。お主の戦意がまだ死んでおらぬのであれば、儂の計画に乗るがいい」

 まっすぐ日本の足で立ち、未だに座り込む俺にベガはまっすぐ手を伸ばす。その行動原理はどこまで行っても自分の為で、『人助け』なんて綺麗事はきっと微塵もないのだろう。……それが、なぜだか妙に心地いい。

 手を伸ばし、無数のしわが刻まれた手を握る。八方ふさがりだったこの部屋に大きな風穴が開いた音を、俺は確かに聞いたような気がした。
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