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第六章『主なき聖剣』

第五百六話『盲点』

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「何せ妾の弟子じゃからな。この国の頂点に立ったものならば、『約定』が持つ意味の大きさも当然知っておろう?」

 ロアルグに続き、フェイも堂々と胸を張る。その様子を見つめるカイルの視線は、何か見えない物を見ようとしているように細かく動き続けていた。

「……ああ、当然理解しているとも。一歩間違えれば帝国すらも食い荒らされかねなかったような災害など、そう何度も起こるような物ではないからな。それを食い止めた精霊がこんなにも幼い器に収まっていたとは少々予想外だったが」

「しょうがないじゃろう、これでも当時の受肉術としては破格もいいところなのじゃぞ? 加えて言うならば、別に器がどれほど幼かろうと魔術の腕が変わるわけではない。……何なら、今ここで見せてやっても良いのじゃが」

「冗談だ、貴殿が強いことは見ただけで分かる。その強さに興味がないと言ったら嘘になるが、その好奇心に呑まれて必要のない喧嘩を吹っ掛けるほど余は暗君ではないからな」
 
 少しばかり剣呑な雰囲気を纏ったフェイにたじろぐこともなく、カイルは肩を竦めながらその提案を辞退する。その視界の隅ではカルロがケラーに小突かれていたが、カイルの視界にはどうやら入り込んでいないようだ。

 フェイが口を開いた途端、カイルの意識はほぼそっちに集中していると言ってもいい。その腹の底を読み切ることは出来ないが、少なくとも何か思う所があるのは確かなのだろう。

「帝国もあの事件から四百年、特に大きな危機もないまま存続してきたと聞き及んでいる。……そして今、嘗て帝国を守った精霊は復活した。それが何を示唆するかは、まあ言うまでもないだろう」

「それが妾たちをすんなりと受け入れた理由、と言うわけか。……まったく、善良な精霊をまるで不吉の象徴化のように扱いおって」

 スンっと鼻を鳴らし、フェイは少し不満げな言葉を発する。それを見つめるカイルの様子はどこか楽しそうに見えるのは、決して見間違いではないのだろう。

 リリスが思い描いていた皇帝の在り方と、カイル・ヴァルデシリアの在り方はかなり異なっている。どちらかと言えばフェイの振る舞いをさらに冷徹にしたようなものだと思っていたのだが、今のカイルの様子だけを見ればただの気さくな男と言った印象が強い。集団のトップに立つという意味ならば、ロアルグの方がよっぽどそれらしさはあると言ってもいいぐらいだ。

 だが、かと言ってカイルが皇帝にそぐわないかと言われれば話は違ってくる。死さえ錯覚させるほどの圧迫感に、己に対する絶対的な肯定感。そして何より、初対面であるはずのフェイとの会話すらも気楽な様子で臨んでいるのがカイルのスケールの大きさを示している。

「じゃがまあ、帝国の危機とはすなわちグリンノート家の危機に他ならんからの。……少し順番はぜんごしたが、貴様の言っていることも完全に間違っているという事はないのじゃろう」

 その態度の前に折れるような形で、フェイはカイルの立てた推論を肯定する。待っていたとばかりに頷いて、カイルはさらに言葉を続けた。

「ああ、クライヴ・アーゼンハイトは危険人物だ。奴の関係者と思しき賊が帝国の一角に立つ者を撃破したとなれば、よりその警戒度は跳ね上げざるを得ん。いくら余の威光が全てを上回るとは言え、周囲を全て食い荒らされてしまえば『帝国』はそれでおしまいだ」

「なぜか城の情報以外は奪わなかったという話じゃが、いつ気が変わるかも分からんような連中じゃ空の。……最悪の場合、既に賊の傀儡となって偽の情報を流されている可能性とて否定は出来ん」

 カイルとフェイが揃って鳴らした警鐘に、円卓が沈黙に包まれる。それぐらいの芸当ならばクライヴは余裕でやってのけるだろうと、厭な確信が頭の中で生まれていた。

 認めたくはないが、根底は似た者同士なのだ。どうしても譲りたくない大切なものがあって、そのためには手段を選ばない。……その『大切なもの』を抱え込むためのアプローチが、リリスたちとクライヴとではあまりに違いすぎるだけで。

 マルクが大切な同士仲良くなれればよかったのだが、そんな美談が成立するのは御伽噺の中でだけだ。大切な存在は一人しかいなくて、だから奪い合うしかない。クライヴの積み上げる策の一つ一つが、マルクへの想いを体現しているかのようにリリスには思えた。

「……正直なところを言えば、状況は『共同戦線を組むか否か』という次元をはるかに飛び越えている。余の国には今危機が迫り、それがまき散らす被害に王国は一足早く晒された。……であれば、手を組んで敵を排除する以外に道は無かろう」

「妾も同意見じゃ。円卓を囲んだ以上、妾たちは背を預けあう必要がある。最強たる皇帝の一声があれば、貴様の決定に異議を唱えるような私兵もいないであろうよ」

「いっそ詰まらぬぐらいに従順だからな、余の私兵たちは。野心の枯れ果てた姿を見ていると辟易することもあるが、今はむしろ好都合だ」

 それぞれが思案を巡らせる中、フェイとカイルは率先して『共同戦線』の締結を進めていく。この話の流れなら時間の問題でもあったし、ここで先にそれだけはっきりさせるのは間違ったことではないだろう。

「フェイ殿、騎士団はその提案に乗ろう。今は一刻も早く、クライヴ・アーゼンハイトを打ち滅ぼすための思索を練るべきだ」

「ボクも異論はないよ。協力する価値は確かにあるし、こうして悩んでいる間にもクライヴの計画は進んでるかもしれないんだから。……ここに招いてくれた時点で、君もボクたちには手を組む価値があるって認めてるんでしょ?」

 何せここは円卓なんだからね――と付けくわえ、ツバキは改めてカイルを見つめる。その視線に射抜かれて、皇帝ははっきりと首を縦に振った。

「ああ、貴殿の言う通りだな。余と貴殿らの、ひいては帝国と王国の利害は一致している。……それが分かっているならば、とっとと手を組みに行くのが筋であった」

「格式ばった挨拶なら後でもできたもんね。……気を失わなかったとは言え、無意識に僕たちも気圧されてたってことになるのかもしれないや」

 納得したように頷くカイルに、ガリウスの頷きが続く。見解の一致が確認できたのなら、それだけで『共同戦線』結成の合図としては十分だった。

 握手もなければ何か署名をするわけでもないそれは、きっとこれまで結ばれてきた国と国の関係の中で最も簡素なものだっただろう。だが、それと反比例するかのようにリリスたちの目的意識は一つの所に収束している。

「……さて、本題に戻るとするか。帝国に、そして王国に仇為す敵を、余らはどの様にして迎え撃つ?」

 共同戦線としての話がひとまず着地したのを確認して、カイルは改めて議題を打ち出す。……しばらくしてからおずおずと手を上げたのは、これまでどこか硬い表情を浮かべていたアネットだった。

「……状況を確認しますわよ。クライヴは今計画を実行するための準備を進めていて、非常に癪な話ではありますがその計画通りに動かれるとわたくしたちでも苦戦せざるを得ない――そうですわよね?」

「基本的にはそう考えて構わぬ。最悪の場合正面から迎え撃つほかないが、出来る限り奴らの土俵で戦いたくないのは事実じゃな」

 フェイの頷きを受けて、アネットは腕を組んで瞑目する。どこか躊躇っているかのようなその時間を経たのち、軽く息を吐いた彼女はこの場にいる全員をぐるりと見まわした。

「……あの、非常に古典的で力任せなやり方にはなるのですが――あちらが計画の準備をしている間にわたくしたちが先制攻撃を加えられたら、絶対にクライヴ達のペースにはならないんじゃないですの?」

 アネットがそう発した瞬間、部屋の空気が僅かに、だが確かに変わる。常に神出鬼没であるがゆえに無意識化で切り捨てていたそれは、間違いなくクライヴ達に対して効果的な一手だった。

「もちろんどうやって見つけ出すかとか、どう当たりを付けていくかに関しては問題が残ってますわ。……でも、リリスさんとフェイさんの二人が居るならば、不可能ではないような気がしてるんですの」

「……ああ、不可能ではないじゃろうな。少なくとも試して損をする類の物ではない」

 盲点と言ってもいいようなその提案にうなりを上げながら、フェイはコクリと首を縦に振る。何で気が付かなかったのか自分でもよく分からないほど、それは単純かつ画期的な閃きだった。

「人海戦術なら余も力を貸せる部分はあるな。どれだけの戦力を割くかはともかくとしても、試してみる価値は十二分にある――」

 カイルさえもそのひらめきに素直な関心を示し、計画の実行に前向きな姿勢を示す。それに伴うようにして円卓の雰囲気が明るい方向へと向かい始めた、その時の事だった。


「――ご歓談の所失礼するぜ、天才ども」

 
 どこかで聞いたことがある声が突然響き、空間が一瞬だけ歪む。……まるで虚空から染み出してきたかのように、突如としてその姿は円卓の上に現れていて。

「お久しぶり、あるいはどうも初めまして。……俺はアグニ・クラヴィティア、大将――クライヴ・アーゼンハイトの忠実な部下としてやらせてもらっているものだ」

 ここにいる全員をまとめて見下ろしながら、アグニはキザったらしく一礼する。……闖入者に向かってカイルが手を伸ばしたのは、その直後の事だった。
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