上 下
510 / 583
第六章『主なき聖剣』

第四百九十七話『カルロ・クロウリー』

しおりを挟む
 決して空気が重くなったわけではないのに、その沈黙の中で迂闊に声を出すことは許されない。いつになく真剣な目つきで一同を見回すカルロに先んじて何か声を発することは、彼が意を決して作り出したこの雰囲気を破壊することに他ならないような気がした。

 他の面々も同じ感覚なのか、ツバキたちもただ押し黙ってカルロが沈黙を破る瞬間を待っている。カルロの方針を基本受け容れないケラーでさえも、口を引き結んでただ視線を向けていた。

 突如として生まれた異様な空気感の中で、カルロは一度、二度と深呼吸を繰り返す。マイペースなようにも緊張しているようにも思えるそれを終えた後、カルロはゆっくりと口を開いた。

「……オイラはな、有名ってわけでもない家の生まれだ。帝都から結構西に行った先にある、カラニって奴が支配してた領土の一般家庭。親父もお袋も野心があるって感じじゃなくてよ、今手元にある生活を繰り返してることに満足してる類の奴だった」

「野心があるって感じじゃ、ない――」

「ああ、別に珍しい話じゃないんだぜ? 帝国に生まれたからって全員が全員野心をメラメラさせてるわけじゃねえし、生まれた子供に『皇帝を目指せ』なんて言って厳しく教育するわけでもねえ。オイラだって、ガキの頃からこんな考え方をしてたわけじゃねえからな」

 あの頃はただ、花や草を愛する大人しい子供だったんだぜ――と。

 どこか気恥ずかしそうに頭を掻きながら、カルロはリリスのオウム返しにそう付け足してくれる。普段の会話の中ならば冗談だと受け取ってしまいそうな言葉なのに、今ここで発されると真実としか思えないのが不思議だった。

 これで真っ赤な嘘をついていたならば大したものだが、そんな無粋なことをする人間でもないだろうとリリスの直観が断じている。魔術師同士が分かり合おうと思うなら戦うのが一番だというカルロの主張は、どうもあながち間違っていないらしい。

「前にケラーが言ってたけどよ、『よりよい明日を求めるなら力を以て掴むしかない』んだ、この国は。逆に言えば、満足できる場所にたどり着けたら力を振るう必要なんてなくなる。これで幸せだって思えるなら、もう上なんて見なくてよくなるんだ。少なくとも、オイラが覚えてる限り親父とお袋は幸せそうだった。誰かに力なんて振るわなくても手にできる幸せを、親父たちは確かに見つけ出してた」

 顔色を僅かに曇らせながら、しかし誇らしげにカルロは自分の両親を語る。だが、それは決してハッピーエンドで終わらない物語だ。今もカルロの両親が幸せに生きているのならば、今のカルロはここにいない。――皇帝に仕える人間としてのカルロ・クロウリーは、『手の込んだ自殺』と揶揄される帝国への挑戦を経て生まれているのだから。

 そんな悲しい想像に応えるようにして、カルロの口は再び開く。……さらに曇った表情とともに明かされるそれは、悲劇と言うほかないような現実だった。

「――けどよ、そんな親父たちの生活ですら羨んだような奴が居たんだ。小さな畑を守る農家として毎日を生きて、月に一回、一度だけ奮発して街外れの小さな食堂に家族みんなで少しだけ豪華な飯を食いに行く、そんな生活を欲しがった奴が居たんだ。この国には自分の家すらも持てない奴隷たちが山ほど居るからな。……今も、それはそんなに変わってねえんだろ?」

「……勝者が居れば敗者がいる、当たり前の事です。勝者が全てを得るこの国においては、敗者は全てを失って落ちるところまで落ちるしかない。過去の事例にはなりますが、皇帝争いに名乗りを上げられるほどの有力者が一度の敗北をきっかけに奴隷まで落ちぶれたという話もあるぐらいですから」

 急な問いかけに背筋を震わせながらも、淡々とした声色までは崩すことなくケラーは返答する。……しかし、それが様々な感情を噛み殺した上での物であることは明らかだ。

 ケラーが帝国の在り方に疑問を持っていることを、リリスは確かに知っている。その上で諦めて今の在り方にたどり着いていることも聞いている。……そんな彼女に、カルロの物語はどう映っているのだろうか。

「後はまあ、皆が想像した通りの事が起きた。ある日突然家は武装した奴隷たちの集団に襲われて、親父とお袋は抵抗できずに殺された。……オイラは、逃げることしかできなかった」

 手のひらに傷がつかないか心配になるほどに強く拳を握り締めながら、カルロはついに家族の身に起きた悲劇を語る。……誰も、その悲劇に言葉を発することは出来なかった。

 リリスをはじめとして、この馬車に乗っている人間は『死』に対して慣れている者ばかりだ。戦いの中で死を目の当たりにして、時には自分の手で死を与える。……その一つ一つに対して意識を割けば心がすり減ってしまうのは、いつか見た悪夢の事を思えば明らかだ。

 『死』に慣れるとは、言ってしまえば一つ一つの死への感慨を薄れさせることだ。一つの命の終わりではなく、ただ戦いの先に起きた一つの結末として処理する。正面から受け止めることを放棄して、早々に記憶の奥底へと押し込めてしまえばそれでよかった。

 だが、リリスが慣れているのは戦いの先にある死だ。お互いに譲れない目的があって剣を交え、その先にある死ならまだいい。それはただの結果だと、そう割り切ることだってできる。……でも、カルロが語る悲劇はそうではない。

「そいつらな、たまに野菜を買いに来る奴らだったんだ。オイラたちの家は野菜やら肥料やらを売る小さな商店でもあったからな。親父は優しかったからよ、買い物に来たそういう身分の奴らを家に上げて飯を振る舞ってたこともたまにあった。……だからさ、確認されてたんだ。オイラたちの家の中に、襲撃者に対抗するための武器なんて一つもないことを」

「……っ」

 吐き捨てるように付け加えられた事実に、隣で息を呑むツバキの声が聞こえる。……聞けば聞く程、奴隷たちの襲撃は手の込んだ『より良い明日を手に入れるための行動』だった。

 奴隷たちからすれば、それは帝国の流儀に則った行動だったのだろう。奴隷として生きる毎日から逃げるための希望を見出して計画を立てて、そしてそれを見事に実行して見せた。……ただ、奪われた側からしてみればそれは理不尽以外の何物でもないわけで。

「恩を仇で返されたどころの話じゃねえだろ? だからよ、家の外に逃げたオイラは真っ先に衛兵の所に駆け込んだんだ。『オイラの両親が奴隷に殺された、何とかしてくれないか』ってな。……そう叫んだオイラを見つめた衛兵の表情な、今でも夢に出てくるんだ」

 自嘲気味に笑いながら、カルロはそこで一度言葉を置く。……そして、ひどく冷徹な表情をその顔に張り付けた。

「『何故お前はここまで逃げてきたのだ、奴隷如き排除すればいいだけだろう』――ってな。あっちが万全に武装しててオイラたちの家に武器がなくても、逃げたらそれはもう負けたも同然らしい。……衛兵はカラニの街を守るための兵ではあっても、そこに住む人間を守る気なんて微塵もなかった」

 きっとその衛兵の態度を模倣しているのだろうカルロの振る舞いは、普段受ける印象とは全く異なる物だ。いっそケラーが人間味あふれる表情をしていると思えるぐらい、衛兵の態度には体温が感じられなかった。

「そこまで言われてようやく気が付いたんだよ。いくらオイラたちが戦いから手を引いた気で居たって、帝国に住んでる限り戦いから逃れることは出来ないんだって。――この国の最底辺に堕ちない限り、奪われる恐怖はずっとオイラたちの背後について回るんだって」

 拳を握る腕を震わせ、唇をかみしめながらカルロは自らの結論を口にする。フェイが口にした『病』と言う表現に何の違和感も覚えないほどに、その構造は異常であるとしか思えなかった。

「皇帝の乗る馬車を襲撃した時な、オイラは死んでもいいと思ってたんだ。その時のオイラは生きてても意味がないって思ってたし、だったら最後に皇帝に『奪われる恐怖』を少しでも感じさせてやりたいってだけだった。……そしたらなぜか気に入られて、今じゃオイラは皇帝サマのお気に入りになっちまってるわけだけどよ」

 全身から力を抜きつつ、カルロは困ったような表情を浮かべる。自暴自棄に陥っていた自分を過去形で語ったカルロは、今何を支えにして生きているのだろうか。……それを想像するには、まだまだカルロ・クロウリーと言う人物に知らない部分が多すぎて。

「……いつでもそうだと思うけどよ、奪われる側は命がけで戦ってる。標的にした相手をわざわざ生かしておこうなんて、よっぽど恨みがある奴しかしねえことだしな。だからこそ、命乞いしちまうような半端な覚悟で襲撃してくる奴の事は気に入らねえ。全部奪う気概で向かってくるのなら、全部奪われる覚悟も決まってねえとおかしいだろ?」

 再び椅子に深くもたれかかりながら、カルロは不機嫌の理由をはっきりと口にする。……そういえば三度の襲撃の中で何度か命乞いの声や悲鳴が聞こえていたなと、リリスは思い出した。

「この国で何かをしようと思うなら、常にそれ相応の代償を支払える覚悟を持ってなきゃいけねえ。それが理解できないような奴だったら、どれだけダダこねられても突っ返すつもりだった。……けどな、ふたを開けてみればお前たちはそこら辺の帝国人より帝国人らしい。だからオイラも、お前らに安心して背中を預けられるってもんだ」

 無責任な逃げはしねえって分かるからな――と。

 そう言って目を瞑り、それと同時に緊張していた空気が一気に弛緩する。……窓の外からはオレンジ色の光が射し始め、今日の目的地が迫っていることを知らせてくれていた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

異世界転移で生産と魔法チートで誰にも縛られず自由に暮らします!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:255pt お気に入り:2,450

【BL】えろ短編集【R18】

BL / 連載中 24h.ポイント:63pt お気に入り:153

ざまぁから始まるモブの成り上がり!〜現実とゲームは違うのだよ!〜

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:401

【R18】俺とましろの調教性活。

BL / 連載中 24h.ポイント:49pt お気に入り:558

処理中です...