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第六章『主なき聖剣』

第四百九十二話『原動力はその手の中に』

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 そんなことが実現してしまえば、帝国はもちろんこの世界全体のパワーバランスは大きく崩れることになる。ベルメウの崩壊とは比べ物にならないぐらいの大きすぎる影響は、クライヴの名前を否応なしに全世界へと広めることになるだろう。

「ううんマルク、僕は徹頭徹尾本気さ。失敗させる気なんかないし、ここを乗り越えるために必要な戦力はあらかじめ用意してある。一歩ずつ一歩ずつステップを踏んで、僕はようやくここにたどり着いたんだよ」

 クライヴの描く未来を想像して戦慄する俺の目の前で、クライヴはゆるゆると首を横に振る。その瞳はあくまで理性的に帝国の景色を見つめていて、クライヴが狂気に呑まれていないことがはっきりと理解できてしまった。

 いや、正確に言えばクライヴの内側には狂気が棲んでいるのかもしれない。だが、今こうして計画を立て、それを淡々と実行へと進めているのは理性的なクライヴが居るからだ。クライヴは自分の持てる全てを動員して、計画を果たそうと手を尽くしている。

「成功率は――そうだな、九十五パーセントぐらいって言っておこうか。一つや二つ不測の事態が起ころうと、僕の計画の大筋が変わるわけじゃない。ベルメウでの一件だって、『マルクを連れ戻す』っていう計画の心臓部分に関しては成功してるわけだからね」

  呆然とする俺ににやりと笑みを浮かべて、クライヴは一言そう付け加える。……クライヴが狙っていたのかどうかはわからないが、その言葉は確かに俺の神経を逆撫でした。

「……あの場で俺たちがした何もかもが、お前にとっては無駄だったってことかよ」

「無駄なんかじゃないさ、実際僕たちの計画は数段狂わされてる。ウーシェライトが死んだことも、捕虜が一人出たことも、『精霊の心臓』を捉え損ねたのだって正直痛い失敗だよ。……けど、それで僕の計画を阻止したって言うには足りないんだ」

 苛立たしいぐらいに穏やかな笑みを浮かべて俺の肩に手を置き、クライヴははっきりと首を横に振る。しかし、その瞳の中にある勝利への確信は少したりとも揺らいでいなかった。

 こんなに据わった眼をしているクライヴは、俺の記憶のどこを探しても見覚えのないものだ。記憶の中のクライヴ――『アニキ』はいつも好奇心や可能性に心を躍らせるような人間で、今のような落ち着きなんて欠片も持っていなかった。だからこそ『あの子』と出会えて、そして失うことになったのだ。

 それがどんな影響をクライヴに与えたのか、それはきっと俺も軽率に語ってはいけないことだ。……だが、あの出会いと別れの経験がクライヴを今の在り方に導いていることは間違いない。――かつてのクライヴは、『僕』だなんて名乗りをするところが想像もできないような人物だったのだから。

「僕はこの手でかつての修復術師が作り上げた都市を崩壊させ、取り戻したかったマルクの存在をこうして確保した。だから、あの戦いは僕の勝ちさ。『僕たち』としては敗北してる可能性があったとしても、『僕』とベルメウの戦いは完璧に僕が上回ってる」

「なるほどな。……じゃあ、今度も『お前たち』と『お前』の勝利条件は違うってことか?」

 淡々と自分の勝利を語るクライヴに、俺は意識的に頬を吊り上げながら問いを返す。今俺に語って見せたことが組織の目的なのかクライヴ自身の個人的な目的なのか、打開策を考える時のためにもそこははっきりとさせておく必要があった。

 だが、それに対してクライヴは意味深な笑みを浮かべるばかりだ。『どっちだと思う?』とでも言いたげな表情はまるで俺の内心を見抜いている様で、それがまた気持ち悪かった。

「あの街で僕たちの予想外になったのは、君と『精霊の心臓』の持ち主――レイチェルさんだっけ? が予想以上に足掻いてきたところだ。リリスさんとツバキさんの支援が届かないところにまで分断するまでは順調だったけど、何があったのかレイチェルさんが想像以上に成長してきた。ベガでさえも止められなかったって聞いた時は流石に耳を疑ったよ」

 結局俺の問いに答えを返すことはなく、クライヴは話題をベルメウの街での出来事へと戻す。それは、悪夢のような襲撃のほとんどを裏から操って見せた悪辣な人間の独白だった。

「『マルクだけは殺すな』ってのは事前に強く言いつけておいたから、レイチェルさんと二人にしてしまえば戦力的にも抗える術はないって思ってたんだ。『精霊の心臓』が手に入ればその持ち主の事はどうでも良かったし、修復術の本質を忘れてる君一人を制圧するのは容易い。……今思えば、それがあの街での一番の油断だったのかもしれないけどね」

「ああ、お前は明らかにあの街で読み違えてる。お前が何でもかんでも見通せるわけじゃねえって分かって安心したよ。……これからだって、お前が読み違いを起こさない保証なんてどこにもねえ」

 レイチェルと二人ベルメウの街を駆けまわっていた時、どこまで行っても襲撃者たちの手のひらの上から抜け出せないような閉塞感があったのを俺ははっきりと憶えている。だが、今クライヴが語ったことによってそれは俺の抱いていた錯覚へと変わった。……ああして街の中を駆けまわっていた状況そのものが、クライヴにとっては想定外に他ならなかったのだ。

「なら、お前はこの国でだって読み違える。初見殺しで一度勝ったぐらいで俺の仲間たちの事を完全に読み切れたなんて思い上がってるなら、それは大きな間違いだぞ」

 不気味なぐらいに落ち着いているクライヴに人差し指を突き付けながら、俺ははっきりと断言する。リリスとツバキの強さはクライヴのそれに劣る物じゃないと、半年間積み上げてきた記憶が背中を押してくれている。

 俺とレイチェルの成長すらも読み切れなかったクライヴが、それよりも遥かに地力のあるリリスたちの成長を完璧に予測出来ているはずもない。そう思うと胸の中に溜まっていた不安も少しは消えていくように思えて、俺の背筋が無意識の内にピンと伸びていく。――しかし、その最中に聞こえてきたクライヴの笑い声がその気勢に待ったをかけた。

「……あは、はは、ははははッ」

 少しうつむき、口元に手を当て、不規則なリズムで笑みをこぼす。その仕草は理性の欠片も感じさせないもので、俺の本能的な部分が危険信号を発している。アレに下手に踏み込んではいけないと、二十年弱生きてきたことで磨かれた経験がそう結論を出していた。

「それは君から僕への宣戦布告かい? それとも君がくれたアドバイス? お人好しなのは変わってないね、マルク。……君が僕を本当に出し抜こうと思うなら、ただただ僕の計画に怯えるフリをして期を伺ってればいいだけなのにさ」

 身をのけぞらせて距離を取ろうとしたその瞬間、ゆらりと体を起こしたクライヴの視線が俺を捉える。朗らかで穏やかな雰囲気とはまるで打って変わった昏い光を瞳に宿して、時折「はははッ」と笑みを浮かべながら俺に焦点を合わせていく。……それは今の今までクライヴの中で眠っていた、底知れない狂気の欠片であるように思えて。

「ああ、でも安心してくれ。君が思うような出来事は何一つとして起きないから。僕が読み切れない要素はマルク、君一人だけなんだ。僕と同じ思いをした修復術師である君が近くに居るからこそ、君の仲間たちの動きや成長は読めなくなっていく。……全部君が原動力なんだよ、マルク」

 身を乗り出すようにして俺に接近しながら、羨望やら嘲りやらの無数の感情をないまぜにした声色でクライヴは断言する。……その両手がまっすぐ俺に伸ばされて、遂に俺の肩に触れた。

 途轍もない嫌悪感と本能的な拒絶が俺の身体をとっさに動かそうとするが、それを上回る生存本能の警告がすんでのところで振り払おうとした両手の動きを止める。『今下手に刺激すれば殺される』と言う確信が、俺の全身を高速で駆け巡っていた。

「そして今、マルクは僕の手中にある。今まで当事者だった君も、この戦いでは傍観者にしかなることは出来ない。……傍観者には、戦いを動かす権利も力もありはしないだろう?」

 吐息がかかるほどの距離感で、クライヴはうっとりとした調子で告げる。……この狂気を飼いならしているのが普段のクライヴなのかと思うと、冷や汗がとめどなく流れてやまなかった。

「今から起こる戦いはね、組織にとっても僕にとっても大切な計画の最終段階だ。――この戦いが終わるころには、きっと君も僕の計画に喜んで協力してくれるはずだからね」

 まるで芝居の中のワンシーンかのように大仰な振る舞いでそう告げたクライヴは音もなく俺から離れ、ピンと背筋を伸ばして椅子に座る元の姿勢へと戻る。そして、その瞳の中にまた理性の光を宿して――

「じゃあ、僕はやらなくちゃいけないことがあるからそろそろ行くとするよ。……大丈夫、退屈な時間はじきに終わる。それまで大人しく待っててね、マルク」

――そう言って、蛇のように笑った。
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