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第六章『主なき聖剣』

第四百九十話『それぞれの利益のために』

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「……ふう」

 勝利が確定したことを確かめてから、リリスはゆっくりと右手の力を緩める。それと同時に氷の武装たちも霧散して、その存在が最初から幻であったかのように消え失せた。

 地面に広がる氷と今もなおキラキラと空中を舞う氷の欠片だけが、この戦いを現実だと証明してくれる唯一の物証だ。それだけが、リリスの見せた新たな境地の残滓としてこの場にとどまっている。

「……しばらく見ないうちに腕を落としましたか、カルロ」

 無事特訓の成果を発揮できたことにリリスが内心安堵の息を吐いていると、審判の役目を終えたケラーがつかつかとこちらに歩み寄ってくる。その瞳には皮肉の色が宿っていて、それを一身に受け止めるカルロも乾いた笑みを浮かべた。

「そんなことはねえ――って言っても、このザマじゃ強がりにしかならねえか。……少なくとも、まだジジイになるには程遠い年だと思ってるんだけどな」

「ええ、客観的に見てそれは事実でしょう。まあつまり、リリス様が私たちの予想をはるかに超えて強かったと結論付けるのが妥当でしょうね」

 どことなく自嘲的なカルロの言葉に頷いて、ケラーはリリスの方へと視線を向ける。そのまま軽く屈みこんで片膝をつくと、ケラーはゆっくりと頭を垂れた。

「……貴女ほどの強者を試すような真似をしたこと、どうかお許しを。帝国の厳しい環境の中でも戦い抜けるほどの強者であること、この眼でしかと見届けさせていただきました」

「ああ、すっげえビリビリ来たぜ。模擬戦だって分かってたのに怖かったからな。一歩間違えりゃオイラは氷漬けになるし、そうされなかったのはお前さんにその気がなかったからってだけだ。……もしもお前さんと戦場で出くわしてたら、オイラは何もできずに死んでただろうな」

 厳かな口調でリリスへの敬意を示すケラーの隣で、カルロも頭を掻きながら言葉を続ける。それがカルロなりの敬意なのだろうという事は、此の模擬戦を通して何となく理解が出来た。

「怖かったのはこっちもよ、あの規模の魔術を使われるのは少しだけ予想外だったもの。……もしかして、帝国ではカルロぐらいの強さが標準的だったりするの?」

「標準――どこに基準を置くかによって変わりはしますが、この帝国で覇を唱えようとするならばカルロ程度の術師が数百人はいないと割に合わないでしょうね。……事実、皇帝直轄の私兵の中でカルロは一番弱い方かと」

「ああ、アイツらは揃いも揃ってバケモンだからな。……でもよ、お前さんから感じる圧力はアイツらのそれとは大違いだったぜ?」

 忌憚ないケラーの評価に肩を竦めながらも、カルロはリリスの肩にポンと手を置く。片目を瞑りながらリリスを見つめるカルロの視線は、なぜだかリリスの内面までもを見透かしているのではないかと言う錯覚を抱かせた。

 カルロの感性が時に場の雰囲気を一変させるような気付きをもたらしてきたのを、この短時間でリリスは一度ならず目にしている。リリスも大概感性で動く側の存在なのは重々承知しているが、カルロのそれはより純粋なものだ。

「なんつーかな、皇帝サマのとこの奴らは温いんだよ。オイラより強いのは間違いねえけど、でもどこか温い、だから怖くもなんともない。……けど、お前さんは違った。ああやって飛び掛かられることが、胸ぐらをつかまれることがこんなに怖いと思ったのは初めてだ。――後で皇帝サマには感謝しないといけねえな」

 こんな奴と出会わせてくれたんだからよ――と。

 そう言ってカルロは笑みを浮かべ、肩に置いた手を今度はまっすぐに差し出してくる。握手を求められているのだと気づいてすぐさま手を出し返すと、パシッと軽い音を立てながらその手が握りしめられた。

 少しざらざらした、しかし温かい手だ。痛くならないように力加減をしていることも分かるし、指の辺りから感じるマメの感触がカルロが積み上げてきた修練を物語っている。騎士団で特訓を始めてからマルクの手にもマメは出来ていたが、カルロのそれはマルクよりもずっと年月を経てきているものだ。

「こちらこそ模擬戦って舞台をくれて助かったわ。いきなり帝国の人間と殺し合いなんてことになったら何が起こるか分からないもの」

 その気質を表わすかのように豪快に笑うカルロに対し、リリスも微笑を返しながら感謝を述べる。ここで一度実戦経験を積めたことは後に生きるだろうと、そんな不思議な確信がリリスにはあった。

「――その様子だと、ボクの相棒は合格って感じかい?」

 さっきまでの緊張が嘘のように朗らかな雰囲気が漂っているところに、凛とした声がリリスの背後から会話に割り込んでくる。振り返ってみれば、観戦を終えた五人が揃ってリリスの元へと駆け寄ってきていた。

「ああ、まさかここまで完璧にやられるとは思ってなかったぜ。こんな強い相棒が居るお前さんが羨ましいぐらいにな」

「ああ、それはコンビを組んだ時からずっと思ってるよ。リリスと出会ってここまで一緒にいられたことが、ボクにとっての一番の幸運だ」

 リリスの隣に並び立ちながら、ツバキは胸を張ってカルロの言葉に応える。ツバキからまっすぐに向けられる信頼はしっかりとした重みがあって、だけどそれが心地いい。

 二人で昔話に花を咲かせたあの日から、ツバキは自分の感情を幾分前に出せるようになってきたと思う。それがリリスへの信頼と言う形で表れてくれることが嬉しいし、それに応えられる自分で居たいと思う。ツバキがくれる感情が、リリスの中で暴れ出そうとする不安な感情を繋ぎとめてくれていた。

「ええ、今の私たち二人にできないことはそうそうないわよ。……もしまだ興味があるんなら、今度は私たち二人で相手してあげるけど?」

「冗談はよしてくれよ、さっきよりこっぴどく叩きのめされるのが目に見えてる。今のお前さんたちの表情を見れば、お前さんたちの強さが単純な足し算じゃないことぐらいは分かるからな」

 おどけた様子で一歩後ずさりながら、カルロはリリスからの申し出を丁重に断る。一つでも多く実戦経験を積んでおきたい身としてはあながち冗談でもない提案だったのだが、そこまでうまく話が運ぶこともないようだ。

「ええ、私からも保証します。あなたたちの強さは、帝国でも十分に目を引くものです。――貴女たちが国境警備隊に加わっていただけるなら、大体の問題は容易く解決できてしまうのですが」

「すまぬな、妾の弟子たちは目的があってここまで魔術を磨き上げたのじゃ。隊長として有望株のスカウトに勤しむのもいいことじゃが、その話はもう少し後にすることじゃな」

 冗談とも本気ともつかない様子でこぼしたケラーの呟きに、リリスたちの背後で誇らしげに腕を組んでいたフェイが真っ先に反応する。小柄な体格と幼い顔つきには明らかにそぐわない仕草なのだが、フェイの堂々とした在り方と組み合わせるとなんだか馴染んで見えるから不思議なものだ。

「言ってみただけです、そんな横紙破りなことは致しませんよ。……まあ、後でスカウトしていいというのならばその時は全力を以て交渉させていただきますが」

「佳い佳い、こやつらの目的が果たされた後ならば少しはその余地があるじゃろうからな。……じゃが、今はまた別の交渉を前に進める必要がある。そうじゃろう、騎士の小僧ども」

「ええ、間違いありません。フェイ様のお気遣い、ありがたく頂戴いたします」

 ころころと笑みを浮かべていたところから急に声色を真剣な物へと切り替えたフェイに大きな頷きを返して、ここまで無言を貫いていたロアルグが意を決して一歩前に踏み込んでくる。それを見たケラーの表情もどこか堅いものに変わるのを、リリスは二人の中間に立ちながら見つめていた。

「色々な割込みや予想外の事態もあって中断してしまったが、私たちは帝国と共同戦線を張ることを望んでいる。歴史あるグリンノート家を壊滅させ、王国では魔構都市ベルメウを壊滅させた凶悪な犯罪者――クライヴ・アーゼンハイトを打倒するために」

 ロアルグが共同戦線の最終目標を告げると同時、この空間全体の雰囲気が数段引き締まったものへと変わる。……その変化の中心は、リリスとツバキが放つ明確な殺気だった。

 クライヴはきっと、リリスたちが知らないマルクの事を知っているのだろう。あっちにはあっちなりの事情があって、マルクのことを強く必要としている。……ともすれば、記憶を取り戻したマルクがそれに賛同していることだってあり得るかもしれない。クライヴからしてみれば、マルクを横取りしていたのはリリスたちの方だ。

 だが、そんな事情に構ってやるつもりは微塵もない。クライヴが身勝手な理論をぶち上げてマルクを奪おうとするならば、リリスたちも同じようにやり返せばいい。結局のところ、リリスたちだってとんでもない我儘を通そうとしているのは変わらないのだから。

「そして、クライヴによって拉致された王国の人間もいる。これまで王国の平和に多大な貢献をしてきた、間違いなく『英雄』と呼ばれる資質を持つ人物だ。……私たちは、なんとしてでもそれを取り戻したい」

 そんなリリスたちの思いを汲んでくれたのか、ロアルグはさらに言葉を付け加える。……そして、最後の仕上げだと言わんばかりに大きく一歩ケラーとカルロに歩み寄って――

「私たちが目的を果たすためには、貴方たちの協力が不可欠だ。……どうか、私たちに皇帝と謁見する機会を設けてはくれないか」

――帝国と王国の共同戦線を、完全な形で実現するために。

 そう締め括って、ロアルグは深々と頭を下げる。それに倣ってリリスたちも頭を下げてしばらく待っていると、ケラーが咳払いする声が耳に届いた。

「……顔を上げてください、皆さん。王国からの申し出に対して皇帝は品定めのための大使を送り、私はその間を取り次ぐ中継役となった。そして大使から与えられた場において、貴方たち共同戦線は自分が持つ価値を存分に示した。間違いありませんね、カルロ?」

「ああ、こいつらなら大丈夫だ。きっと皇帝サマも、こいつらが生半可な奴じゃないって分かってくれると思うぜ」

 ケラーの問いにカルロが即答し、それにまたケラーが頷きを返す。それから又数秒の沈黙を挟んだのち、ケラーは深く息を吐いてからロアルグへ向けて一歩歩み寄り――

「……このような場での返答になってしまい申し訳ありません。私達国境警備隊は、貴方たちを帝都に案内するに相応しい集団であると判断します。共に見据える目的のため、共に手を貸し合うとしましょう」

 リリスたちがまず第一の関門を超えたことが、ケラーの言葉によって正式に宣言される。王国と帝国の利益のため、そしてあまりにも個人的な願いのため。――様々な想いを内包する共同戦線は、実現に向けての歩みをまた一つ進めていた。
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